第六十四話 越前交渉 その後
今回は少し短いです。
元亀2年(1573年)
越前会議は表上破談。
使者である長尾景虎、小島貞興が帰路につく
「こうして平手久秀様自らお見送りをして戴けるとは、望外の喜びです。お忙しい身でありましょうに」
「いや、景虎殿は此方にとって得がたい情報をもたらしてくれたからな。結局今回も破談となってしまったが……」
「交渉事に失敗はつきものでございます。しかしこうして交渉の場を得て久秀様と縁を結べた事、後の財産となりましょう」
そう言って、景虎がころころと笑う。
今は髪を上げて男装しているものの、やはり本質を知っていると、ハッとさせられるな。
何とはない世間話を交えて会話を続ける。
そしてふと、会話が途切れたその時、景虎の顔が真顔になり、此方を見据える。
若干身を寄せ、声色を落とし、
「……久秀様。例の件、どうかお願いいたします」
「ああ、確約はできないがアイツも話が分からない奴じゃない。とりあえず話だけでも通しておくさ」
「はい、ありがとうございます」
その言葉を聞けて満足したのか、景虎はすっと身を離し、深々とお辞儀をした後、一乗谷城を小島貞興と共に去って行った。
俺はその姿をなんといえない気持ちで見送るのだった。
『………………』
そんなドラマのワンシーンのような美しい別れのシーンであるはずなのに、周りの皆の視線が妙に痛い。
なんというかお前やっちゃったな? っていう避難囂々といった視線であった。
「な、なんだよ?」
俺はたまらずその視線を送る奴らに対し、言いたいことがあるなら言えという意味を込めて、向き合った。
「いえ、特には。ただ、お市様にはどのように説明をなさるのかと」
「父上……俺は悲しいです」
「まあ男というのは誰しもそう言った感情に流されてしまいがちですがなぁ。しかし一時の感情とは言え相手は謙信公の娘。責任は取らねばなりますまいな」
「ちょ!? いやまて! お前等勘違いしてるだろ!」
半兵衛達の避難するような視線に、身に覚えのない俺は慌ててその疑惑の払拭にかかる。
此奴ら、絶対に勘違いしてるな!?
「俺はもう40だぞ? それに、できた嫁さんとかわいい娘、息子が4人もいるんだ。今更女性関係をとやかくするわけがないだろうが」
手を広げ、首を横に振ってやれやれと言ったジェスチャーしてみせる。
俺は潔白だと。
何一つやましいことなどしていないと。
『………』
だがそんな俺の誠意あふれる対応に、未だ納得しかねてないのか、未だに疑いの目で俺を見る半兵衛達。
いや、若干一名面白そうに顎髭を撫でているジジイもいるが。
非情に殴りたくなる顔でニヤニヤしているが、今この場で大切なのは身の潔白を証明することだろう。
「氏郷。俺が今まで女性関係で揉めたことがあったか? 理想的なまでの夫を務めてきたのをお前が一番良く知っているだろう?」
俺は努めて冷静に氏郷へ諭すように問いかけた。
初関係では辛く当たった事もあったが、一番身近にいて、俺の背中を見てきた氏郷なら、俺の潔白を信じてくれるに違いない。
だが氏郷は、
「俺は今まで父上の家族に対する思いは、この時代にあって誰よりも誠実であると信じていました。それが……こんな……! 俺は母上と初になんて言えばいいのか……!」
「アホかぁ!! 何もなかったって言ってるだろうが!!」
「……本当に? 本当に何もなかったと、そう仰るのですか?」
「……うっ」
氏郷の言葉に、返答に詰まってしまう俺。
その様子を見た氏郷は、やはり、とため息を吐いた。
あの密会と言えば良いのか、宴席後の非公式の話し合いで、俺は景虎に指一本触れてはいないのは間違いない事実だ。
だが何もなかったかと言われると素直に頷きがたいところではある。
深夜、二人で一室に籠もり、しかも景虎が着物を脱いで素肌を晒したというのも事実であるからだ。
当然俺は何もしなかったが、見るものは見てしまったわけで。
しかしそれを言おうにも景虎が自分に身を交渉に使ってきたなんて事は、景虎の風評に大きく関わってくる。
未婚の女性が自ら異性の前で肌を晒したなんていうのはいくら何でも聞こえが悪すぎるためだ。
景虎の今後を考えれば流石にそんなことは言えない。
冗談抜きに将来に関わってしまいかねない事が分かっているため、俺も下手なことが言えないのである。
もしかしてそれを狙ってあんな行為に出たのか、とすら感じられ、俺はしばらくの間、疑いの視線に晒されることになったのであった。
あの非公式の交渉で決まったことは信長にこの事をについて話を通しておく、継続的な手紙のやりとりで情報交換を行う。
徳川、北条との戦が終わり、問題がなくなった時点でもう一度話し合いの機会を作ること。
越前における一向一揆をそれまでの間は起こさない。
概ねはそんな内容である。
信長は今はルイス・フロイスを仲介として様々な貿易を行っているが、元々宗教に関しては懐疑的であり、政治に口を挟まない宗教には寛容だが、政治に口を挟む宗教には弾圧的である。
もし伴天連がそんな行為に出たとしたら対立することはまず間違いない。
しかし物事を本質的に捉えることができる信長でも、南蛮貿易によっての利益も考えなければならないため、その折衝は非常に難しいものになるだろう。
今織田家がこの時代で優勢を保っていられるのは経済によって生まれる利益によるものが大きい。
種子島はその最たるものであり、使用するためには大量の硝石を必要とする。
それは南蛮貿易によって得られるものだ。
日本という国は資源の乏しい島国であり、硝石は産出しない。
どうにか日本でも硝石だけでも精製することがができればまた違ってくるんだろうが。
「はあ……もう少し科学を勉強しておくんだったかな」
そんなことをぼやいても後の祭りである。
とりあえず俺は、当面の約定を果たすべく、今回の件についての報告を記した手紙を信長に送るのであった。




