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供養食堂 灯(とも)  作者: 脇汗ベリッシマ
21/32

グラタンと、まだ間に合う「ありがとう」

その夜、供養食堂の扉がそっと開いた。


カウンターに座ったのは、一人の青年。

目の下には深いクマ、手は乾いていて、スーツはよれよれ。

まるで――限界の、その先に立っているようだった。


「……ようこそ」


女将・(とも)は、そっと声をかける。


「今夜は、あなたのために、一皿だけご用意しています」


 


青年の名前は、ゆう。二十四歳。


障害者雇用枠で就職し、仕事に励んでいた。

――いや、励もうとしていた。


「……メモ取れや、金もらってんだろ、学校じゃねぇんだよ」


「これ何回言わせるの?ほんっと使えないねぇ」


そんな声が、影で、時に正面からも、毎日のように飛んでくる。


優は分かっていた。

自分は少し物覚えが悪い。臨機応変も苦手だ。

でも――それでも、必死だった。


 


「俺なりに……毎日、全力でやってるんです。

でも、もう……限界で……

気づいたら……気づいたら、足がここに向かってて……」


灯は黙って頷き、やさしい香りとともにキッチンから戻ってきた。


白いお皿の上には、湯気の立つ、こんがり焼かれたグラタン。


ベシャメルソースはとろとろで、

表面にはきつね色のチーズが香ばしく焦げている。


「これは、あなたのお母さんが、初めて一緒に作ってくれた味です」


 


優の目が揺れた。


「……覚えてる。

あれ、俺が小学三年の時だ。

“これはホワイトソースって言うのよ”って、母さんが教えてくれて……

最後に、“一緒に作るとおいしいね”って……」


スプーンを口に運ぶ。

その瞬間――


「あ……これ……!」


涙が、止まらなくなった。


「俺、忘れてた……こんな味が、俺にもあったんだ……

ありがとうって、言いたかったのに……!」


 


灯は、そっと言った。


「あなたは、まだ生きています。

このグラタンを食べて、“もう一度だけ”前を向こうと思えたなら――

戻ることも、できますよ」


 


優はゆっくりと顔を上げた。

カウンターの奥、その窓の向こうに、見慣れた自分の部屋が見えた。


机にもたれかかるようにして眠る、自分の姿。


 


「……まだ、間に合うんですね」


「ええ。

今なら、ちゃんと“ありがとう”を伝えられます」


 


立ち上がった優の顔には、

来たときよりも、ほんの少しだけ光が差していた。


「じゃあ……もう一度だけ、頑張ってみます。

この味を思い出せるうちは、大丈夫な気がするから」


 


灯は、やさしく微笑む。


「あなたの“ありがとう”が、誰かに届くその日まで。

この食堂は、いつでも開いていますよ」


 


 


目覚まし時計のベルが鳴った。


ガバッと飛び起きた優は、机の上のレシピ帳を見つめる。

開かれたページには、母と作ったホワイトソースの記憶。


彼は、ふっと笑った。


「……今日、伝えられるかな。“ありがとう”って」


 


部屋のカーテンが揺れる。


その向こうに、灯の姿が見えた気がした。


 

障害者雇用という言葉が、ただの“制度”で終わってはいけないと思います。


誰もが自分の力を信じて、社会の一員として生きようとしているのに、

その努力や存在を“数合わせ”として扱われてしまう――

そんな現実が、まだたくさんあります。


この物語のように、限界まで頑張ってしまう人が、

静かに、苦しみの中で心を閉ざしてしまう前に。


この話が、「今、誰かが声をあげられるように」

「そばにいる誰かが気づけるように」

そんなきっかけになればと願っています。


そして、障害の有無に関係なく、

“ありがとう”と“頑張ってるね”が届く社会になりますように。


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