叫んだ夜と、届けられた朝
夜の供養食堂に、ちいさな足音が響いた。
ゆらりと揺れる暖簾をくぐって現れたのは、まだ十代の少女だった。
髪はぼさぼさ、制服の袖にはシワ。
目元には、くっきりと疲労の影がにじんでいる。
「……いらっしゃいませ」
女将・灯は、驚くこともなく穏やかに微笑んだ。
少女は、無言のままカウンターに腰を下ろす。
唇がかすかに震えていた。
「ようこそ、結月さん。あなたのための一皿をご用意しています」
名前を呼ばれた瞬間、結月の目に、ぽたりと涙がこぼれた。
「……どうして、わかるの」
「“がまん”を続けてきた人の匂いがするからよ」
灯の声はやさしかった。
まるで、誰にも言えなかった言葉を知っているかのように。
――家には、病気の母と、祖母。
父は家を出ていない。
結月は、小学生のころから家事と介護を“手伝い”と言われながら背負ってきた。
「学校が終わっても、家に帰って洗濯して、薬の管理して、
朝も夜も休みなんかないのに、
誰にも、“つらい”って言っちゃいけない気がしてた」
「私、子どもなのに……どうして」
唇をかみしめる。
それでも、涙は止まらなかった。
灯は、そっと温かなスープを差し出した。
――じゃがいもとベーコンのミルクスープ。
ほんのり甘くて、塩味はやさしくて。
冷えた体の奥から、じんわりと温もりが満ちていく。
「……おいしい……あったかい……」
スプーンを持った手が、小さく震える。
「……誰かに……“よく頑張ったね”って……言われたかった……」
ぽろぽろと、涙がスープに落ちた。
「私だって……放課後、友達と遊びたかった……
休みの日に映画に行きたかった……
どうして私ばっかり、背負わされるの……!」
灯は、黙って結月の隣に座った。
その背中に、そっと手を添える。
「結月さん、あなたの“助けて”は、ちゃんと届いていますよ」
その夜のあと――
次の日、結月は学校で保健室の先生に声をかけられた。
いつもとは違う、そのやわらかな言葉に、少しだけ涙ぐんでしまった。
そして、勇気を出して、“話した”。
家のこと。心のこと。
本当は“まだ子ども”でいたかったこと――全部。
先生は言った。
「言ってくれて、ありがとう。
あなたの声は、ちゃんと意味がある。
これからは、あなたの味方が、そばにいます」
福祉の担当者が動き、家に支援が入り、
結月はやっと、“ひとりじゃない”世界に触れた。
その夜、ふと空を見上げて、思った。
「あのとき、叫んでよかった」
供養食堂での、あの一杯。
涙とともに流した心の叫びが、今、やさしい朝に変わろうとしている。
⸻
「誰かに“助けて”と言うことは、決して弱さじゃない。
それは、自分を守るための、立派な勇気――
あの日の結月が、それを教えてくれました」




