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第六十一話 越前交渉 その参

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 衝撃で言葉を失うというのは言葉では知っていても体験するのは初めてかもしれない。

 いや、今までも娘の嫁入り等で驚きはあったが本当に予想すらしていないことが現実に起こると、何も思い浮かばず目を丸くするというか。

 どう伝えれば良いのか、それすら分からない。

 そんな俺を端から見ると、


「久秀殿、そのように女子を凝視するものではないですぞ? 見るなら愛でるように、慈しみを持って見つめねば。書にも記しておるように、女子は殊の外気持ち、雰囲気を重視する傾向があり、まず己の野生を―――」


「その書の話はもういいっての!」


 弾正の鉄板ネタに思わず突っ込みを入れてしまった。

 どんなときでも習慣というのは出てしまうようだ。

 俺…いや、平手家は結構な頻度で評定という名の飲み会、最近はお茶会も場合もあるが、家臣達と顔を合わせ話をすることは文字通り日常茶飯事である。

 弾正とお茶、酒を飲み交わすとき、決まって話のネタは、弾正の茶道に関する話題や書の充実に関するものが多い。

 そんなとき決まって弾正に突っ込むのが俺であり、一種のお決まりのようなものであった。


「………」


 そんな身内ネタが目の前の男――ではなく女子だったらしいが――通じるわけもなく、いつの間にか顔を上げていたのか、きょとんとした表情を浮かべていた。


「あ……。ああ、ゴホン…すまない、少し驚いてしまってな。気を悪くされたか?」


 誤魔化すようにそう繕うと、


「いえ、驚くのも無理はないでしょう。むしろ此方こそ謝罪をせねばなりません。事情があるとは言え性別を偽り、久秀様を欺いていたことには違いないのですから」


「……そうか。しかし流石に驚かされたな。その、虎殿…でいいのだろうか?」


 目の前の女性をどう呼んでいいかわからず、とりあえず隣にいる小島貞興がそう呼んでいたため、俺もそれに倣い呼称した。

 すると、困ったように苦笑いをうかべ、


「どうぞ今までのように長尾景虎とお呼びください。偽りを申していたのではなく、実際今の私は長尾家の当主としての身分には間違いありませんので」


「なるほど。では景虎殿と呼ばせて貰おう」


 俺の言葉に軽く頷き、肯定の意を示す景虎。

 しかし髪を下ろしただけでまるで別人のように見えるから不思議なものだ。

 凜として佇むその姿は静謐さを感じさせはするものの冷たいという印象ではなく、神聖さのようなものが含まれている。

 上杉謙信の娘と言っていたが、もしそれが本当だとして、こんな雰囲気を本人が纏っていたら、確かに周りは毘沙門天の生まれ変わりという謙信の言葉に信憑性を感じ信じてしまうかもしれない。

 ただでさえ信心深いこの世の中だ。

 一向宗のように命を捨てるような事を平気で行える者さえいる。

 科学が発達した現代にも狂信者というのはいたし、そういう人ではない何かと言うモノというのは案外俺が思っている以上に影響力を持っているのかもしれない。


「……なんというか聞きたいことは色々あるんだがな。まずは上杉謙信公の娘とおっしゃっていたが、それは本当なのか?」


 本当に聞きたいことは山ほどあるんだが、とりあえず一番聞きたいことを聞いてみることにした。


 上杉謙信。

 越後の龍と言われ戦をさせれば負けを知らず、軍神とまで称された戦国時代最強の武人の一人である。

 その用兵はまさに神懸かっており、強烈なカリスマ性もった天才で、自らを毘沙門天の生まれ変わりだと信じて疑わないその武勇は確かに根拠するには十分な実績と言えるだろう。

 後の世にまで伝わる逸話は数多く、兵を率いれば敵の矢には絶対当たらないと信じ切って先頭をきって駆けていくことにより、電光石火の機動力を誇っていたという。

 有名なところでは川中島の戦いで武田信玄相手に本陣を急襲し、信玄の軍配に太刀を浴びせた事など戦に関しての逸話は数え切れないほどだ。

 しかしその苛烈な用兵家としての一面とは逆に、非常に慈悲深く民を愛し、信義に厚く、人を裏切ることのない誠実な人柄の持ち主といわれており、村上義清が北信濃を武田信玄に奪われ、上杉謙信に助力を求めた事が発端となり、義によって幾度も戦火を交えている。

 その戦国武将としてのあり方は当時、下克上などが当たり前の時代では珍しく清廉潔白を地で行くものであったが、信仰故か生涯不犯を貫き、自らの血を繋げることをしなかったという。

 その後、跡継ぎを巡って内乱が起こってしまったのだが、本人としては信仰に生涯を捧げた人生だったのだろう。

 と、長々と語ってしまったが、俺の中の上杉謙信とはそういう人物なのである。

 そんな人物の娘というのだから、景虎の存在に今ここにいる誰よりも驚いているに違いない。


「はい、私は上杉謙信の実子になります。詳しいことは流石に申せませんが、血を継いでいるのは確かなようです」


「確かな『よう』? ……まあ、あまりそう言ったことに関しては詮索することではないかもしれないな」


「ご配慮戴き感謝いたします」


 そう言って薄く口角を上げ微笑む景虎。

 しかしあれだな。

 性別が違うと分かるだけで印象というのはこうも違って見えるものなのか。

 着ている服は男性用に誂えた袴だが、逆にそれが彼女の清廉さを際立てているというか。

 正直、今まであった仲で一番整った顔立ちをした美人かもしれない。

 とはいえ親子ほども離れているだろうし、俺ももう良いおっさんだからな。


「そういえば以前宴席で景虎殿の武勇伝を聞いたが、この話の後なら、なるほどと頷けるな。謙信公譲りの軍才という訳か」


「………恐縮でございます」


 とは言っても戦場を馬で駆ける姿は想像が付かないが。

 これだけの器量なら、兵の士気もさぞ意気軒昂することだろう。

 小島貞興も敬っているようだし、話では本庄繁長も戦後は手放しで賞賛したらしいからな。

 

「さて…この話を続けたいところではあるが、まだ肝心の件が済んでいないからな」


 色々聞きたいことがあるためこの話にばかり執着するわけにはいかない。


「……そうですね、私の素性を明かしたのです。本来は謝罪をし、場を改めて機会を設けたいところですが。皆様方、混乱されているとは思いますが、本題に入らせて戴きます」


 言葉を句切り、景虎は顔を上げ話を続けた。


「まず初めに申し上げたいのは、上杉武田が織田家と和議を結びたいと考えていることは本当のことです。ただ、徳川、北条の両家に対して仲裁を申し出て戴きたいからという理由からではございません」


「ふむ……」


 弾正がしたりといった顔で頷く。

 その表情に驚きを浮かべないあたり、その事を察していたようだ。


「現状上杉武田と徳川、北条は拮抗状態にあり戦況は五分と言ったところ。先ほど弾正様がおっしゃったように仲裁を頼むなら時期を待つのが筋でしょう。確かに仲裁して戴けるのならそれに越したことはありませんが、必ずしも必要である状況ではなく、あわよくばという心算でした」


「なるほど。しかし実際共に戦った仲である俺からすれば武田は確かに地力があるが、徳川も決して負けてはいない。まして北条もいるのだからその勢力は侮れないと思うんだが」


「遠江には我が上杉から兵站だけでなく将兵も派兵しています。それに武田からは勝頼殿を初め高坂昌信殿、内藤昌豊殿……そして皆さんもその力をご存じかと思いますが真田幸隆殿。いずれも世に名を馳せた人物揃いです」


 真田幸隆という名前が出た瞬間、苦虫をかみつぶしたような顔をする奴が数名いた。

 確かにあの老人が軍配を握り、指揮を執っているのなら油断はできない。

 あの戦で勝ちを拾ったのは此方だが、運による要素が大きい。

 少し何かが違っただけで完封されていた可能性すらあるのだ。

 その証拠が皆のこの表情である。

 それだけの存在感を、真田幸隆は示していたという証拠に他ならない。

 かくいう俺も痛い目を見た張本人であり、未だに苦手意識が抜けないのだ。


「現当主の勝頼殿も、前当主信玄公の大きさに萎縮しながらも確実に武田という家を支え導くに足る器の持ち主であると私は思っております。言葉は悪くなりますが、徳川、北条との戦は新たな武田家を纏める為に良い経験となるとも捉えています」


「言いたいことは分かるが……あまり家康殿には面白くないだろうな」


 前線で戦っている将兵にとっては命を賭けた侵攻であり、戦なのだ。

 家のために領地を広げより豊かに、強くなろうとする家康殿ならなおさらである。

 俺の心境を理解したのか、景虎は苦笑を浮かべ、


「いずれ徳川殿や北条殿には和議の場で、相応の譲歩案は考えておりますので、その事によって溜飲を下げて戴くつもりです。上杉武田にとって少々の痛手にはなるでしょうが、今後を考えると遺恨を深くするのはお互いにとって為にはなりませんので」


「……まあ、そういう事なら俺に異論はないが。納得はしなくても理解はするさ。これまでの話を聞くと色々そちらにもあるみたいだしな」


「ご配慮感謝いたします」


「とはいえ流石にそちらに関しての仲裁は断らせて貰うがね。事は信玄公の侵略から始まった戦だ。なかなか難しい折衝になるだろうが……」


 俺の言葉に景虎は少し困ったような笑みをこぼす。

 この先の交渉を思ってのことだろう。

 信玄が切り取った領地の返還くらいは譲歩してほしいものだが、今俺がここで考えることではないだろう。

 徳川の知恵袋の本多正信殿は相当のやり手だ。

 武田家との関係を調整しながら上手くやってくれるはずだしな。


「いずれにしろこの件はもう少し先の話になるでしょう。今回話すべきは他にあるのです」


 そう切り出した景虎は隣に座る小島貞興に一つ頷くと、


「これから話すことは、できればこの場にいる皆様、そして織田信長様の胸の内だけにして戴きたく思います。下手に話を広げてしまえば取り返しの付かない事になってしまう恐れがあるため、慎重に事を進める必要があるますので」


「………確約はできないが、善処はしよう。俺はともかく信長がどう考えるかは分からないからな」


 アイツは合理主義者だから、黙っていることに利があれば黙っているだろう。

 逆に利用できれば吹聴して回る可能性は否定できない。

 本当に面倒くさいぐらい極端な性格だからな。

 その事を伝えると景虎殿は、事ここに至ってはしかたないと割り切り、話を続けた。


「皆様は伴天連という存在をご存じでしょうか?」


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