男、かく語りき(1)
求神はそれを受ける神と安定所の承認により、取り組み開始となる。椿は願いを一瞥した後、一樹の顔を見た。
「内容次第だ。日暮れ前には戻るぞ」
「うん」
ひとまず追いかけてみよう、と自転車に飛び乗りながら一樹は首を傾げた。
「どこに行ってるんだろう、この先に何かあったかな」
「俺に聞くか」
「そうだった」
恐らく、今日の散策を一番楽しんでいたのはこの神様だ。山を訪れる神や妖怪に話は聞いていても、実際にあれこれ見るのは初めて。人外視点のお喋りに人間の常識は通用せず、地理把握なんてもってのほかだ。
わざとらしいぞ、と椿が肩に爪を立ててきた。痛いよと手を振り、一樹は漕ぎ出した。
***
里山に囲まれたこの地域は、少し町を離れると豊かな自然に直面する。
一樹たちも、小道を抜けると田畑が広がる農道に出た。人気はないが、尾行するにはあまりにあけっぴろげな空間だ。二人は青年の行き先を物陰から暫く見守った。山へ入っていく姿を確認し、後を追う。
通行の邪魔にならない場所に自転車を止め、一定の距離を保ちながら青年の背中を目印に進んでいった。若者らしい洒落た格好が、鬱蒼と茂る木々の中で浮いて見えた。
やがてたどり着いたのは、ますます似合わない場所だった。否、求神内容を思えば妥当かもしれない。
「神社だ……」
「社だな」
青年は途中、周囲を気にした様子で背後を振り返っていた。見られて困ることなのだろうか。薫風曰く、二人が確認できる内容は危険がないものとのことだが、椿は目を光らせてその後ろ姿を見つめていた。
すぐに逃げられる準備はしているか。靴の紐は緩んじゃいないだろうな、躓いてる場合じゃないぞ。
一樹にそう確認をとる。椿は慎重だった。物差しの違いを常に意識しろ。それが彼の口癖だ。
青年が鳥居をくぐり、拝殿の方へ向かう。小さいながら、きちんと整えられた神社だった。境内も綺麗で荒れた様子はない。
神域内に入ると、そこの主に察知される。椿からそう助言を受けた一樹は、境界のギリギリを狙って近づき茂みに身を潜めた。
「花さん」
拝殿の前に立った青年が、誰かの名を呼んだ。
「花さん、なんで答えてくれないの。オレ、何かした?」
切なげな横顔が、ドラマのワンシーンのようだ。青年は拝殿の扉を見つめたまま、唇を噛んだ。
「花さんのメーワクにはなりたくない。でもさ、何も言わずにさよならはヤだって。理由、教えてよ。ねえ、花さん、」
何度かその名を呟くと、青年は崩れ落ちるようにその場へ座り込んだ。
「花さん……」
戻るぞと椿が視線で呼びかけてきた。頷いて、じりと後ずさる。
パキン。
靴の下で弾ける小枝の音がした。はっと顔を上げた青年を見て、一樹はお約束だと小さくため息をついた。尻尾を膨らませる椿を宥めながら、茂みから立ち上がる。気分は投降者だ。
「……誰?」
「こ、こんにちは」
不審気な顔で青年がこちらを観察してくる。無理もなかった。これは立派な覗き見だ。相手を刺激しないよう、名を名乗って頭を下げる。一樹の態度に少し気を緩めたのか、青年は表情を和らげた。
「ふーん、久道くんね。オレは葉山」
「はい、存じてます」
「え、なんで……あ、もしかして町の本屋? 葉山書店?」
一樹が頷くと、青年は照れ臭そうに頭をかいた。
「じーちゃんだろ。カウンター前に積み上げてたもんなー。もーホントないわ、恥ずいって」
そういう青年だが、嫌がっているわけではなさそうだった。店主の話を思い出す。
――誤解を受けがちだけどね、いい子なんですよ、本当に。店の手伝いもしてくれるし。
ちらりと青年が拝殿を見た。再び気まずい空気が流れる。
オレ、行くけど。
その言葉に一樹も頷いた。お互い、聞きたいことはある。だが、なんとなく神社前で話すのは憚られた。一拍間を置き、二人は並んで山道を下り始めた。
どう切り出すべきか。
一樹は悩んでいたが、意外にも先に口を開いたのは青年の方だった。
「……なあ、さっきの見てた?」
「何のことですか?」
「見てたよな? あーどうしよ。でかい独り言だったってことにしといてくんない?」
「案ずることはない。こいつもお前と同じ側だ」
椿の声に、青年はぴたりと足を止めた。分かりやすく笑顔が凍り付く。
「やはり。お前、俺が見えているな?」
きょろきょろと青年の視線が彷徨った。
喋んのかよ……これアレだわ、ヤバいやつだわ。
俯いてぶつぶつと呟くと、やがて遠慮がちに視線を一樹に向けてきた。
「……久道くん、肩のそれ」
「あ、はい」
「はいって……なにその猫、ユーレイ? 久道くん取り憑かれてんの? ヤバくね?」
「違います、神様です。訳あって一緒にいて」
「神様!? スゲーじゃん! 守護神的な?」
「お前が必死に話しかけていたのも神だがな」
歓声を上げる青年に、椿はツッコミを入れた。
「……うん、花さんは神様だよ。めっちゃ綺麗な」
急にしんみりとした様子で青年が呟いた。
ころころと表情が変わる男だ。一樹は少し驚いていた。子どもっぽい人物だと思っていたが、ふいに大人の顔をする。
「……あ、てか、タメ語でいい感じ? 敬語推奨?」
「好きにしろ。こいつにもそう言っている」
「そうなん? じゃあタメで」
農道に出ると、一樹は青年に断りを入れて自転車を取りに向かった。
戻ってくると、青年は先程下りてきた山を見つめていた。
茶色がかった髪が風に遊ばれて、整った目鼻立ちをさらさらと隠す。ポケットに手を入れて立つ姿は陽光に縁取られ、淡く輝いていた。すらりと伸びた足の影が地に映る。これがモデルかと一樹は感心した。
青年はこちらに気付くと、はにかんだ顔を見せた。
「……で、どうする? 花さんとオレの話、聞いてく?」
なかなか、場が読める男のようだ。日暮れまではまだ時間がある。一樹は椿と顔を見合わせ、頷いた。
***
青年改め――葉山が「花さん」と出会ったのは、彼が小さい頃のことらしい。
「オレさ、昔は結構ポチャだったんだよね。おまけに鈍くさくてさ、よく同級の奴らにからかわれてた」
それが悔しくて、葉山はこっそりこの社で「特訓」をしたのだそうだ。人目につきにくい場所を選んだつもりだったという。
「小学生とかさ、運動できる奴がモテるじゃん? そうすると、でかい顔する奴もでてきてさ。オレ、絶対見返してやるって思ったわけ」
そんなある日、葉山は転んで怪我をしてしまった。
擦りむいた膝小僧に血が滲む。泣いたらかっこ悪い。でも痛い。歯を食いしばって耐えていると、ふと何か楽器の音色のようなものが聞こえた。
音の出所を探ると、どうやら神社の方から聞こえてくる。笛と、これは恐らく太鼓だ。葉山は立ち上がり、ふらふらとそちらに近づいていった。
狛犬の側まで来ると、拝殿の扉がすっと開いた。奥の方に、御簾がかかっている。静かに流れる音色に招かれているような気がして、階を登っていった。上がる前には、靴を脱いで揃えて置いて。
夢うつつながら、お邪魔しますと声をかけて中に入る。葉山が腰を降ろすと、ちょうど鼓が鳴った。それと同時に、御簾の向こうへ光が差した。
浮かび上がったシルエットは、細身の人影。平安貴族のような格好に刀のようなものを差して、扇を持っている。知識に乏しかった当時の葉山は、なんとかそれだけを読み取った。そして、謎の人物は澄んだ声で歌を紡ぎながら舞い始めた。
耳馴染みのあるアップテンポの曲調ではない。ゆったりと染み渡るような、どこか懐かしい響き。言葉の意味も分からず、しかし、どうしようもなく惹き込まれて――いつしか、膝の痛みは消えていた。
「怪我がさ、綺麗さっぱり消えてたんだよ。マジで。だからオレ、夢見てたのかもしれねえなってその時は思った」
気が付くと、外に立っていたらしい。慌てて振り返って拝殿を見つめたが、夕日の逆光を受けて、中は薄暗い闇が溜まっていた。滴るような赤色を背景に浮かび上がる神社。怖くなってその日は逃げるように帰ったが、次の日葉山はまた訪れた。一晩考えて、決心したのだ。
神社の周りを散々歩き回り考えあぐねると、拝殿の前に立って少し大きな声を上げた。
――あの、昨日は、ありがとうございましたっ。
返ってくる言葉はない。そう思っていたが、ひっそりと声がした。
――昨日の小童だ。礼を言うておる。
――ふん、心がけはともかく、もそっと品よく声を出せぬものか。花姫様にご迷惑よの。
葉山は目を輝かせた。
やっぱり誰かいた、あれは夢ではなかったんだ!
――おれいをしたいので、会いたいです! 開けてください!
今度は反応がなかった。
おかしいな。葉山は首を傾げ、すみませーんと更に声を張った。やはり無言だ。ごめんくださーいと叫ぶ。
回覧板です、郵便です、お届けものです、これ、ちょっと作りすぎちゃったんだけど。
思い出せる限りの訪問の言葉を口にしていると、またあの声がした。
――なんだあの小童は! やかましいわ!
――追い返すぞ。なんたる不届き者だ。
ざわざわと不穏な空気が漂い始めたところで、拝殿の扉が開いた。昨日と同じく御簾がかかっている。逸る気持ちを抑えて、葉山はその場に立っていた。まだ「呼ばれて」いない。中に入っては駄目だ。
間もなく、御簾の下から細い指先と扇が覗いた。繊細な白肌と、仄かに色づく女爪。ドキリとしながら、葉山は扇の上に白い紙が置かれていることに気付いた。なんだろう。そう思った瞬間、両隣の狛犬から小さな影が飛び出した。
――花姫様!
――なんと、御自ら!
それは童水干を着た二人の子どもだった。おかっぱ頭を振り乱し気味に宙を飛び、拝殿へ向かうと御簾越しに中の誰かと話し始めた。会話を終え、互いに頷いたかと思うとこちらへ向かってくる。愛くるしい顔の男児と女児であったが、その表情は険しい。
――スゲー! 飛んでる!
葉山が喜んでいると、少女が帯に刺していた扇で額を打ってきた。
――まこと、やかましいやつじゃ。少しは落ち着け。
――小童、これを。姫様からの御文だ。とくと見よ。
差し出された白い紙を開け、葉山は眺めた。墨で流れるような文字が書いてある。
――なにこれ、何て書いてあんの?
次は少年の方から頭をはたかれた。
「草書で書いてあったんだよ。現代っ子には難度高すぎっしょ」
あははと葉山は笑った。
意訳すると、「気にするな。その後、調子はどうだ」ということだったらしい。
はい、元気です!
まるで朝の出欠確認のような返答をした葉山は、声が大きいと二人からどつかれた。