2,こら、じゃない。僕、話してるんですけど
思いがけず延長された最推しとのペアですが、順調すぎて特記すべきことが全くない一年でした。正直、本当にやることなかった。学生じゃなくなったから毎週末に泣きながらこなしていた膨大な宿題も、この話は将来何の役に立つのだろうと疑問に思う眠たい講義も、心身の健康の為とはいえ無理矢理に走り回らされていた体力育成だってなかったのだ。
非常に、暇である。その暇を素直に楽しめたのは初めの二週間までで、自分以外の皆がいつも何かしらに追われているのを見るとそれなりにやるせなさを感じた。アルバート・アスピラシオン君専属職員ではあるが、それは“指揮者”が必要な魔獣討伐の時だけでそれ以外は本当に暇だった。その魔獣討伐だって、あれ? 今、スキップした? っていうくらいにあっさり終わるものだから不謹慎ではあるがつまらなかった。
しかし、ただただ無為に時間が過ぎるの待つのはいけない、太るし。そう思い立ちこの一年、私は学生の時よりも足しげく図書館に通いつめた。アルタール魔法学校の図書館はまさに学校のそれらしく学生が読みそうな雑誌や娯楽本なども多いが、世界中から集められた貴重な書物も多く貯蔵されている。オークションに出せば、途端に値が跳ねあがるような本ばかりなので、防犯の観点から敷地の最奥にあるが、この学校内で一番大きな建物だ。学生寮から離れた所にあるので、私のように課題が出なければ好んで行かない生徒も多い。運動にも暇を潰すにも、素晴らしく活躍してくれた。
そしてそんな一年ももうすぐ終わる。あと少しでアル君も卒業だ。つまり、私がこの学校に滞在できるのもあと少しということだ。やっと暖かくなってきたので、最近では今日のように日光浴も兼ねて図書館の近くの木陰で座り込んで読みかけの本を急いで読むことが増えた。
「先輩」
「うん」
「エステル先輩」
「うん。……あ! こら!」
「こら、じゃない。僕、話してるんですけど」
この一年で本を読むことに夢中になることが増えたが、こうやって本を取り上げられることも増えた。最推しのドアップ付で。本当に可愛い、ありがとうございます。アル君はもう“可愛い”よりは“格好いい”と言う方が正しいくらいに成長したけれど、語彙力皆無のオタクには可愛いとしか言えないのですよ。語彙力のあるオタクになりたかった。しかしそんなことを考えているなんてのはおくびにも出さずに、文句を言えるくらいには成長したのだ。
「聞いてるよ、あとちょっとで読み終わるから」
「聞いてないでしょ、駄目です」
「もう……」
「こっちのセリフです」
「あ!?」
この野郎、膝に頭乗っけやがった! 可愛いね! アル君はスキンシップも好きなら膝枕も好きだ。もうお姉さん(概念)は瀕死だよ。課金させてくれ、頼むから。お金はないけど、稼いでくるよ!
「ん」
「ん?」
差し出されたのは耳かきと柔紙(この世界でのティッシュ的なもの)だ。
「今日、耳かきしてくれるって言った」
「……言ったっけ?」
「前にしてくれた時に、次は二か月後ねって言いました。今日で二か月です」
「よく覚えてるなあ……」
耳かきと柔紙を受け取って、耳の中を覗いてみる。太陽光では少し見えづらいが、特に大物の気配はしない。むしろ綺麗だ、ぴかぴかだ。健康でいい状態なのだけれど、ちょっと残念に思ってしまうのはいけないことなのだろう。
「全然汚れてないよ、反対向いてごらん」
「嫌です、そっちからやってください」
「綺麗だから、やるとこないよ」
「やってください」
「いやいや、あのね」
「やってくれるって言った……」
「……チョットダケダヨ」
「早くしてください」
しおらしい上目遣いからの生意気、ありがとうございます。完璧なファンサです。そんなことされたら言われた通りにするしかないじゃないか。
何の汚れもない耳を細い耳かきで撫でる。垢は無いように見えても少しはこびりついているから、本当はがりがりやってしまいたいところだが、垢ではなく薄皮を削りそうなのでできない。しかし本当に何もないな、大物を採掘したい。
「ほら、終わったからもう片方を」
「もう少し……」
「何、また眠れてないの」
「……」
「もう卒業だもんね、忙しいか」
耳かきは止めて、むにむにと耳たぶを揉む。アル君は少し不眠症の気があるのだけれど、こうやって耳や頭を撫でてあげているとすんなり眠ることができるらしい。本当に可愛い。耳たぶを好き勝手揉んでいると、小さな寝息が聞こえてくた。
入学当初、ゲームのことを思い出した直後は、この記憶自体を疑っていた。その上、世界観が若干ずれているしゲームのようには進むとは限らないと思っていた。主要キャラもいたりいなかったりだったので、アル君に会えるかどうかも微妙だった。それがここまで心を許してもらえるようになるなんて、感無量である。前世の記憶は正しかった。
しかし、私はゲームの中の“主人公”ではなさそうだった。同学年に滅茶苦茶“主人公”っぽい人がいたのだ。その人は主要キャラの中でも人気の高かったキャラクターとペアを組み去年卒業していった。同い年で同じ指揮者であったから話す機会もあったし、何度か鎌をかけてみたのだけれど彼は転生者ではなかった。
それにしても、転生か。前世のことを思い出す前までは、私は普通の田舎娘だった。指揮者の才能を見出されなければ、もうそろそろ親戚たちの仲介で結婚が決まっていたかもしれない。田舎の結婚は早い、少なくとも私の生まれた田舎ではそういうものだと決まっていた。それは悪いことではないし、若いうちから家庭や子どもを持つのも楽しそうだと素直に思っていた。
思い出した後でだって、前世のことは【魔導士育成ゲーム/奏~君が指揮者ならば~】のこと以外の記憶は曖昧だ。全く何も覚えていないという訳でもない、例えば自分がオタクと呼ばれる人種で、友だちにもそういう人が多かったとかは覚えている。でも、どんな家族構成だったのか、どんな風に生きていたのか、そして死んだのか、そのへんはあまり覚えていない。ただ、このゲームが好きで、アルバート・アスピラシオンというキャラクターが大好きだった、というそれだけがやけに鮮明だった。
優秀で冷静で名家の生まれで、それに見合う努力を怠らず自他に厳しい。どこか人のことを小馬鹿にするような言動をとっては、わざと自分から遠ざける。その癖、本当は寂しがりでスキンシップが好きな甘えたで、そういうのを察して欲しいけどこちらから構い過ぎると「子ども扱いしないで」と不機嫌になる。珈琲はブラックで甘いお菓子は食べないのに、ホットミルクにだけは蜂蜜をこれでもかと入れる。やることなすことがどこかアンバランスで、薄氷のような繊細さだと誰かが言っていたけれど、薄氷どころかシャボン玉だと私は思う。ふわふわと浮いていて触れた瞬間にはじけてしまいそうで、綺麗で儚いくらいに張り詰めた子だと思った。
ゲームでは他にもたくさんのキャラクターがいたから、アルバート・アスピラシオンを取り上げたストーリーは多くなかった。でも、その僅かな供給だけで好きになれるくらいには魅力的だったのだ。今のアル君は、既に私が知っているゲームの中のアルバート・アスピラシオンではない。元々違っていたのかもしれないけれど、多分、ゲームの中の彼はいくら大好きな指揮者が傍にいようとも野外で眠ることなんてなかっただろう。いつも何かしらを警戒して、スキンシップだって人のいない所でこっそりしてくるタイプだった。
今、私の膝の上で眠っている人はゲームの中の彼ではない。それが何となく寂しくもあり、でも嬉しくもある。“主人公”でなかった私だったが、アルバート・アスピラシオンという人と運よくペアを組めた上に、三年間も一緒にいれたのだ。ゲームの中の彼でなくとも、アル君は一生私の最推しである。きっとおばあちゃんになっても忘れないと思う。「またその話してるよ」って呆れられるくらいには話しちゃうかも。
膝の上でそよ風に揺れる髪を撫でる。あと数日でお別れだからと柄にもなく感傷に浸りながら、何度も。
―――
「あら、エステル」
「……サマンサ?」
アル君を夕方になる少し前に叩き起こし卒業式の準備をしなさいと、寮に帰らせた帰り道で懐かしい人に会った。サマンサ・ドュー、去年卒業した魔導士で私の同級生であり学年三位の才女。お前はお色気担当だろう、みたいなキャラデザで清純派優等生のお嬢様だ。もちろん、主要キャラである。
「えー! 久しぶり! 何で何で!?」
「もうすぐ卒業式だから去年の卒業生は呼ばれてるわよ。来ない人も多いけど、去年までもそうだったでしょ?」
「そういえばそうだった」
「卒業生とはいえ、この学校に入るには招かれるか面倒な許可取りが必要だからね。読み残した本を読むには絶好の機会だわ、逆に来ない人の気がしれない」
「サマンサ節が健在のようで嬉しい」
ゲームの中のサマンサは毒舌キャラだったが、実際の彼女は毒舌というよりは学習意欲が高すぎる委員長タイプだった。知識を身につけることが何よりも楽しいので、他の人がそれをしない理由が本気で分かっていないのだ。三年の学校生活で色んな人がいる、ということを学んだようだけれど私のように彼女の意見を真っ向から否定しない人の前では冗談交じりでこういうことを言う。気を許してもらえているようで単純に嬉しい。
「まあ今年はエステル狙いの人も多いだろうけど」
「……何それ、私殺されるの?」
「指揮契約の勧誘でしょ! そもそも貴重な指揮者をわざわざ殺しにくる馬鹿はいないわ!」
「ええー、ないない。同級生で私に契約持ち掛けた人なんていないもん。先輩の中には優しさで声かけてくれた人が何人かいたけど、でも同情で契約してもなあ」
指揮契約とは、その名の通り魔導士が指揮者に指揮をしてもらう為の契約だ。指揮者は数が少ないので、優秀な指揮者ともなると卒業後すぐに契約をしようと多くの魔導士が押し掛ける。卒業式当日はそういう指揮者を守る為に学内には入れないが、門外で待ち伏せをしたり実家に張り込んだりする魔導士が後を絶たない。一応、そういうことをしてはいけませんよ、という法律がふんわりあるのだけれど国によっては色々とあるらしい。まあ、私は“優秀な”指揮者ではないので大丈夫だ。
「本当に、貴女は……。はあ、全く変わってないのね。安心したような、アスピラシオン君が可哀想なような」
「人は一年くらいではそうそう変わんないよ。でも、アル君が可哀想って何? 私また何かした?」
「ええい、放しなさい! 私はこれから図書館に行くんです! 未だ学内に住んでいる貴女とは違って時間制限があるのよ!」
腕にすがったが、サマンサは「自分で考えなさい!」と言って私を見捨てて図書館へ行ってしまった。さすが本の女、読書の鬼、変態的知識魔。ちなみに彼女はちゃっかり同級生の指揮者と契約をしている。卒業前に契約を交わしたサマンサに「おめでとう」と伝えると「ありがとう、でも当然の結果よ。入学直後から狙ってたんだから」と言われた。……魔導士の闇を感じた。
それにしても、アル君が可哀想とは。かなり穏やかでない。この三年、私は結構あの子に尽くしたぞ? アル君は厳しく育てられた名門のお坊ちゃんだけあって、苦手分野がそもそも少ない。強いて言えば人間関係やコミュニケーション能力に難ありだが、それも取り繕うと思えばできる。もちろん嫌いな人間には容赦しないが、彼が屁理屈や生意気を言ったり態度に示したりするのは、彼なりの甘えの場合もある。多少仲良くなった状態で、許してくれそう、ちゃんと言い返してきそう、という人にしかしない彼なりのコミュニケーションでもあるのだ。本当に可愛いね。
そんなアル君なので、私はめちゃくちゃ甘やかしました。それはもうでろっでろに甘やかしました。いや、甘やかしというと語弊があるかな。たくさん褒めました。「すごいね」「よく出来たね」「格好いいね」「上手だね」「偉いね」を壊れたレディオのように繰り返しました。勉強も魔法も、私や他の先輩魔導士に後れを取らないアル君にしてあげれることって、それしかなかった。
ペアを組んですぐはそんな私を警戒していたアル君だったけれど、徐々に褒められる快感を覚えたようで、頭を撫でても嫌がらなくなったし耳かきを教えてからはねだるようにもなった。初めて控えめに手を引かれた時は鼻血が出るかと思ったよね。可愛すぎて。出てなかったから、一応の乙女としての体裁は守れていたけれど人間興奮すると本当に鼻血出るって思うよね。
……私だけに穏やかに笑うアル君を見て、優越感を覚えなかったとは言えない。私は、彼の特別なんだって。そう考えてしまってからは、罪悪感が酷かった。でもこれは指揮者としての仕事の一環だからって誤魔化して、ずっとペアを組み続けた。魔導士の生活や精神的な補助、補佐も指揮者の仕事であるから、間違いではない。間違っていたのは私の気持ちだ。
ゲームの世界において“主人公”は特別だった。この世界はゲームではないし、誰もがその人生の主人公だっていうのも正しい。でも、世界って願い通りにはならないようにできている。
生まれは選べないし、世界一足が速くなりたいとか、あの子に好かれたいとか。スラムで生まれた子が王族になれないように、どんなに頑張っても世界一足が速い人を遠くから見るしかなかったり、あの子は別の誰かが好きだったり。だからこそ、ある意味で皆平等で同じように苦しくて、その中の喜びを楽しめるんだ。
アルバート・アスピラシオンは特別で、エステル・リヒトは特別じゃない。そう、私は、特別じゃないなりに頑張ってきた、つもりだ。……私の方が可哀想なのに、アル君が可哀想なんて言われたら、自分を哀れむ時間さえ罪みたいじゃないか。ちょっとくらい、いいじゃない。自分だけの為に自分を慰めたって。私はきっと、もう私の最推しに会えなくなるのに。この三年間の思い出だけを持って、これから先ずっと生きていかなきゃいけないのに。
ああ、駄目だ。卒業式が近いからナーバスになってる。去年はちゃんと色々覚悟して諦めて、卒業のブーケを貰ったのになあ。すん、と鼻が鳴る。子どもの頃から元気と笑顔だけが取り柄のエステルちゃん、で通っていた私が道端で何たることだろう。
ぐっと背伸びをして、部屋まで走る。今日はもう晩ご飯いいや。明日の朝、久しぶりに西の食堂でたくさん食べよう。アルタール魔法学校は広大な敷地内に何か所も食堂やカフェテリアがあるから、いつもどこで食べようか迷う。西の食堂はビュッフェスタイルだから、いっぱい食べたいならあそこがいい。アル君はああいうがやがやした所が苦手だが、私はあの雑多な空間も好きだ。あと数日でこの学校とも数ある食堂ともお別れだし、もう太っても構わないから好きなだけ食べようと決意した。
読んで頂き、ありがとうございました。