ハムカツサンドと、地獄で会おう
人の人生を踏みにじって笑っていた男が、最後に向き合ったのは——“何も出されない食卓”だった。
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「なんだよ、ここ……?」
薄暗い空間に、男の声が響いた。
目を開けた瞬間、そこは見慣れた街でも、あの職場でもなかった。
背後には誰もおらず、目の前には古びた木の看板。
『供養食堂 灯』
その文字だけが、妙に浮かび上がって見えた。
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男は舌打ちをした。
「ふざけんなよ……殺されたのか、俺……?」
首筋に残る痛み。
あの夜、背後から襲いかかられた何者かの手。
そして最後に見たのは、泣きながら包丁を振り下ろしてきた、“あの被害者”の顔だった。
「チッ……あいつ、やっぱ根に持ってたかよ……」
自業自得? 冗談じゃねぇ。
俺はただ、他人より強くて、賢くて、上手くやってただけだ。
社会の底辺に堕ちていったやつが、勝手に負けただけだろうが。
「……ったく、いい迷惑だぜ」
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カラン。扉が開く音がする。
一人の若い女性が、湯気の立つ湯飲みを手に現れた。
淡い光をまとったようなその姿に、男は思わず眉をひそめる。
「お待ちしておりました」
その声は、静かで、やさしくて、冷たかった。
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「あなたの最期のごはんを、お作りいたします」
「どうぞ、お入りください。これは“供養”の時間です」
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店内に客はおらず、静けさだけが支配していた。
男はカウンター席に腰を下ろすと、鼻で笑った。
「供養ってか? 俺、別に悔いなんてねぇしな」
「いじめ?してたよ。やる方が楽しいに決まってんじゃん。
アイツら、勝手に潰れたんだよ」
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灯は静かに湯飲みを置いた。
「あなたが人生で最も記憶に残っている“食べ物”を、お出しします。
その味が、あなたの“本当の声”を引き出してくれるはずです」
「へぇ……お涙ちょうだいってか?」
「俺はさ、小学校のとき担任のババアにも言われたよ、
“そんなことしてると、いつか後悔する”って」
男は笑う。
「だから、“親に言ってやった”んだよ。“先生に差別された”ってな」
「そしたらその教師、辞めてったよ?ざまあねぇよな」
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灯の目が、ほんの少し揺れた。
だが、男は気づかない。
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「でもまぁ……強いて言えば、運動会の弁当くらいか。
母親が毎年作ってた、ハムカツサンド」
——その瞬間、厨房から、何の音も匂いもしなかった空間に
ふっとソースの匂いが立ち上った。
男の前に、何かが“現れかけて”……そして、消えた。
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「……なんだよ、今の……?」
灯は俯きながら言う。
「あなたの中に、後悔も、悔いも、贖罪の意志もない」
「それでは料理は出せません」
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「は? ふざけんなよ。なんだよそのルール」
「供養ってのは“死んだ奴全員に出すもん”じゃねぇのかよ!」
灯は、ゆっくりと顔を上げる。
「あなたは、人を潰して笑ってきた」
「教師を、同級生を、後輩を、家族を」
「けれど、それで得たのは“勝ち”ではなく、“呪い”です。
あなた自身の魂を、腐らせる呪いです」
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「……は……っ」
男は、立ち上がろうとしたが、足元から黒い影が伸びる。
それは彼の脚に絡みつき、動けなくしていく。
「供養とは、“魂を慰める”ための料理です。
でもあなたには、その資格がありません」
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店の外、ギィィ……と重い音を立てて扉が開く。
そこには、“何か”が待っていた。
黒いローブ。見えない顔。焼け焦げたような臭い。
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男は怯え、叫んだ。
「やめろ……ふざけんな! 俺は……悪くねぇだろ……!!」
だが黒い影は何も言わず、
ただ男の肩に手を置き——ゆっくりと、地の底へ引きずり込んでいった。
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扉が閉まる。
食堂に、静寂が戻る。
灯は、湯飲みをひとつ、丁寧に拭きながらつぶやいた。
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「いつかまた、“食べたい”と思える魂になったとき——
その時こそ、本当の供養が始まるのでしょうね」




