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供養食堂 灯(とも)  作者: 脇汗ベリッシマ
28/32

やめてください、それは俺のエビフライです。

ある夜、供養食堂の扉が、ひとりでにカラン、と鳴った。


入り口に立っていたのは、髪がボサボサで、どこか“揚げ物に嫌われてそうな男”だった。

くたびれたスーツ。下がりきった目元。ネクタイは斜め。顔色も悪い。


まるで人生に油切れを起こしたかのようなその男は、ゆっくりとカウンターに腰を下ろし、

開口一番、こう呟いた。


「……なんでさ、俺って……

 エビフライに、ここまで嫌われてんのかな……」


ともはその言葉に小さく瞬きをして、微笑む。


「いらっしゃいませ。今夜は、おひとりですか?」


「いや……たぶん、一生エビフライにフラれ続けた“ふたり分”の孤独を連れてきた感じです」


 


 


男の名前は、杉田圭介すぎた・けいすけ。享年四十七。


エビフライが好きだった。

いや、好きどころじゃない。**「世界一美しい揚げ物」**だと信じて疑わなかった。


子供の頃、お弁当に入っていたあのぷりっぷりで、サクサクのやつ。

ひとくち目にかぶりついた瞬間の、あのジュワッと広がる旨味。

口の中が「うめぇえええ!!!」と叫ぶような、あの衝撃。

——それがすべての始まりだった。


だが、地獄もまた、そこから始まった。


 


「小学三年から六年まで、全部盗まれたんだよ……俺の弁当のエビフライ……」


「弁当開けたら、エビフライだけ消えてるの。

 他のブロッコリーとか、ミートボールは無事なのに」


「先生に言っても“勘違いじゃない?”、親には“あんたが先に食べたんでしょ!”って」


「いや俺じゃねえし!!食ってねぇし!!ブロッコリーじゃねぇんだよ欲しいのは!!!!」


 


彼は、エビフライを盗まれすぎた。

エビフライが消えるたびに、心の何かがぽっかり抜けていった。


中学生では友達を信用できなくなり、

高校では誰とも弁当を囲まず、

社会人になっても“誰かと何かを分け合うこと”を避け続けた。


 


「それでも、俺はエビフライが好きだった。

 冷凍でもコンビニでも、なんでもいいから……食べたくてさ」


「でも、落ちるんだ。買ったばかりのパックが、手から滑って……地面へダイブ」


「デリバリー頼めば“エビフライだけ忘れられてる”し、

 ビュッフェ行ったら、俺の前で“売り切れです〜”って」


「なんで俺だけ、エビフライと縁がねぇんだよ……」


 


灯は黙って話を聞きながら、やがてそっと席を立った。

やわらかな足音とともに、厨房へと消えていく。


 


そして、数分後。

ふわりと、香ばしい香りが店内に満ちた。


 


戻ってきた灯が、銀色の丸いプレートをそっと置く。


「お待たせしました。——“あなたのためだけのエビフライ”です」


 


そこにあったのは、

衣がカリッと立った、金色に輝くエビフライが三本。


申し訳程度の千切りキャベツ。

脇には、昔ながらのごはんと、手作りのタルタルソース。


——だけど、それがいい。

それが、たまらない。


 


「……うわ、うまそ……」


杉田は箸を取り、そっとひとつのエビフライを持ち上げる。

衣が、ザクッと音を立てて割れた。

その瞬間、揚げたての香ばしい香りが鼻を突き抜ける。


タルタルをちょん、とつけて、ひとくち。


——サクッ。ぷりっ。ジュワッ。


「……ああ……うめぇ……」

「俺、今、人生で一番報われてる……」


 


涙が、ぽたぽたと落ちる。


誰にも奪われない。

誰にも見られない。

これは“自分だけのエビフライ”だ。


それだけで、満たされた。


 


食べ終えた杉田が、ぽつりと呟いた。


「なあ、灯さん……

 来世では、誰かと笑いながら、エビフライ食えるかな……」


灯は、ふわりと微笑んだ。


「今度こそ、“誰にも盗られない”場所で、お召し上がりください」


 


そして彼は、エビフライの香ばしい余韻を胸に抱き、

静かに光の中へと歩き出した。


 


灯は、空になった皿を片付けながら、そっと呟く。


「たとえ一皿の記憶でも、人はずっとそれを求め続けるものですね」


今夜、供養食堂の窓が、ちょっとだけカリッと音を立てた——気がした。


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