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供養食堂 灯(とも)  作者: 脇汗ベリッシマ
13/32

ナポリタンと、置いてきた夢

夜の食堂に、ゆっくりと足音が響いた。


入ってきたのは、痩せた体の青年――新堂しんどう しょう

顔にはうっすら無精ひげ、どこかくたびれたシャツ。

だけどその目には、まだ消えきらない“色”があった。


カウンターに座ると、静かに言った。


「……なにも残せなかったんです。俺の人生、白紙のままで終わりました」


女将・ともは、やわらかく微笑んで返す。


「ようこそ、供養食堂へ。

 今夜は、あなたの“未完成の夢”のために、ご用意しています」


 


 


翔は、漫画家志望だった。


子どもの頃から絵を描くのが好きで、誰に見せるでもなく、ノートにずっとストーリーを描いていた。


高校卒業と同時に、夢を追って上京。


安アパートでバイトをしながら、何度も何度も原稿を出した。

でも、連絡はこなかった。

賞にも引っかからず、生活は荒れ、いつのまにか体も心も壊れていった。


 


「死んだとき、ベッドの横にあったのは、描きかけのスケッチブックだけ。

 なにやってたんだろうな、俺……

 親にも、友達にも、何も言えずに……逃げただけだったのかも」


声は乾いていた。

それでも、その手には、かすかに“鉛筆を握っていた痕”が残っていた。


 


灯はそっと奥へ下がると、香ばしいにおいが漂ってきた。


戻ってきた彼女が差し出したのは――

鉄板の上でじゅうじゅう音を立てる、昔ながらのナポリタン。


真っ赤なケチャップが絡まった麺、炒めた玉ねぎとピーマン、

カリッと焼かれたウィンナー。

そしてその上には、半熟の目玉焼き。


「あなたが、いちばん最初に“漫画を描こう”と思った日の味です」


 


翔は、目を見開いた。


「……あの、喫茶店の……」


かつて通っていた、小さな喫茶店のナポリタン。

絵を描く前、ノートを開く前に、いつも頼んでいた一皿。


一口、口に運ぶと――

あの日の自分が、胸の奥からよみがえってきた。


「……そうだ、俺、あのとき、ちゃんと“描きたい”って思ってたんだ」


 


涙がひとすじ、頬を伝う。


「でも、もう遅い。何も描けなかった。

 何も残してない。ただ、消えただけだ……」


 


灯は静かに答えた。


「……いいえ。あなたの“夢を追う姿”を、見ていた人がいます」


翔は顔を上げる。


 


「あなたのスケッチブック。

 あれを見つけた後輩さんが、いま漫画を描いていますよ」


「“この人みたいに、自分も描いてみたい”って」


 


翔の目が、かすかに揺れた。


「……そんな、俺の絵なんか、ラフだらけで……」


「それでも、何かが伝わった。

 あなたの夢は、形を変えて誰かの灯になったんです」


 


翔は、しばらく黙っていた。


そして、ぽつりとつぶやいた。


「……そっか。

 それなら、もうちょっと誇ってもよかったのかもな」


 


食べ終えたナポリタンは、まだ湯気を残していた。

翔は深く息を吐いて、カウンターから立ち上がる。


「……次に生まれ変わったら、また描いてみます。

 そのときも、ナポリタン……置いといてください」


灯は、やわらかく笑った。


「ええ、次はもっと熱々で、お待ちしてますよ」


 


翔の背中は、どこか少年のように軽やかだった。

光の中へと歩いていくその背に、もう迷いはなかった。


 


 


供養食堂の窓が、やさしく揺れた夜。

置いてきた夢が、誰かの道しるべになった。


 


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