4,何だよ、あの飛鳥は!
麗らかな午後、芝桜によく似た小さく可愛らしい桃色の花が地面を覆いつくしている美しい季節。更にいうなら卒業式、私の最推しの学年の。去年と同じく雲一つない快晴のそんな目出度くもあり物悲しい日、私は――
「モテ期?」
「喜ばしいじゃない、行ってくれば?」
同級生と一緒に物影に隠れていた。粛々と行われた卒業式の後、私はアル君に見つからないようにそっと学校を去る予定だったのだ。飛鳥でさよならを伝えるのはあまりにも素っ気なかったかもしれないけれど、実際に目を見て伝える勇気がどうしてもでなかったから。なのに、そんなしんみりした空気を壊されて私はちょっと怒っている。誰がギャグ漫画の人だって? せっかく恋愛漫画でヒーローと結ばれないタイプの過去の女ムーブをかましてたのに! 過去の女ですらないのに!
「サマンサ、人はそれを死刑宣告と言うのよ」
「分かっていればいいわ、大体何で今日までに指揮契約をすませてないのよ」
卒業式の後、数名の同級生、つまり去年の卒業生から声をかけられた。懐かしかったけれど、さっさとこの場を去りたかった私には彼らや彼女らとの語らいを楽しむ余裕はない。「ごめん、もう行かないと」と言ったところで誰かに腕を掴まれ「まだ誰とも指揮契約を結んでないなら、俺と結んでくれ。アスピラシオン以上の条件を出すから!」と叫ばれた。今のところ誰とも契約する気はない、と言ったのだけれど彼を皮切りにその場にいた全員が同じことを叫ぶので収拾が付かなかった。
仕方がないので自分自身に肉体強化魔法をかけて腕を掴んでいた奴を殴り、走って逃げた。……あれは暴行じゃない、自己防衛であり正当防衛である。途中で卒業式にも参加せず図書館にいたらしいサマンサを巻き込んで今に至るのだけれど、まだ私を探す声がするので出て行くに出て行けない状態なのだ。
しかも何か人数が増えている気がする。あれ多分、同級生以外もいる。何で? 卒業式前後に学校に入ることを許されるのは去年の卒業生だけでしょう? この学校、いつから誰でもウエルカムになったの? 防犯は?
「だって、暫くは田舎でぼんやりする予定だったんだもん」
「だもんじゃない、どうすんのあれ」
「……どうしようもできない、お帰り頂きたい」
「……はい、分かりましたってお帰りくださるとでも?」
近くで、えげつない条件を叫びながら私を探している人がいる。でも私は別にプール付きのお屋敷とかいらないし、身に余る金銭は誰かにだまし取られそうだし、流行りものの高級ジュエリーとかドレスとか壊したりしそうでいらない。むしろそんな条件出すんなら、もっと上の指揮者狙いに行けよ。
「私もしかして誰かに呪われてんのかなあ」
「現実逃避は止めなさい。はあ、アスピラシオン君に連絡はとれないの」
「いや、それはほら、迷惑だし」
「馬鹿を言うんじゃないのよ! あっちだって探してるわ!」
「しー! サマンサ、しー!」
慌ててサマンサの口を塞ぐが、その瞬間、それが必要なかったくらいの爆音が響いた。余韻がビリビリと皮膚を揺らすようで、その衝撃の凄まじさを物語っている。
「エステル」
「言わないで」
「これ」
「言わないでったら」
「絶対にアスピラシオン君でしょ」
「違うかもしれないじゃん」
「あら、違うの?」
「……違わない、違ってて欲しいけど、絶対そう」
この衝撃の犯人は、認めたくはないがアル君だ。この魔力はアルバート・アスピラシオンのもので間違いがない。三年もペアを組んでいたのだから、私が彼の魔力を間違える筈がない。
「ええー、どうしたのかな、一年生の時にやった魔力暴走またしちゃったのかな? でも、先生たちもいるし大丈夫かな、でも、ううん……」
一年生の時、アル君は一度だけ魔力暴走を起こしたことがある。ゲームでもイベントがあったから知ってはいたけれど、実際の魔力暴走はすごかった。魔力が彼の意志に関係なく放出して、魔法にもならない純粋な力そのものみたいなものが空中で暴れて、竜巻がぶつかり合っている中に放り出されたような感覚だった。
これは死ぬな、と思いながら自身に肉体強化魔法をかけて、どうにかアル君の所まで行ったのを鮮明に覚えている。最終的に首を絞めて落とした。何とかなった。ただ、あの時と今ではアル君の魔力量も違うし、もし本当に魔力暴走を起こしてしまったのならきっと前のようにそう簡単にはいかなかいだろう。
ここでうんうん唸っていたって、状況が変わる訳でもない。それなのに悩んでしまうのは私の悪い癖だ。知っている、知っているのにやってしまう。……もっといろんなことができて判断力もあって、そんな人になりたかったけど、私はずっと憧れているだけでそんな人にはなれそうにもなかった。
「でもでも言うんだったら、さっさと行く! はい、立って!」
「で、でもなあ、私さっき、さよならって言っちゃったし」
「え、言っちゃったの、アルバート・アスピラシオンに?」
「言ったっていうか、飛鳥でメッセージを」
サマンサは綺麗な顔に皺を寄せて私を見つめた。分かっています、無礼なのは承知の上なんです。でも、そんなにすごい顔しなくてもいいんじゃないかな。自業自得とはいえ、いたたまれない。
「アスピラシオン君のことそんなに嫌だったの? あれだけ好意的に接しておいて? ……かなり悪い人ね、貴女。それとも彼が貴女に何かした?」
「え? 嫌とかじゃなくて、あああ、やっぱり気になる! 何か、主人公の気配もするし! サマンサ、私行ってくるね!」
「主人公って……ダリル・ネビュラのこと? それってフランクリン・ノワールもいるってことじゃない!」
「そう! あの三人ほんとに相性悪いから!」
そう、本当に相性が悪すぎる三人だ。主人公ことダリル・ネビュラ、私と同級生でおそらくゲームの“主人公”。あまりのカリスマ性とリーダーシップに嫉妬を覚えるのも忘れる程の主人公だ。私が何かの拍子に「これだから主人公は!」と叫んでしまってから、私の代の学生は主人公=ダリルという共通認識を持っている。そしてフランクリン・ノワールはゲーム内でも一二を争う人気キャラで闇を抱えているタイプの関西弁系チャラ男。
二人は在学中からペアで、アル君のことが可愛かったのかなんなのかは知らないがよく絡んできていた。ゲームでは、アル君は徐々にそういう二人に絆されていくのだけれど、この世界での三人は相性が悪いままだった。一方的にアル君が嫌っているだけ、という感じでもあったが、あの二人も嫌がったり怒ったりするアル君をからかっている節があった。彼らを見ていると、ゲームはゲーム、現実は現実なんだと納得せざるを得なかった。
「待ちなさい、私も行くから!」
「駄目だよ、ピーター君いないんでしょ!?」
「そうよ、収穫期で実家に戻ってるわよ! いざとなったら貴女が私に指揮すればいいでしょ!」
「あ、そうか、助かるー」
「……はあ、行くわよ」
「はーい!」
ピーター君は私と同じような田舎の出身で、同級生の指揮者の中でもダントツの癒し系だった。のんびり屋の彼が勉強の鬼であるサマンサとペアを組み始めた時はハラハラしたものだが、なんやかんやで上手くやっているらしい。いや、今はそうじゃない。急がないと。
まあ、優秀なサマンサがいれば何とかなるでしょう。と、軽く考えながら校内を走る。アル君と顔を合わせるのは気まずいが、本当に魔力暴走を起こしているのならそうも言っていられない。私に声をかけていた同級生たちや知らない魔導士たちが逃げたり座り込んでいるのをしり目に、とにかく走った。
そして後悔した。この世界に地獄という概念はないが、これこそが地獄絵図というものだ。
「エステル、貴女アレのペアでしょう。責任取りなさいよ」
「百歩譲ってアル君の責任は私がとるとして、後の二人は知ったことじゃない」
「まあ、あの二人は放っておくとして」
「こらー! 聞こえてんねんぞー!」
「エステル、お前戻って来たならさっさとこっち来い、馬鹿!」
「はああ!? 馬鹿って言った方が馬鹿なんだから! 馬ぁ鹿!!」
「んなこと言ってる場合じゃねえんだよ! 早くしろ!」
卒業式や入学式などの式典を行う校舎は半壊、地面は抉れてその中央にアル君。……どうしたのかなー、お腹でも痛くなっちゃったかなー。あの子「ストレス? は、何それ?」みたいな顔してる癖に、ストレスでお腹痛くなっちゃうタイプだからなー。卒業式の代表挨拶で緊張しちゃったかなー。しまった、お薬を渡しておくんだったなー。……などと現実逃避をしつつ、状況を確認する。
ダリルとフランクリンがアル君を抑えてくれているので、すぐにどうこうなるような状態ではない。教職員の誘導で逃げ遅れもいなさそうだ。よくよく見ると、ダリルたち以外にもアル君の暴走を止めようとしてくれている人がいるが、だからこそ下手に手を出すのは危険だ。均衡が崩れれば魔力が弾ける。ふむ。
「サマンサ、私をあそこに投げ込んでくれる? 風魔法でぽいっと」
「駄目よ、死ぬわ。貴重な指揮者を殺すくらいなら、彼を諦めた方がいい」
「死なない、死なない。これでも私には実績がある!」
「駄目だって言ってるの、他の作戦を考えなさい」
「サマンサ」
「しつこい、駄目!」
困った。こういう時、アル君なら私を信じてくれるんだけどなあ。他の指揮者とペアを組んでいる魔導士とはどうにも組みづらくていけない。
……。アル君が目を瞑って、耳を塞いでいる。一年生の時の暴走もこんな感じだった。どうしようもないくらいに辛いのに、自分だけでどうにかしようとして、でもできなくて。
彼は、昔から強すぎる魔力を抑え込むのにたくさんの努力をしている人だった。子どもの頃はいつ爆発するか分からない爆弾を抱えているような気分で、毎日を過ごしていたらしい。名門アスピラシオン家にはご両親の他にも優秀な魔導士が出入りしていたそうだったから、誰かを傷つけたり何かを壊したりする前に止めてはもらえる。けれど、一度暴走すると辛くてしんどくて痛くて自分で自分がわからなくなる感覚がして、ものすごく怖いのだと前に教えてくれた。あの時、止めてくれて本当に嬉しかったとも。
行かなきゃいけない。泣いてる時間はない。私が、アル君の傍に今、行かなきゃいけない。
「エステル、駄目!」
「おい、こら! アルバート・アスピラシオン! お前いいのか、そんなんで! エステル、浮気してんぞ! サマンサと組むってよ!」
「根も葉もないこと言うな、ダリルー!」
いい加減にしろ、主人公! 涙も引っ込んだわ! 今までのシリアスな雰囲気を返せ!
「は?」
あ、魔王がこっち向いた。顔がいい人間が本気で怒ると真面目に怖い。さっきの声どっからだしたの? いつものいい声はどこいった?
「おし、こっち見た! エステル、行けー!」
「お前ほんとにそういう所だからな、ダリル・ネビュラー!」
止めるサマンサの手を振り払って走る。ダリルの言うことをきくのは若干癪だが、奴の指示はいつも的確で間違いはない。フランクリンがさり気なく、瓦礫や石が飛んでこないようにしてくれているので後は走り切るだけだ。できるチャラ男はここが違う、後でお礼を言おう。
「アル君!」
一年生の時のように絞め技を決めようと思っていたのだけれど、真っ正面から抱きしめられてしまった。まずい、片腕を取られて手の甲が合わせられない。
「アル君、どうしたの。お腹痛くなったの? とりあえず一回放そう、落としてあげるから!」
「本気なんですか」
「いやだって、一回気を失った方が楽だと思うよ」
「本気でドュー先輩と組むつもりなんですか、僕を捨てて!」
よし、会話がかみ合ってない。ダリル覚えておけ。
「組む訳ないでしょ! 大体捨てるって何!? 人聞きの悪い!」
「捨てたじゃないか! 何だよ、あの飛鳥は! 僕のことが一番だって言ったくせに!」
ばちばち、ごうごう。反論をしようとした声は、不躾な音でかき消されてもう何も聞こえない。アル君のこめかみと首のあたりには血管が浮いていて、瞳孔は完全に開いていた。魔力の放出も激しい、このままではいけない。
「許さない、許さない! サマンサ・ドューだって!? 他の指揮者とペアを組んだ魔導士の方が僕よりいいって言うの!」
「アルく」
「僕をこんなにしておいて、こんなにもあっさり僕を捨てて! ……許さない、殺してやる。ここで殺してやる、残念だったね! 貴女は生涯、僕としかペアを組めなかったんだ!」
……私による、アル君の精神管理は完璧だった筈だ。入学当初より精神面がずっと落ち着いたおかげで、魔法の精度も上がったって気難しい先生も褒めていた。それがこんな、こんなチープなヤンデレ系のセリフを吐くなんて。
「話を聞きなさい、この分からずや!」
ガン! と思い切り頭をぶつけてやった。身長差ができてしまったが為に、絞め技はしづらくなったが逆に頭突きはしやすくなった。やはり、物理。物理は全てを解決する。
アル君は鼻を抑えて「ぐ……」とか言いながら少しよろめいた。おい、ふざけるな。解釈違いにも程がある。私の最推しはそんな三下ムーブしません!
「いい加減にしなさい、アル君! 人は殺しちゃいけないし、人の話は聞かなくちゃいけないの! まず深呼吸して魔力をおさめなさい!」
「……っ」
「言うこと聞きなさい!」
頭を掴んで無理矢理に目を合わせる。怒られた犬のように右往左往していた目が、諦めたのか私のそれとちゃんと合わさると、ゆっくりと暴れていた魔力が落ち着いていった。私もやっと少し気が抜けて、細く長く息を吐いた。
「もうー、どうしたの、せっかくの卒業式だったのに。ダリルたちに虐められたの? 相手にしちゃいけませんって言ったでしょ?」
「……」
「いやいや、待て待て。今回は絶対、俺らじゃないだろ。これのせいだろ」
アル君は魔力暴走が辛かったのか、静かに泣いている。すぐさまダリルたちが近寄って来たので、慌てて抱きしめて私の肩に顔を埋めさせた。奴らはこういうのをすぐさま揶揄う小学生男子的なところがある。ダリルが私の書いた飛鳥を持ってきていたが、それが何だと言うんだ。
「うちの子に近寄らないでくれますう!?」
「おま、お前、エステル、俺は結構今ドン引いてるぞ」
「ダリルに引かれた所で痛くも痒くもない」
「そういう話じゃなくね? 飛鳥で“三年間楽しかったです。さようなら、お元気で”って……。ねえわ、お前」
「……それに関しては、ちょっと反省してる」
「ちょっとって何よ、ちょっとって。アスピラシオン君、可哀想」
「う、うん、えっと。それはそうなんだけど、サマンサ、そこまで言わなくても」
「いや、エステルちゃん。これに関してはワイもフォロー入れられへんわ」
「フ、フランクリンまで……」
あのチャラ男で、どんな女の子にも過剰に優しいフランクリンにまで見捨てられた。……確かに礼を欠いた行いだったけれども、く、反論ができない。追い打ちをかけるように、アル君がぐずぐず言い出した。あああああ、泣かないで。
……だって、どうしてもお別れが悲しかった。顔を見ないで別れてしまいたかった。きっとアル君は卒業式が終わったら、笑顔で「三年間、お世話になりました。では、また」とか言ってご実家に帰っちゃうんだ。少しは寂しいと思ってくれるだろうけど、そこは名門アスピラシオン家、すぐにそんな暇もなくなるくらい忙しくなって私のことなんて忘れちゃうに決まってる。新しい指揮者と一緒にバンバン魔獣を倒して、すぐに世界に名を轟かせてしまうんだ。私のことなんて、忘れて。それが当然のことなのに、当たり前なのに、いざそうなると耐えられなかった。
でも、そうか、そうだね。アルバート・アスピラシオンは特別で、これから世界平和に努める人なんだから、私の気持ちなんかより、ずっと大切にしてあげなきゃいけなかった。
「はああ……。俺らここ直しとくから、その間に話し合えよ」
「こんぐらいすぐに直したるから、気にせんでええよぉ。やからちゃんと仲直りするんやで」
「エステル、貸し一つだからね」
「あ、ありがとう……」
頼もしい同級生たちはアル君の魔力暴走の跡を直しに行ってくれた。さすが去年の最上位グループ、手際がいい。そんな彼らの後ろ姿を見て、私はぐ、と拳を握った。
読んで頂き、ありがとうございました。