初のひとり旅(壱) 〜田園の先〜
モデルの街 富水、小田原、箱根
うたた寝していたことに気づいて目を開けると、そこは一面の田園風景だった
遠くに見える山並み以外、何も高い物体がない。
田園の緑に水を差すように、家屋がポツポツと立っている。どの屋根も青色で背が低い。家全体の造りも自分の里とは違っていて、今は文化の異なる地域にいるのだと気づく。窓枠の中は、あっという間に田園や家屋を左から右へ入れ替えていくものの、情景そのものは全く変わらなかった。
自分の家と同じ茶色い屋根が見える頃は、まだ単なる遠出気分だった。目の前の見慣れない家屋を目にして自分の生活圏から脱出したのだと気付き、ようやく1人旅が始まった実感が湧いてきた。
ジンセンフは師匠である『じいちゃん』に、ある建造物を見てこいと言われ、その場所目指して汽車で向かっていた。
始めの駅に到着した。
城が見えて目を引いたが、目的地に早く着きたいため、一瞥しただけで先を急ぐ。
、、、といきたかったが、やっぱりもっと近くで見てみたいと思い、少し足早に城まで向かった。石垣のふもとにあった椅子に腰掛け、天守閣を眺めながら、手にはちゃっかり胡桃味噌の団子が握られていた
気を取り直して、ここからは乗り継ぎだ。
駅に戻ると、真紅の電車が待ち構えていた。車体には大きく「Ray tissue」と描かれている。
電車は駅を出発すると、ぐいぐいと傾斜のある道を登っていく。先ほどの汽車の風景とはまた違う趣のようだ。
窓の外には、所狭しと生い茂る緑が広がっている。たまに緑の切れ間から、遠くの景色が垣間見える以外は木の種類しか変化がなかった。
突然、視界が暗闇に包まれた。なんだか電車の音もこもっている。目を凝らしてみると、武骨な石垣で囲まれたトンネルを走っているようだ。山を通る時には少しでも道がまっすぐになるようトンネルはつきものなのだと、隣の乗客が話していた。
途中、古びた鉄骨の鉄橋を抜けると、また緑の黒の繰り返しが続いた
急に電車が止まった。
左側の車窓を見ると、視界が広がっていた。足元には集落らしい家があり、遠くには広葉樹で覆われた山々が広がっていた。
「スイッチバックしまーす」
車内の天井から、どこか気だるそうな男の声が車内に響く。それを合図にするように、電車は反対方向に走り始めた。
急斜面を登るために、くの字に進行方向を変えることで線路の傾斜を緩くしているようだ
進行方向を変える作業を、その後3回繰り返した。やる気がないのか律儀なのかよくわからない車掌が、その度に「スイッチバックしまーす」とぼやく。
しばらく、黙々と電車が走る時間が続いた。
「この先揺れまーす」
また気だるそうな声が流れた。
電車の進行方向左側に強く引っ張られるような感覚があった。どうやら右側に大きく曲がっているらしい。次の山道の洗礼は大きく曲がる急カーブの連続だった。
鍛えているジンセンフは平気だったが、ツレに吐き気がすると漏らしている乗客もいた
「次は終点ゴウライ、ゴウライ〜」
ひと仕事終えたのが嬉しいのか少しテンション高くなった車掌の声が、長い列車旅の終わりを告げた。
ケーブルカー、ロープウェイと山ならではの乗り物を乗り継ぎ、ようやく湖が見えてきた。
船着場の大きな建物に入る前、カバンから財布を取り出して中身を見て、ジンセンフは深い溜息を漏らした。里の大人たちの依頼を片っ端から受けて稼いだ日雇いの路銀が、すでに半分消えていた。
とりあえず今日の宿代までは何とかなるかと好天的に捉え、船を降りた。ここから客船で湖を渡る予定だ。
建物に入ると、既にすごい人が並んでいた。全員乗れるのだろうかと不安になったが、乗船開始のアナウンスとともにあっという間にハケていく。
ジンセンフも列の波に乗って埠頭に着いた。埠頭を挟んで、深緑の湖面が優しく波打っている。それを挟むように、左右には抹茶色ベースの色みの違う緑達に彩られた山が並び立っていた。正面は、地平線まで湖が広がっていた。
空いていた船室の、ベロア革の窓側席に座る。
全員の乗車が終わったのか、ザワザワの種類が移動する足音から徐々に乗客同士の話し声へと移行した頃だった。船内のアナウンスが流れ始めた。
「本日はタイガーファルガー号に乗船いただき、まことにありがとうございます。船長のホレーショ・ネルソンでございます。本日は晴天にも恵まれましたので、ぜひ一度甲板に来ていただき、爽やかな風を受けながらの船旅もお楽しみください。」
船が大きな汽笛をあげて進み始めた。
一階に座ったので、窓の外は湖面しか見えない。船が進む度に、深緑の水面が小さな山脈となって外へ広がっていく。いくつもの波の山を生み出す船は、さしずめ水のホットスポットだった。
波にも飽きたので、席を立って階段を登る。甲板に立つと、風が服の隙間から体を突き抜けていく。いつもの左に流すヘアスタイルなんかお構いなしに、風下の方へ銀髪が激しく流れていく。景色と風を堪能していたが、気づくと体がかなり寒くなってきたので慌ててカバンから薄めの外套を出して纏う。
空と森と山と湖と。青から緑のコントラストだけが広がる視界。途中、左奥に湖と森の境界線に、異質な朱色が目に入る。だんだん近づいてくると、形がはっきりしてきた。
水平線に沿って、朱色の線が2本。それを支えるように、鉛直方向に朱色の線が2本。
鳥居が湖の上に浮かんでいた。船旅に耽ってしばらく忘れていたが、実物を目の当たりにすることで今回の旅の目的が鳥居探しであることを思い出した。
「アレ、相当デカい森に囲まれているな。」
つい独り言が出るほど、今回の旅の困難さに困惑していた。
鳥居を通り過ぎると、視界を船の正面に戻す。そこには旅の目的地である、ゲンソウコンの港が見えていた。丸一日かけてようやくスタートラインに立てたことに、ひとまず安堵した。
港に着くと、辺りは日も暮れて街の灯りが少しずつ点り始めていた。
あまり悠長ではいられないと、目についた木造の宿屋に入ってみる。
「いらっしゃいませ」
人の良さそうな痩せ方の中年女性がカウンターに立っていた。
室内を見渡すと結構広いスペースで、手前にはバーカウンターとお酒が並んでおり、奥の方には大きなテーブルとそれを囲むイスがあり、テーブルの上には薪が積み上げられていた。
「あの、今夜泊まりたいんですけど空いてたりしますか?」
「はい、ちょうどひと部屋だけ入って空いてますよ。13000ソルになりますが、いかがなさいますか?」
「じゃあ泊まります。」
「ご利用ありがとうございます。ではこちらへのご記帳と、料金は先払いとなっておりますので合わせてお願いします。」
少し高いと感じたが、宿の雰囲気も好きだったので即決で決めた。
「それでは部屋へ案内いたします。」
そう言って、階段を上って案内された。鍵を開けて入ると、そこは一応個室になっていた。目の前に木製の簡素な机と椅子があり、右側には背丈ほどのハシゴを上った先にベッドがある。
うん、この部屋の雰囲気も結構好きだ。直感で決めちゃったけどアタリだったな。
「お食事を用意しますので、身支度を済ませましたら一階のレストランまでお戻り下さい。」
そう言って、宿屋の主人はカウンターへ戻った。
とりあえず荷物を置き、椅子に座る。まだ旅はこれからなのだ。今日は体を休めつつ、明日の情報収集に励もう。
レストランで出された料理は、香辛料の効いたチキンステーキとスープだった。港町全体はこれまで通ってきた街の雰囲気とそこまで変わらなかったが、この店だけは異国情緒に溢れていた。
夜になると、煖炉に火が灯った。その頃には、他の宿泊客もレストランに集まっていた。大抵は複数人で来ているようで、暖炉を囲み、異国の言葉が飛び交い始めた。ジンセンフはそれを眺めながら、一応学校で習った外国語であることに気づく。
ブラウンのポニーテールの知的そうな女性と、ソバージュのブロンド美女が談笑していた。ツレが席を外し、美女が1人になったタイミングで話しかける。ジンセンフの語学力では出身地とこの街に観光に来ていることしか聞けず、短い交流ではあったが、初めての国際交流に少し満足した。
向かいの宿泊客が女性陣に話しかけ、本格的な異国の会話が始まった。ジンセンフはBGMとしてそれに耳を傾けるだけだった。もうちょっと語学の授業をがんばればよかったと後悔もしたが、今ここではどうしようもない。後悔というのはそういうものだ。
未練を断ち切るように、最初に話しかけた美女とツレの女性に、精一杯の笑顔で挨拶だけして寝室に戻った。