69
ぼくはゆっくりと息を吸い、それをまた、ゆっくりと吐き出した。
古風な客車は乗り込み口と客席のあるところの間にもう一つのドアがあった。そのドアを見つめながら、奥歯を噛み締め、ぎゅっと手のひらを握り込んで、ぼくは前に進んで行く決心をした。古風な客車のドアを開けてその中に入った。……、誰もいない。一台目の古風な客車の乗客は零人だった。ぼくはよく磨かれている、まるで高級な木製家具のような古風な客車の中を乗客が座るために使用する赤い生地の椅子の背もたれに手をかけながらゆっくりと前に、前に、進んでいった。
一台の古風な客車を通り過ぎて、ぼくはドアを開けて古風な客車の外に出た。古風な客車を出た先には次の古風な客車のドアがあった。ぼくはもう一度、その場で深呼吸をしてから、気合いを入れ直して、そのドアを開けた。次の古風な客車の中に入った瞬間、ぼくはぎょっとして固まった。……、そこには『一人の女の人』がいた。その人は古風な客車の通路の真ん中に小唄に背中を向けて、背筋をぴんと伸ばした姿勢で立っていた。真っ白な服を(ゆったりとしたワンピースだった)着ていて、とても美しい黒髪が腰の位置まで伸びていた。その女の人はまったく動こうとしなかった。古風な客車のドアは開け閉めするときにそれなりに音がしたから、その女の人は誰かがこの古風な客車の中に入ってきたことに気がついているはずだった。でも、その女の人はぼくのほうを振り返らない。ぼくはその女の人の後ろ姿に、……、なぜか『とても強い恐怖を感じた』。できるなら後ろの古風な客車に逃げ込みたいと思った。でもぼくはそれをしなかった。ぼくは女の人の背中から目を離さないまま、後ろ手でドアを閉めて古風な客車の中に侵入した。臆病者のぼくにそんな勇気ある行動ができたのは、全部古代魚のおかげだった。古代魚はぼくの心の内側に、とても大きな力を残してくれて、それをぼくに与えてくれたようだった。その事実が、まるでいなくなった古代魚が自分の中に今もいてくれているような気がしてぼくはなんだか嬉しくなった。
……、ぼくはゆっくりと前に進んだ。




