初のひとり旅(参) 〜森の息吹き〜
「こんな鬱蒼としてる中で鳥居見つけるなんて、森の動物しか無理だろ」
『森の中では、森と一体になることが最善じゃ』
自分の独り言がきっかけで、ふと、じいちゃんの言葉が頭に流れてきた。
そう言えば、この旅は修行だったっけ。肝心なことを忘れていたようだ。
里で修行した当時の光景が浮かび、技を思い出した。そこまで記憶が蘇ると、立ち止まって早速実践してみることにする。
「たしか名前は、《森の息吹》。」
一 《皮剥》
呼吸の速さを半分にしてみる。
次の呼吸は、さらに半分に。
その次は、さらに半分に。
口から糸を出すように細くゆっくりと。コリで固い部分を、吐く息と共に森に解放していく。体が軽く感じた。
二 《空蝉》
さっきまでの不安感や焦燥感がウソのように、『自分の中』が静かになっていることに気づく。
聴覚が開いて、鳥の声が大きく聴こえる。風が通るたびに、あちこちから木の葉のざわめきを感じる。遠くの水のせせらぎにも気づいた。
音量だけでなく、その解像度も上がっていることに気づく。静かだと思っていた森には、こんなにもたくさんの『声』に溢れていたのだ。
三 《譲り葉》
両手の人差し指を顔の前にして、ボーッと眺める。指を少しずつ左右に広げることで、視界を広げる。上下も同様にして、広大な楕円の視界を作る。
遠くの山の森森、近くの木の枝、足元の地面の様子、それらを一体として捉える。
視界が完成すると、そのまま歩き始めた。
普段は9割頼っている視覚情報を減らし、他の感覚に身を委ねながら。
四 《ガジュマル》
吐く息と共に、重心を下へ下へ落とす。
地面の凹凸で転ばないように、靴底へ意識を集中する。
足の裏側は、大地にピッタリと着く感覚となっていく。
五 《沃地》
地面から土をひとすくいし、土の匂いを嗅ぐ。空気にはなかった、強い臭気が鼻と脳を刺激する。
直接地面に鼻を近づけると、さっきとは違う、種が混じった匂いがした。
技のちょうど半分を終えたところで、目の端に朱色が目に入った。
はやる気持ちを抑え、進路だけ変えて歩く速度はそのまま近づく。
[森の鳥居]だ。
完全に密集した林の中に、ジンセンフの背丈より少しだけ高い鳥居が紛れ込んでいた。くぐる際も、体を横にしながらなんとか潜り抜けた。
あとひとつだ。
最後のひとつは、大体の場所はわかっていたので森に入ってすぐに目指していた。だが、それでも辿り着けなかった。やはり、人間的な思考のままでは辿り着けないらしい。
裸足になり、靴はカバンへしまう。
《森の息吹》を開始する時は、ここからは抵抗があった。田舎とはいえ、人里で育ってきたのだ。だが、今は本来の自分になったようですがすがしい。
オレは今から『狼』になる。
掌を地面につけると、視界が低くなる。
口を広げ、犬歯を剥き出す。ハァハァと息を吐き出すたび、頭から『言葉』が消えていく。
だらんと出した舌の上を、残る2つの単語、《肉球》と《爪痕》が滑り抜けていく。
{直接、四肢の裏で感じる}
{土のひんやり、土のふかふか}
{時々当たる枝の固さが、何倍にも強く感じる}
{感情は一つ}
{気持ちいいかどうか}
{目的地も決めず、感じるままの放浪}
{見つけた}
{他の場所と変わらない、なんてことない林}
{だが、妙に落ち着く}
{目についた切り株に腰を下ろす}
{気の向くまま、息を漏らす}
久々に背骨が縦になったことで、脳に必要な言葉だけが戻ってきた。
八 《言の葉隠れ》
そのまま切り株の上で、何度も深呼吸をする。言葉を再び追い出して、五感で森と対話する。
森との距離感がだいぶ近くなったのを感じたところで、思考を甦らせる。
九 《ホントの守護者》
人間である“自分“が主語でなく、逆に“木が”見ている、“大地が”オレを乗せているという意識
森を感じる領域が広がり、さらに森に溶け込む。
十 《些印の宝》
毎回毎回違う、その時の自分が、その場所でしか出会えない『サイン』。
それは、見えない宝箱を見つける作業
目の端の木が、なんか気になる
周りと比べて細い幹が、風に煽られてひときわ大きく揺れている
そうか、アレはオレだ
おれも風に身を任せよう
目の前に突然現れた、装飾された大きな木箱。
森にあるはずのない宝箱だ。
箱の枠は存在を感じたので期待したのだが、中身は空っぽだった。
だが開けた瞬間に、髪がふわりと後ろに流れる。
立ち上がると、何かに導かれるように足を進める。
空っぽになっていた脳に、出発する前のじいちゃんの言葉が響く。
『この修行は体力の限界に挑戦するような、肉体的に厳しい訓練ではない。いかにゆっくり動き、自分という存在を深く知ることが目的じゃぞ』
当時は、まーたジジイお得意のナゾナゾかよって鼻で笑ってたけど、今は少しわかる気がする。
見つけた。
緑の中に、朧気に朱色が目に入った。
木の隙間を縫うように、ソコから出る光の糸を巻き取るように近づく。
たしかに船から昨日見た鳥居だった。だが、反対側から見るとだいぶ趣は違って見えた。両側の木が鳥居を守護するように囲み、鳥居の中の景色を水平線で青空と湖面が二分する。
最後の場所、[境界の鳥居]だ。
ふうと息を吐き、鳥居をくぐる。
すべての鳥居をくぐった瞬間、森の呼吸が習得できた実感がした。
これでもう大丈夫。オレはいつでも森に還れる。
行きはあんなに遠かったのに、帰りはあっという間に森を出た。
しかし、森を出ても暗かった。歩き出すと、空が白み始めた。どうやら森の中で一晩明かしていたようだ。
宿屋に着くと、まず主人に謝った。主人は怒ることもなく、まず無事に帰ってきたことを喜んでくれた。そして、朝早いと言うのに、おにぎりと味噌汁を用意してくれた。
優しさに感謝をし、「いただきます」と呟く
味噌汁に口をつけると、乾いた舌から胃まで、一気にお湯を通して味噌が流れ込んでいく。
刺激された食欲に任せて、おにぎりにかぶりつく。まず、そのほかほかさで口の中が活性化される。口の中で少し様スタートかなと柔らかい米粒が形を崩す心地良い感触に浸るさらに間で行くと程良い笑と米の甘さが合わさったハーモニーで幸福感に包まれる。
続いて二口目。噛んだ後には薄茶色の具が見えた。一口目よりも強い塩味と磯の香りが広がって、その後香ばしさが広がっていく。中身は炙り鯖だったようだ。
勢いで半分ほど食べ終えると、もう一度味噌汁に手を伸ばす。レンゲで掬ってみると、色とりどりの野菜が入っていたことに気づく。
今度はゆっくりと一口ずつ味わう。最後の汁まで終えると、重大なことに気づいた。
もう一度主人に謝らなければならないようだ。財布には、二泊目の宿代がない。
「すいません、もう3000ソルしかもっていないので、昨日の宿代は払えません。代わりに、ここで働かせてもらえませんか??なんでもお手伝いしますので。」
「大丈夫ですよ、追加料金は今の食事代1000ソルになります。」
「え、宿代分も働いてちゃんと返します。」
「いえ、結構ですよ。お客さまはウチに、『1泊』しか泊まっておりませんので。それより、これをどうぞ。」
そう言って、風呂敷に包まれた箱を渡された。
「あの、これはなんですか?」
「お弁当ですよ。ちなみに、当宿屋ではお弁当の提供はしておりませんので、こちらは私個人からの『手弁当』になります。代わりとは言ってはなんですが、大冒険のお話を少し聞かせてくれませんか?」
主人の粋な計らいに、さっきよりも深くお礼をした。
陽も登り始め、徐々に他の宿泊客も一階のレストランに集まり始めた。昨日の美女は、自慢のソバージュを束ねてお団子にしていた。森と一体になった余韻が残るジンセンフは、美女と目だけ合わせて、ロビーにカギを置いて宿を後にした。