第五十話 織田家の亀裂、評定は進む、そして踊るしか無い
元亀2年(1573年) 3月
武田戦を勝利で終えた織田軍は浜松城から軍を撤退。
家臣を清州城に集め今後の方針を決めるため評定を開く。
何度行ってもこの雰囲気には慣れないな。
清洲城の評定の間には今、織田家の主だった武将が勢ぞろいしている。
柴田勝家、丹羽長秀、滝川一益、明智光秀、羽柴秀吉、佐久間信盛etcetc……。
織田の陣営の厚さが伺えるようだ。
よくもまあこれだけの人材が集まったもんだと感心させられるね。
その中でも俺が筆頭家老だって言うんだから自分でも驚きだよ、全く。
しかし、心なしかこっちを見る目が多いのは気のせいだろうか?
いや~気のせいじゃないだろうなぁ。
だって、
「……………………」
超こっち見てるもん柴田殿。
爺様が言っていたとおり、勘気を被っているんだろうかね?
俺としては同じ織田家の仲なんだから仲良くやっていきたいもんなんだが。
そんなことを考えている中、信長が声を発する。
「皆、各地からの帰参ひとまずご苦労であった」
凛とした威厳のある声が評定の間に響く。
そしてその言葉を皮切りに評定が粛々と初められた、
俺といる時は大概酒に酔ってベロンベロンになっている姿が主なので、こういう切り替えには感心させられる。
流石は後世に伝えられる戦国の覇者といったところか。
「西の方はどうか、猿」
「はっ」
促された秀吉は頭を下げ口を開く。
「西には本願寺、雑賀衆と強敵が居りましたが、松永久通殿が本願寺を睨みを効かせ抑えている間に私が雑賀衆に交渉を持ちかけ各個を分断するよう工作し成功いたしました。代々彼らは傭兵集団であり、利あれば此方に味方すると判断し、交渉材料には金子と平手久秀殿が考案したという回し打ちなるものの運用法をちらつかせ足止めを行っている最中、武田信玄戦死と北条との同盟が成ったいうではないですか。これで織田家はもはや包囲網を破ったも同然。そして何より重要なのがその武田を破った功労者である『武の一文字』平手家の武田戦線からの帰参。当然その武勇は雑賀衆にも届いており、次に矛先になるのは雑賀衆であるとの情報を流し内部からの分断工作を行いましたところ…」
そう言って言葉を切った間に、信長はその先を読んだのか体を揺らし笑い始めた。
「くく……ははははっ! 貴様らしい策よな猿! さぞかし慌てふためいたろう奴らは!」
「はい。私は鈴木重秀なる雑賀城主の子息と交渉の際に懇意にしておりまして。彼は先を見る目を持つ男。彼は本願寺の放蕩さにほとほと嫌気が差していた様子で、その情報を切っ掛けとし内応を促し、種子島500丁を手土産に傘下に加わりました。そのことが原因で更に雑賀衆は混乱した模様で、恐らくは本願寺討伐までは碌に兵を動かすこと叶いますまい。後は松永殿と私で年内、遅くとも冬が来る前には本願寺を下し、返す刀で雑賀衆を切って落とせることでしょう」
秀吉はそこで口を閉じた。
信長はその報告に気を良くしたのか、なおも笑いながら秀吉を褒め称える。
「ようやった猿! 松永も猿と連絡を満にして本願寺と雑賀衆との情報遮断したと聞いておる。兵の増員を許す。いると思っただけ寄越してやるから、早々に生臭坊主の親玉の首を俺の前に持ってこい!」
「はっ!」
秀吉が返事をし頭を垂れる。
そこで西の話は終わり、他の話に移っていった。
しかしとんでもないな、秀吉は。
好機に敏感というか、機を見たら動くスピードが半端ない。
結構文を頻繁にやりとりしてるけど、その文の合間合間に何かしらの進展があるもんな。
戦国一の出世頭とは言うけど、こうして目の当たりにしてみるとその異常さが分かるというか。
天下を取った男ってのはやっぱ違うもんなのかねえ。
ちゃっかり人材はともかく種子島も確保するあたりしっかりしているよ、ホント。
「次は東の対武田であるが……」
そんなことを考えている内に評定は進んでいたのか、信長は顎に手を当て、
「信玄亡き後の武田など恐るるに足るまい。徳川、北条が共に武田に当たり領地を削り取るようだし、そこに織田がいても逆に迷惑というものだろう」
まあ確かにそもそも俺は徳川への援軍だったわけで、形式的には徳川対武田である。
信玄がいなくなった今、家臣は動揺し国力が低下している今は絶好の好機だ。
武田は家臣団を纏めなきゃならないが、確か史実では後継者の勝頼は重臣を重用しなかった。
この歴史でもそうなら混乱を抑えるのは相当な時間がかかるか、ヘタすると内部崩壊を起こすかもしれない。
病死じゃなくて戦死、しかも数多くの重臣も失ってるからなぁ。
しかも徳川だけじゃなく、北条まで攻め込んでくるんだからこれ以上織田の出る幕はないだろう。
ヘタに俺が手を出したりするとかえって揉め事になるだろうし。
「………そうだな、久秀は越前に向かいさっさと朝倉を滅ぼしてこい。権六は越前から退き本願寺に当たれ。越前は総大将を久秀とし光秀は補佐。本願寺は引き続き猿を総大将とする」
『―――――っ!!』
「………御意」
「なぁっ!?」
信長の指示に評定にいるほとんどの武将が息を呑み、明智殿は静かに頷き柴田殿が声を上げた。
当然だろう。
越前では総大将として陣頭指揮をとっていたのは柴田殿だ。
攻めきれずに降雪によって戦は一時中止となっているものの、戦はあくまで一時中止であり継続されているのだ。
そしてそのまま朝倉を滅ぼせば越前は柴田家の直轄の領地になる筈だったのである。
それが事実上反故にされたのと同義で、更には犬猿の仲と呼ばれる秀吉の指揮に加われとまで言われたのだから、その驚きは仕方の無いことだと思う。
「お、お待ちください! 今しばらく、今しばらくお待ち下されば朝倉如き直ぐにでも粉砕してご覧に入れます! どうかこのままお留めを―――」
「――――権六」
その静かな信長の一声で柴田殿の言葉が遮られる。
静かでありながら怒りを内包したような、そんな声だった。
「朝倉如き、そう朝倉如きか。聞く所に寄れば貴様、光秀の景鏡に対する内応策を一度は取り上げながらも、功を焦りそれを不意にしたそうだな」
「そ、それは…」
事は浅井長政の反乱を弾正が未然に防いだ後、同盟関係であった浅井を織田が併呑してしまったことで孤立無援を強いられることになる事から始まったそうだ。
朝倉家当主である義景は優柔不断な人物として知られており、景鏡は義景の従弟ではあったが朝倉家中での権力争いが原因で微妙な関係であったという。
明智殿はその隙を突くよう柴田殿に内応策を献じ、内応すれば厚遇することを約束する事で朝倉を二分し勢力を削ごうとした。
柴田殿は最初信長包囲網の事もあり、兵を無駄に消費することはないとその案を取り上げたのだが、景鏡との折衝が思いの外長引き最初の降雪を迎えることになってしまった。
そして1572年を迎え、あの思い出したくもない大決戦である信玄を下した掛川城の戦いが始まり、俺と徳川殿はそれに勝利する事ができた。
その勝利を聞いた柴田殿は、前々から微妙に思っていた俺との差が確実に開いたと感じ、総大将として出陣する予定であった景鏡と内応を急がせるように要請する。
だが、元来疑り深い景鏡はその内応要請の急変に疑問を感じ、出陣をもう少し見合わせて欲しいと答え、それに柴田殿が激怒。
明智殿が止めるものの結局戦端を開いてしまい、景鏡は出陣することなく籠城することとなり、内応策は失敗し武田戦によって疲弊している為増援は求められず、攻城戦の末遂に攻めきれず降雪によって朝倉攻めは年を越してしまうことになる。
当然その時には既に雪は降っており、攻め続けようとするも逆に雪によって孤立してしまう恐れから戦線を退いたのである。
そうして燻ったまま今に至るという。
「結果、織田家から朝倉家を救った形となった景鏡は義景から信任が厚くなり、将兵からの信望も強くなった。分かるか権六?」
――――バシンッ!
信長はそこで堪忍袋の緒が切れたのか、持っていた扇を柴田殿に向かって投げつけた。
おいおい、ヤバイだろ!
元々短気な信長だが、稀にみるほどの怒りっぷりだ。
「朝倉が結束を強めたということだ! こうなった以上景鏡は織田の内応には応じまい! 自らの短慮で敵を強め、悪戯に兵を損なう行為をし、その上まだ恥の上塗りをするつもりか!? 恥を知れ!!」
信長が立ち上がり柴田殿に掴みかかり突き飛ばす。
さすがにまずいと思った俺は、信長を止めに掛かる。
「ちょ、ちょっと待て、信長! って、暴れるな!」
「離せ久次郎!! こやつは前に俺に諫言してきたのだ! 旧知の仲であるお前を優遇し過ぎると! 猿もお前も農民上がりの新参者の成り上がりで、古参代々からの重臣をもっと重用しろとな! それが織田家の為だと!? そのような言葉はそれ相応の手柄を立ててから物を申せというのだッ!!!」
「………っ」
突き飛ばされた柴田殿は平伏し唇を噛み締めながらその言葉を浴びせかけられている。
周りの重臣も自らに言われたかのように項垂れていた。
このままだと反省を促された程度に受け取ってくれればいいが、度を越すと反感を招いてしまうことになるだろう。
っていうかもう度を越してるような気がするが。
「誰だって一度や二度の失敗くらいあるだろうが! もう十分に言いたいことを言っただろ!? これ以上は朝倉が結束を固めたって言うなら織田の結束が弱くなるだけだ! 落ち着けって!」
「…………チッ!」
俺の言葉を聞いてくれたのかは知らないが、舌打ちをした後に俺を振り払うように柴田殿から離れる信長。
そして乱暴に評定の間のふすまを開け、
「俺は能力があれば使うが無いと思えば使わん。織田家に無能者はいらぬ。よく覚えておけ!」
そう言い残し、評定の間から去っていった。
残された家臣たちはなんとも言えない後味の悪さを残し押し黙っているのみだった。
「柴田殿!」
俺は評定の間から出た柴田殿を追いかけて声をかける。
さすがにこのまま放おっておくのはまずい。
「…………」
柴田殿は足を止め、無言で此方を見据えてくる。
最初、評定の間に入った時に感じた視線をより強くしたモノが込められていた。
多少ひるみながらも口を開く。
「柴田殿、気にすることはないですよ。いつもの信長の短気ですから。アイツは昔っから熱くなりやすくて―――」
「―――ワシに情けをかけたつもりか」
「え?」
「それとも武田信玄を討ち、失態を犯したワシを大手柄でいい気になって慰めておるのか」
「な!? そんな事は…」
「戦場での失態は戦場にて取り戻してみせるわッ!! 信長様が仰ったように手柄を持ってしてなッ!」
そう言って俺を睨みつけると、足早に去っていった。
俺は呆然としてそれを見つめていたが、しばらくして我に返ると髪を掻きむしった。
「………はぁ~……なんだっていうんだよ。爺様のことといい、今日のことと言い、今年は厄年かぁ?」
気分が重くなるというかなんというか。
そうやってため息をついてると、
「ワシの方こそため息を吐きたくなりますぞ……」
「ん?」
振り返るとそこにはいつの間にか秀吉が立っていた。
いつもひょうきんなヤツだが今は何となくどんよりしているように見える。
「おお、秀吉か」
「久しぶり…というほどでもありませんな。しかし参りましたな今回は」
「全くだぜ」
一応俺達は褒められ組なわけだが、なんというか後味が悪い評定だった。
柴田殿には怒鳴られるしな。
まあ確かに差し出口だったかもしれないけど、柴田殿の俺に対する印象をかなり悪くしたようだ。
そのことをため息混じりに話していると、
「ワシなんかこれからその権六殿を指揮せねばならんのですぞ? そのことを思うと今から気分が重くなるというものです」
「そうか…そういやそういう話だったもんな」
柴田殿と秀吉の不仲は織田家では有名だ。
史実でも仲が悪かったし、実際織田家の後継争いで戦も起こしているほどである。
「謀略というのは歯車一つ狂うと全体が乱れ思いもよらぬ結果を引き込んでしまいかねませんからなぁ」
「………頑張れ」
なんというかご愁傷様としかいえない。
秀吉は苦笑し、
「久秀殿は朝倉攻めでしたな。手早く終わらせて助力を願いたいものです」
「まあ、それは秀長と半兵衛次第だなぁ」
「ならば小一郎に発破をかけなければなりなせんな。早速文でも書かねば」
「ははは、まあなんだ。お互いやれることをやっていこうぜ
そうして、秀吉と談笑をしたおかげで少し気がほぐれた俺は、多少軽くなった足取りで帰宅するのだった。




