第七話 決戦、桶狭間の戦い(後編)
永禄3年(1560年)5月20日深夜
桶狭間山にて織田家四千布陣
くそ、ここに来る最中に天候が崩れてくれればいいと思っていたが、そうもいかなかったらしい。
物音一つに敏感になるほど静かな夜だ。
この状態で全軍が今川へ奇襲をかけた場合、今川義元を討つまでに体制をたてなおされないだろうか。
織田の刃は義元の首に届くのか。
確か史実では豪雨が突如降り始め、今川陣営は奇襲前に混乱を起こしていたらしい。
さらには雨は馬の走る音をかき消すため、奇襲はギリギリまで気付かれなかったはずだ。
雨が降っていない分、兵は機敏に動けるだろう。
加えて視界の確保も容易であり、大将に近づく敵も感知しやすいはずだ。
史実の織田信長は天を味方につけて勝利した。
だが、天が味方をしなければ?
本当にこの信長は勝利することができるのか。
くっそ~嫌な予感がするな。
「頃合いか」
俺が頭を悩ませている中、信長はそう言うと静かに立ち上がり、近くに侍らせていた馬に跨った。
嫌な予感は止まらないが…
「全軍突撃!!」
こうなってしまったからにはこの状況でどうにかするしかねえじゃねえかよ!
「貴様ら、織田兵か!!」
「見りゃわかるだろうが!」
俺はそう言って手に持った旗で目の前の敵兵をなぎ倒す。
この場に及んで旗を持っている自分がなんとも情けないが、今までの戦はそうやって味方を鼓舞していたから今更な話であった。
どうやら奇襲は半分成功して半分失敗したらしい。
未だに混乱しているとはいえ、次々に兵たちが混乱から立ち直り準備を終えつつあり、時間が立つごとに兵が増強されていくのがわかる。
「平手様、どうやら今川は奇襲に対し態勢を立て直しつつある模様、急ぎませねば!」
「それも見ればわかるよ。くそ、次々に兵が湧いてきて義元の居場所に近づけねえ!」
目視できるほどに近づいてはいるものの、その距離は縮まってはいかない。
兵は交戦してくるが、大将である今川義元はこの場から離れようとするためだ。
見れば織田も俺達の軍だけじゃない。
どの軍も必死の防戦をする今川勢の前に攻めあぐねている現状だ。
「後一押しなんだ、ここで今川義元を逃したら織田に勝利はなくなっちまう!」
元々の地力が違うのだ。
大国と小国。
比べるまでもない圧倒的な差がそこにはある。
元々油断をしていたから五分の条件に持ち込めたこの戦いなのだ。
油断せず慎重に尾張を削り取られれば、もはや再起は不可能に近い。
「あ、義元が…!」
その声を聞いて義元を見ると、義元は用意された輿に乗る準備を始め退却しようとしていた。
マズイ。
このまま義元を逃してしまえば、きっとまた尾張の侵攻を再開させるだろう。
そうなればもはや尾張に抵抗するすべはない。
さらに今回の奇襲によって、今川義元のプライドを大きく刺激してしまったはずだ。
今川義元を逃せば、
尾張は蹂躙される。
――――そう思った瞬間、体が勝手に、動き出していた。
「させるかよ……」
俺はとっさに持っていた旗を近くにいた織田兵に渡す。
俺に旗を託された織田兵は、戸惑いながらもその旗を落とさないように抱えながら此方の表情を伺うが、俺はそれを気にせずに近くに転がっていた死体の持っていた槍を拾い持ち替えた。
殺傷力のない旗とは違い、手に持つのはれっきとした人を死に至らしめる道具である。
最近は馴染みのない感触だが、決して重くは感じず使えないことはない。
いつか自分自身で心に決めた自分への『自惚れ』の戒め。
忘れたことなど一度もない。
だが、それにとらわれ大事なものを見失いかけているのではないか。
『ほんとうに必要な時だけ、必要な分を活用する』
―――それならば、今がその時なんじゃないのかっ!
「テメェら…」
俺はおもむろに体を限界まで捻り、その槍を、
「そこをどけええぇぇッ!!!!」
力の限り目の前の雑兵たちに振り下ろした。
―――ドオォォンッ!!
まるで大砲を放ったような炸裂音があたりに響き渡る。
振り下ろした先にいたはずの兵の姿はどこにもなく、ただそこには空白地帯と衝撃によってすり減った地面とが残るのみであった。
ただ言えることは、確実に、先ほどまで目の前にいた兵士は、死んでいるという事だろう。
いきなりの出来事によって恐怖に固まる両軍。
別に人を殺したことは初めてじゃない。
こうやって周りから恐怖の目で見られることも初めてじゃない。
そして今はそんなことを考えてる場合でもない!。
「呆けるな! 俺に続けっ!!」
そう言って空白地帯へと潜り込み、更にもう一振り、もう一振りと空白地帯をつなげ、今川義元への道を創りだしていく。
点と点が繋がればいずれ線になるように。
振るわれる槍とともに土煙にまじり、血肉が舞い散る戦場。
そうしたある種虐殺の中、真っ先に正気を取り戻したのは一人の織田兵だった。
「平手様が道を作ってくださるんじゃあぁ~!! これを突破口に義元の首を討ち大手柄じゃあ!! 皆も続かんかぁ~!」
俺が槍を振るうそのすぐ側まで走り寄り、道を作る俺の邪魔にならないように、しかし確実に役に立つように戦場を駈けるのは、
「羽柴秀吉…」
「へ? わ、ワシャ木下藤吉郎ですがのう?」
「あ、わ、悪い! すまんが援護を頼むぞ!」
「がってんでさぁ!」
俺と木下藤吉郎の二人の奮戦に正気を取り戻していく兵たち。
今川義元はもう、目の前であった。
「あ~……さすがに疲れたわ」
桶狭間の戦いが終わった事によってどっと疲れが押し寄せてきた感じだ。
結局、今川義元の首をとったのは俺でも木下藤吉郎でもなく、毛利新助という信長の小姓だった。
間違いなく大手柄である。
そういえば史実でもそんな感じの名前の人が義元を討っていたような気がするなぁ。
やっぱ時代はそう簡単には変わらないってことかね。
その割には雨が振らなかったり、予想以上の反抗でヒヤヒヤさせられたんだけど、ホントああいうイレギュラーは勘弁してほしいものだ。
なんてことを考えていると、側に人がよってきていたようだ。
「平手様、お疲れ様です」
木下藤吉郎である。
「いや~、平手様、大活躍でしたなぁ! こう槍をブンブンと振り回し、敵兵を千切っては投げ、千切っては投げ!」
あの時の真似をしているのだろう、ちょっとコミカルなところが周りの気を引いてるのか周囲の兵たちも耳をそばだてているようだ。
「あれですかな、やっぱり普段から旗を持って平手様のように豪快に振っていると、あのような怪力になるんでしょうかなぁ?」
「ぷっ」
旗を振るような動きが妙におかしくて、吹き出してしまう。
周りの兵たちを見てみれば、俺と同じように噴き出していた。
「ワシもこのさき出世のために働かなきゃならないですからのぉ。平手様にあやかり、あのような槍働きをするため、日夜旗を振らねばなりませんなぁ」
そういって戯けたように振る舞う木下藤吉郎。
それにつられて、さっきまで微妙に俺から距離を置いていた兵たちも笑いながら俺を囲み笑みを浮べている。
きっとこれは計算づくの行為なんだろう。
俺の思わぬ行動、あの槍の一撃一撃は少しばかり人外な威力だった。
これを恐れて、『あの時』の二の舞にならないように自粛していたんだけど、少しばかりはっちゃけすぎてしまったようだ。
『人は未知を恐れる』
当然といえば当然だが、一度失敗した俺が再び繰り返してるようじゃいかんよなぁ。
木下藤吉郎、いやめんどくさいから藤吉郎でいいか、藤吉郎はそれを敏感に察して、何事もなかったように、アレは凄いことだったという、人という既知にはめて、兵の恐怖や畏怖を、尊敬や賞賛といった評価にすり替えたのだろう。
まったく、信長といい藤吉郎といい、器っていうものの大きさを痛感させられるなぁ。
「藤吉郎」
「へえ?」
俺がそう呼ぶと、藤吉郎は不思議そうに此方を向く。
「ありがとな」
「……いやぁ、お褒めいただくようなことをしましたかなぁ、ワシは? いやはや光栄ですなぁ」
そう言って気づかないふりをしながら再び兵の和に加わっていく。
その後ろ姿を見ながら俺はひとつため息を吐いた。
ったく、らしくないな俺。
ま、桶狭間の戦いも無事勝利できたことだし、それでよしとするかなぁ。
たまにはシリアスも悪くないだろうしな。
その後の論功行賞で手柄第一位はなんと俺になっていた。マジか。
今川義元を討ち取ったのは毛利新助という奴だったが、俺は今川本陣の発見やその後のプチ無双で一番槍と見なされ、その働きを評価しての手柄一位なのだそうだ。
俺に付きしたがって奮戦した藤吉郎もかなり上位に名を連ねていた。
旗ばっかり振っていると言われた俺が、思わぬ武勇を見せたことで重臣の方々も俺を少しは見なおしてくれたらしく、俺を見る目が緩やかになってくれた。
手柄一位かぁ…正直実感がわかないけど、褒美とか賞賛とかより周りの視線が緩くなってくれているのが俺にとっては一番有難いことかもしれないなぁ。
さて桶狭間が終われば次は美濃攻めか。
今回の天候のことといい、何か嫌な変化が起こらなけりゃいいんだがね。
それにしても今回は疲れたなぁ。