第六十五話 上杉謙信と長尾景虎、軍神も人の親であり軍神の子もまた一人の女性である
信長の野望201xコラボ第二弾が明日までです!
さあ、開眼餌にするか覇王の盟友を移植して肉壁を厚くするんだ!(使えとは言わない
―――上杉家視点
「ご苦労であったな、虎」
「いえ、とんでありません」
「弥太郎も護衛をよく勤めてくれた。虎は女だてらに無闇と行動力のある女丈夫だ。大変だったであろう」
「……父上」
「その様なことは。虎様は聡明であり、使者として如才なく凜としておられました。むしろ某の方がこのような場では無力非才。お役に立つことが少なく面目次第もありませんでした」
「ふふ、弥太郎は生粋の武辺者であるからな。むしろ慣れぬ他国への使者の護衛などと言う役目を任せてしまい、お主にはいらぬ気遣いをさせたことと思う」
「何を仰いますか。虎様は謙信様唯一の血を繋がれるご息女にございます。かような姫に傷でもつけばと一大事。使者に向かわれると聞き、願って同行を願い出たのは某にありますれば」
「お主も律儀者よな。幼少期からの守り役とはいえそこまで忠義立てすることもあるまいに」
「いえ、虎様はご立派に成長なされ、最早この老骨の手を離れ独り立ちしております。兵を率いる武将としては勿論、使者としても毅然とされ、かの織田家の武の一文字相手にも臆することなく接しておられました」
「ふむ、そうか……」
時間は人を眠りに誘うであろう、暗闇に浮かぶ月の映える夜。
とある一室で、上座には壮年の男性―――上杉謙信が座しており、下座には長く艶やかな黒い髪を下ろした妙齢の虎と呼ばれた女性―――長尾景虎、その隣に小島貞興が並び、顔を合わせ言葉を交わしていた。
越後国春日山城。
永正4年1507年、越後国守護代であった長尾為景が上杉定実を擁立して守護上杉房能を打倒するため、越後国守護である上杉氏が越後府中の館の詰め城として築城したのが始まりとされており、春日山山頂に築かれた天然の要害を持つ難攻不落の城である。
山中には春日山城と支城・砦を結ぶ軍事用道路が存在しており、防衛施設としてその攻略は至難と言われている。
山頂部に本丸、そのすぐ西に天守台を置くが、天守閣は存在しない。
雪や落雷を避けるためという理由もあるが、そもそも天守閣というのは防衛機能に寄与するものではなく、天守台にある物見櫓を権威の象徴としたのが天守閣であり、見栄え、財力などの誇示という性格が大きい。
時の築城主である長尾為景は、軍才の誉れ高い人物で、質実剛健を旨とする人物でもあった。
城とはあくまで地域支配と侵攻に対抗するための拠点であり、無駄な装飾による誇示を必要としなかったためだと言われている。
そして代が変わり、今まさに戦国において義を貫く上杉謙信の居城として使用されているのである。
「して、交渉はどうであった」
謙信がそう話を切り出すと、弥太郎の過剰なまでの美辞麗句に若干閉口し瞑目していた景虎は、ここぞとばかりに言葉を重ねた。
「織田家、上杉武田との和議は残念ながら不成立に終わりました。しかし武の一文字―――平手久秀殿は伴天連の危険を察したのか、内密に交渉を持ち、時期を見て再交渉の場を設けること、情報の交換、共有を約束してくださりました」
「ほお……そういう判断をするか、面白い」
謙信は景虎の報告に驚きとも感嘆とも取れる声をあげる。
普段冷静であまり感情を表情に出さない謙信にすれば珍しい仕草だった。
珍しい父の姿に景虎は軽い驚きと興味を覚えたが、しかし今は家族として時を同じくしているわけではない。
景虎は心の中で息を吐き、久秀とあの夜に交わした約定を謙信に伝えていく。
謙信はその報告を受けると一つ頷き、問題はないと判断を下し、そう景虎に返答した。
もともと一向宗を使い一向一揆を越前に起こしたのは、謙信の本意ではない。
武田家からの献策を謙信が承認した形だが、義に厚い謙信にとっては内心快くは思っていなかった。
しかし、今上杉家と武田家は家名を共にする程の積極さでお互いの融和を図っている最中であり、謙信の個人的感情はそこに優先されない。
効果的な作戦であることは確かであるため、譲歩するという気持ちでその案に頷いたのだ。
その背景を考えれば一向宗の沈静化は謙信にとっても望むところであった。
そんな内心を察していたからこそ景虎は久秀との約定に加えたのかもしれない。
景虎は謙信の内心を感じ取りながら話を続けた。
「私から見た平手久秀殿は、世に言われる勇猛果敢で平手家を織田家随一の武家へとのし上げた尚武に傾倒する人物であるという風評とは異なり、むしろ慎重に事を運び、争いをできる限り回避しようとする人柄だと感じました。後は戦国の世にあって珍しく功名心、出世欲などの自己の欲求に関心のない、あるいは強い自制心も持つ人だとも」
謙信から久秀の印象を聞かれた景虎は、正直にその印象を口にする。
改めて考えれば景虎にとって平手久秀とは本当に不思議な人物であった。
行動と性格がまさに真逆であり、その上、禁欲的なのである。
深夜二人きりの一室で肌をさらけ出した時は、むしろ此方が驚くほど慌てふためいていた。
その姿は子供のようで勇名を馳せる武の一文字とはかけ離れたものだったからだ。
男を知らない景虎は、性に対しては無知に等しい。
ただ据え膳食わねばという言葉があるため、自身の体を交渉に用いるだけの材料になるだろうと判断したのだが、どうやらそれは人によるものらしい、とあの夜景虎は学んだのだった。
そしてそれを好ましいと感じたことも。
「争いを避け、功名心のなき男があれほどの戦果を得る、か」
景虎の内心を知る由のない謙信はそう言って頷く。
性格と戦果の乖離は謙信も不思議に感じたようである。
「本人の御気性はまず間違いなく。しかし素質はまた別と言うことなのでしょう。顔を合わせ実際に会話を交わした私からすれば、戦場で身の丈を超える大槍を振るい、誰よりも矢面に立って兵を鼓舞し、畏怖と敬意を持って武の一文字と称される人物とは思えませんでした」
「ふむ……」
景虎の語る久秀の人物像はことのほか謙信の興味を引いたのか、目線で続きを促した。
「しかし臣下には笹の才蔵と槍の又座、新陰流の柳生石舟斉と異名を誇る豪傑が揃っており、なによりあの真田幸隆殿と互角に渡り合い、ついには敗北を刻んだ稀代の軍師竹中重治殿がおられます。それを纏めているのは間違いなく久秀殿であり、今もなお平手家臣団の団結は揺るぎない。それはこの目で見て確かに感じました」
「そうか……だが、平手の家臣団にはかの乱世の梟雄、松永弾正もいたはずだが、平手久秀という人物は上手く御していたのか?」
謙信の問いに景虎は頷いた。
「御しているという言葉が正しいのかはわかりませんが、自ら進んで平手家の御伽衆を勤めているのは確かなようです。むしろ久秀殿――いえ、平手久秀殿の方が御されている印象も受けましたが……そうですね、あえて例えるなら友人と言う言葉が一番近いかと」
「ほう……あの梟雄と」
松永弾正久秀。
三好長慶に仕えその辣腕を振るい、悪行によって世を騒がせた乱世の梟雄。
裏切り、謀略などは当たり前であり、そんな人物を家臣に迎え友人関係を築いたという平手久秀。
謙信は興味を引かれたように唸る。
「宴席では楽しそうに杯を交わしておりました。余人の知らぬ二人の縁があるのでしょう。正直に申しますと、私にはあの悪名を馳せた弾正とはとても思えない好々爺にしか見えませんでした」
その宴席の場では弾正だけでなく、誰もが久秀に親しく接していた。
そこには家臣という枠ではなく、家族のような関係を築いていたのだ。
そしてその器を作ったのは間違いなく久秀であり、それこそが彼の培ってきたモノの本質なのかも知れない。
「……人には様々な一面があるという。もしかしたらお前の見た弾正こそが本当の松永久秀という人物だったのかもしれんな」
人は善性だけでなく悪性も併せ持つ。
どちらが本当でどちらが偽りという訳でなく、どちらも等しく人が持つ性である。
景虎の見た弾正は、まさにそれを表していたのだろうか。
答えの出ない問いかけを景虎は一乗谷城での出来事に思うのだった。
「そうか……」
景虎の一頻り話しを聞いた謙信はそう一言口にした後、
「お前の見た平手久秀という男は一廉の人物のようだ。それならばその男が仕えているという織田信長もまた、そういう人物であると思いたいものだ」
「信長公は過剰なまでの戦力を彼に委ねています。人を見る目があるというのは間違いないでしょう」
下克上が当たり前のこの時代。
部下に戦力を与えすぎればどうなるのか。
それが分からない信長ではないはずだ。
「正直、伴天連の宣教師を遇し、南蛮かぶれだという噂から危険性を感じていたのだが、その様な人物が織田家に仕え、重用されているのなら伊達家のようなことにはならないか。いや、むしろ楔として確かな一手を打っておくべきか」
「と、言いますと?」
「お前も織田家に危険性を感じていたからこそ、自ら和議の使者となって確かめようとしたのだろう? もし危険な相手だと判断すれば、自らを礎にする覚悟を持ってその役目を担ったはずだ」
「それ、は……」
実は景虎は織田家と伊達家をどこか同一視している部分があった。
伴天連に国を売り渡し、異国の侵略を招き日本人による統治を揺るがすのではないかという危険性。
伴天連贔屓という印象が、日本の民を植民地の奴隷にしてしまう最悪の未来を織田家が引き起こす可能性を否定できなかったためだ。
今や強大な勢力を持つ織田家。
そしてそれに追随し、勢力を広げはじめている伊達家。
だからこそ織田家内で影響力を持つ平手久秀を籠絡し、内部から危険性を是正、または排除していく。
そのためならどんな男にだって身を捧げることも厭わない覚悟だった。
女の身を憂う時期もあったが、その事が逆に武器になるのなら景虎は躊躇わない。
後の世に悪女の汚名を残そうが、それこそが後の世のため。
謙信はそんな娘の覚悟を見抜いていたのである。
「しかしお前の話を聞けば、平手久秀はお前の目に叶ったのだろう? 奴への好感は話ごしによく伝わってきた。ならば犠牲という覚悟も必要はない。少しでも好いた男に嫁ぐのなら親としても喜ばしいことでもある。少しは粉をかけてきたのだろう?」
「―――!?」
「段蔵が笑いながら言っておったわ。姫も女性だったようです、とな」
「………っ! 段蔵!!」
姿を見せてはいないが話を聞いているだろう段蔵に、景虎が叱責の声を上げる。
その顔は今この時間、月明かりの下でも分かるほど紅潮していた。
飛び加藤こと、加藤段蔵は小島貞興と共に一乗谷城へ使者として向かう景虎の護衛として同行していたのだ。
表向きは小島貞興が、加藤段蔵は陰ながら景虎を護衛。
当初は敵意がない証として一人で向かうと景虎は主張していたが、いくら独り立ちをしたとは言え謙信の娘を一人で向かわせるわけには行かない。
小島貞興が景虎をどうにか説得する形で護衛に付いたのである。
そんな背景もあり、護衛は小島貞興一人と思っていた景虎は、あの久秀と会談した夜の一室の出来事を完全に二人だけだと思い込んでおり、だからこその交渉術であった。
そしてそれを段蔵は見ていたのである。
男女の仲に詳しくない景虎は気付いていないが、あれは久秀への信頼があってこそできる交渉だと段蔵は判断していた。
景虎は打算あっての事だと思っているようだが、元来信仰心が深く貞操観念が人一倍強い景虎は、いままで異性として男を側に寄せたことがない。
深夜の会見に応じる時点で、久秀をある程度人として信用していたのである。
確かに自分を強く意識させる為の手段としては最良に近いが、誘っても久秀なら欲望を律するだろうという思いがあったのだろう。
だが逆を言えば、応じても身を任せるにやぶさかではないからこそ出来る事でもあった。
本当に嫌ならしなければ良いだけの話で、その時点では既に交渉は纏まりかけていたのだ。
景虎の女性としての一面が諧謔としてその手段を用い、後の関係性において上手に立ちたいという男女間の駆け引きとしての手法だったと段蔵は理解していた。
だからこそ謙信への報告としての感想がそれなのである。
声を荒げ、見たことのない表情を見せる娘に対し、謙信は気付かれぬように口角を上げた。
(平手久秀か……一度会って話をしたいものだ)
窓から差す月明かりが、やけに色鮮やかに映える。
この場に酒精があればさぞかし良い肴になったことだろう。
謙信はその事を惜しみつつ静かに瞑目するのだった。




