第四十七話 爺様の憂鬱
元亀2年(1573年)
那古屋城の平手政秀邸にて
「爺様、ご無沙汰しておりました」
「おお…久秀殿。よくぞまいられましたな。対武田での活躍はこの老骨の耳にも聞き届いておりますぞ。それは素晴らしい働きだったと」
「いえ、俺はいつもの様に部下任せで、好き勝手槍を振り回していただけですよ。あいつら、部下がいなかったら俺なんて何もできませんしね」
俺のその言葉を聞くと、爺様は軽く苦笑をする。
高齢のため以前のような覇気は感じられないが、笑みを浮かべるその姿は以前とかわりなく、俺は悟られぬように安堵の溜息を吐いた。
周りを見渡せば以前と変わることのない調度品や部屋模様。
質素倹約を表すような部屋の佇まいである。
爺様が隠居してから平手家は大きくなり、そして織田家の情勢や平手家の織田家内での立ち位置も変わっている。
尾張が交易都市だとしても、今一番盛んな都市は信長が居城とする岐阜城だ。
信長も俺も平手の爺様には多大な恩を受けているため、最大級の援助を惜しみなくしようと岐阜へと居住を移したらどうかと何度も打診していた。
信長にいたっては岐阜城の一室を爺様の部屋にするという、異例の人事を行おうとしていたのだが、爺様がそれをやんわり断ったという。
それならばと俺と信長は最大限の配慮をし、屋敷などを改築しようとしたり、仕送りを大量に送ったりしているのだが、この屋敷を見る限り、それが行われた形跡がない。
まるで、隠居を機に自身の平手家に対する影響力を極力減らしているようでもあった。
事実、幸之助の問題が発生するまで爺様は一度も平手家に干渉することはなく、また織田家筆頭家老の隠居という権力に取り入ろうとする者の声を聞き入れたことはなかったのだ。
そうして権力から離れ、そして今この寂れた屋敷に一人、暮らしていた。
「……ほほ、それは謙遜というもの。その優秀な部下を率いているのが久秀殿ではないですか。平手の『武の一文字』は並み居る敵を鎧袖一触、織田家の武の象徴とまで言われておるのですぞ。やはりあの時無理をおして久秀殿を信長様のお側にと考えた儂の目に狂いはなかった」
「縁もゆかりも薄い俺を平手家の養子に、そして当主にしてくれた恩は今でも忘れてません」
「そう言ってもらえると、儂も救われますなぁ」
当時は仲が強引に事を進められた経緯もあったが、今はそのことに感謝をしている。
戦国という時代に放り込まれて、一農民でいようと思っていたが、それで戦国の世の中を渡っていくのは難しかっただろう。
いずれ俺の異形は人の目に付き、災いを呼んでいたかもしれないのだ。
「久秀殿は儂の予想をはるかに超え、平手の家を大きくしてくれたばかりか、今の織田があるのは久秀殿の働きが大きいと儂は考えておるのです。桶狭間からの眩いばかりの功績、誰に劣ることのない戦働き」
そこまで誇らしげに語っていた爺様は顔を微かに歪め、
「しかしそれが影を生むという危惧がどうしても儂の中では消えない…」
そういって爺様は視線を落とす。
「そう、儂の予想を大きく超えたその働き。本来は信長様の危うい気性を抑えられるようにと思って事だったのが、今や名実ともに織田家筆頭であることに誰も異論を挟むことは有りますまい。そう、主家との姻戚関係や武功の数々……そんな盤石たる基板を実質一代で築いてしまわれた…」
「………爺様?」
「儂は恐ろしいのです。この世は盛者必衰が常。如何に隆盛を誇った名家もいつかは寂れ朽ち果ててしまう。それが平手家のみであれば良いのですが、もし信長様…織田家にその牙が向くと思うと…儂は恐ろしい…」
振るえるような爺様のその言葉で思い返されるのは秀吉の言葉。
『『武の一文字』の後を継いだ平手家と、『武の一文字』の血を引く者が同時に現れてしまったからには互いに比べられ、もしかしたら両者の器すら歪ませる可能性すらある。ワシは端から平手家をみてそう思うのですよ』
それは平手家に限っての話ではないだろう。
元いた世界での豊臣は実質一代で滅びた。
平清盛が築いた平家もまた同じ。
歴史上、栄華を誇った国や家も一代で滅びたという例は枚挙に暇はない。
一代で築くほどの影響力が大きいからこそ、その人物を失ったモノは脆い。
抑圧されていた他勢力が虎視眈々とその座を狙うためだ。
俺は爺様の言葉に返す言葉がなく、視線を落とす。
「これが儂の杞憂ならそれでいいのです。ですが儂には時間がない。おそらく遠くない内に…その『牙』の行方を見る前に儂は朽ち果ててしまう…!」
「そんな、爺様はまだ元気じゃないですか!」
「いえ、儂の身体に事は儂が一番良くわかっております。だからこそ、だからこそ今! 儂が存命である内にその『牙』を折っておかねばならない…!」
そう言って爺様は俺に向かい頭を下げる。
深々と下げられたその体は、わずかに震えており、その行為には並々ならぬ意思が感じられた。
「今しかないのです! 武田戦線を終え、北条とも同盟を結び大敵の減ったつかの間の平穏であるこの時期にしか出来ぬことなのです!」
今の平手家本軍は未だ浜松城にて逗留中である。
だが、武田信玄やその重臣を討ち、大勢が決した武田戦において平手家はあくまで徳川北条をつなぎ役や後詰めが主であり、主だった戦は早々には起こらないだろう。
比較的落ち着いたこの情勢だからこそ、ということなのだ。
爺様は言葉を区切り顔を上げる。
「儂が幸之助殿を擁護し平手当主へと後押ししているのは聞き及んでおりますな?」
俺は無言で頷きその言葉を肯定する。
そもそもその問題の解決をしに会いに来たのである。
知らぬはずがない。
「氏郷殿は平手家当主として文句のない器と能力を持った人物だと聞き及んでおります。そして今に至るまで久秀殿の側で時期当主として自身を磨き、実際に戦では臨機応変に対応し、武田戦では信玄の首をとったという素晴らしい活躍をみせておるそうですな」
「ええ、俺の目から見ても優秀な人物です。いつ当主を譲っても俺と遜色ない働きをするで――」
「―――それはなりませぬぞ!」
「な、じ、爺様?」
俺の言葉に激高したのか、畳を叩くように身を乗り出してくる。
「久秀殿が当主の座を譲るなど口にだすこともなりませぬ!」
爺様は厳しい顔のまま口を開く。
「久秀殿は甲斐の虎率いる武田を討ち、北条の同盟を締結させました。素晴らしい戦果です…が、その裏でその采配によって割を食う者がいたことを忘れてはいけませぬ」
「割を食う…?」
「例えば、本来は三方面作戦が行われ、越前侵攻の総大将元筆頭家老柴田勝家殿を筆頭にした織田古参の重臣の多くが攻め立てるも、越前を攻めきれず遂には雪によって侵攻を断念された」
「勝家殿が…」
「ただでさえ筆頭家老から降格を受け風下に立っている柴田殿は越前を落とし、直ぐにでも武田戦線に加わりたかったことでしょう。しかしそれが敵わなかったことはおろか、武田信玄を久秀殿は討つという快挙。自身は苦渋の末の撤退。面白いはずがありませぬ」
確かに筆頭家老は平手家となり重要な武田戦の戦局には平手家が投入された。
自身は足踏みをし、平手は大戦果をあげたのだ。
面白いはずがない。
「柴田殿は武断派であり、剛毅果断な方です。信秀様の頃から仕え重臣としてのしあがった古参。その方が武によって明らかな差を見せつけられ後れを取ったのです。その心境はいくばかりか…」
「………」
「そして佐久間信盛殿とて武田戦線にて初戦は参戦していたものの決戦には後詰めに下げられていたと聞きます」
佐久間殿は『退き佐久間』とも異名をとる程の武将だ。
ただそれは退きの妙を讃えられたモノで、今回の戦では撤退は許されない決戦であり、仕方のない人事ではあった。
だが、それを本人が納得できるかは別だ。
「これまでは竹中重治殿や羽柴秀長殿によって、各武将との軋轢を産まぬよう禄を少なく調整していたようですが、既にその効果は薄れつつ有ります。望む望まぬに限らず大小の衝突は割けられませぬ」
「まさか…そんなことは…」
「今まで起こらなかったことが不思議なほどです。それは貴方の人柄や部下の配慮によるものでしょうがそれにも限度はある。だからこそ…」
そう言って爺様は瞳を閉じ何かを考え、首を振った。
「……いや、申し訳ない。老人の話は回りくどく長くていけませんな。とにかく久秀殿、貴方は当主でいつづけねばならない。それだけはわすれてはなりませぬぞ」
そう言って席を立つ爺様。
俺はその姿を呼び止めることが出来ず、ただ佇み続けていた。
元亀2年(1573年)
岐阜城にて
「あ~…わかんねえ…全然わからねえ…」
岐阜城に当てられた俺の部屋で寝っ転がりながら爺様の言葉を思い返す。
結局、肝心の後継者問題については触れておらず、煮え切らない結果となった爺様との邂逅。
秀吉も爺様も同じように言ったのが『隠居することはしてはいけない』ということだ。
それは平手家臣団のみんなからも言われている。
「柴田殿や佐久間殿かぁ」
確かに目の前のことを解決していく事を考えてばかりいて、他の武将の動向には無関心だったかもしれない。
というか秀長や半兵衛に丸投げしていて、考えることを放棄していたというべきか。
「ぬわ~…」
考えが一向にまとまらず、ゴロゴロと畳を転がる。
他人が見ればびっくりするくらい怠惰な日常風景だろう。
そうしてゴロゴロしている内にふと目に入ったのが『武の一文字』の象徴、武一文字だ。
何気なく手に持って見ると所々刃こぼれや、柄にも傷が目立っている。
言ってしまえばボロボロの状態である。
「っていうか、当たり前だよな。六角戦からずっと使っていて、武田戦は激戦で酷使したもんな」
ずしりと重いその槍は常人には持てないが、チートな腕力の俺なら普通の槍より若干軽いくらいのシロモノだ。
だからこそここまで持ったといえるのだが、もしコレが戦中のポキリとイッていたらぞっとするな。
「ふむん…やることもないんだ。散歩ついでに研ぎ直してもらおうかね」
っていうか研ぎ直しですめばいいんだが。
そう思ったら即行動である。
幸い美濃はいい刀鍛冶が多い。
岐阜城にいるんだから、少し外に出て見るかね。
俺は武一文字を無造作に肩に担ぎ城下町にくりだす事にしたのだった




