さくら、古のルーンの主になる?
多分週1くらいのゆっくり更新です。
さくらとカイさんをよろしくお願いします。
野々宮さくらは、かつて社畜だった。
新卒で研修が終わった後に配属された部署が、何社も関わるような大きなシステム開発にいくつも携わっている部署だった。
あの頃、何故あんなにも次から次へとデスマーチが繰り広げられていたのか。普通に開発していてあんな風になるものなのか。
本当に、当時は祟りか何かを疑うほど、漫画かドラマのように毎日あちこちで問題が起きていた。
よくよく考えると、長時間労働で単純に皆とても疲れていたので問題が起きていたのではないかと思うけれど、本当の所は今でも分らないままだ。やっぱり祟りだったのかもしれない。
下っ端のさくらに、そんな事を冷静に考えている時間はなく、先輩や上司に言われるまま、とにかく忙しく毎日深夜まで働いていた。
さくらは当時、東京でも家賃がお安い地域の、更に掘り出し物の広めの部屋に住んでいた。
学生の頃から住んでいたその部屋は、古いけれど居心地の良い昭和風なアパートの一室だった。
近所にはお年寄りが沢山住んでいて、仲良くなったおばあちゃんが「行ってらっしゃい」と毎日声をかけてくれるような地域だった。
でも、終電に間に合わない日があまりに増え、運よく終電に間に合ってもそのアパートは駅から遠い。
さくらは、疲弊した体で遠い自宅まで帰るのが徐々に辛くなった。
それでも、自宅に帰れてるうちは、まだ良かった。
忙しすぎて、開発フロア全体で時間の感覚がおかしくなっていき、そのうち「午前2時に会議室で打ち合わせお願いします」という目を疑うような内容のメールが、一緒に開発している他社から普通に来るようになった。
あんなに大規模な開発で、数社が携わる大人数だったのに、みんな揃って頭がおかしかったと思う。
「午前2時に会議室で打ち合わせ」は、全員参加で普通に行われていた。
この頃には、まともな人は転職して消えていくので、どんどんおかしな空気の濃度が上がっていった気がする。
さくらは、最終的には会社で寝泊まりしたり、会社が提携している新宿のビジネスホテルに連泊するようになった。
その頃は、とにかく「寝たい」が第一で、家に帰りたいとすら思わなくなっていた。
そんな生活を5年ほど続けていたら、突然体が動かなくなった。体を壊したのだと思って病院に行ったら、壊れていたのは体ではなく心だった。
さくらは、「どうにか復帰して」と縋る先輩を振り切って、この会社を退職した。
結局、ものすごく優秀な人達がテコ入れで投入されて仕切り直し、さくらが辞めた後に色々と改善されたそうだ。
退職後は、心と体を治すために北関東の実家に帰り、2年後には父の親友の会社に事務のパートで雇ってもらった。
毎日10時~16時まで、ワードとエクセルが使えるだけで褒めてくれる家族経営の会社で働いた。
この時、家事は多少手伝っていたものの、未だ療養中のさくらは、10時~16時以外ほぼフリーだ。
それはもう、時間だけはたっぷりあったので、ルーン占いの勉強をすることにした。
特に占い師になりたかったわけではない。趣味が欲しくてウロウロしていた本屋で、たまたまルーンストーンが付録でついている本を見かけたからだ。
25個のルーンストーンから、石を選んで占うという単純明快な占いは、自分なりの解釈で出た石の意味を読み取る事で占う。
ようするに、ルーンストーンの意味を覚えて、自分なりの解釈のしかたを確立する事が勉強だ。
さくらは、1つの問いに対してまず1つルーンストーンを取って、意味の補足でもう1つ取る方法で占っていた。
ある日、パート先の会社に行く途中、以前住んでいた東京のはずれの大好きだった古いアパートの近所で見かけたおばあちゃんに会った。
そのおばあちゃんは、以前のように「行ってらっしゃい」と声をかけてくれた。
さくらは、なぜここにいるんだろう?と疑問に思ったものの、「久しぶりですね!行ってきます」と手を振って会社に向かった。
それから毎日、おばあちゃんは挨拶をしてくれた。
さくらは、おばあちゃんに会うたび、少しずつ元気になっていった。
その日は、小雨が降っていた。傘をさすかどうしようか悩むくらいの霧雨だったけど、さくらは傘をさして会社に向かっていた。
いつもの場所を通ると、レインコートを着たおばあちゃんが、いつも通りに座っていた。
おばあちゃんから声がかかる前に、さくらは「小雨だけど冷えるから、おばあちゃん、風邪をひかないように気をつけてね」と言った。
するとおばあちゃんが「ちょっといい?」とさくらを呼び止めた。
「これを、あなたに託したいの」とおばあちゃんが差し出したのは、両手の上に乗るくらいの巾着袋に入った何かだった。
受け取って中を覗こうとしたら「これを、引き受けてくれる?」と問われて、反射的に「はい、」これなんですか?と続けようと思ったところで、さーっと風が通り抜けて、次の瞬間さくらは知らない場所に立っていた。
「え、なに?」
知らない部屋だ。小雨の屋外に居たはずなのに、傘をさしたまま屋内に居る。
さくらは、傘を閉じて辺りを見回す。
アンティークな丸テーブルと、背もたれが高くて細長い椅子。
本棚にはたくさんの革の背表紙の古びた本、壁一面の棚には様々な形の瓶。
上へ続く梯子のような階段は、大人が上るのは憚られるくらい華奢だ。
入り口らしきドア。
ここ、どこ?おばあちゃんは?
まさかアレなの?異世界にアレするやつなの?
周囲を見回して、さくらは一応呟いてみた。
「ステータスオープン」
・・・・・・・・。
うん、何も起きない。
さくらは、その時やっと、手に持っていた巾着袋の存在を思い出した。
巾着袋を開くと、そこには骨片にルーン文字が彫ってある、ルーンストーン(骨だけど)が入っていた。
ルーン占いの勉強をしていた時に、北欧では骨にルーン文字を掘って占いに使っていたと読んだ気がする。
「ここ、もしかして北欧?」
現代の北欧だったら、何とかなるかも。
さくらは一縷の望みをかけて、入口らしきドアを開いてみた。
ドアの向こうは、倉庫のような部屋だった。
スワッグのように吊るした色々な草がずらりと並んでいる、葉が付いたままの大きな枝が何本か、天井のフックから吊るしてある。
端には木箱が積んであって、見たことがない実のようなものが大量に入っていた。
棚には水晶の結晶らしき鉱石が、ずらりと並んでいる。
さくらは、無言で倉庫のような部屋から出て、後ろ手でドアを閉める。
後は、この梯子のような階段か。
こんな細い板で構成されている梯子を上るのは気が進まないが、背に腹は変えられない。
さくらは、慎重に一段ずつ梯子を上がる。
梯子階段を登りきると、アンティークな応接セットがあるリビングのような部屋に出た。
この部屋には硝子窓があり、ぼんやりと外が見える。
さくらは窓に顔を近づけて外を見る。窓から見える景色は、森の中のようだった。
窓からでは、”森っぽい”という情報以外まったくわからない。
さくらは、外に出てみるしかないか?それともさっきの本棚を調べてみるか?などと、現状把握の方法をあれこれ考える。
「さくら様」
突然、真後ろのわりと近い位置から男の人の声がした。
「うおっ、ビックリした」
野太い声が出て、さくらの肩がビクッと揺れる。
心臓が止まるかと思った。ドッドッドッドッと激しく心臓が鳴る。
さくらはゆっくり後ろを振り向いた。
美しいというより、男前という表現っがピッタリな、がっしりした体形の大きな男性が立っていた。
髪の色はシルバーのような水色で目の色は青緑。
綺麗だけど哺乳類としてこの配色はアリなのか。
「さくら様、お待ちしておりました」
「すみません、ここ、どこでしょう?」
「ヴァルガルズ国古都エーリエ郊外のノノミヤ邸です」
「野々宮?」
「さくら様のお館です」
「あなたは?」
「私はあなたの護衛、カイです」
「カイさん、私はもう何が何だか・・・。あなたの知っている事を教えてください」
「さくら様は、古のルーンの主となりました」
「あるじ?」
「はい、前の主は、あなたに古のルーンを託したマーゴ様です」
「マーゴさま・・・あのおばあちゃん、マーゴさんっていうんだ」
本当にあの人がマーゴさん?思いっきり日本人のおばあちゃんだったけど。
「マーゴ様はご高齢でしたので、後継者が現れない事を憂いでおられました。さくら様に引き継ぐ事が出来て、大変喜んでおられました」
「託された、かなぁ?手渡されただけなんだけど・・・」
「いえ、引き受けるか問われて、承諾しないと此処へは飛ばされないはずです」
「承諾してないよ?」
「承諾しないと此処へは来られません。マーゴ様に、引き受けるか問われましたよね?」
「はい。でも、これなんですか?と問おうと思った瞬間に飛ばされました」
「なんとお返事したんですか?」
「はい、これなんですか?」
そういえば、これなんですか?って言う前に飛ばされた。
「”はい”と言ってますね」
「・・・・・言ってますけれども、承諾の”はい”では」
「でも言ってますよね?」
カイさんに被せ気味に問われる。圧が凄い。
「・・・えぇー・・・」
「もう、さくら様が古のルーンの主として認識されてます。今更変えられません」
「誰に?」
「古のルーンにです」
私が主だと認識できてないのに古のルーンさんが既に認識しちゃってる不思議。どういう事なの。
「・・・えぇー・・・」
「古のルーンの主になるには、厳しい条件があります。ですから、なかなか後継者が現れませんでした」
「どんな条件なんです?」
「一定以上の魔力がある事。
死に直面するような経験をしている事。
マーゴ様のお姿が見えている事。
ルーンに向き合った経験がありルーン占いの適性がある事。
生存する世界で重要人物ではない事。
家族が居ない事。この6つです」
「はい!私、当てはまりません!家族がいます!」
「この場合の家族は、さくら様が作った家族の事です。結婚して子を生しているかどうかです」
「くっ!・・・死に直面した事なんてありませんっ!」
「あのまま、あの会社に勤務していたら死んでいました」
「死っ・・・?!」
「死んでいました」
「ま、魔力があるかなんて」
「ありますよ」
かぶせ気味に訂正される。カイさん近い。グイグイくるのやめて。男前に慣れてないの。
「じゅ、じゅうようなじんぶつだったかもしれないじゃないぃ」
「重要人物ではありませんでした」
「わ、わから」
「ありませんでした」
カイさん私の護衛なんだよね?護衛なのになんでこんなに追い詰められてるの?男前こわい。
「何よぅ!そんなに私を全否定しなくてもいいじゃない!」
「全否定など、何をおっしゃいますやら。全肯定ですよ。私はさくら様の護衛なんですから」
「だいたい、古のルーンの主って、何をする人なんですか?」
「この館に住まわれて、王や民のために占い、この国を支え導きます」
「なにそれ重い!無理!そんな激重い役目は無理です。ストレスで死んじゃう」
「大丈夫ですよ。マーゴ様は200年以上そのお役目を担っておられましたが、ずっと健康体でいらっしゃいました」
「それは、マーゴさんのメンタルが鋼なんですよ。私、心を患った事があるので無理ですね」
「あの5年より楽ですよ?」
「そんなわけ」ないとは言い切れない悲しさ。本当にあの時期は辛かった。
「あの場所は、理不尽な苦しみに溢れていました。そういう苦しみを、さくら様は訳の分からないまま5年も味わったのです」
「確かに、今思うとなんであんなに、とは思います」
「さくら様がこれから担うお役目は明確です。占いで王を助け、国の幸せを願い、良く導くにはどうしたら良いか古のルーンに問う事です」
「私、そんな大それた事をできる人間じゃないんです。他の人に」
「無理ですね」
「無理ってどういう事?」
「もう、さくら様が古のルーンの主のお役目に就かれた事を、王はご存じです」
「ちょ、え?どういう事?!さっきだよね?就任したの、今さっきだよね?」
「このお館がノノミヤ邸になった時点で、王には伝わります」
「なんでそれを今言うの?!もっと先に言っておいてよ!」
バーーーーン!
「カイ!古のルーンの主とお会いしたい!」
バーン!と明らかに玄関口ではない方のドアを開けて、一見したら王には見えない王が登場したのだった。