代行勇者は魔王の手先
異世界転生ものの物語が流行して久しい。それだけこの世界と異世界の境目があいまいになったということだ。
そんな時代なら、異世界に乗り込んで魔王的な何かを退治する役割を担う、勇者代行ビジネスも生まれるわけだ。
「現世生きるのもままならないのに、なにが異世界勇者だ」と口癖のようにつぶやいていた俺も、配達仕事の途中でうっかり黒ベンツと接触してしまってからというもの、金の力には勝てなかったので、たまたまネットで見かけた勇者代行サービス会社に秒で登録した。代行サービス会社の広告は素質がどうとかうさんくさい曰くつきの、見つけることすら運まかせで狭き門なのだ。
健康診断の結果と履歴書を提出して、適正が認められた代行者は依頼内容に応じて異世界に行き、勇者として魔物を倒したり悪い王様を弾劾したりする。依頼のない間は基本的に現世で生きていくあたり、契約社員とか、町の消防団員みたいなくくりに似ている気がする。
異世界に行くと現世の人間はおよそ2.8倍の能力となるらしい。運動能力も、判断力も現世とは格段に向上するので、現世に戻りたくなくなる代行者もちらほら現れる。なぜなら異世界に行けば、現世で鬱屈とした日々を過ごしていた人間ですら、チートな生き方をできるから。ちなみに美醜の好みはあまり変わらないことが多いので、結局イケメンが得をするようになっているという噂もある。
「別のコンビニが秒の距離にあるマンションまでふみチキ配達させるかね……チキあげ君でいいじゃん……」
一日中バイクを走らせる食事デリバリーサービスのアルバイト先の事務所から、今にも死にそうになりながら自分の住むマンションの階段を上るところで、管理人さんに穏やかな声をかけられた。
「こんばんは。今日もお疲れ様です……宅急便が届いていましたよ」
「あ、ありがとうございます」
届いた段ボールの中には、現世で身に着けるのは耽美系のビジュアル系の人かゴスロリが趣味の人か中学校に通っている最中の人間にしか許されないような銀色の指輪が二つ入っていた。
「これは……」
それは代行勇者が身に着けるための装備だった。
代行でも本物でも、勇者の一番の役目は変わらない。異世界を混乱に陥れる魔物の諸悪の根源である魔王を退治することだ。
これまで、様々な世界で勇者は魔王を退治してきた。どこかの世界が平和になっても、またどこかで魔王が現れ、その世界で勇者が魔王を退治してきた。
しかし、俺もあとからサービス会社の職員さんに確かめるまで信じられなかったのだが、魔王いう存在は無限に現れるものではないらしい。数百年前、責任感と熱意溢れる勇者がある魔王に完全に入念なとどめをさしてしまったとき、あらゆる異世界から魔物が消え、一挙に平和になってしまった。
それ以来、勇者を兼ねた冒険者が集うことで成り立っていたダンジョンそばの町は廃れて、仕事のない労働者が溢れ、貧富の差が大きくなり、魔物や魔王という共通の敵がいなくなったせいで国と国での小競り合いが増え、逆に情勢が不安定となる世界が続出したという。どこかの異世界で魔王が生きていれば、そんな問題が起きなかった。あちこちの異世界の歴史の中での暗黒の時代と呼ばれる時期は、魔王不在のころに大体合致するらしい。魔王は異世界にとって必要な悪だったのだ。
というわけで、それ以降に現れた魔王はとどめをささないことが、あらゆる異世界にとっての暗黙のルールとなっているという。
ただし、以上はただの与太話だと、本気で信じるような者は異世界にも現世にも、一部しかいなかった。当事者と、世の理にまで触れられるような、本来の権力者だけ。
俺がその当事者になったのはたまたまだった。初めて異世界に飛ばされて、運悪く先輩の代行勇者さんとはぐれてしまって、右も左もわからない状態でひと月ほど経った頃、親切な宿の主人のところで世話になっていた俺は、仕事の手伝いで足をはこんでいた裏山の奥にあった洞窟で、たまたま意味深な扉を見つけたのだった。
チートな危機回避能力のおかげでその扉に触れて死んでしまうことは避けられたが、その発見が俺の代行者人生を変えた。
そのあと、先輩代行勇者さんのチート能力のおかげで発見してもらった俺は、また改めて勇者パーティの一員に組み込まれ、打倒魔王の道のりに同行させてもらえた。知らない間に増えていた異世界の剣士、異世界の魔法使い、異世界の弓使い、異世界の修道士と友情を深めながら魔王城にたどり着き、魔王を退治するところまで追いつめた。
『く……私を倒しても、悪心を抱けるお前らがいる限り……必ず第二、第三の私がまた、現れるだろう』
先輩勇者さんが弱点の右目を貫くと最後のセリフを吐いて、黒い煙を体中から出していた魔王は、何かを探すように勇者パーティの面々を睨みつけた後、俺の手を掴んでその場から消えた。
「あれ?」
「ケンサク!!」
必死の形相の先輩勇者たちの顔を眺めているうちに俺は気を失った。
はっと目を覚ますと、城の中盤の階あたりで血を右目から流している魔王が、横たわっている俺を見下ろしながら口を開いた。
『お前、“この舞台”の出口を知らないか』
「ひえ」
借金を残したまま異世界で死ぬのは御免だったので、俺は勇者パーティの一員とは思えない身軽さで、思い当たった意味深な扉があるところまで魔王を連れて行った。
道中、先に挙げたような話をされて、自己弁護のために一時的にそれを信じてしまうことにするしかなかった。
『この世界の人間でもないのによく覚えているな。この辺りの罠など、作った私も忘れていたが』
「代行でも勇者ですからねえ、その辺は転送されるときにうまいこと能力を伸ばしてもらえたんでしょう」
暗く長い城の裏口を歩いて、森の中を潜って、魔王城に乗り込む前に先輩勇者から渡された地図の控えを確かめながら大体の当たりをつけて進むと、目的の扉がある場所にたどり着いた。
『大儀であった。……その方、名前は?』
「いえいえ、命惜しさに悪役の方を案内してしまった弱虫のことは忘れてください」
『ケンサク、と呼ばれていたな』
「覚えてたのになんでたしかめたんですか」
『念のためだ』
勇者パーティに寄ってたかって痛めつけられるほどの悪の権化である割に、会話のキャッチボールができたことだけ記憶に残し、その異世界で俺は魔王の手にかけられつつも、奇跡的に生き残った勇者の一員として温かく迎えられ、平和を迎えた世界に後ろ暗くなりながら別れを告げたのだった。
そんなやりとりが何度も、何十回も繰り返されればさすがに慣れた。魔王さんは様づけをしなくても別に怒らないし、身を隠しているときに一緒に食べるご飯がいくら質素でも文句は言わないし、朝日に照らされる草花の輝きが美しいと知っている、貧乏くじを引かされただけの悪役を演じるただのイケメンだということに。
まあ、存在するだけで魔物が生まれてしまうし、力を欲したどこかの誰かに召喚されてしまうし、だからこそ勇者にねらわれてしまうわけだが。
「いた、魔王さん!」
『待ちかねたぞケンサク!』
他の勇者が、魔王の形をした血まみれの身代わり人形を抱いて記念撮影をしている隙をついて裏口を開けると、美少年に姿を変えた魔王さんがマグマの中でこちらへ手を振っていた。
『一緒に来い!』
「いやーマグマは……異世界パワーでもさすがに無理ですね」
『軟弱者め』
魔王少年がためらう俺に指先を向けて何事か呪文を唱えると、急に身体が軽くなった。背後から他の声が聞こえてきたので思い切ってマグマへ飛び込んでも、俺が死ぬことはなかった。
『こっちだ』
さっき斬り落とされていたはずの右手で手を引かれてマグマの中を潜り、歩き、たどり着いた先の真っ黒な扉を開くと外に出た。
『お前が最初に転送された城の真逆の道だ。』
「ああはい、なるほど。それじゃあこっちから行きましょう……」
記憶をたどって今度は俺が魔王さんの手を引く。森を抜け、意味深な神殿にたどり着き、脇にある小屋の扉をたたく。出てきたおじいさんが泡を吹いて倒れてしまったので振り向くと、魔王さんは元の悪役らしい角の生えたイケメン姿に戻ってしまっていた。
「早いですよ、倒されたはずの姿を見られちゃまずいでしょう」
『姿を変えるのは、なかなか力を消耗するのだ』
「まあ、もうこの世界には来ないからいいか……」
文句を言いながら俺はおじいさんの上着のポケットを探り、鍵を拝借する。
神殿の柱の一本の根元に隠れている鍵穴に鍵を押し込むと、地下階段が現れた。
『本当にお前は道がわかるな……さすが異世界の勇者だ』
「代行ですけどね。足元気を付けてくださいね」
『うむ』
ちょろちょろ床を走るネズミや虫を踏まないように気をつけながら、階段をまっすぐまっすぐ降りていくと、探していた模様つきの扉があった。この扉は魔王さんしか開けない。魔王さん以外が触れたら死ぬのだ。実践したことはないが、扉の前に積み重なったたくさんの死骸や骨が、俺の危機回避能力が正しくはたらいていると示している。
「ここですね、お疲れさまでした」
『大儀であったな』
「いえいえ。また何かあったら呼んでください」
扉の向こうに身体を進めた魔王さんが振り向いて、扉を閉める直前に俺の名前を呼んだ。
『現世が嫌になったらいつでも後見になってやるぞ、ケンサク』
「いやー、勇者に追われる生活はちょっと……」
笑いあって扉がしまる。途端、えげつない風圧で神殿のある森手前までぶっ飛ばされた。
気を失っている俺を見つけたのは他の勇者で、どうやら魔王さんが逃げたとはバレずに済んだらしい。
「最後の最後にトラップにかかってこんな場所まで飛ばされるとは、気の毒だったな」
「あはは……生きててよかったっす」
魔王を討ったことになっている勇者パーティは、この世界で大層持ち上げられて、一週間はお祭りから逃れられないそうなので、俺一人は先にお暇させてもらうことにした。
もしかしたら、この勇者たちはこの世界で幸せに暮らすのかな。
俺は、代行会社からの給与が振り込まれる口座の中身を、現世の借金とりに手渡さねばならないので、そういうわけにはいかないのだ。
「お帰りなさい」
「ただいまー」
「今日も遅くまで……体調崩されていませんか?」
「ありがとうございます~、少し寝れば大丈夫です! たぶん」
「たぶん」
異世界から戻って数時間は、現世とのギャップで心身ともにしんどいので、マンションの管理人さんのやさしさが染みる。
部屋にたどり着き、よたよたとパソコンの前に座ると、代行サービス会社からの連絡がメールで届いているのをたしかめた。
異世界にとどまったままの勇者たちは知ることはないのだが、代行勇者には、現世に生きて戻ってくるだけでもかなりの手当がつく。それだけ危険を伴う職業というのもあるが、結構な確率で、派遣先の異世界にとどまる勇者が多いせいで常に人手不足なせいもあるだろう。
添付されていた給与明細を読み込んでいると、別のメールが届いた。
「魔王さん、いつも太っ腹だなあ……」
魔王さんは魔王さんで、律義に道案内の手当てを振り込んでくれる。この時点で依頼をした異世界側としては魔王さんは倒されて存在しないことになっているので、この手当を丸々俺のポケットに入れても誰にも文句は言われない。
はたして、いつか魔王と勇者が持ちつ持たれつの関係だと公になる日は来るのだろうか。
「ちいさい魔王さんもイケメンだったなあ……一般人として現世に来たらちやほやされるだろうに、追われてばっかで気の毒に……」
あくびをして万年床に滑り込む。異世界に飛んでいる間の自分をめぐる現世の時間は止まっているから、明日は4時起きシフトのままだ。チートでいられるし、ちやほやしてもらえるし、異世界の方が楽しいのは事実だが、黒ベンツ修理代の借金を実家に残していくわけにはいかない。でも正直、死ぬときは異世界でもいいなとは思ってきている。
その時は魔王さんのところでお世話になってもいいかな、などと勝手なことを企てていると、すぐに瞼が重たくなった。
枕元に立つのはマンションの管理人さんだった。
唐突に強く抱きしめられて、思わずうめくが、力は緩まない。
『お互い、仕事が忙しくて一緒にゆっくり過ごす時間がありませんね……ケンサク』
夢の中のやさしい声は、最近どこかの異世界で聞いたものに似ていた。