第六十六話 独眼竜伊達政宗、奥州にて
―――伊達家視点
元亀2年(1573年)
伊達政宗の居城である米沢城の一室にて、重臣が集められ評定が行われる
「……以上が報告になります」
片膝をつき、恭しく報告を終えた伝令兵。
その報告を受けた右目に眼帯をした男は、ご苦労とばかりにぞんざいに手を振り、退室すること命じる。
その眉間には皺が寄っており、彼にとって面白くない報告だったようである。
「……チッ! 思ったより速い動きをするじゃねえか軍神はよぉ。電光石火は兵の運用だけじゃねえってことかよ」
つばを吐き捨てるように言葉を投げ捨てる眼帯の男。
「でもよ政宗様、和議は不成立との話じゃないですか。最悪は免れたんでしょうよ?」
「左馬之助、お前はアホか。なんでこの時期に上杉が織田と接触したと思ってるんだ。軒猿からの報告で伊達の内情を知ったからに決まってるだろうがよ」
眼帯をつけた男―――伊達政宗は、下座に座る幼少からの友人でもあり、片腕でもある左馬之助―――原田宗時に対しそう吐き捨てる。
戦場での活躍は目を見張るモノがある宗時ではあるが、内外の政治には疎く、あまり貢献は出来ていなかった。
「政宗様の言うとおり、我らの動きが織田家に伝わったのはまず間違いないでしょう。だが、上杉は武田と融和し、上杉武田を名乗り始めてまだ日が浅い。武田に配慮をしなければならない上杉としては、せいぜいが和議と称した注意勧告位のものではないでしょうか」
「しかしよぅ小十郎、どうにもこの目が疼くのよ。大体こんな時はろくな事が起こらねぇもんだ」
政宗が己の右目を指さして苦々しくそう口にする。
その言葉を受け小十郎―――片倉陰綱は苦笑して返した。
伊達政宗という人物は時に理屈よりも勘による直感を頼りにするときがある。
そしてそれは概ね正鵠を射ている場合が多い。
本人はそうした直感を視力を失った右目は物を映さないが、物事の本質を見通せる等と嘯いているが、それを裏付けるような出来事が続けばその言葉にも信憑性が生まれてくる。
神通力などの超常現象を未だ信じられている時代では殊更それは説得力を増しているのかも知れない。
「流石に今はまだ時期が早ぇ。上杉と事を構えるのはもう少し情勢が落ち着いてからにしたいもんだがよ」
政宗はそうぼやきながら髪を掻く。
月代を剃っていない政宗の髪は、乱暴に後頭部で紐で括られているだけであり、着崩された袴もどこか派手である事も相まってとても身なりが整っているとは言えない様相だ。
奇しくもそれはかの織田信長の若かりし頃を彷彿とさせる出で立ちであり、今この日の本で急成長する二人の数奇な偶然であった。
「伊達家は今、飛ぶ鳥を落とす勢いで勢力を拡大しておりますが、それでも潜在的な敵は多く存在します。領地を治めるにはやはり長い目で見る必要があり、地元民からの反発は避けられませんから」
「伴天連が我が物顔で闊歩するのも面白くねえだろうしな。ソテロにゃあ世話になっているが、どうにも移植してくる南蛮人はいけ好かねえ」
「確かにその事も大きな要因となってはいますな。傲岸に振る舞う南蛮人に憤慨し、諍いが絶えないと部下からも報告を受けておりますぞ」
「分かってるよ。俺にも嫌って程苦情が来てらぁ」
政宗の言葉に同意して意見して見せたのは老年にさしかかろうとしている男―――鬼庭良直だ。
皆からは左月と呼ばれ、古くから伊達家を支える重臣の一人である。
彼は元々今の伴天連頼りになりつつある伊達家をよく思っていないこともあり、ことある毎に政宗へ諌言をしていた事もあり、苦々しさを隠せない。
現在伊達家は伴天連からの物資提供や情報によって成り立っていると言っても良い状況下にある。
そしてそれは若くして家督を継いだ政宗からの方針であり、良直を初めとした古くからの重臣には早すぎる変革であり、上意によって耐えがたきを耐える日々を送らせる結果となっている。
それを知りながらも政宗は方針を貫き通していた。
全ては先を見越したからこその方針ではあるが、そのやり方は賛否両論となっており、諍いの元として伊達家では口にすることはタブー視されていることでもあった。
確かに利益を得て勢力を広げる現状。
南蛮からの技術によって豊かになる生活。
だがその反面、南蛮人の専横を許し、伊達家の領内では我が物顔で横暴に振る舞う異国人の姿が日常となりつつあった。
教えを広めるだけならまだしも許せるが、人を人とも思わぬ、まるで奴隷を扱うような態度には流石の政宗も問題視せざるを得ない。
何かを得ようとすれば、何かを失うことを覚悟しなければならないと自分に言い聞かせてはいるが、元来他者の下に治まるような器ではない政宗。
良直の諌言を五月蠅く思いながらも、それに最も共感しているのも政宗なのである。
「左月、お前の言いたいことも分かるが、今はまだ時期じゃない。気に入らねえが、それでも使える奴等だ。いずれそういう糞南蛮人どもは事が済み次第必ず叩きだしてやるからよ。だからお前も今は堪えちゃくれねえか」
「……若殿がそう仰るのであれば」
渋々と言った様子ではあるが、一応の納得をみせる良直。
そんな重臣に心の中で政宗は詫びながら話を変えることにした。
「そういえば北は今どうなってる? 葛西の残党の動きは?」
先日、伊達家は葛西家を攻め滅ぼしていた。
葛西家は奥州では大大名として君臨していたため、その影響力は周辺諸国にも関わってくる。
当主であった葛西晴信は切腹し、葛西家は事実上滅亡してはいるが、親類縁者が縁戚によってどの家にも少なからず存在し、血は繋がれているのだ。
葛西家の残党がその縁故で庇護を求めている現状である。
兵がいなくなるのはまだ構わない。
穴埋めとして、気に入らないが南蛮人が寄越す奴隷を駆使すれば農作物などに対する影響は最小限で抑えられる。
ただ実力ある将の流出は避けたいところだ。
急激に領地を広げる伊達家は慢性的な人を纏める事の出来る将の不足に陥り始めている。
少しでも優秀な人材は登用しておきたいところなのだ。
そんな政宗の問いに景綱が答える。
「先日、ようやく柏山明吉が伊達に恭順したことにより、その影響か伊達家への士官に応じる者も出始めております。数はまだ少ないですが良い兆候と言えるでしょう」
「そうか」
柏山家は葛西家で随一の力を誇っていた家だ。
当然その影響は大きい。
伊達家への恭順は困難を極めたが、政宗自身までもがその力を必要とし、何度も面会し説得したことで、柏山当主である柏山明吉の矜持を満足させ、恭順へと傾いたのだ。
政宗の風評は今や最悪に等しいが、実際あって会話を交わせばその人柄の印象は変わる。
政宗自身の器の大きさもさることながら、人を妙に引きつける魅力を持っているのである。
それはカリスマ性と言い換えても良いのかも知れない。
人の上に確かな能力と器、カリスマ性を伊達政宗は有しており、だからこそその方針に納得が出来ずとも付き従う者が多いのだろう。
まだ20歳に満たないが、既にこの戦国の時代で堂々たる勢力を誇るに相応しい器量を示していたのである。
「そういう事なら柏山には褒美をくれてやらねばならないな。そういえば最近、月山寛安の月山物を買い付けたな。ちと惜しいがそれをくれてやるか。流石に髭切は手放せねえからよ」
「お、あの名刀を? 随分と執着してたのに譲ってもいいんですかい?」
宗時の言葉に、政宗は苦笑して、
「それだけの事をしたってことだ。ヤツが下ることにはそれだけの影響がある。それにこの期に印象を改めさせるには吝嗇っていうのはちと不味いからな。それで恩なり義理なりを買えるなら安いもんだ」
月山寛安。
出羽国月山を拠点とした月山一派の刀匠の一人で、その腕は室町から続く名刀を造り出した月山の歴代刀匠にも勝るに劣らぬといわれている。
その中でも選りすぐりの名刀を政宗自ら目利きし、買い付けた逸品だ。
月山物特有の線杉肌が美しく、吸い込まれるような直刃の刀身は政宗をして息を呑ませるほどだであり、刀に目がない政宗からすれば、破格の褒美であった。
そして髭切は最上家に先祖代々受け継がれてきた名刀中の名刀である。
鬼切丸とも呼ばれ古くは源頼朝、北条貞時、新田義貞等、その時代の時の人が所有したと言われ、最上家の家宝であった。
政宗は最上家の当主であった義光とは縁戚であり、叔父、甥の関係である。
しかし政宗は最上を侵略し下す。
母の助命嘆願もあり命までは奪わなかったが、当主を長男の義康に譲らせ、本人は軟禁させている。
その目に服従を良しとしない野心を見た政宗は、必ず将来反旗を翻すと確信を持ったのだ。
最上家は伊達家へ併呑される形となり、最早形骸化の一途をたどっている。
その折に財宝は没収。
髭切はその中に存在したのである。
酷く気に入った政宗は自身のの凪刀として、今は腰に下げられていた。
「これで葛西が落ち着いたら次はいよいよ南部か」
南部家は陸奥の武家で、本姓は源氏である。
歴史ある名家であり、奥州においておそらく最大の国力を誇る国だ。
その配下には北信愛、九戸実親、九戸政実、八戸政栄と名だたる武将が揃っており、大きさ、質ともに奥州の大大名である。
実際は南部晴政、信直が対立し家中が割れる所だったが、皮肉なことに奥州で一大勢力誇っていた最上家、葛西家が伊達家に併呑されると言う事態に、身内争いをしている場合ではないという意見で両者が和解。
その上、その危険性に気付いていた安東愛季が謀反を起こし独立した津軽為信と南部晴政に仲介役として入り、安東、津軽、南部は対伊達戦線として同盟を組んだのである。
知恵の回る津軽為信はあえて南部晴政に下手に出ることにより、その顔を立て南部家主導の三国同盟とすることでより結束を強くする。
時勢を読むことに長ける津軽為信は自領を戦場にしない、仲介の安東に借りを作るという打算と謀略ではあったが、それでも今の伊達家に匹敵するだけの力を持つことに成功したのである。
そしてそれは伊達にとって大きな脅威となっていた。
なぜなら南部は政宗にとって通過点であり、本当に敵は上杉武田、そして織田家なのである。
ここで国力を疲弊させ南への侵攻が遅れれば、その猶予に織田家はますます領土を拡大し、勢力を増すだろう。
上杉武田もより纏まり、最悪織田と上杉武田が協力するという恐れすら可能性としては存在するのだ。
伊達家は今、順調に勢力を拡大しているように見えるが、このままでは頭打ちになると言うことを政宗は理解していた。
だからこその伴天連であり、方針の急転なのである。
政宗は内心を悟られぬように、一つ息を吐き、
「ソテロに付かせてる常長に物資の件を急がせろ。届き次第即急に片をつける」
「承知いたしました」
「ああ」
景綱の返事に頷いて返す。
そして静かに目を閉じ、その考えに没頭し始めた。
上杉武田、そして織田。
いや、政宗がこだわっているのは織田家―――織田信長である。
楽市楽座。
関の撤廃。
堺という貿易港や大津、草津を抑え国内貿易による経済の活性化。
そのための道路整備。
貨幣の価値の均一化。
それを背景とした金で雇うという兵の職業化、種子島の量産。
数え始めれば切りがないほどの政治手腕だ。
政宗は戦の強いだけの上杉武田はさほど恐れるものではないと思っている。
結局戦は数で決まるという事を理解しているからだ。
一時10000に1000が勝ったとしても、次に20000が30000が次々に押し寄せてきたら?
従来の戦は弓で射て、槍で突き、騎馬で押し寄せると言う物だった。
それには熟練が必要であり、一朝一夕ではなしえない。
だが種子島は違う。
何も技術を持たない新兵が熟練兵をいとも簡単に屠ることが可能なのだ。
そんなすぐに用意できる目減りしない戦力を信長は可能にしている。
それが戦においてどれだけの優位を保てるのか政宗は理解していた。
否、理解できてしまった。
もし上杉と手を組むことになったら、それが伊達家へ襲いかかってくるのだ。
北条、徳川すらも参戦してくるかも知れない。
今ならまだ毛利、長宗我部、本願寺などと戦火を交えているため兵力が分散されている。
その間になんとしても奥州を基盤とした経済流通、陸路は無理でも貿易港を数多く抑えれば可能性はある。
そのための伴天連であり、南蛮人だ。
(安定した物資供給と南蛮の技術……それさえ手に入れば用はねぇ)
伴天連を追い出したところで結局流通を行うのは商売人だ。
コネをつくって確立してしまえば、伴天連抜きでも交易は可能なのだ。
宗教と商売しているわけではないのだから。
政宗は遠くない未来に思いを馳せながら、どうしたらそれを現実に出来るのかを繰り返し頭の中で思い描くのだった。




