230 音楽の時間 おんがくのじかん 音楽の時間ですよ。だから静かにしてください。
音楽の時間 おんがくのじかん
音楽の時間ですよ。だから静かにしてください。
大好きな人ができました。
音楽室の窓の外では雨が降っていた。
中学三年生の女の子、森三久はおんぼろな校舎には似合わない立派な黒いグランドピアノの椅子に座りながら、耳をすませて、そんな雨の降る音を聞いていた。
三久は、雨の降る音が好きだった。
それはまるで、世界を包み込むような、そんな三久の大好きなピアノの音のように、姿の見えない誰かが演奏する遠い世界の音楽のように思えた。
静寂。雨の音。それ以外の音は、無音。
すごく、贅沢な時間だ。
少し沈黙。
それから三久は、目を開いて、ピアノの鍵盤をゆっくりと指で押して、演奏を始めた。
課題曲。
題名は『鳥のように自由に』。
それほど難しい曲ではない。……はずなのだけど、どうしてもうまく弾くことができないでいた。
今も、あまりうまく演奏することができていない。
……その原因は、間違いなく三久本人の中にあった。
演奏に迷いがある。
それはつまり、三久の心に迷いがあるのだ。
五分の曲を終えて、三久は手を止める。
すると、ぱちぱちぱち、とどこからか拍手をする音が聞こえた。
その音に、三久は驚く。
見ると、いつの間にか音楽室には一人の制服を着た女の子の姿があった。三久はその女の子の存在に(演奏の途中で、ひっそりと音楽室に入ってきたのだろう)全然、気がつくことができなかった。
「綺麗な音ですね」
その女の子が言った。
それは嫌味ではない。本当の女の子の三久の演奏する曲を聴いた感想だった。
「……ありがとう」
三久は言った。
それから三久はその女の子の姿をじっと見つめた。
その女の子は子供っぽい表情をして、にっこりと笑うと、それからゆっくりと三久のいるグランドピアノの隣の場所まで移動した。