「ミツルが言うほど可愛くねぇな」
第一印象は、危ない男。
赤い舌を覗かせて私に鋭い目を向けたみーくんは、まるで狂気か何かを纏っているようにしか見えなかった。なのに、今ではおちゃらけた軽い男子高校生にしか見えない。それはつまり私がみーくんの危うげな雰囲気に慣れたということなのだろう。
だからって、ぞくりと底冷えしたあの感覚を忘れたりは出来ない。
「……みーくん」
状況についていけない。唖然とした顔のまま、か細く出て来た私の声は本人にちゃんと届いたらしい。にっこりと笑って振り返ったみーくんはいつも通りチャラチャラした見た目でそれだけでは別に怖いだなんて思わない筈だった。――駅前に倒れた二人の男を見なければ。
「りんちゃん。ごめんねぇ、携帯取られちゃって」
その台詞で何となく理解は出来た。
つまり、私にメールをしていたのはみーくんじゃなくて倒れている男たちだったらしい。
電車に揺られて光渦高校の最寄り駅まで来た私は、改札を過ぎてからみーくんに電話をした。けれど、相手は通話に出ない。呼んだくせに着信きに気付かないなんて――と少しムッとして携帯を仕舞い駅を出る。そうして、一方的にみーくんが【彼ら】を殴っている姿を発見した。
――嗚呼、これは、狂気だ。
楽しそうに、まるでじゃれ合っているかのように相手を殴るみーくんは普段と変わりなくにこやかで、殴られている方の彼らは既に顔にいくつかの痣が出来ていた。
恐ろしいのはその光景があまりにも堂々と行われているというのに誰も止めないということ。それどころか、一瞥して「またか」とでも言うように呆れた顔で誰もが通り過ぎていく。子供の喧嘩と言える範囲を容易に超えている暴力に背筋がぞっとした。
みーくんは私から視線を外して二人の男の子を振り返る。
一人は地面に伏せていて、一人は膝立ちになっていた。
坊主頭で膝立ちになっている少年の額にみーくんの膝蹴りが入る。倒れた彼の腹部を蹴り上げその傍にみーくんはしゃがみこんだ。
「タァキ。勝手なことしてんじゃねぇよ」
口調がころころ変わることに定評のあるみーくんはいつもより三割増し低音で坊主頭の少年にそう告げる。そして、ぱっと私を振り返った顔にはいつもの笑顔を浮かべていた。
「痛ぇ……」
倒れていた男のうちの一人、黒髪の男がくぐもった声で唸る。ついさっき沈められた坊主頭の少年はハァハァと苦しそうに呼吸を繰り返していた。
「りんちゃん、ごめんね。こいつ、悪気はなかったから許してくれる?」
邪魔だと思って上げていたのか、頭に乗せていたサングラスを掛け直して両手をポケットに手を入れたみーくんはこてん、と可愛らしく首を傾けて私を窺った。
――いや、なに、この修羅場。っていうか、何でそんなに怒ってるの。
ピリピリした空気の中でドン引きしている私。
何をやってるんだ、こいつら。本当に理解できない。
ついていけないと心が拒絶反応を示す。とりあえずは約束のものを早く渡してしまおうと買ってきたものが入っているビニール袋をみーくんの方へ差し出す。近付きたくはないので、その場からは動かない。
昼ごはんと頼まれて私が買ってきたのは定番商品のおにぎりとサンドイッチ、それから甘い缶コーヒーと無糖のカフェオレ。カフェオレは私が飲む予定だったけれど、後でそれだけ貰えばいいかと思いながらみーくんに袋を受け取れと催促するように目線を向ける。
「ありがと。いくらした?」
みーくんがポケットから財布を取り出したのを見て、事前に考えていた言葉を投げ掛ける。
「別にいらない。そのくらい気にならないし。それに、みーくんの前で財布は出してないし?」
これで貸し借りはなしだ。それどころか金額では私の方が上になった。そんなに大した金額では無いけれど、借りを作るのは嫌いだ。ほんの少しだけ優位に立った私は嫌味っぽく屁理屈を言ってみーくんを見据える。
そんな間に割って入ったのは、倒れていた黒髪の男で。
「……なんだ?聞いてた話と違ぇ。全然大人しくねぇだろこの女。本当に恭平の女か?」
「今は俺のカノジョ。恭平とは終わってんの、とーっくの昔に」
「へぇ、手元に置いたのか。珍しいこともあるもんだな」
飄々(ひょうひょう)とした態度で答えるみーくんに黒髪の男は適当な相槌を打って立ち上がった。
――いやいやいや、たっか……!その身長、どう考えてもおかしいでしょ!?
ついそう言いたくなるくらい、立ち上がった黒髪の男は身長が高かった。顔に痣はあるものの、応えて無さそうな表情で怠そうに両手を上げて背伸びをする。さっきまでみーくんに殴られていたのが信じられないほど、気安く言葉を交わす二人。どうやら彼ら二人はみーくんの友達らしい。それにしてもこの男、二メートルあるとか言わないだろうな、まさかな。見下ろされている状態に絶句していた私に気が付いたのか、みーくんはコンビニ袋から鮭のおにぎりを取り出して私に差し出した。
「んー……、えーっと、身長百八十……何だったっけ」
「ハチ」
黒髪が短く答えた。鮭おにぎりを受け取りながら、まじまじと黒髪の男を見上げてしまう。発育が良すぎるだろう。遠目から見たときは既に倒れていたから分からなかったけれど、この身長はかなり威圧感がある。
「あ、りんちゃん。浮気しちゃ駄目だからねぇ」
「……」
見当違いにもほどがある忠告をされて思わず黙る。
なにを言ってるんだこいつ。頭のネジが一本どころか三本くらい行方不明なんじゃないの。
気を取り直してもう一人の坊主頭の少年を見ると、少年も立ち上がっていて何故か頬を染めて手を出された。
「あ、握手しようぜ」
いやいやいや、なんで?と勢いで言いたくなるのをぐっと堪えてみーくんに視線を向けると、奴は呑気にサンドイッチを頬張っていた。
「ソイツ、馬鹿なんだよねぇ。気にしなくていーよ」
あっけらかんとして答えるみーくんは二個目のサンドイッチに手を掛けて目を細めて笑う。
「みっつん、俺はこんなにどストライクな女を初めて見たぜ!」
坊主の少年の力強い台詞にみーくんは少しだけ目付きを変えた。
「あげないよ。俺のカノジョだもん」
寒気を感じる。だもん、ってそんな喋り方が許されるとでも――ああ、うん、まぁ許されるんだろうな、お前小悪魔だしな。
取り合えず一呼吸して自分を落ち着かせる。
「これが噂のツンデレかあ!みっつん見た?俺がしたメール見た?やっべぇよあのツンデレ!」
「うるせー」
黒髪が坊主の頭をはたく。みーくんは無関心。空気に置いてけぼりになる私を尻目に三人はとても楽しそうだ。
「メールって、みーくんの携帯使って私に連絡したのが君ってこと?」
会話の中で引っ掛かったそこに突っ込み、坊主の彼を睨む。元凶はこいつか。
「最初は嫌って言ったのに、その後には何が食べたいのって!これで顔がロリだったらなぁ!残念だ!ははは!」
かなり失礼な事を言って私が返したメールを暴露する坊主頭。ロリじゃなくて悪かったですねと嫌味を言いたいけれど、相手は男子高校生だ。
大人になれ、私。
そう言い聞かせて知らん顔をする。
飲み物を貰おうとしてみーくんを見ると、その手には私のカフェオレ。坊主頭の失礼極まりない言葉の延長で、みーくんにもコイツ!となったけれど、先に言わなかった私も悪い。
深呼吸、まずは落ち着け。
自分に暗示を掛けるようにした私に、トドメの一発。
「ミツルが言うほど可愛くねぇな」
黒髪のトーテムポールは傷付きやすい硝子のハートを粉砕する勢いで私に対しての感想をぼそりと呟いた。
「――私、帰る」
最近の不良はお世辞というものを知らないらしい。あからさまなお世辞なんか言われたって確かに嬉しくはないけれど、遠慮のない言葉に私はいま敏感になっている。それもこれもあの口の悪い達哉のせいだ。あいつのせいで打たれ弱くなっているのに、追い討ちを掛けるような人間と一緒には居たくない。
人が折角届けてやったのに。
たとえそれが坊主頭の馬鹿のせいだとしても、みーくんは私に大して不躾なことを言う二人を止めてくれたっていいのに。年上を敬いもせずに呼びつけて暴言を吐くのが彼らの普通なら、私はそんな普通は受け入れたくないし認めたくない。
「俺、滝川悟って名前だから覚えといてくれよな!」
誰が覚えるもんですか。
無視して背中を向けて切符売場に入る。慌てたような足音がして、私の腕が後ろに引かれた。
「りんちゃん」
心なしか眉を下げたみーくん。謝ってももう遅いし許さないしお前らなんか嫌いだと言葉にはしなくても態度に出して睨み付けたら、みーくんはきょとんと目を丸くして次いで可笑しそうに笑った。
「可愛い。――そういうところ」
ここ駅なんですけど、しかも人が見てるんですけど、お前なにする気だ――出てくる文句は塞がれる。みーくんの唇で栓をされて何一つ言葉にならなかった。ご機嫌取りのつもりかなんなのか知らないけれど、生憎私は可愛い女子高生なんかじゃないし彼らから見れば捻くれた性格の悪いババアだろう。キス自体は関係が恋人だから許しても、今回みたいに腹が立っているときだけは別だ。素直に受け入れる気になれない。
迷わず振り上げた私の右足はみーくんの急所にクリティカルヒットして、声にならない呻きが一瞬上がった。
その後は意図的に見ないようにしながら切符を買い、ざわめく駅の中でその喧騒から逃れるように改札を過ぎ、発車寸前だった電車に飛び込んだ。
せっかくの休日に何で私がこんなに苛々しなきゃいけないの、と昼食を届けた自分を後悔する。
――眠いのを我慢して来てやったのに。
悪態は更なる悪態を生み出して、家に着くまでずっとムカムカしていた。こんなんじゃ、恭平と達哉と変わらない。恭平と付き合っている時は失礼な態度を取る奴は達哉だけだったけれど、みーくんは二人も失礼な友達が居る。もはやみーくんと呼ぶことさえ嫌になってきた。
「……最悪」
気分は急降下、帰って来た私の部屋が無性に温かくて涙が出そうになった。みーくんは恭平や達哉とは違うんじゃないかと思った自分が嫌になる。他人を信用したら痛い目を見ると思ったばかりなのに、成長しない自分にも自己嫌悪してベッドに沈んだ。
化粧落とさなきゃ、着替えなきゃ、頭に浮かぶ事柄を全て夢うつつに思いながら気付く。
――あ、私、眠たくて短気になってたんじゃ……。