仮初め
ある日の休日、暇な一日の始まりだったが、マリのスマホの着信音が鳴った。
電話の相手は黒田だった。
「非番の今日、暇か?」
いつもの強気な言い方とは違って、何か言い難そうだった。
「はい」
「そうか、今日、田舎から両親が来るんだ。……それで……安心させたくて、つい嘘を……マリと、その、付き合っていると言ってしまったんだ。ほんと、すまない」
ふ~ん、それで遠慮しているわけね。
「分かりました。今日暇だから、今からでも行きますよ」
「そうか、それは助かるよ」
「でも、警察官が嘘を付いては困りまね」
チクリと、今までの鬱憤を晴らすようにマリは言った。
「ウッ……」
電話越しの黒田の困った顔が浮かんで、思わずマリは笑った。
「地下鉄~駅を降りて、直ぐの所だから」
「地下鉄、ですか……」
五十年前の地下鉄も初めて。一人で乗れるかな。
「こういう時は、俺がマリを迎えに行くもんだが、両親がいつ来るか分からなから留守に出来ないし、丁度、車検中で…」
「いえ、街を知るのも、警察官の務めですから」
思いもしなかった黒田からの誘いに、バッチリ決めた服装でマリは出掛けた。
喜んで黒田のマンションに来たマリだったが、目の前の立派なマンションに驚かされた。
「あれ、あそこに住んでいるの? 場所、間違っていないわよね……」
思わず驚きの声が漏れた。
あんな豪華なマンションに一人で住んでいるなんて、まさか恋人が? それは無いわよね。それなら私なんか必要としないし、でも、一人暮らしの男に部屋に行って、大丈夫かしら……。
不安な自分と、何か期待する自分が居た。
エントランス内に入ってインターホンを鳴らすと、即座に返事が来た。
「今、手が離せないから、勝手に上がって来いよ。最上階の端っこだから」
玄関のドアを開けて中に入った。
「お邪魔しまぁーす」
男の一人暮らし、さぞかし部屋が荒れているのだろうと思って、興味本位で隙間から部屋の中を覗き込んだが、綺麗に整理されている。予想外だった。
黒田の居る奥のキッチンに入る。
凄然と並べられている食器やピカピカの調理道具。
何より、食欲のそそる良い匂いが充満していた。
「すまないな、貴重な休みなのにわざわざ来てくれて。他に頼む人がいないから」
いつもとは違う、物腰の柔らかい口調。
不思議そうにマリは黒田を見た。
「なんだよ。厳しいのは仕事中だけで、普段の俺は優しいんだよ」
「ふ~~ん」
とマリが言って、
「本当に、誰も居ないんですかぁ」
と聞いた。
「ああ」
との黒田の言葉に、自然と笑みが出る。
テーブルには沢山の料理が並んでいた。
「これ全部、黒田さんが作ったんですか?」
「ああ。一人暮らしが長かったせいか、料理が得意になっただけだ」
にしても、凄い。まるで料理人みたい。私なんか、訓練の日々だったから、料理なんてからっきし駄目、一つも出来ないよ。
黒田の意外な一面を見た気がした。
「マリも独り暮らしだから、ちょっとした料理は出来るんだろう」
「えっ、まあ、その……」
嘘は付けず言葉を濁す。
「まあ今は、冷凍食品の種類も豊富にあるし、家で作るより外で食べた方が、案外、安上がりになるからな。ちょっと味見してくれないか」
「えっ」
スープをすくったスプーンをマリの口元へ。
「どうだ? 味、濃くないか」
「うぅ~~ん? あっ、美味しい。凄く美味しいですよ」
このシチュエーション、まるで新婚生活じゃない。
勝手に妄想し、再びニヤけるマリ。
「ん? どうした」
「なっ、なんでもないです。それにしても、一人暮らしなのに、随分立派なマンションに住んでいるんですね」
皮肉を込めて言った。
「親戚が不動産業を営んでいて、このマンションも格安で借りているんだよ。でも、一人暮らしなのに広過ぎるから、居心地が悪くて困っているんだ」
黒田さんて、お金持ちなんだ。
「寮住まいの私は、ワンルームマンションのような狭い部屋に住んでいるから、すっごく羨ましいです」
「なら、一緒に住むか? コンビなんだし」
「――えっ」
思いがけない言葉にマリは固まり、真顔の黒田を見詰めた。
本気で言っているかな?
その時、
『ピンポーン』
チャイムが鳴り、黒田の両親が来た。
「俺、一人っ子だから、危険を伴う警察官になるのを反対されて。でも、悪者を倒す刑事は子供の頃から憧れていて、警察官になるのが俺の夢だったんだ。だから親の反対を押し切って刑事になったんだが、そうわがままも言っていられないし、心配を掛けたくない。だから、今日は二人を安心させてやりたいんだ」
「分かっていますよ。今日は、黒田さんの彼女になりきりますから」
「そうか。仮初めの恋人同士ってことだな」
マリが話を合わせると言ってくれて、黒田は安心した。
「……それにしても、奇抜な服装だな。そんな格好が今、流行っているのか? しっかり着こなしてはいるが、上下の組み合わせが違い過ぎて、何か違和感があるぞ」
やだ、私ったら、張り切って来たもんだから、未来のファッション感覚のままで来ちゃった。この時代の着こなしなんて分からないし。今更、スマホで調べても遅いわ……黒田さんのご両親に変に映るかも。
動揺を隠せない。
玄関のドアが開き、黒田の両親がマリの居るキッチンに。
マリの緊張が頂点に達した。
「わ、私、山下マリと言います。ええ~と、その、今日は……遠路遥々……ご、ご苦労様です」
両親に気に入られようとするが空回り。
何を言っていいかの分からず混乱するマリに、
「固苦しいことはいことはなしよ。そう、マリさん、て言うの。蓮にはもったいないくらいの美人さんね」
と母親が緊張をほぐすように優しく声を掛けた。
『オホン』
黒田がワザとらしく咳払いをして、
「この料理、全てマリが作ったんだ」
と言った。
「これ、マリさんが作ったの、凄いじゃない」
「そう、彼女、料理が得意なんだ」
「それは……」
そんな嘘を付いて、将来的にどうなのかな? もし、もしもよ、もし一緒になったりなんかしたら、後で困るんじゃ~。
勝手に思い込み、淡い将来を想像した。
「そうかい、さぞ、立派な奥さんになるわね」
『奥さん』と言った母親の言葉に黒田がムセ、マリが真っ赤になった。
「まだ早いよ。俺達、その、付き合ったばかりだから」
「ふ~ん」
母親が二人を交互に見た。
「で、マリさん、蓮のどこが気に入ったの?」
「蓮さんは短気で、気難しくて、気が利かなくて、いつもガミガミ言って、褒めてくれることも無かったし、あと、『おい』だとか『お前』なんて呼んで、名前で呼んでくれなかったんですよぉ」
ここぞとばかりに嫌なことを告げた。
「お、おい……」
と慌てる黒田を見て見ぬふり。
更に話を続けた。
「でも、全てを受け入れる大きな優しさが、人を思いやる優しさが私は大好きです」
「あらまあ、そう。マリさんて、芯の強いしっかり者なのね。きっと良いお嫁さんになるわ」
「だ・か・ら」
と黒田が釘を刺す。それでも、
「きっと、一緒になるわ。私の勘は外れたことがないのよ」
母親はそう言い切った。
「母さんの勘は良く当たるんだぞ。すでに、お腹の中に赤ちゃんがいるんじゃないのか」
父親の言葉に、
「そ、そんなこと、していません。まだ、抱いてもらってな…」
思わず本音が出てしまった。
「あっ、すいません、はしたないことを言って……」
馬鹿、馬鹿、私の馬鹿! なんであんなこと言ったのよ。欲求不満が溜まっているのかと誤解されるじゃない。あ~あ、戻れるのなら、ほんの数分前に戻りたいよぉ。
真っ赤な顔をしながらうつむいたままのマリ。
「別に、謝らなくても……」
てっきり笑って受け流すと思っていた父親が、彼女の赤裸々な発言に気まずくなり苦笑した。
ドジな一面を見せたマリを身近に感じ、より親密になれた。
「まだ、抱いてもらってない、か。こいつがまだ手を付けていないなんて、よっぽどマリさんのことが気に入っているんだな」
「いい加減にしろよ、オヤジ、マリが困っているじゃないか。せっかく作った料理が冷めるから、早く食べようぜ」
「ああ、そうだったな。マリさんの手料理が台無しになる」
両親の視線を料理に向けさせたことで、ホッとひと安心の黒田とマリだった。
「マリさんって、出身はどちら?」
母親が聞くと、マリが言い難そうに、
「私、母が四国の生まれで……」
「その話は……」
とっさに、間に入った黒田が母親を見ながら首を振った。
「ご免なさいね、嫌なことを聞いて」
察した母親が詫びるも、
「いえ。私、小さかった時の、母の記憶しかないんです。ずっと一人で、それが当たり前のように育ったから……」
気にしないで下さい、とマリは言うが、どこか寂しげな表情。
無理して言っているのが両親には分かった。
父親が気を利かせて、
「こうしてマリさんと出会ったんだ、もう家族も同然だろう」
「たくう、家族って、気が早いんだから、オヤジは」
「もう一人じゃないぞ、と言いたいんだよ。蓮と出会って二人になり、こうして今は、四人もそろっているんだからな」
諭すように父親は言った。
テーブルを囲んで和やかな昼食。
両親はマリのことを気に入ったようで、楽しい団欒のひと時。
味わったことの無い安らぎと温もりに、こんな生活を送りたいとマリは心の底から願った。
両親は機嫌良く帰って行った。
楽しかった一日が、あっという間に過ぎようとしていた。
静まり返ったキッチン内で、散らかったテーブルを二人で後片付けする。
「今日はありがとな、助かったよ。何かお礼がしたいんだが、欲しい物はないか?」
食器を洗いながら黒田が言うと、
「美味しい料理が頂けたので、気にしなくていいですよ」
そう言って、満足そうにマリは微笑んだ。
「いいや、俺の気がすまないからな」
「じゃあ、服、私に似合う服が欲しいんです。もちろん、安物で良いんですけど」
「遠慮するな、高価な物を買ってやるよ。こんな時ぐらいしか金を使うことがないんだから。なんせマリは、私服のセンスが無いからな」
鋭い。過去の服のセンスは、私には無いから。
「まあ、失礼な」
いたずらっぽくマリが言うと、
「悪りぃ、言い過ぎた。コーディネートの合わせ方、色や素材のバランスが少しズレているだけなんだろう」
頭を掻きながら言い訳した。
外はすっかり日が暮れていた。
街が輝きだす頃、二人はネオンの点いた華やかな街へと出掛けた。
さすがに二人は付き合ってないから腕を組むことはなかったが、ショーウインドーのガラスに映った二人の姿は、カップルそのものだった。
だがしかし、深く関わってはいけない。何より、この時代の人間に好意を寄せてはいけないんだと自分に言い聞かせた。
寮に帰ると、マリは買ってもらった服を試着する。
鏡に映った自分に見とれ、早く彼に見てもらいたい、似合っているよ、と言ってもらいたい。そう思うと、急に黒田に会いたくなってきた。
そんな黒田への強い想いが止められなくなっている自分に気付くのだった。
次週から物語が動きます。飽きずに、最後まで読んでもらえたら幸いです。