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8話
奥沢のアパート。
結菜は、カーテンを閉めたまま、机に向かっていた。
ノートの余白が、いつもより広く感じられた。
「悪性リンパ腫」
その言葉は、医学書の中では定義されていた。
でも、自分の中では、まだ輪郭が曖昧だった。
痛みは、観測されない粒子のように、時折ふっと現れては消えた。
誰にも見られていない。
だからこそ、静かに向き合うしかなかった。
結菜は、鏡を見た。
顔色は少しだけ薄くなっていた。
でも、目の奥には、まだ光が残っていた。
「科学って、希望の形だと思ってた」
声に出すと、少しだけ震えた。
「でも今は、証明じゃなくて、祈りに近い」
結菜は、ノートにペンを走らせた。
「観測されない痛み。沈黙の粒子。
それでも、私は生きている。
湊斗の頷きは、たぶん支えだった」
窓の外で、風が街路樹を揺らした。
その揺れが、結菜の決意をそっと包んだ。




