「助けてやるよ、俺が」
「な、んで、何で……私が、あんたと、付き合わなくちゃいけないの」
「んんー?知らない奴に差し出されて遊ばれた挙句そのへんにポイッてされたいんなら話は別だけど、ちょっと可哀想過ぎて興味湧いてきたから――俺が遊ぼうかなって」
こんな事を言いながらウインクすらしてみせる男をどうして信用出来るだろう。
「警察、呼んでも良いんだけど」
「お好きにどーぞ?俺ら何もしてないしねぇ。えーっと、マンションは確か駅の近くだったっけ?」
やっぱり知られている。
マンションも部屋の番号も、多分恭平と達哉が喋ってるんだろう。
「……もう、恭平とは別れたから」
身代わりにされる理由は、ない。
妹さんは確かに可哀想だけれども、元々は兄である達哉が仕掛けたんだから恨むなら兄を恨め、だ。
どうして達哉のとばっちりを、赤の他人の私が受けなきゃいけないのか分からない。
「だぁ、かぁ、らぁ、問題はそこじゃないんだってば。キミの顔と名前は既にみーんなに知らされてるし、捕まえるようにそれぞれ言われてんの」
みんなって誰なの。
「だから、そんなの警察に行けば、」
「その前に捕まるのがオチだっつってんだよ。いくら状況についていけてない頭でもそれくらいは分かんだろ?」
急に口調を変えてそう言った目の前の男は、さっきまでのにやけた顔を消し――至って真剣な顔で、私に忠告した。
「助けてやるよ、俺が」
さっき、「遊ぶ」と男が言ったのを、聞き逃してなんかいない。
助けてくれる気なんて更々無い癖に。
「……付き合うって、“どこ”に?」
「トーゼン、俺“と”だけど?」
付き合うの意味を誤魔化してみても、あっさりと切り返されて私は俯く。
二者択一のこの決断は、私のこれからの生活を左右する。
このまま見知らぬ男に拉致られるか、目の前の男と付き合うか。
「付き合うっていつまで?」
「さぁねぇ。でも俺、飽きっぽいからそんな心配しなくてもいーよ」
二者択一。
私は、決断した。
この決断が間違っていたとしても、私はまた同じ状況になったら同じように答えるだろう。どう考えても、後者の方が選びやすいから。
「分かった。あんたと、付き合う」
絶対に許さない。
恭平も、達哉も、絶対に。
「んじゃ、決まり!――酒田ぁ!美崎に連絡しろ!」
私の周りを囲む三人の男のうち、ひとりが携帯を取り出して電話を掛け始めた。
だぼついた黒いパーカー。
ポケットに入れた両手。
ライトに反射して光る金メッシュ。
腕にも首にも耳たぶにもじゃらじゃらとついたアクセサリー。
舌に埋められたピアスを見せつけ男は微笑んだ。
「宜しくねぇ、ハニー」
「そうね、ダーリン」
恭平の時のように今更大人しい猫を被ることもできず、私は投げ遣りに答えた。
「俺の名前、羽柴充だから、あだ名は【みーくん】でいーよ?」
軽そうな見た目通り性格も軽いのか、羽柴充と名乗った男――全然高校生に見えない――は案外可愛らしい愛称で自分を呼ぶことを要求した。
「んじゃ、話も纏まったし、柏木鈴子ちゃんはこれに乗る。オッケー?」
そう言って羽柴少年が指差したのは、先ほど乗れと脅迫された黒いバンだった。
彼以外の全員が忙しそうに携帯電話で話しているのに、ターゲットの女と付き合うなどと言い出し、彼らの多忙の元凶となったこの男はかなり暇そうだった。欠伸まで披露している。
「乗らない。もう帰って寝たいから」
時刻は既に午前三時半を過ぎていた。日の出を見るつもりはない。見たとしても今は絶対に感動的な気持ちにはなれないだろう。
「だから送って行ってあげる。嬉しいっしょ?」
「……いや、いいです。歩いて帰ります」
「彼女になったんだから遠慮しなくていいよ?」
彼に警戒心が薄れた訳ではないし、歩いて帰りたいのは本心だ。家、近いし。それを彼も知っていると私は思っていたが。
私の住むデザイナーズマンションは、ここから約十五分も掛からないくらいの距離にある。
「色々話しておきたいし、やっぱこういうのは早めがいいし?」
「何を話すの?」
「いーろーいーろー」
「その話し方、疲れない?」
「べっつにー」
年下だと言われればまぁ年下に見えなくもないけれど、彼の顔立ちは妙に大人びていて、少しの違和感は拭えない。
私の方こそ童顔で学生と思われる事は少なくないなので、隣に並んだら身長差もあって兄妹に見られても別に不思議じゃないくらいだった。
中学一年の頃に叩き出した測定値の百五十三センチから全く伸びない私の身長は、ついに成長期という絶好の機会を逃し続けて、ぴたりととまってしまっている。なぜ体重は日々増えたり減ったりするのに、身長は全く伸びないのだろう。不思議で仕方がない。
「とにかくさあ、送るだけだから。そんなに警戒しないでよー」
「警戒を解けるような仲じゃないと思うんだけど」
「カッタイなぁ。そんなんじゃモテないよ、柏木鈴子ちゃん」
「モテたいと思ってないから良いの」
「じゃ、歩いて送るっきゃ無いかぁ」
やれやれとわざとらしく肩を下げた羽柴少年に思わず目が丸くなる。
――そうまでして?
そんなに大事な話をしようというのだろうか。
「お前ら、車持って帰れ。酒田んとこ停めとけよ」
またこの声だ。
いやに響く、低い声。
ふざけてちゃらちゃらしている時とはまるで別人な、厳しくて冷たい声。何の感情も孕んでいないようで、口に出す言葉すべてがまるでどうでもいいことであるかのように錯覚させる、無感動な響き。
羽柴少年に命令された三人の男は素直に頷いて、黒いバンに乗り込んだ。
同じ年じゃないから命令口調の彼に文句を言わないのだろうか。
というより――
「め、んきょ……」
「んきょ?」
「免許!あるの?」
「あー酒田ってやつが持ってる」
「あ、そう……」
――留年している高校生が居たのか。なんだ。
「じゃあ、歩きながら話そっか」
そう言って、パーカーのフードを被り羽柴少年はポケットからサングラスを取り出した。
え……なにこの子……。
黒いバンはあっという間に羽柴少年を置き去りにして去っていき、今更送って貰わなくてもいいと強く言えない意気地なしな私は雰囲気に流されながら黙って足を動かす。
「まずねぇ、光渦とうちの関係から話すかなあ……って、恭平クンから聞いてたりする?」
「何も。恭平が喧嘩してるのは見たことあるけど、詳しい話は知らない。知りたくもなかったし」
「知りたくなくても知っといて。巻き込まれたんだから状況を把握しとくことは大事じゃない?」
「そう……かも知れないけど」
「まぁ、うちと都波は休戦協定のおかげで“仲良し”って訳なんだけどー、他の高校はいま全部が敵対関係にあるんだよねぇ」
「達哉が起こした問題は結局のところ、どうなるの?私があんたと付き合ったら全部チャラになるってこと?」
そんなの、何だかずるい。
私だけが犠牲になって、諸悪の根源である達哉には何も無いだなんて。
「んーん、結論から言うとならないねぇ。っていうか、あんたって呼ぶのはやだなー」
「あんたも柏木鈴子って呼んでるから、別に良いんじゃない」
「じゃあ鈴子って呼ぼうかなぁ」
自然と渋い顔になる。
ひさしぶりに呼ばれた気がする。すずこ、という名前を。
「ん、やっぱりんちゃんにしよう、そうしよー」
「で、どうなるの?」
「一先ず、りんちゃんは俺が貰ったし、それに文句は言わせないから安心しなよ。でも、本当にそれだけ。都波の要求に芝原が応えられない場合はー……んーやっぱり、やり返すんじゃない?」
高校生同士の喧嘩だからといって、甘く見てはいけない。
恭平の暴力は純粋だからこそ、恐ろしかった。
躊躇する必要がないから、誰もがやっていることだから、その拳に迷いがない。
殺すことまではしなくても、相手が起き上がれないくらい痛めつけることには罪悪感すら抱いておらず、相手もそのことに納得してしまっているところが怖い所だった。
少し、何かを間違えれば、死が訪れることは想像に難くない。
それなのに、彼らは、あまりにも日常的に暴力で力比べを行っている。
フードを被ってサングラスを掛けた不審者――羽柴少年と並んで歩く私は、傍から見れば不審者の仲間ということになるんだろうか。嫌だな。
現実逃避さながらにぼんやり考えながら、羽柴少年をちらりと横目で見る。
「ねぇ。何で助けようと思ったの?」
「興味があるって言ったじゃん?」
「どこに?」
「この子可哀想だなーって。聞いてた感じと違ったっていうのもあるかなー」
「理由、本当にそれだけなの?」
「あと、思ったより可愛かったから。ん、これはガチで」
サングラスを少しずらして、わざわざ正面にまわり視線を合わせてきた彼をぐいっと横に押し退けて早足で帰り道を歩く。
早くも見えてきたマンションの向こうから朝日の光が差し込む。ああ、太陽が昇って来てしまう。
「朝になっちゃった」
思ったよりも時間を取られた。今は一体何時だろう。
「りんちゃん、モーニングキスでもする?付き合った記念に」
「しない」
即答した私の腕を羽柴少年は掴む。もう片方の腕が伸びて、私の頬に触れた。
柔らかい唇は私のそれと重なって、数秒もしないうちにぬるりと舌が入って来る。
生暖かい感触にぞくりと鳥肌が立って、身を引く為に腕に力を込めて羽柴少年の腹部を押したけれど、びくともしないどころか――羽柴の硬い腹筋に触れて不覚にも驚いてしまった。
なんだこいつ。
高校生の癖に、腹筋が、がっつり割れてる。
服の上から触っても分かるくらいはっきりと腹筋は割れていた。思わず割れ目らしき窪みを指でなぞると、羽柴少年は唇を離したと同時に噴き出して、私から一歩離れる。
「りんちゃんのちじょ」
痴女!?
「違う!」
ぽっと頬を染めて恥ずかしがった羽柴少年に全力で否定する。
痴女なんて誰からも言われた事のない台詞に食って掛かった私を見て、彼はもう一度噴き出した。
「――りんちゃん面白っ!ちなみにマンション上げてくれたりー」
「しない。もう寝る」
「だよねぇ。んじゃあ、アドレス教えとくからなんかあったら連絡ちょーだい」
ほい、と渡された携帯電話は恭平が使っていたスライド式携帯でもなくて、私が使っている二つ折り携帯でもない。画面がすごく綺麗な黒いスマートフォンだ。
扱い方が分からないから、アドレスを登録するにも困る。
「使い方、分からない」
そう言ったらこのやろうはまた笑って私の携帯を出すように言った。
更に腹立つことに、羽柴このやろうは手早く二つの携帯を操作して、これみよがしに笑いながらすぐに返して来る。
ちらっとアドレス帳を見ると新たに登録された名前は“みーくん”で、部屋に帰ってから即変えてやると心に決めて、エントランス前で別れた。
疲れた。本当に疲れた。
遮光カーテンをわざわざ取り付けた寝室に明るい日差しは差し込まず、私はすべてが夢であったと思いたいが為に素早くベッドに入る。
起きたら何もなかった、なんて、そんなことがありますように――。
ありがとうございました。