地獄の門
「そう、マトモなやつは…まあ、そいつらはジャンヌの価値を見あやまっていたよ。」
ジャンは、軽蔑を込めた薄ら笑いを浮かべた。
「ジャンヌを異端として殺してしまうなんて…」
ジャンは、本気で怒っていた。
史実によると、ジャンヌダルクは、1930年にブルゴーニュ公国軍のジャン2世に捕まった。
「俺と同じ名前のブルゴーニュの馬鹿者が、よりによって、イングランドにジャンヌを売り渡したのさ。アイツは、自分が何を売ったのか、全然理解できない馬鹿者だよ。」
ジャンは、馬鹿にしたように軽快に笑い、呪いの言葉のようにこう続けた。
「イングランド人も愚か者さ。ジャンヌを不校正な異端審問で裁くなんてな。奴等、火炙りにしたんだ。公衆の面前で…悪魔や魔物が見守るなかで、一番やらかしてはいけない事をしてしまったんだ。」
ジャンは、昔を思って興奮していた。
これ以上、興奮させるわけにはいかないので、私は対処の術を思い起こしたが、それは必要なかった。
ジャンは、自力で持ち直し、私を見つめた。
「お前もイマイチわかってないな…。ジャンヌの価値を。」
ジャンは、私を軽蔑したように見つめた。
「西洋史は苦手だったからね…。教えてくれないか?その、ジャンヌの価値を。」
私の返答をジャンは気に入って、調子良く話始めた。
彼によると、ジャンヌダルクは、荒廃する社会で、精神を病んだ人たちのカウンセラーの役割を果たしていたそうだ。
ジャンヌは、戦場で異常行動に走りやすい人間の精神をすんなりと受け入れた。
「懺悔と言われると、どんなにグロテスクで、不気味な話でもジャンヌは、穏やかに微笑んで聞いてくれたよ。親ですら、顔を背け、嫌悪するような話を、神様に救ってもらえるように、あの子は綺麗な目で、慈愛の表情すら浮かべて手を握ってくれた。それが、どんなに嬉しいか…お前にはわかるまいな。まさに、暗がりから引き上げてくれる気持ちがしたよ。」
ジャンは、その時のジャンヌを思い出したのか、優しい顔になる。
「実際、彼女が隊に加わって、俺達の評価はうなぎ登りに上がったからね。俺達は、戦争の結果や武功より、死に急ぐように、突き進むジャンヌが、何より怖かったよ。彼女は、神と天使を信じて疑う事なく前に、進むんだ。その度に胸が痛くなったよ。だってそうだろ?彼女が執着するものなんて、この世界には無いって事だからね。彼女が前に進む姿に失恋のような胸の痛みを感じたよ。それと同時に、安心もした。ジャンヌに好きな異性が居ないことにね。」
ジャンは、ほろ苦い思い出に苦笑して、一息ついてから話を続けた。
「誰にも取られたくなかった…。神様にも。だから、必死で戦ったんだ。彼女が天国に召されないように…。だって、そうだろ?きっと俺は天国なんかには行けないから。奇跡があるとしたら、ジャンヌと話すこの現実こそが奇跡なんだから。一緒にいられるその瞬間が欲しくて、俺ら、敵をなぎ倒していたんだよ。そして、ジャンヌが喜ぶから、マトモなふりをしていただけなのさ。だから、ジャンヌが捕まって、異端審問にかけられると聞いて、なにか、嫌な予感がしたんだ。」
ジャンヌの処刑は、異端の罪で火炙りにされた。
普通より入念に…骨や、服の破片でも、後に、よからぬ連中に悪用されることの無い様に、全ては灰になり、セーヌ川へと流された。
それは、カペー家と言う正当なフランス王家が途絶えたために、政治的な配慮でなされた事だろう。
100年の長い家督争いを完全に終わらせるためには、神などに再び登場されて、無名の貴族を担ぎ出されては困るのだ。
終息の影が見え始めたら、ジークフリートだろうと、ジャンヌダルクだろうと、英雄は非業の死を迎えてもらうのが、後の世の平定になると考えるのは仕方ない。
が、見せしめを目的に残酷なまでに、燃やし、政治の安定を考えた行動は、皮肉な事に、灰と消える少女が折角ふさいだ、固い地獄の門の封印をゆっくりと溶かし始めるのだ。
綺麗は汚い
汚いは綺麗
人の恐怖は…ある者にはこの上なく上等の快楽なのだ。
それを、ジャンは、二年後、新妻が二度目の妊娠を告げた時に自覚する。
ジャンヌに会ってから忘れていた悪夢が、彼の寝所に忍び込んで来たのだ。
「ある月の美しい夜、寝室の窓辺で、忘れていたアイツが俺を迎えに来たんだ。」
それは、満月に照らされて、黒い獣神のように黒く、威圧感を放ちながら、銀色に輝く剣を彼に差し出した。
彼の心の中の地獄の封印が、ズズッと音をたてて開いたのだ。




