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供養食堂 灯(とも)  作者: 脇汗ベリッシマ
31/32

おにぎりと、あの日の手のぬくもり


夜の食堂に、ひとりの女性が現れた。

若い母親――けれど、その目元には深い疲れが刻まれていた。


 


灯は静かに迎える。


「ようこそ、供養食堂へ。今夜は、あなたのために一皿だけ――」


 


女性は、小さく笑った。

でもその笑顔は、泣くのを我慢している子どものようだった。


「……私ね、子どもが二人いるんです。

 お兄ちゃんは今年、小学生になります。

 妹は七五三……袴姿、きっと似合っただろうな……」


 


彼女の声が、かすかに震えた。


 


「乳がんだったんです。

 最初は、まだ大丈夫って思ってて……でも、気づいたときには遅くて。

 最後の頃は、抱きしめる力も、もう残ってなくて……」


 


灯は黙ってうなずいた。

その目に、あたたかな灯りをたたえながら。


 


「……でも、忘れられない味があるんです」


「病院に行く前の日。

 子どもたちが、“ママに元気になってほしい”って言って――

 小さな手で、一生懸命に作ってくれた……

 不恰好なおにぎり、です」


 


「三角になってなかったし、

 しょっぱくて、笑っちゃったけど……

 ……でも、世界で一番、泣ける味でした」


 


ぽろりと、涙がこぼれた。


 


「ママ、だいすき――って、何度も言ってくれて。

 私、あの言葉だけで、生きた価値があったって思ったんです」


 


 



 


しばらくして、灯が出したのは――

ちいさな手で握ったような、いびつなおにぎりだった。


ひとつは、丸くて塩が強すぎる。

もうひとつは、手のひらサイズで、すこし崩れている。

でも、どちらも、優しい温もりをたたえていた。


 


「これは……」


 


「お子さんの、あの日の“気持ち”です」

「今日だけは、もう一度――味わってあげてください」


 


母は、おにぎりをそっと手に取った。


 


「……ああ……この手の感触……」


 


ひとくち、口に入れると――

涙が、止まらなくなった。


 


「会いたい……ただ、それだけだったんです」

「ランドセル姿、ちゃんと見て、泣きたかった……」

「七五三で、『かわいいね』って、抱きしめたかった……」


 


灯は、そっと言葉を添える。


 


「……“あなたがいた”から、あの子たちは、生まれた」

「“あなたが愛した”から、いまも生きてる」


 


「あなたは、世界一のお母さんでしたよ」


 


 



 


ふと、風が吹いた。

光がきらめき、食堂の奥に――


 


ランドセルを背負った男の子と、

赤い袴を着た女の子が、静かに立っていた。


 


「ママ。ありがとう」


 


二人はにこっと笑い、母のそばに駆け寄る。

そして、彼女の手を、ぎゅっと握った。


 


「泣かないでね。ぼくたち、大丈夫だから」


「また会おうね。ずっと、ママが大好きだよ」


 


母は、何度もうなずいた。


 


「……うん、うん……ママも、大好き……大好きだよ……」


 


 


やがて光に包まれ、三人は静かに消えていった。

おにぎりの香りだけが、そっと残ったまま。


 


灯は、あたたかなおにぎりを見つめてつぶやいた。


 


「あなたたちは、世界でいちばん優しい味を……のこしていったんですね」


 


 


今夜も――

供養食堂の窓が、静かに揺れた。


それは“終わり”ではない。


“また会える”という、未来への約束だった。


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