父と子と
娘が「神絵師になる」と
家を飛び出してもう5年になる。
激しい口論の後に、半ば勘当のような別れ方になった事を今でも後悔している。
亡き妻に似て絵を描く事が好きなヤツだったが、私にはその事を深く理解してやる事が出来なかったのだ。
妻が逝ってから男手一つで育ててきたつもりでいたが、娘の心中にはいつも母親と笑って絵を描いた記憶が寄り添っていたのだろう。
私1人で育てたなどとは自惚れた話である。
だからこそ、それを仕事として選ぼうとする娘の決断を私は認めたくなかったのだ。
好きな事を仕事にすると言う事は、きっと楽しさだけでは無いだろう。
何処かで心が挫けた時、それを好きで居られる保証などどこにも無い。
そんな時、母親と絵を描いて笑っていた大事な思い出を嫌いになって欲しく無かったからだ。
こんな思いを、娘との口論の際に言葉に出来ればどれほど良かっただろう。
あれ以来、娘とは携帯電話のメッセージで時折やり取りをする程度で、一度も顔を合わせる事はなかった。
とりあえず生存している事に安堵しつつも、私は未だ後悔の念に苛まれている。
そんな日々が5年目に差し掛かった頃、一本の電話があった。
娘からである。
この5年間、淡白なメッセージが送られてくる事は何度かあったが、電話をかけて来るのは初めての事だった。
電話に出た私の声は、自分でもわかるほどに震えていた。
さぞ情け無い男の声に聞こえた事だろう。
穏やかでは無い心境の中、理解できた話の内容はこうだった。
今は漫画を描いて生計を立てている事。
ようやく人並みに稼ぐ事が出来るようになった事。
近い日に単行本を発行できる事…
そしてそれを是非私に読んでもらいたいとの事だった。
溢れ出そうな涙を堪えながら、震えた声で娘の言葉一つ一つに相槌を打った。
「ちゃんと食っているか?」
「身体は壊してないか?」
「悪い男に引っかかってはいないか?」
心中では止めどなく湧き出る娘への言葉が上手く声に出せず、私は娘の話に短い返事しか出来ずにいた。
「泣いてるの?」と軽く笑う娘の声に馬鹿を言えと答えた後、振り絞るように一言だけ娘に言葉をかけた。
「たまには家に帰って来なさい」
不器用ながら懸命に放った言葉だったが、娘は嬉しそうな声で返事をしてくれた。
こうして、長い後悔の日々に終止符を打つ事が出来たのであった。
私が長く項垂れている頃も、きっと亡き妻が娘をずっと支えてくれていたのだろう。
私の心配など杞憂であった事を恥じながら、妻の遺影を見て長めに手を合わせた。
その日、私は久しぶりに泣いた。
それから数週間後、娘からメール便で一冊の本が届いた。
漫画の単行本のようだが、一言だけ書かれた手紙が添えられていた。
「ようやく単行本が完成しました!」
逸る気持ちが表れた字に見えて、少し笑みをこぼしながら手に取った本にはこう書かれていた。
「平成スケベ合戦 ちんぽこ」
R-18の文字が涙で滲んでよく見えず、私は寝室のティッシュに手を伸ばすのであった。
終