落語声劇「ろくろ首」
落語声劇「ろくろ首」
台本化:霧夜シオン@吟醸亭喃咄
所要時間:約30分
必要演者数:3名
(0:0:3)
(2:1:0)
(3:0:0)
(0:3:0)
※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。
よって性別は全て不問とさせていただきます。
(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)
※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品
に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。
それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。
●登場人物
与太郎:25才にもなってふらふらふらふらして仕事もしてない、
いわゆるプータローのフリーターのニート。
叔父:与太郎の叔父。兄貴と違ってろくでなしの与太郎に頭を悩ませてい
る。与太郎が嫁が欲しいと言い出したことで、お屋敷から頼まれて
いた事を思い出し、お婿さん候補として甥っ子をお屋敷へ連れてい
く。
叔母:叔父の妻。与太郎には甘く、こっそり陰で小遣いなどをあげたりし
ている。相手は25の大きな子供なのにである。
ばあや:お屋敷のお嬢様にお仕えしているばあやさん。
お天気のお話にも、お天気「様」と様の字を付けてお話しになる
ほど、お言葉遣いのおよろしいお方。
語り:雰囲気を大事に。
●配役例
与太郎:
叔父:
叔母・ばあや・語り:
※枕は誰かが適宜兼ねてください。
枕:落語の世界にはよく愚かしい役回りの者が出てきて、名前が一様に
与太郎と言います。何かものを教えても、たいがいしくじる。
わりとしゃべり方もあんまりキレッキレじゃない。
そして落語というものは、噺の種類が三つに分かれます。
人情噺、滑稽噺、そして怪談噺。
怪談噺てものは大体背筋が震えあがるのが当然でございます。
「もう半分」や、「真景累ヶ淵」に「牡丹灯籠」、
など有名なものも多いです。
ところが先ほど述べたこの与太郎、これが絡んでくると、怖い噺
もだいぶマイルドになりますようで。
叔父:おい与太、与太、何してるんだよ。
そんな表につっ立ってる奴があるか、中へ入れ。
近所から見てたってみっともねえだろ。下駄泥棒かなんかと間違え
られるぞ。
与太郎:あ、うん。
…。
叔父:おいおい、いくら叔父さんのとこだからってな、入ってきてぬーっ
と立ってるやつがあるか。挨拶くらいしたらどうなんだ?
挨拶しろ。
与太郎:挨拶?うん。
……さようなら。
叔父:なんでェさようならってのは。
来たばっかりで帰るのか?
与太郎:帰らないよ。いま来たんだもの。
だってさ、叔父さんこの前さようならの挨拶だって、そう言った
じゃねえか。
帰る時に挨拶して帰れって言うから、挨拶って何だっつったら、
さようならだって言ったじゃないか。
だから、さようなら。
叔父:そりゃ帰る時の挨拶だよ!
来た時は丁寧に頭を下げて「こんにちわ」、
暑い時には「お暑うございます」、
寒い時には「お寒うございます」。
これがおめえ、挨拶ってんだよ。
与太郎:そうかぁ…じゃぁあの、お寒うございます。
叔父:寒くないよ。
与太郎:…お暑うございます。
叔父:暑いほどの陽気じゃねえ。
与太郎:……お温うございます。
叔父:なに言ってやがる、そんな挨拶があるか。
で、何だ今日は?
与太郎:うん、あのねえ、あのー…兄貴がね。
叔父:あん?おめえの兄貴がどうかしたのか?
言付けかなんか持ってきたか?
与太郎:そうじゃないんだよ。
あのー…おふくろもね。
叔父:おふくろさんの言付けか?
与太郎:えぃや、そうじゃないんだよ。
あのね、今日ちょっと、叔父さんに相談があって来たんだよ。
叔父:ほお、おめえにあらたまって相談なんぞ言われると、何だかくすぐ
ってェな。
まぁいい、こっち来て座れ座れ。
で、なんだその相談ってな。
与太郎:だからさ、兄貴がさ、今年33だよ。
叔父:そうだ、おめえの兄貴は33だ。そんな事おめえにあらためて言わ
れなくたって、叔父さんだって知ってらあ。
それがどうした?
与太郎:三年前にさ、お嫁さんもらった。
叔父:ああ、もう三年にもなるな。
で、どうしたんだよ。
与太郎:そしたらね、子供が生まれた。
叔父:おう知ってるぞ。一度会ったが可愛かったな。
それがどうしたんだよ。
与太郎:その子供が、だんだん大きくなるね。
叔父:あたりめえじゃねえか。
だんだん小さくなったらなくなっちまうだろ。
だからどうしたんだ。
与太郎:あのね、朝なんかあの、ご飯とか食べる時さ、あの、
兄貴がこっち座ってるとおかみさんが向こうへ座ってさ、
あいだに子供がちゃぶ台に手をついて、立ち上がったりしてるん
だ。
それで、お膳の上の物を手でつかんで食べたりなんかしてさ、
見てると可愛いんだ。
叔父:なに言ってやんでェ。
それがどうしたんだよ。
与太郎:あのね、それがどうしたって言うけどさ、兄貴の事をその
おかみさんが呼ぶ時にね、「ちょいとお前さん」、とか「あなた
」とか…はは…はァァ…。
叔父:な、なんだよ。
そりゃ、おめえの兄貴のかみさんなんてなぁな、職人のかみさんに
しちゃあよくできたかみさんだよ。
あなた、とかお前さん、くらいの事は言うだろ。
それがどうした。
与太郎:それがどうしたそれがどうしたって叔父さんさっきから言うけど
さ、おらァなんざね、家へ帰っておまんまなんか食べたって、
うまくも何ともないんだよ。
おふくろと差し向かいでもってさ、おふくろはもう顔はしわくちゃで
汚いし、歯は入れ歯だしさ。
おまんまの時なんか大変だよ。たくあんなんて噛んだり吐き出し
たりしてさ、やっと飲み込むと今度は入れ歯を上下とも外して、
どんぶり入れた上からお湯じゃぶじゃぶかけて、中で洗濯してん
だよ。
歯の抜けた後は洞穴みたいな口になっちゃってる。
あの口でおらの事を「あなたや」、って呼はねえ。
叔父:なに言ってやんでェこの野郎。
どこの世界におふくろがてめえの倅つかまえて、「あなたや」って
言う奴があるか!
それがどうしたんだよ。
与太郎:叔父さん、それがどうしたそれがどうしたって言うけどさ、
あのさ、あたいもね…
叔父:なに?
与太郎:あたいもさ…
叔父:はっきりしろってんだよ!おめえな、年いくつになった。
25だろ!?25にもなって「あたい」って奴があるか!
「あたい」なんてのはな、7、8つの可愛い女の子の言うセリフだ
。
無骨な毛ぇ生やしやがって、木造蟹みてえな足しやがって、あたい
ってのがあるか!
与太郎:じゃ、あの、「ぼく」。
叔父:おめえは「ぼく」てぇ顔じゃねえ!
その下に人参でもつけろ!
ーーぼくにんじん(朴念仁)ってよ。
与太郎:あ、ぁあははァ…。
叔父:喜んでやがるよおい。
しょうがねえなこいつは。
他に言いようがあるだろうが。
与太郎:あのね、それじゃあ「おいどん」。
叔父:なんだそのおいどんてな。
与太郎:西郷隆盛がそう言うんだ。
叔父:西郷隆盛と一緒にする奴があるか。
他にねえのか?
与太郎:それじゃあ…「あたし」。
叔父:まぁいいだろ。
あたしがどうした。
与太郎:あたしもさあ、あのだから、あの、25だからさ。
ぃやあの、あの…、あ…あの…あ、あの…さ……。
兄貴に負けねえ気になってさ…。
叔父:あぁそうかそうか!
じゃあおめえも25だから、兄貴に負けねえ気になってなんか商売
でも始めようってのか。そらァ結構だ。
あっぱれ見上げたもんだな。
おめえが商売するって言うんなら、叔父さんが元手ぐれェ出してや
ってもいいぞ。
で、何をやろうってんだ?
与太郎:何をやろうじゃないんだよ。
働こうなんて、そんな変な話で来たんじゃないんだ。
叔父:なにィこの野郎。
あのね、だから…その…あたしも26だからね、
兄貴に、負けねえ気になって……【しばらく笑いながらもにょ
もにょ言ってる。二拍分くらい】
叔父:なんだこの野郎、ツラぁ伸ばしやがったよ。
だらしのねえツラだよ。普段からしまりがねえけどよ。
ふわふわふわふわしたこと言いやがって、
なに言ってるかさっぱりわからねえ。
はっきり言ってみろはっきり。
与太郎:へへへ…はっきり言うと、なんかきまり悪いよ。
叔父:はは、なんでェ、おめえでもきまり悪いって事があるのか。
叔父さんとおめえの間できまり悪いなんてこたァねえ。
はっきり言ってみろ。
与太郎:じゃあ、はっきり言うけどさ…
だからね、あたいもほら、25だから。
叔父:25だからどうしたんだ。
与太郎:そのぁの、兄貴に負けねえ気になって…
叔父:だからどうしようってんだよ!?
兄貴に負けねえ気になって?
与太郎:ッーー~~…っ、ぅ~……。
叔父:なんでェ、目がすわってきやがったよ。
喰い付くんじゃねえか?大丈夫だろうな?
与太郎:ぃっ、ぃいっっ、
ぃ嫁さんんがもらいぃたいぃ!
お嫁さァん!
およぉめさぁぁん!!
叔父:~~ぅわかったわかった!
わかったってんだよ!
叔母:あらあら、与太郎もついにそういう気になったのかい?
【けらけら笑う】
叔父:ばあさんそこで笑ってる場合じゃないよ!
与太、そらァおめえだって25だ。
まんざら昨日に股から生まれたわけじゃねえや。
とうとう食い気から色気へ移ってきやがった。
25にもなったら、嫁さんをもらいたいぐらいの事を考えるのは
無理もねえ。
だけどな、おめえの兄貴はちゃんと女房子供を養っていくだけの、
手に職てぇものがある。
おめえが嫁もらったとして、どうやって飯を食わせる?
与太郎:箸と茶碗です。
叔父:んな事は言われなくたって分かってんだよ!
どうやって暮らしを立てていくって言うんだ?
与太郎:それァ叔父さん大丈夫だよ。
ちゃんと考えてあんだから。
かみさん稼がしたり、おふくろを働かしたり。
叔父:他力本願じゃねえか!
虫のいいこと言っちゃあなんねえ。
人間はな、女房を持とうっていうんだったら、一人前じゃなくちゃ
いけねえんだ。
与太郎:大丈夫だよ、おまんまなんか五人前食う。
叔父:そんなに食わなくたっていいんだよ!
あぁ、そういやこないだ聞いたぞ。
岩田の隠居のとこだかでもって、またずいぶんと食ったそうじゃね
えか。
与太郎:え?あぁあれね。
叔父さん、あれはそうじゃないんで。
あれはね、あの、ご隠居さんに頼まれてたんだ。
今度大掃除するから与太郎来て手伝っておくれよ、って言われて
てさ、その日になったら忘れちゃったんだよ。
それで夕方近くになって、あ、そうだ、今日大掃除だったなと
思って行ったらみんな終わっててね、手伝いの人が皆でこれから
天丼を食べようっていうとこだったんだ。
「なんだ今ごろ来たってしょうがねえな与太公。
けどせっかく来たんだから、じゃあ天丼ひとつお上がりよ」
って言うから、いらねぇってそう言ってやったんだ。
叔父:ほぉ、えらいな。
おめえでもなにか、働かねえで食っちまったら済まねえと思ったの
か。
与太郎:そうじゃないよ。あのね、一つ食うと後を引いていけねえから、
一つじゃいらねえって。
叔父:…大変なこと言いやがったなこの野郎。
与太郎:で、いくつなら食べるって言うから、そこにある五つみんなって
言ったら、「おもしれえ、食べられるもんなら食べてみろ」って
言うから、ぺろぺろぺろぺろみんな食べちゃった。
そしたらね、ご隠居さんがとっても喜んで「えらいえらい」
って言ってね、ご褒美にお小遣いもらったからそれ持って
さよならって帰ってきた。
叔父:なんだ愛想のねえ野郎だな。
何しに行ったんだよ。
そういう時にはな、少しは残りの手伝いかなんかするもんだ。
与太郎:それで帰りがけにね、蕎麦屋の前通ったらまた美味しそうな匂い
がしたからね、盛りを三つ食った。
叔父:よく食うなこいつは、ええ?
与太郎:家に帰ったらね、おふくろが鮭でもってお茶漬けを食べてたから
、あたいも鮭でお茶漬け食った。
叔父:お前な、そんないっぺんに食う奴があるか。
与太郎:うん、やっぱりね、あんまり急に食べちゃいけないんだね。
そしたらさ、お腹が大きくなってね。
そのうちプッツンなんて音がしたと思ったら、
お腹が破けてたんだ。
叔父:腹が破けたァ!?
そりゃ穏やかじゃねえなおめえ。
それでどうした?
与太郎:いや、お腹が破けたのかなと思ったら、越中ふんどしの紐が切れ
た。
叔父:まぎらわしいなこの野郎!
ふんどしの紐が切れるほど食う奴があるか!
おめえのおふくろだってそうだぞ、よく考えてみろ。
おめえがちゃんとしてりゃ、今ごろは兄貴の所へ行って孫のおもり
でもして楽隠居だ。
それじゃおめえが可哀想だってんで世間に馬鹿にさ
れる。
一緒にいなきゃどうにもならねえってんで、ああやって細々と
手ない職なんぞしてるんじゃねえか。
少しはおふくろの気持ちにもなってやれ。
ぶらぶらぶらぶら遊んでばかりいやがって、ええ?
早起きは三文の得と言ってな、おめえみたいにいつまでも寝てる奴
に得したためしはねえ。
「まどろむは愚なり」と言ってな、寝てばかりいる奴にロクなのは
いねえ。
寝てばかりいると損をするもんだ。
与太郎:はあぁ、それで昔イギリスにあの、ネルソンて人がいたんだ。
叔父:くだらないよ!
早起きは三文の得からなんでネルソンにいくんだよ。
与太郎:ぁそう…叔父さん、朝早く起きると得するよ。
叔父:そうだろう?
与太郎:うん、こないだ朝早く目が覚めてね、それで近所を一周りして
帰ってきたら家の前にね、いい塩梅にがま口が落っこってた。
叔父:それ見ろ、そういうことがあるだろ。
与太郎:拾ってね、よく考えてみたら出がけにあたいが落っことしたの
をまた拾っちゃったんだ。
叔父:【溜息】
~~ダぁメだ、おめえみてえな野郎は。
何が嫁が欲しいだ。黙って聞いてりゃほんとにしょうがねえや。
おい婆さん、お前もそうだよ。
俺の甥っ子だからってんで甘やかして、内緒で小遣いなんかやった
りするからこういうのができあがる。
見ろ、いつまで経ったってこのザマだ。
叔母:それならお前さん、与太郎をあのお屋敷に連れて行ったらどうです
か?
叔父:お前な、あんなものお屋敷に連れてったって庭掃きにも門番にも
なりゃしねえ。
叔母:そうじゃありませんよ。
お屋敷のお嬢様のお見合い相手としてですよ。
叔父:なに、お嬢様のお婿さんに…?
ふうむ……そうだな、かえってああいうのが良いかもしれねェな。
おい与太、ちょっと待て与太!
与太郎:なんだよ叔父さん。
叔父:おめえのさっきの嫁がもらいてえって話を聞いて思い出したんだが
な、ちょっとこっちへ来い。話がある。
今な、婆さんが言ってたんだ。
実はおめえに養子のクチがあるんだが、どうだおめえ、
お婿さんに行かねえか?
与太郎:えぇ…小糠三合持ったら婿養子に行くなって言う
よ。
叔父:生意気なこと言うんじゃねえ。
そりゃ一人前になってから言うセリフだ。
本来は「小糠った奴は婿養子に行くな」だってんだ。
おめえは小糠り(小抜かり)どころか大糠り(大抜かり)だ。
与太郎:あぁ、雨降りの道わりみてえだなぁ。
叔父:なに言ってやんでェこの野郎。
それでそのお相手ってのがな、叔父さんのお出入り先のお屋敷だ。
ご両親はとうにお亡くなりになってて、お嬢様をお育て申した
ばあやさん、それに女中が二人だ。
そこへお前が行くと五人暮らしてことになるんだが、
たいしたもんだぞ。
お屋敷は白くて大きくてな、財産なんざもう、お前が一生かかって
使ったって使い切れないほどあるんだ。
それにお嬢さんの器量がというと、これがまた近所じゃ小町と言わ
れるほどの器量よしだ。
そういう女っぷりの良いお嬢さんをおめえがおかみさんにもらって
な、それでもって毎日美味いのを食っていい着物を着て、
財産がいくらだってあるから働くこともねえし、
毎日ぶらぶらぶらぶら遊んでいられるよ。
そこへおめえを世話しようってんだがどうだ、おめえ行くか?
与太郎:へえぇ…ははは、いいなぁそれ。
行くよそりゃあ。
行くよ叔父さん。
行こう!行こう!
叔父:あのな、行こうったって今すぐに行けるわけねえだろ。
それに、おめえでも務まるとだろうというのには、やっぱり訳が
あるんだよ。
与太郎:なんだい、そのわけってのは?
叔父:後で何かあってぶつぶつ言われるのも嫌だから、ざっくばらんに
話すけどな、実はな、お嬢様には悪いお病があるんだ。
与太郎:なんだいその、悪いお病てのは。
叔父:ああ、真夜中にな、ぁ~~~ーー…。
与太郎:寝小便かなんかすんだろ。
いやぁ、寝小便ぐらいしても大丈夫だよ。
あたいもちょいちょいやるから。
叔父:25にもなって寝小便なんぞする奴があるか。
そんなんじゃねえんだ。
その、な、お嬢様のお屋敷ってのが、叔父さんの所とはわけが違う
。ここで話してるのが隣で聞こえるところじゃねえんだ。
何部屋も隔ててあってもう、静かなのを通り越して寂しいくらいだ
。お嬢様のお寝間てのがいまだにな、この電気というものを使わな
い。
行燈を使うんだ。行燈たって知らねえだろ。
与太郎:知ってるよ、日曜の前の日だ。
叔父:そりゃ半ドンだバカ。
行燈、種油に灯心、薄ぼんやりした灯りを障子で囲ったものだよ。
で、お嬢様の枕もとには六枚折れの金屏風が立て回してある。
その外にいま言った行燈が置いてあるんだが、草木も眠る丑三つ時
、屋の棟も三寸下がる、水の流れも止まるという刻限だ。
今の時間で言うと…そうだな、ちょうど夜中の二時ごろかな。
…この時間になるとな、寝ているお嬢様の首が音もなくすーーっと
伸びて、屏風を逆さまに越したかと思うと、行燈の障子を鼻でもっ
てこう、つつつつっと持ち上げて、中の油をペタペタペタペタと
舐めるんだ。
与太郎:ぁぁははっ…おもしれえ。
叔父:おもしろくねえよ。
このお病があるために、今までずいぶんお婿さんの話もあったが、
みんな財産目当てや器量好み、辛抱できねえで逃げ出しちまう。
ばあやさんもいろいろ心配をして、
「このご病気さえ承知の方なら、どんな方でも結構でございます。
ひとつ、お婿さんを世話してください。」
叔父さん前からそう頼まれててな、そこへおめえを世話しようって
んだよ。
与太郎:それァ叔父さんあれだよ、それァあれだよそれァ、ど、ど、どく
、どくどく、どくどっーー
叔父:舌が回ってねえぞ。
ろくろ首だ。
与太郎:あぁぁあそ、そう、それ。
あ、あたいはそういうのは好かない性質だ。
叔父:そりゃ誰だって好きだっていう奴はいやしないよ。
与太郎:叔父さん何かね、それは…夜中だけかい?
叔父:ああ、夜中だけだ。
昼間は決して、首は伸びたりしない。
与太郎:あ、夜中だけ?それじゃ大丈夫だ。
あたいなんざね、もう地震が来ようが火事が起きようが風が吹こ
うが、夜中に目なんか覚めたことないんだから。
あぁ~夜中だけかぁ。
夜中ならいくら首が伸びたってかまわねえや。
夜中のうちに、伸びろや伸びろ、天まで伸びろ。
叔父:のんきな野郎だな。凧じゃねえんだぞ。
まぁかえってこの寝坊がどこで役に立つかわからねえって奴だ。
それでいってみようかな。
なりはおめえ小ざっぱりしてるからいいよ、このままで。
あ、それからな与太、このばあやさんて人が、たいへん言葉の丁寧
な人でな。
挨拶ひとつするにしても、「今日は結構なお天気様でござい
ます」なんて、天気に様を付けるような人だ。
そこにおめえが行っておかしな挨拶をした日にゃ、ぶち壊しになっ
てしまう。
いいか、向こうでな、「今日は結構なお天気様でございます」
と言ったらな、「さようさよう」とこう鷹揚に言っときな。
与太郎:ぇ~、さようさよう?ふーん。
それから?
叔父:まぁそうだな、あとはそう難しい事もないだろうが、
「この話がまとまりましたならば、さぞかし草葉の陰でお亡くなり
になりましたご両親様もお喜びのことでございましょう」
とかなんか向こうで言うだろ。
そしたら、ごもっともの次第でございます、という心で
もって、「ごもっともごもっとも」と、こう言っときな。
与太郎:へへぇ、ごもっともごもっとも。
叔父:あとは…そうだな、あのばあやさんはたいへん如才の無い人だから
なんだな、「私も年を取っておりまして、何のお役にも立ちません
が、どうぞよろしく」とか、「末永く」かなんか言うだろ。
そういう時にはな、なかなかどういたしまして、とこういう心で
もって、「なかなか」と、こう言っときな。
与太郎:へえ、なかなか!
それから?
叔父:まあそれくらい覚えときゃいいだろ。
あとは叔父さんがうまくごまかしてやるから。
与太郎:あぁ~そうかぁ、へえ、それじゃあ、
さ、さようさようとごもっともごもっとも、なかなか、とね…。
じゃあ向こうで何か言ったらさ、
「さようさようごもっともごもっともなかなか」って言うと、
どれかいいのを選り取るんだね。
叔父:選り取りゃしねえよ!
夜店で物を買ってるんじゃねえんだぞ!
ダメだそんなこと言ってちゃ。
ぁあ~まぁよしよし、25にもなって挨拶の稽古なんてのも
薄みっともねえが、ここはひとつやっておかねえと心配で行けねえ
。
じゃあ叔父さんがひとつ、ばあやさんの心でもってやるから。
いいか?
えー、私もこんなに年を取っておりますが、とこう言ったら
おめえ、なんて言う?
与太郎:さようさよう。
叔父:バカ野郎。
さようさようってのがあるか。
与太郎:ごもっともごもっとも。
叔父:なお良くねえよ!
おぉい、ちょっとばあさんや!
叔母:はぁーい、なんです?
叔父:あー、隣の子供の忘れてった鞠があったろ。
あれをこう紐を長めに付けてな、こっち持って来な。
叔母:いったいなんに使うんです?
叔父:いいから、早くしろ。
叔母:はいはい、人使いの荒いこと…。
はい。
叔父:おう、できたか。
おい与太、この鞠に紐が付いてるだろ。
そうだな、鞠を左の袂から出して、紐の先をふんどしに結わえつけ
とくんだ。ほら、やってみろ。
与太郎:あ、うん…っと。
叔父:そうそう、着物脱いで…ってむこう向いてやれ、バカ。
なんだ、だらしのねえふんどしの締め方しやがって。
もっときゅっと締め上げろ、きゅっと。
与太郎:わ、わかったよ…。
これでどうだい、叔父さん。
叔父:おうできたか?あぁよしよし、こっち来い。
いいか?この鞠をおめえと叔父さんの間に置いてな、こうやって
叔父さんが一つ引っ張ったら「さようさよう」。
二つ引っ張ったら「ごもっともごもっとも」。
三つが「なかなか」。
こうすりゃ覚えていけるだろ。
与太郎:あぁそうか、一つが「さようさよう」、二つが「ごもっともごも
っとも」、三つが「なかなか」?
うんうん、大丈夫。
叔父:そうか。じゃあひとつな、叔父さんが稽古をするぞ。
いいか?
このお話がまとまりましたならば、さぞかしご両親様もーーほら、
二つだ、二つ。
与太郎:【たどたどしく】
ご、ごもっともごもっとも。
叔父:そうだそうだ。
ぁ~私もこんなに年を取っておりますがーーほら、三つだ、三つ。
与太郎:三つは…
なかなか!
叔父:おぅうまいぞ。
ぇぇ、今日は、結構なお天気様ーーほら、一つだ一つ。
与太郎:一つは…
残念でした、またどうぞ!
叔父:バカ、のど自慢の鐘の数やってんじゃねえ。
まぁまぁ、こんなもんで上手く向こうへ収まりゃな、
人間の廃物利用だ。
与太郎:えぇ…廃物利用…。
叔父:あぁ、おめえなんざな、ゴミみてえなもんだ。
ほれ、行くぞ。
語り:さて与太郎、叔父さんに連れられてやって参りました、出入り先の
お屋敷。結構な居間まで通されます。
与太郎:叔父さーん、叔父さん!
どこ行ってたよ?
叔父:バカ、静かなお屋敷でなんて声を出すんだ。
今な、ばあやさんと話をしてきた。
内玄関のとこを通るのをそれとなく見てたってんだな。
「なかなか立派な方でございますね」なんて言ってたよ。
いいか、よし、おめえはここへ座ってな、今ばあやさんがここに
挨拶に来るからーーおいおい、きょろきょろするんじゃねえ。
胸張って、姿勢よくして、前をじっと見てろ。
ほら、足音がしてきたぞ。きょろきょろするんじゃねえ。
ばあや:これはこれは、ようこそおいでいただきました。
お初にお目にかかります。
今日は結構なお天気様でございます。
与太郎:さようさよう!
ばあや:ただいま、叔父様ともお話をいたしましたが、
このお話がまとまりましたならば、さぞかしお亡くなりになりま
したご両親様も、草葉の陰で大喜びの事でございましょう。
与太郎:ごもっともごもっとも!…あとはなかなか。
叔父:【語尾に被せるように】
ぁああどうも、はいっ、はあぁさようでございますか!
はい、それはどうも、かえって痛み入ります。
あ、さようでございますか!承知いたしましてございます!
はい、はい、はは、あ、では後ほどご造作にあずかります。
はい、では…!
【二拍】
バカ野郎。
なんだって「あとはなかなか」なんて余計なこと言うんだよ。
与太郎:だってどうせ言うと思ったからさ。
手回しよく。
叔父:そんなところに手回しなんかいらねえんだよ。
今ばあやさんの言ってたこと聞いたか?
本来ならここにお嬢様がな、桜湯かなんか持って出てくるところだ
が、今回はそれとなく庭先を通るから、それを見てくれとこう言う
んだ。
それが済んだら御膳がいただける。
与太郎:御膳ってなに?
おまんま?ふあぁ…おかずなに?
叔父:おかずなんかどうでもいいんだよ。
上手く行ったらお支度金を頂戴して帰れるんだから、
黙って庭を見てろってんだ。
与太郎:庭なんかどこにもないよ?
叔父:あたりめえだ、いま障子が閉まってるから見えねえんだよ。
家ん中に庭があるわけねえだろ。
与太郎:それはそうだよね。
庭はみんな表にあります。
それで鬼(お庭)は外ーー
叔父:下らねえこと言ってんじゃねえーーぁほらほら、
障子が開いたぞ障子が。
与太郎:あ、開いた。
なんでえ叔父さん、障子がひとりでに開いたのかと思ったら
そうじゃないね。
あれ、あそこにいる女の人が二人でもって開けたんだね。
叔父:あれは女中さんだ。
与太郎:なんでえ女中か。
叔父:女中かなんていう奴があるか。
ああいう人たちが一番大事なんだ。
与太郎:あ、そうなんだ。
叔父:なにも安っぽく頭を下げることはねえけどな。
よろしくとかなんとか言って、鷹揚に頭の一つぐらい下げておかな
いと、今度来たお婿さんは挨拶の仕方も知らねえバカ殿様って言わ
れるからああいう人が一番大事なんだぞ。
与太郎:あぁぁ…すごいね叔父さん。
これずいぶん広いよ。
お山もあるしさ、池もあるし、芝生なんか生えちゃってる。
いやぁこれ、鬼ごっこすると面白いよ。
叔父:25にもなって鬼ごっこの心配なんかするんじゃねえよこいつは。
?何してるんだよ。
与太郎:何をしてるって、向こうからかわいい猫が来たよ。
真っ白い子猫だ。
ぉ~こっちこっち、こいこいこい。にゃ~。
ぁ~来たぁぅふふ。
柔らかくて美味そうな猫だぁ。
ほら、膝にあがれ。
あ、叔父さんこれ、ほら、見てごらん。
子猫のくせにヒゲなんぞ生えてら。抜いてやぁ痛っ!
いてて…叔父さん引っ掻かれた。
叔父:あたりめえだろ。
ヒゲを抜く奴があるか。
猫のヒゲを抜くとネズミを捕らなくなっちまう。
与太郎:へえ~、猫ってヒゲでネズミ捕るの?
あたいはまた、爪で引っ掻いて捕るのかと思ってた。
うちの近所に木村さんなんてお医者さんがいるんだよね。
あのお医者さんもヒゲ生えてんだけどさ、ネズミは捕らないよ。
その代わり診察料を取る。
叔父:なに言ってやがる。
つまらねえこと言ってねえでーーってほらほら、お嬢様が出てきた
よ、お嬢様が出てきた。
お嬢様の可愛がってる猫だから、早く膝から降ろせ。
与太郎:ああぁ、出たぁ…。
あぁ~、いい女だねえ叔父さん。
叔父:ああ、そりゃもうな、こしらえからして違うよ。
与太郎:兄貴の嫁さんよりずっといい女だ。
叔父:あたりめえだ。
与太郎:へええ…あぁ、歩いてく…あの首がーー
叔父:【↑の語尾に喰い気味に】
しッ!
与太郎:【声を抑えて】
…あの首が伸びるの…?
今は何でもないね…。
叔父:【声を抑えて】
今は何事もない。
夜中に限ったことだ。
与太郎:【声を抑えて】
夜中に限った事だってったってさ、本当に夜中だけならいいけど
。
「このところ雨が四、五日続いて陰気でしょうがないから、
ひとつお慰めに首を伸ばしてご覧にいれましょう!」とか。
叔父:そんな事は言いやしないよ!
与太郎:ごもっとも。
さようさよう。
なかなか。
ごもっとーー
叔父:そんなこと言わなくたっていい。
与太郎:…なかなか。
叔父:もう言わなくたっていいんだよ。
与太郎:だって叔父さん引っ張るから。
叔父:誰も引っ張ってねえよ。
与太郎:引っ張ってるよなかなか。
さようさよう。
な、なかな、ごもっともごもっとも。
なかな、さようなかなかなかごもっともなかなかなかさよう
ごもっともなかなかなかごもっともあれ、四つはなんだよ。
叔父:四つなんてのがあるかいって、あ、猫がじゃれてら…!
語り:それでもこの話に縁があったと見えまして、日取りを持ちまして
婚礼という事になります。
与太郎、昼間にすっかり美味いものをたらふく食べまして、さて
床につきましたが、こんなバカでも床が変わるってとよほど寝付か
れないと見えまして、真夜中になって目が覚める。
与太郎:うぅ~ん…おっ母さーん。
おっ母さーん、水……あれ、おっ母さんじゃねえや、
この家にお婿さんに来たんだった。
昼間、甘いもの一杯食べたなぁ…あ、ここに寝てんのはあたいの
お嫁さんだよ。…いい女だな。
あんなご馳走が食べられるとは思わなかったなァ…。
…鯛の目玉、美味しかった。
…あれ、どっかで時計が鳴ってやがら。
ちーんちーん…二っつだ。
二つだから、ごもっともごもっともだな。
嫁さん、顔がいいけど寝相が悪くてしょうがねえや。
枕外しちゃってさ。
まっくら…あ、ぁぁぁあああ、
ぁぁぁぁあああ伸びたあああああァァァァァ!!!!!
語り:話には聞かされていたが、いざ目の前で首がすーーーっと伸びるの
を見てしまうと、さすがの与太郎も恐怖のずんどこ、いやどん底。
腰を抜かさんばかりに屋敷を飛び出し、叔父さんの家まで駆け通し
ます。
与太郎:はぁっはぁっはぁっ、ひーっ、ひーっ…!!
【戸を乱打しながら】
ぁぁぁぁ叔父さあァァァァん伸びた伸びたァァァァァ!!
くび伸びたァァァアアぼく伸びたァァァァアア!!
叔父:~~なんだなんだこの野郎ォ。真夜中だってのにけたたましい…!
いま開けるからそうドンドン戸を叩くんじゃねえ!
ッとっとォ!
与太郎:【半泣き】
ぁあったったっああっ、おっ、叔父さっ、
のっ、のの、のっ、
伸びたァ…!
叔父:伸びたっておめえな、伸びるのを百も承知で
お婿に行ったんじゃねえか。
与太郎:【半泣き】
しょ、承知で行ったったって、初日から伸びるとは思わなかった
ぁぁ…!
行燈ぺろぺろぺろぺろ舐めてるぅぅ…!
叔父:なんだ初日てのは。
与太郎:【半泣き】
ぁ、あんなお屋敷もう戻りたくないぃぃ…戻んのやだぁぁあ…!
叔父:やだったったって、そうはいくか!
これがおめえ、首が伸びてきて喉笛食いちぎったとか、ほっぺたに
喰い付いたとかってんなら断りようもあるけどな、承知で行ってて
いまさらそんなこと言われたって困るじゃねえか。
おめえ、もう夫婦の固めすんだんだろ?
与太郎:【さっきよりは落ち着く】
なんだいその夫婦の固めって。
叔父:夫婦の契りを結んだんだろう?
与太郎:結んだ?何を結ぶんだ?
叔父:そんな事大きな声でいちいち詳しく言えるかこのバカ野郎。
耳貸せ耳。
【二拍】
な、済んだんだろ!?
与太郎:うん…二つ。
叔父:この野郎、二つも済ませときゃがって今さら嫌と言うわけにいくか
!いいから早くお屋敷へ戻れ。
帰れ帰れ!
与太郎:【半泣き】
だ、ダメだよダメだよぅぅもうあんなお屋敷なんて戻りたくない
ぃぃ、あんな女に「あなたや」なんて言われなくたってもういい
やぁぁ、おふくろんとこに帰るぅぅ。
おふくろと一緒に寝るぅぅ。
叔父:なにィ!?
おふくろの所へどのツラ下げて帰るってんだこのバカ野郎!
おめえのおふくろだって喜んでるんだ。
うまく収まってくれりゃいい、明日にもいい便りのあるようにと、
おふくろは家で首をながーくして待ってんだ!
与太郎:おふくろの首が!?
ああぁぁ家へも帰れねえ。
終劇
参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)
柳家小三治(十代目)
柳家小さん(五代目)
立川談志(七代目)
※用語解説
・小糠三合持ったら婿養子に行くな
よほどのことがない限り婿養子になどなるなというたとえ。
男はまず独力で一家を立てるべきであることをいう。
・半ドン
午前中に業務・授業が終了して午後が休みの早期終業のことを指す俗語。
午後半休のこと。
明治時代から太平洋戦争中にかけ、正午に午砲(空砲)を撃つ地域があり
、半日経った時間に「ドン」と撃つことから「半ドン」と呼ばれるように
なった、または半分休みの土曜日という意味で「半土」という言葉が生ま
れ、それが転じて「半ドン」と言われるようになった、など諸説ある。
週休二日制が導入されるとともに聞かれなくなっていった。
・鷹揚
ゆったりとしてこせこせしない様子。おっとりとして上品なこと。
・桜湯
桜を梅酢と塩で漬けて、お湯を注いだ飲み物。
お湯の中で徐々に花開く桜の美しさはつい見惚れてしまうほど。
桜の匂いと酢の酸味が交わる絶妙な味わいも魅力。