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透明  作者: 弘奈文月
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「本気で、私の為にやるの?」

 

「お前馬鹿かよ。んなの何の役にも立たねぇだろうがッ!」


 荒々しいその声でハッと意識が覚醒する。

 薄く開けた視界にはみーくんが携帯片手に怒鳴る姿が映っていて、他人事みたいにさっきの出来事を思い出す。ああ私、倒れたんだっけ。やらかしたなぁと思いながらもそんなに焦っていないあたり、半分はまだ頭が寝ているようだ。


「ごめん」


 起き抜けだったせいか、思いのほか小さく呟くことになった謝罪の言葉はみーくんを振り向かせるには充分だったらしく、驚いた顔で目を見開かれた。


「――もういい」


 私が起きたからなのか、通話を一方的に切ってしまったみーくんは瞳に複雑そうな色を浮かべて近寄って来た。どうやら、倒れた私をソファーに運んでくれたらしい。見覚えのある黒いパーカーが掛けられていた。


「りーんちゃん。起こしちゃったねぇ。ごめん。煩かった?」

「いや……別に。運んでくれたんだ?ありがとう」

「ホントはベッドがイイんだろうけどー、勝手に入るのはヤバいじゃん?」


 そこは気を利かせてベッドに連れていって欲しかった。変な所で気にするんだな、とみーくんを見ていたら、背中に腕を回されて起き上がるように促される。


「――恭平に会いてぇんだろ?」

「……え、別に会いたいとは、思ってないけど」

「休日は頭痛が激しくなるんだって?」

「それ、恭平から聞いたの?」


 彼は一応、覚えてはいたらしい。休日を前にして偏頭痛が酷くなる。一人で居るとそれは悪化して、毎回心細くさせた。

 恭平、みーくんに言ったんだ。じゃあ、さっきの電話ももしかして相手は恭平だったのかと思ったところで低い声が耳元で響く。


「リン。何で俺に会いに来いって言なかったんだよ」

「襲われそうだから」

「病人相手に俺が乱暴すると思ってんのかよ」

「そうじゃない!」


 大きな声を出したら頭に響くのに、つい出してしまう。

 恭平を求めたのは、いくら触れ合っても最終的にそれだけで終わるからだ。病人相手とかそんな話じゃなくて、私が言いたいのは密着したときに起こる生理現象の話だ。これでも(うと)い訳じゃないし、長時間寄り添ったり抱き合ったりしていたら、男は我慢出来なくなることくらい分かっている。

 それなのに、手は出さないで引っ付いてくれなんてそんな都合が良いことを言える訳がない。だから、みーくんには無理だと思った。私だってみーくんにそんな気持ちを抱けるかと言われたら口を噤む。抱けるには抱けるだろうけど、女遊びがことさら激しそうな相手とそんなことをしたくないって気持ちが強かった。続きを言わない私にみーくんはわざとらしく笑う。


「心配しなくても、コッチは恭平からぜぇーんぶ聞いてんだけど?」


 じゃあ何でわざわざ聞いたの、と非難するような視線を向けて眉を顰めた。ミツルからみーくんになった顔はにんまりと笑いを作って、みーくんは私の膝の裏に手を入れ持ち上げた。


「ベッド行こーか、りんちゃん。何もしないって言ったら、―――信じる?」


 試すような視線は私を貫く。信用されたいならまず信用しろ、そう言っているようにも思えた。

 深く息を吸って、ちょっとだけ本音を漏らしてみる。


「……信じさせてよ、ダーリン。私、恭平に売られたことがトラウマになってるんだけど」


 だから、お願い。今より堕とすような事はしないで欲しい。見据えた瞳は反らされない。


「そりゃあ大変だ、ハニー。ぜぇったい裏切れないねぇ」


 その言葉は信じて良いの?出そうになった台詞を飲み込んで俯く。

 口では何とでも言えるだろうけど、一応私の気持ちは言っておきたかった。裏切ったりしないで、という密かなサインはちゃんと届いて、みーくんは浅く頷いた。チャラついた容姿にぴったりと当てはまる深い笑み。それは静かに弧を描いて歪んだ。


「だぁいじょうぶ。――りんちゃんは大事にするよ」


 それが本当なら、どれだけ嬉しいだろう。

 年下に懲りたばかりの癖に、それでもこんな人を信じようとするなんて、相当精神的に参っているのかも知れない。

 私の身体を持ち上げて、いわゆるお姫様抱っこをしたみーくんは入った事がない筈なのに迷わず寝室のドアを開けた。器用に肘を使ってドアノブのレバーを下げて、爪先でドアを押し開ける。そつなつこなして私を運ぶみーくんは飄々とした態度で私から発せられる訝しむような視線から逃げた。


「ハイ降ろしますよっと」

「…ありがとう」


 ベッドの上に降ろされて仰向けになった私にみーくんは覆い被さった。どきりと嫌な方向に心臓が高鳴る。


「しないってついさっき言ったばっかりだしぃ?そんな脅えなくてもイイって。あ、もしかして期待しちゃった?」

「してない。全くしてないから!」

「子守唄の代わりに、りんちゃんに楽しー話をしてあげる」


 子供に言い聞かせるような柔らかい口調で話すみーくんは、私の目を見つめて次の瞬間やけにわざとらしくにっこり笑った。


「恭平と達哉が居る芝原ねぇ、都波と全面センソーするコトになっちゃったぁ」


 とても楽しそうにみーくんは言った。表情が凍った私に気付いている筈なのに、関係ないとばかりにみーくんは笑って続ける。


「しかも、光渦はトーゼン都波側だし?……まぁ、初っぱなから手助けってのは、なぁんか癪に触るし、ギリギリまでは様子見するんだっけどー」


 普通じゃない。みーくんは物語で言うなら、完全に悪役ヒールだ。


「ぶっちゃけると、ホントは俺が仕掛けたんだけどねぇ」


 やさしくない瞳は、真っ直ぐに私を見つめた。

 濁った、私と同じような目。だけど、決定的に違うのは。

 みーくんは暴力を楽しんでるようにしか見えない。喧嘩を娯楽と思っているような、容赦のないカミングアウトは私の意識の中で盛大に波紋を呼ぶ。みーくんにとって悪口は、“良い奴”と言われること。それが本気で言った言葉なら、今は素直に納得が出来る。

 確かにみーくんは良い奴なんかじゃない。


「りーんちゃん。恭平と達哉だけは俺が直接ヤってあげるからねぇ」


 とんでもない、悪役だ。


「――俺さぁ、割りとマジになってんの」


 私の額に唇を落としてみーくんは横に倒れ込んだ。


 シングルベッドで、覆いかぶさられて、私が仰向けになっている姿を誰かに見られたりはしない。けれど、妙に胸がざわついて身体を横に向けた。


 独白のような台詞は静かに落ちる。


「恭平には感謝してるけどさぁ、りんちゃんを“売った”コトに関してはかなりイラついてんの」


 それはつまり、私の為だと言いたいんだろうか。動いたら触れてしまうような近い距離で私は微動だにせず黙ったまま。


「ちゃんと手を下してあげる。それが、俺の……俺なりの、りんちゃんを繋ぎ止める方法だと思うから」


 そんな事はしないで、私は大丈夫だから。そう言えるならきっとこんな風に堕ちたりしない。イイ子になってまた我慢する?私はそうやって失敗して来たのに、ここでまたみーくんを止めたりして、悲劇のヒロインになるの?身体が震えた。肌寒さと、恐怖と、それから歓喜で。私を後ろから抱き締めて、みーくんは耳元に唇を寄せて囁いた。


「リンのトラウマ、ちゃあんと消してやるよ」


 恭平と達哉を憎んだりはしてないし、別に嫌いになった訳でもない。だけど、私は私を売った相手に情けを掛けて助けようなんて思わない。一体、何回達哉と喧嘩した?何回恭平に注意した?私の領域である筈の部屋に踏み込んで、私の不在にも関わらず部屋で寛ぐ二人。恭平と達哉に恨みなんてほどの大きなものはないけれど、助けたい理由も見当たらなかった。お人好しで馬鹿な私の頭の中で、恭平が楽しそうに笑う。


「――本気で、私の為にやるの?」


 私の耳の裏側をぬめりとしたみーくんの舌が這う。時折、舌ピアスが耳朶に触れて、背中がぞくりと粟立った。みーくんの吐息は艶やかで、私の鼓膜を刺激する。


「何も考えんな。ただ、俺が勝手にヤるだけ」

「でも、私を売ったから、みーくんが恭平と達哉に手を出すんじゃないの?」


 吐息が熱い。みーくんが吸い付いた耳朶は否応なしに私を深い場所へ誘うけれど、その先には何もない。


「りんちゃん、今はイイよ。俺もどうこうする気はナイし。ただ……」


 みーくんは区切ってから当たり前のように毒を放つ。私の薄汚い感情のその上を越えて、冷えた声音で。


「“止めて”は、禁句。――そんなイイ子は嫌いになっちゃうかもねぇ?」


 嫌われても嫌われなくても私には関係ないけれど、確かに私は今、安堵した。私は大丈夫だからやめて、なんて言わなくて済んだこと。私は気にしてないよなんて強がらなくても良くなったこと。


「キタナイとこはぜぇんぶ持って行ってあげる」


 鋭利な刃物を私から奪って、みーくんは自分の胸に突き立てる。寂しさに凍えていた心はぬるい舌で溶かされて、私を渦に引き込むように優しく手を引いた。


「りんちゃんの汚くてイヤな感情を、残さず全部ちょーだい」


 その狂気は、私を墜落させるものになるはずだった。なのに、腹部に回されたみーくんの腕は私の身体に温もりを与えてくれる。


 ねぇ、みーくん。

 私の氷は、すこし溶けたと思う。寂しくないんだ。どうしてか、わからないけれど。……確かなことは一つだけ。みーくんは、私の一部をになってくれたのかな。汚い私を丸ごと包んで、ゆっくりと飲み込んだのかな。


「……みーくん、馬鹿じゃないの」

「馬鹿はキライ?」

「嫌いだって、言ったら?」

「泣いちゃうかもねぇ、シクシクって」

「泣いたらいいのに。一人で寂しく」

「酷いコト言うねぇ?」

「……ずっと、見ててあげてもいいよ。泣き止むまで、ずっと」

「んー……それは、ヤダなぁ。どうせなら、抱き締めて」

「――気が、向いたらね」


 いつから私はこうなったんだろう。ぼんやり考えながら、抱き締めてくれるみーくんの腕にそっと触れてみる。


「あったかい」

「りーんちゃん。ちゅーはオッケー?」

「無理」

「即答はナシでしょ、即答は」


 じゃれあうようなやり取りに小さく笑って目を閉じる。みーくんが居るからなのか、もう夢は見ないような気がした。明日は土曜日、休日なのに。



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