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供養食堂 灯(とも)  作者: 脇汗ベリッシマ
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さつまいもの炊き込みご飯と、約束の手

その晩、供養食堂の暖簾が、やさしく揺れた。


入ってきたのは、ひとりの老婦人。

背筋は少し曲がっていたけれど、足取りはまっすぐだった。

白髪をきちんとまとめ、古びた鞄を抱えている。


 


「……まぁ、なんていい匂い」


ぽつりとつぶやいて、カウンターに腰かける。


 


「ようこそ、供養食堂へ。今夜は、あなたのために一膳だけご用意しています」


女将・(とも)がやさしく微笑むと、老婦人も穏やかに笑い返した。


 


「……あらまぁ、ずいぶんと丁寧なのね。

 そんな風に、丁寧に扱われるの、久しぶり」


そう言って、ふうと息をついた。


 


 


名前は、杉本たえ。

80歳。

三人の子どもを女手ひとつで育て上げ、今は孫にも恵まれた。


 


「旦那はね、私が二十七のときに病気で先立ったの。

 まだ子どもたちは小さくて……泣いてる暇なんてなかったわ」


「朝から晩まで働いて、休みの日は家の掃除と洗濯と……

 でも、不思議と、辛いって思ったことはなかったのよね」


 


たえは、遠くを見ながらつぶやく。


 


「だって、私には“あの時の手”があったから」


 


 


――思い出すのは、若かりし頃。

まだ貧しく、毎日がやりくりの連続だったころ。


ある晩、給料日前の空っぽの台所で、夫がにこにこと笑っていた。


 


「さつまいもだけはあるから、炊き込みご飯にしようか」


「いいの?」とたえが聞くと、彼はふふっと笑って言った。


 


「さつまいもご飯って、贅沢だろ?

 腹にたまるし、甘いし……なにより、お前の好きな味だもんな」


 


夫婦でちゃぶ台に向かい、湯気の立つご飯を分け合った。


その時、夫がぽつりとつぶやいた。


 


「この手、離さんからな。

 どんなに貧しくても、ずっと一緒だ」


 


あの温もりを、たえはずっと心にしまっていた。


 


 


灯が、湯気の向こうからそっと料理を差し出す。


 


「おまたせしました。

 あなたのための、“さつまいもの炊き込みご飯”です」


 


ほかほかの湯気の中に、ほっくりと煮えたさつまいも。

ほんのり塩気と出汁が効いたご飯に、黒ごまがちらりと振られている。


 


たえは、目を細めた。


 


「……あら。なんだか、懐かしいわね」


一口、口に運ぶ。


 


――やわらかくて、甘くて、

 だけど、胸の奥に、じんと染みてくる味。


 


「……うん、これよ……これだったわ……」


 


涙が、こぼれる。


「忘れたことなんて一度もなかった……

 あの夜の、さつまいもの味……ずっと、心にあったのよ」


 


そのとき、ふいに後ろから声がした。


 


「……まだ、ちゃんと覚えててくれたんだな」


 


たえが振り返ると――

そこには、若かりし頃の夫が立っていた。


あの頃のままの笑顔で、優しい目で。


 


「やっと来れたな」


 


たえは、唇をかみしめたまま、目を潤ませた。


 


「……お迎え遅いのよ。どれだけ待ったと思ってるの……!」


「ごめん。でも、ちゃんと見てたよ。

 朝も夜も、働きづめで……子どもたちに声を荒げることもなくて。

 あんなに頑張ってるお前を、俺はずっと、見てた」


 


「……ありがとう、たえ。

 本当に、本当にありがとう」


 


彼は手を差し出した。


あの夜と、まったく同じように。


 


たえは、その手をぎゅっと握った。

もう二度と、離れないように。


 


 


「さぁ、いきましょう」


 


ふたりは、手を繋いだまま、光の中へと歩き出した。


 


供養食堂には、炊きたてのさつまいもご飯の香りだけが、やさしく残った。


 


灯は、空になった器を両手で包み込みながら、静かに言った。


 


「どれだけの苦労も、誰かの愛のためなら、

 いつか必ず――報われる」


 


窓の外では、朝の光が少しずつ差し込みはじめていた。


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