第五十八話 一向一揆、無宗教は実は宗教なのかもしれない
「はぁぁっ!!」
裂帛の気合いと供に、俺は手に持つ武一文字を横になぎ払った。
兵が密集している部分を狙ったため、多くの兵を槍でなぎ倒すと、側にいた兵も連鎖してその勢いに飲まれ倒されていく。
決して少なくない数の兵を叩いているのだが、相対する兵達の士気は下がることなく、それしか知らないと言わんばかりに前進を繰り返してきている。
「くそ、なんて鬱陶しい!!」
いや、実際にそれしか知らないのだろう
なにせ、今俺が戦っている相手は大名の傘下にある正規兵や訓練を受けた半農半士ではない。
本来は守るべきはずの人達であり、戦う術を持たぬはずの農民達なのである。
「伝令! 右翼を率いる氏郷隊が敵左翼を崩しました! 一部の部隊は退却を始めている模様! この混乱に乗じて追撃を行うかの判断を求むとの由!」
「氏郷が? あいつの隊は鉄砲を主にした騎馬隊だったか。流石にあの爆音と得体の知れない兵器には仏の心も届かなかったようだな。追撃は無用だと伝えろ! 相手は農民だ、いたずらに命を奪うことはないだろう!」
「はっ!」
伝令兵が立ち上がり、走り出す背中を確認してから、俺は大きくため息をついた。
「……ふぅ、これで一応勝敗は決したか」
比較的小規模ではあったが戦が終わりに近づいているのを感じ、心に安堵が宿る。
一向宗による一揆が起きたという知らせを受けた俺は、すぐさま動かせる範囲での兵を集め鎮圧へと向かっていた。
戦後処理により兵を多く裂いている中での出来事だったため、動員できる兵数は少なかったものの、訓練を受けていない、ましてや戦争経験すらない農民相手には負けはしない。
それでも少なくない兵を割かねばならず、更にはそれを率いる将も使わなければならない。
早いうちに越前を平定したい俺としては頭の痛い出来事だった。
「初めてもらった領地だしなぁ、あんまり国人衆に悪感情を持たれたくないし……それに上杉武田の動向も気になるしなぁ」
越前を平定するためには国人衆の協力は不可欠だ。
国人衆―――豪族だの地方の有力者だの、国を治めるためにはそういった実力者に敵対心を持たれるわけにはいかない。
だからこそ俺の大事な知恵袋達である藤孝や秀長を派遣しているわけだが、あまり経過は順調ではないようだ。
こうやって一揆が起こっているくらいだしな。
しかし、何より気にしになくてはいけないのが、上杉武田の動向だろう。
和議の話を蹴った後、上杉武田は特にリアクションは起こさず、ただ一乗谷城にほど近い、美濃街道や北陸道に面した立地に砦を構え、更には築城をしようとする気配まであるという。
今現在織田は越前の最重要地の一条谷城を抑えているが、越前の北側とはいえ交通路を抑えるように城を築かれるとやっかいこの上ない。
その辺の交渉も和議を結べば、即座に破棄をして加賀の国境まで撤兵すると入っているのだが、その提案は既に信長がはねつけた後である。
状況を考えて妥当な判断なのだが、どうにも嫌な予感がしてならなかった。
「まいったな…」
俺にできる事は、頭をかきながらぼやくことだけであった。
元亀2年(1573年)
徳川家康より武田領切り取りの為の支援物資、援軍の要請が織田に届く。
「………援軍?」
その知らせを聞いた俺は首をかしげてしまった。
なぜなら武田信玄を討った後の武田領切り取りというのは、一種の追撃戦でもあるわけで、絶対的優勢の立場にいるからこそ行っているのだ。
そこに支援物資や援軍の要請というのはまた不可解な話であった。
「確かに妙な話ではあります。いくら上杉と同盟を組んだ武田とはいえ、徳川勢だけでなく北条も武田攻めに加わっているのですから、優勢は揺るぎない物だとばかり思っていましたが……」
秀長が頭を悩ませるようにうなる。
半兵衛や藤孝も同様なのか、困惑を見せているようだ。
「詳しいことは分かりませんが、思った以上に武田の反抗が厳しいと言うことなのでしょうか?」
「考えられるとしたらその可能性しかないのでしょうが……いや、しかし…」
氏郷の言葉に頷きながらも、どこか得心のいかないような半兵衛。
それはそうだろう。
この評定にいる全員がそう感じているはずだ。
「ふぅむ……そもそも援軍とはどういう意味の援軍なのか……」
「? というと?」
ここまで静かに口を閉ざしていた松永弾正が顎髭を扱くようにし、口を開く。
「援軍にも種類がありますからな。大きく分けて2つ。一つは敵に攻勢をかける際の戦力増強、二つ目は守勢を自軍でまかなえない防衛戦……可能性を言えば後者はまずあり得ない」
「……」
「なら必然的に前者になるわけですが、そうなる物資という言葉がひっかりますなぁ」
「どういうことだ?」
「現在徳川領は三河、遠江とそれなりに豊かな地。確かに近年戦が多く起こりましたが、物資が不足するほどとも考えられませぬ。となると予想外に物資を排出しなければならず、そしてそれによって物資も消費せざるを得なかった。もしくは焼かれたか奪われたか」
「……穏やかじゃないな。しかしそんなことが可能なのか?」
弾正の不穏な言葉に、だが妙に説得力の籠もった意見を無視することができなかった。
「儂はどうも最近暇なせいか余計なことを考えておりましてのう。昔取った杵柄と申しますか、まがりなりにも梟雄と呼ばれた性とも言えますが……」
「すまん、せかすようで悪いが、結論を急いでくれないか?」
「おお! 年を取ると話が長くなっていけませんな。最初に引っかかったのはなぜ上杉武田が越前にまで侵攻したのかと言うこと」
「………確かに尋常とは言えぬ進軍速度ではありました。しかし軍神と謳われた謙信公なら可能なのでは?」
戦に関して言えば、戦国時代に並ぶ者がないと後世でも称される戦の天才上杉謙信。
その生涯は諸説あるが、野戦における勝率は100%。
つまり無敗である。
あの武田信玄、北条氏康と戦って、だ。
北条氏康は武田信玄とは違い、武闘派のイメージはなく、内政を重視した人と捉えられがちだが、その基盤こそが強みであり、兵の動員数や、本人の戦に対しての気概、背中を向けず前だけを見ていたためについた傷、いわゆる向う傷―――『氏康傷』とも言われ、決して弱腰ではない勇猛な武将である。
河越夜戦と呼ばれる1万対8万の戦にも勝利しており、信長の桶狭間にも匹敵する快挙も成し遂げている。
そんな武田信玄と北条氏康を相手取って無敗というのは、いかに突出した戦の才能があったのかを物語っているだろう。
「ふむ、確かに謙信公ならば可能かもしれませんな。ではなぜ越中、能登、加賀に攻め入る必要があったのでしょうな?」
「……確かに」
「武田信玄が戦死して上杉武田として盟約を結ぶ。如何にも敵に塩を送る謙信公らしい。村上義清殿の要請によって、義を旨に川中島で4度も合戦をするほどのお方ですしのぅ。ならば今回仕掛けるべきは武田信玄の仇である織田であるべきだ」
「……では弾正殿は織田を討つために越中まで領土を広げたと? それは……」
「そう、おかしいのですよ」
弾正はそこまで言って区切り、ところから扇子を取り出し、手のひらに叩く。
「謙信公の性格であれば武田を受け入れることは難しい決断ではない。むしろらしいと言える。だが今回の進軍はどうしても腑に落ちない。なぜなら武田領には徳川と北条の手が伸びており、切り取られているのですぞ? なぜそこ派兵をしないのか? むしろ逆に越中に手を出したのか?」
手に持った扇子をもてあそびながら弾正は続けた。
「最も優先すべきは武田領の維持であり、少しでも兵が必要な中で他国へ派兵する『旨み』はなにか。よくよく考えたのですが一つしか浮かびませんでした。それは上杉武田という連合軍…いや、『家』の領地の確保。両家の混在することができる場所、折衝地が必要だった、これしかありませぬ」
「上杉武田の領地……」
「!? まさか弾正殿は上杉家でもなく武田家でもなく、上杉武田家という家として両家は興そうとしていると!?」
「いずれ、でしょうがのう。先ほどまで敵対していた家の兵を、自家の領地に通せますかな? 同盟が決まったとは言え古くから長く戦ってきた旧臣は許しますまい。しかし上杉の兵がなくばいずれ武田領は切り取られる。援軍のない籠城戦のようなモノ。ジリ貧は目に見えている。ならば徳川と北条の手を止めさせる方法はただ一つ」
今織田、徳川、北条は三国同盟を結んでいる。
そのため背後を気にすることなく攻めることができるのだ。
もしそのうちの一つが欠ければ……
「織田……か?」
「そのとおり」
「だからこその和議なのか?」
「で、しょうな」
「じゃあこの一向一揆は武田が裏に?」
「儂なら徳川、北条領でも同じ事をしますな」
「だが、それだけじゃ織田は和議には傾かないぞ? 信長の性格上、鬱陶しく思っても、こんなことじゃ意見は変えないはずだ」
「だからわざわざ越前まで派兵をして、城を作っているのではないですか」
弾正はかつて梟雄と呼ばれたその時の眼光で俺の目を覗く。
それはすべてを見通すような、深く昏く……そして綺麗に濁っていた。
「越中から続く越前への道は両家の共有領土。つまり上杉家と武田家の総力が結集できる。徳川、北条を一向一揆で疲弊させ、物資や人を南に流させ、ちょうど朝倉を落とした直後に和議を申し込み戦を臨まない姿勢を見せ安心させる。これが通れば言うことはないがまず通らない。ならば次策としてそしてそこに武の一文字がいればこれ以上ない朗報でしょうな。なぜなら貴方は織田信長唯一の友にして、最高の交渉材料になりえるのだから」
「俺が……?」
「おそらく近いうちにこの越前に謙信公率いる上杉武田の混在した主力部隊がくるでしょう。和議に信長殿が首を縦に振らせ、武田領を安堵するために」




