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ある日の商人

作者: むらや

そう、ボクを見て彼は、唐突にしゃべり始めたんだ。


「いやあ、さっきね、どうにもいきなり妙なトラブルに遭遇したんですよ。

見ての通り私はちょっとした商いをしている者なわけなんですけれども、

世界中あちこちに出かけては目新しい商品はないか品定めをして廻っているんです。


これなど見てください。

実にトラディショナル、いえ、伝統の感じられる趣があるでしょう。

しかし、実際はごく日常に使われる歯ブラシに似た用途のものなのです。

第一印象などはまるであてにならないとうちのめされてからというもの、

私たいへん気にいっておるのですよ。


ちなみにあなたは私にどのような印象を持たれましたかな?

往々にして、金持ちだ、とよく言われるのですが、

それは私のお腹が丸く張っているからでしょう。

実際はトラベルマニアまがいに世界をウロウロしてるのでお金など貯まりようもありませんよ。

さぞこの腹にも栄養がつまっておらないでしょうな。

しかし、この腹がまるまる太っているのは寒い国に行っても上着を買い足さなくてすむためだと思っとりますがね。

ここのような暑い国だとなかなかの荷物なのですが、

まあでも、荷物が多いのはいつものことですから。


それにしましてもね、私はあなたを一目見まして最初とても驚いたのですが、

いや、まさにこれは運命的な出会いではないかと捉まえておりますよ。

あなたの噂は、つい先ほどからではありますが、聞き及んでいましたからね、

まさかこんなにもすぐに出会えますなどとは思ってもみなかったのです。

そうでした。トラブルの話をしておりませんでしたな。


ここに来る前に私を物売りだと見定めて、一人のご婦人が声をかけてきたのです。

『何かお探しのものがあるのでしょうが、これ以上先は危険です』とね。

しかし、私もこんな体ですが数々危険は経験していますから、こう返したのです。

『お心遣いありがとうございます。ご心配なさらずともそれを乗り越えてこその発見を私は求めているのですよ』と。

それでもご婦人は何度も私を立ち止まらせようとするのです。

さすがに困った私は不可解に思い、ご婦人に問うたのです。

『ご婦人、それほどまでにお止めになるとは、この先にはどんな危険が待っているというのですか』

ご婦人はこうおっしゃいました。

『この先には巨大な人食い虎が出ると、最近では恐れられているのです』

巨大な虎とは、私もいささか驚きました。

『その口ぶりですと、ここでも何人か被害が出ているのでしょうな?』

『ええ、それはもう』

ご婦人は一瞬つらそうな表情でおっしゃいました。

ご親族に不幸でもあったのでしょう。

『巨大というと、どのくらいでしょう?』

『わたくしの一回りも二回りもあると聞きました』

ご婦人はどちらかと言えば小柄でしたが、それでも相当な大きさでしょう。

『それは大きい。ご婦人、あなたはご覧になったことは?』

『まさか、ございません。話に聞くばかりです』

『では他にご覧になった方がいるのでしょうね?』

『ええ、一人だけ逃げ帰った者がいますので。皆その話を聞き恐怖しております』

皮肉にもたった一人の生存者がこの村に恐怖をもたらしたと言ってもよいでしょう。

『その方のお話を是非聞いてみたいですな。どちらにお住まいですか?』

『彼はその時の恐怖からこの村を去ってしまいました』

『それは残念。しかしそれを聞いてしまいますと、私もここを離れた方がよいのでしょうね』

『そうなされた方がよいかと』

『わかりました。今日はここで一眠りし、明日ここを発つことにしましょう。ご婦人、ご親切にどうも』

『いえ。本日はよくお休みください』

そういってご婦人は立ち去り、私も踵を返したのです。

けれども、私はこういう仕事をしておりますので、

どうしても好奇心というものを抑えることができなかったものですから、

ご婦人のご忠告も早々に再び戻り、先に進んでみることにしたのです。

ご婦人はまだ先ほどと同じところいらっしゃったものですから、

見つからぬよう隠れて通ってきたのです。

しかしおかしなことに、ご婦人以外の人の目に私が映っていても、

みな私を止めようとはなさらない。

旅人がひとり虎に食われようとも興味などないのでしょう。

確かに、自業自得というものです。

しかし、私にはその方が都合がよいことでしたがね。


そのようにしてここまでおよそ小一時間かけて歩いてきたのですよ。

そうしたら今度はあなたと出会えたというわけです。

正直、私はご婦人の話を信じておりませんでした。

私の性格が、実際に見聞きしたものしか信じないというひねくれたものだということもありますが、

ご婦人の顔が一瞬曇った時から、

どうにもご婦人の話ははっきりとしていなかったものですからね。

けれども、あなたは今私の目の前にいらっしゃる。

やはり最初の印象などアテにならなかったわけです。

ご婦人の話よりは少し小さくていらっしゃるようですが、

近眼の私でもはっきりあなたの姿を捉えておりますよ。


そしてもうひとつ、ここに来るまでに発見したものがあります。

ちょうどここからでもかすかに見えますな。

ほら、あそこ。畑があるでしょう。テントもある。

先ほど見てきたところでは、今は人ひとりもいないようでしたが、

だれかがいたような様子はあったのです。

そして、畑に生えているあれは、ケシの一種ですな。


あなたにも忠告しておきましょう。

あそこから先は一切立ち入りなさるな。

それはあなたのためでもあり、あのご婦人のためでもあるのですが。

ここから離れることをおすすめしておきますよ。

よいですかな。しっかり見て、しっかり記憶しておいてください。


では私もここを離れましょう。

お休みのところをお邪魔しまして申し訳ない。

餞別に、この歯ブラシは置いていきましょうか。

あなたと会えたのは貴重な経験です。

忘れがたい記憶だ。

また会えるとよいですな。


それでは、ごきげんよう。」


彼の話は眠たくて、あんまりよくわからなかったけれど、

ひとつだけ彼に言いたいことがあるとすれば、


ボクはもう人なんておいしくないものは食べないつもりさ。

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