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第四十四話 甲越連盟

――――武田信玄、遠江にて討ち死


 ともすれば戦国最強ともいわれた、かの戦国の雄の死は、瞬く間に日本各地へと伝聞し、そしてその偉業をなした織田、徳川軍の名は各諸侯に動揺と畏怖を植えつけた。

 更に時を同じくして大々的に発表をされた関東の覇者である北条家との織田、徳川、北条の三国同盟はもはや戦国最大の勢力といっても過言ではなく、隣接している国であれそうでないにしろ、どの国ももはや無視出来るモノではなくなっていた。

 その最たる国がこの戦によって重臣を多く失った武田であり、今まさに家の命運を分ける選択へと追いやられていたのである。

 

 

 


元亀2年(1572年)

躑躅ヶ崎館にて



「今回のこと、誠にお悔やみ申し上げます」


「……父は病床の身を押して戦場へ出られ果てた。聞けば最後は果し合いの後、切腹されたとのこと。そしてその首も丁重に此方に引渡し、武具も清められておった。相手にそこまでさせる見事な最後であったのだろう」


 そう言いながら男―――武田勝頼は父の形見の品である軍神との決戦時において、刀傷を付けられた軍配を手に持ち、過去を振り返るように語る。

 勝頼にとって信玄は畏怖の対象でも有り、尊敬すべき当主であり、目指すべき到達点のような人物であった。

 家族と言うよりは憧れのほうが先に来ており、その悠然たる背中は虎の呼称に相応しく自分もかくあろうと幾度も思ったものである。

 だがその父も死から逃れられず、こうして今首だけの姿となって自分の目の前に存在している。

 その事に勝頼はどこか現実感を覚えず、今もなおどこかで軍配を振るっているのではないかとさえ思ってしまうくらいだ。

 

「父が死に、まだ幾日もたっておらぬ。だがそれでも決断せねばならんのだな」


 その言葉に目の前の男は一つ頷いた。

 信玄が死んだ後は、武田家を背負って立つのは勝頼である。

 父はもう存在しない。

 改めてその重圧が肩にのしかかって来るようである。

 自分の決定が武田家にとって、あるいはその臣下、領民の生活にまで影響をおよぼすのである。

 まだ20そこそこの勝頼にとって、それは途方も無く重い錘であった。

 

「……良かろう。もはや誇りがどうのといっておる場合ではないことは俺にも理解できる。このままでは混乱冷めやらぬ内に武田領土を切り取られるのは目に見えている。願ってもない提案だ」


「武田の新しき当主の御英断に感謝いたします」


「だが、やはり禍根というのはどうしても残る。故に…」


「わかっております。この『同盟』いや『連盟』に必要なのはその禍根を断ち切る楔。我が殿謙信公は、この織田、徳川連合に際して不足するであろう物資、兵糧はもちろん『切っ掛け』を設ける覚悟があると仰っおります」


「それはありがたい。それだけでも少しは我が家臣の禍根や反発も抑えられようというもの。しかし、切っ掛けというのはどういったものか、『景綱』殿」


 高天神城を落とすために払った代償は高く、この先の武田家は特に重臣の損失と農繁期を逃した兵站の需要が最重要課題であった。

 それを『上杉』が負担してくれるというのであれば、過去幾度も戈を交えながらも義将と名高い上杉謙信への敵対心は薄れるというもの。

 それに今は織田、徳川、北条に家臣団の怒りの矛先はむいており、特に高天神城に兵站さえ届けば信玄は討ち死にしなくても済んだのではと考える家臣も少なくなく、その北条が織田、徳川と手を結んだという事実が、手が出しにくくし、更に自体をややこしくしているのだ。

 武田は今まさに怒りのはけ口を無くし、苛立ちばかりが募っている状況なのである。

 

 そして、そんな状況で切っ掛けというからには何かがあるのだろうと、勝頼は目の前の男―――直江景綱に先を促した。

 

「先にお話したとおり、この提案は『同盟』ではなく『連盟』を前提としたものとしてお聞きください」


 勝頼はその言葉に一つ頷いた。

 

 実は信玄が討ち死にするわずか前、二俣城攻防戦の折りに、もう既に『連合』の話は浮上していた。

 その話は信玄を始めとする古参の好戦派である重臣、山県昌景、馬場信房、秋山信友等は積極的反対し、逆に織田、徳川の勢いを重く見ていた真田幸隆、内藤昌豊、高坂昌信等は情勢を鑑みて消極的賛成の意を示しおり、結局意見がまとまらず宙に浮いたままであった。

 

―――同盟ならともかく、連合となれば話は別。

 

 この両者の違いは、同盟は織田、徳川に対しての備えとして、後顧の憂いを無くす意味も兼ねての同盟であり、言ってしまえば停戦のようなものである。

 対して連合は両家の積極的交流を含め、手を取り合うことを意味し、長きに渡って敵対していた上杉と武田では到底なせるものではなかったのだ。

 だが、奇しくもその反対派はほぼ戦死という状況を迎え、戦力的にも広大な領地を誇る武田家を維持するためには上杉の助力は不可欠である、との意見が過半数を超える事となりこうして今、勝頼は選択を求められているのである。 

 だがしかし、この状況での連盟は上杉の武田併合とも捉えられかねず、家臣団もそれを危惧してか少数とはいえ反対派の根は深い。

 そんな状況下で踏ん切りがつかなかった勝頼の背を押したのが、先の戦から生きながらえた真田幸隆であった。

 

『将は失えど兵は今だ健在。今を置いて他にありませぬ』


 掛川城攻防戦において、高天神城から動員した兵数は13000。

 そのうち帰参した兵は10000。

 負傷者が多数存在していたが、この数はまさに奇跡としか言い様のないものであった。

 総大将と数多くの将兵を失った戦にしては、余りにも兵の損失が少ないのである。

 そしてそれをなしたのが真田幸隆。

 本人は武田存亡の危機を感じとるや、この盟約にすべてを賭け、兵の損傷を最小に減らすべく騎兵隊を撤退させ、自ら殿となり片腕を失いながらも決死の奮闘で、主君と冥府を共にするという約定を違えながらも、後の武田家に希望を残す選択をしたのである。

 だがしかしその最善の行動が、本人にとっては恥辱以外の何物でもなく、帰参後、すぐにでも切腹をしようとした所を勝頼がそれを諌め男泣きにくれたあの日の光景を、勝頼は忘れようにも忘れられない。

 自分は不忠者であり畜生にも劣る外道と自らを罵り、それでもなおこの国の未来を考えた男を誰が責められるだろうか。

 そんな男に対して報いてやれる方法は、この連盟を成立させることだけでなく、武田家の威信を貶めぬ状態での連盟で無くてはならない。

 勝頼はそう腹をくくっているのである。

 

「我が上杉家も武田家とは幾度も交戦しているため、この機に乗じようとするものもおります。だが義を慮る謙信公がそれを許さない。そしてなにより幸隆殿の懸命な説得により上杉家の重臣も連盟へと心が傾き始めております」


「そうか、幸隆はそれほどまでに……」


「……ええ、見ている此方が痛々しくなるほどに」


 亡き武田信玄の遺言は『ワシの死と同時に上杉との禍根を一切断ち切ること』という一文がある。

 父の言葉こそ絶対とは思わないが、やはり父も心の底では同盟、連盟が頭によぎっており、自分ではそれを成せないことを知っていたのだろう。

 信玄の遺書を見た幸隆は、生気を取り戻し、ただそれだけのために生きているふうに思える。

 そしてそれをなした後、どうなってしまうのか。

 よぎる予感に勝頼は首を振った。

 

「この追い風が吹いている内に、武田と上杉は敵を作らねばなりませぬ」


「敵、と?」


「はい。かつて甲相越三国同盟がなされたのは織田、徳川連合がいたためです。敵の敵は味方という考えの一致で成り立ったもの。故に今回もその前例を作り、今度は武田、上杉の連合軍で一国を攻め取ります」


「……なるほど。そうして味方同士として混在軍が戦えば自然と不和も解消される、と?」


「はい。ですがこれは大きな賭けの要素も含みます。よって互いの利を持って事を運ばねばなりません。互いの利とは対武田戦において、信玄公を討ち取った織田、徳川、北条は武田の領地を削りとりに来ることは間違いありません。それこそ兵数を各地各国から動員して総攻撃にさらされるでしょう。そうなれば如何な武田とて損害を抑えることは不可能です」


「………」


 勝頼は無言で続きを促す。

 

「その侵略を武田と上杉の連合軍で食い止めます。上杉重臣である柿崎、本庄、そして私の3将が前線に立つことによって上杉武田の連合を示唆させることにより、動揺を招かせ足を鈍らせます。そしてその間に、武田から高坂殿、内藤殿等重臣を『越中』へ送っていただき、越中を落とします。無論越中は武田主導で海を使っていただいて構いません」


「……越中か」


 越中は新保氏によって収められる土地だが、一向一揆によって諸侯に助力を頼むも、武田派、上杉派に分かれて、それが元で上杉、武田の代理戦争が行われた場所である。

 土地柄としては本願寺の影響が強く、不安定な治安ではあるが、海に面しておりその場を得ることによる海利は大きい。

 特に武田家は海に面していない分その利益は計り知れないだろう。

 それが実現するとなれば武田は大きく躍進することができるはずだ。

 しかし、

 

「悪くない条件だが、どうにも旨すぎる。聞いた話ではまるで上杉に利がないではないか。それでは如何に上杉謙信公とて家臣を納得させられまい?」


 お互いの利がなければ連合など到底結べないだろう。

 そんなことは謙信にだってわかっているはずだ。


「その通りです。そこで貴方の異父弟にあたる海野信親殿のお力をお借りすることによって我が領地での問題を小規模化に協力していただきたい」


「………なるほど、一向一揆だな」


 一向一揆とは浄土真宗本願寺教団によって組織された、僧侶、武士、農民、商工業者などによって形成された宗教的自治、一揆の事である。

 南無阿弥陀仏を唱えれば極楽浄土へ行ける、という教えが、農民を中心に日本中に受け入れられ、心の拠り所とされている宗教の教えは、現在は本願寺の僧である本願寺顕如によって匠に操られ、仏敵と称することによって農民らに敵対領地を襲わせるという。

 武田家は武田信玄の後妻に三条夫人という顕如の姉が嫁いでおり、その為比較的被害は少ない。

 だが上杉家は本願寺とは相いれぬ事なく、日に日に一向一揆の気配が大きくなっているのである。

 そこでこの連盟を組むことによって三条夫人の息子である海野信親を通じて仏敵という印象を緩和することによって被害を最小限にしようというのだ。

 

「たしかにそういう話であれば納得できるというものか」


 勝頼がそう頷くが、景綱は首を振った。

 

「ただ、勘違いをしてほしくないのは謙信様は信玄公を宿敵としながらも、亡くなられた報を聞くや涙を流しその死を悼んでおりました。家臣にも3日間の歌舞音局を禁じ喪に服すよう命じ家臣一同信玄公の冥福を祈っております。だからこそ今なのです」


「……ふ、幸隆と同じようなことを言う」


「彼の方は謙信公の元へ訪れた後、様々な重臣の下へ足を運びました。懇切丁寧に上杉と武田の連盟の利、三国同盟の脅威、これから先の未来の事まで。それこそ休む間もなくです」


「……」


「かく言う私のもとにも訪れ、これこそが生き恥をさらしてまで生きながらえた努めなのだ、と。平身低頭、根気強く。かの攻め弾正、鬼弾正と呼ばれた軍配者が、です」


 幸隆は決して奢ることのない人間であるが、それと同時に高い矜持も持ち合わせている。

 それほどまでに彼の戦での行動を悔いているのだろう。

 それが正しい行動であっても、本人は悔いずにはいられないのだ。

 

「先程申し上げた利というのも建前上のモノに過ぎません。謙信公はその幸隆殿の信玄公への忠義心と献身に感銘し、そしてまた私も同じく此方へと参りました」


 景綱もこの後、武田重臣へと平身低頭、連盟の利を説くのだろう。

 それほどの覚悟を勝頼は目の前の男とから感じ取った。

 

「………不思議なものだな」


 父である信玄を失って武田は己の領地を削られぬように苦心するばかり。

 悲しんではいるがそれでも目の前の出来事からは目をそらすことは出来ず無い。

 まるで信玄を失って一番悲しんでいるのが、上杉の方ではないか。

 同じ人間の死を悼むことができる。

 勝頼はそう考えると連盟の可否の条約などそれでいいのではないのか、とすら思えてならなかった。

 

「たしか謙信公には養子がいたな」


「は? 確かにそのとおりでございますが…」


 古来より子は鎹、という諺がある。

 上杉と武田との間に生まれた子ならばきっと、この胸に宿るわずか蟠りすら解かせてしまうような、そんな気がするのだ。


「景勝殿に我が武田の娘を嫁がせよう。人質とか政略結婚などではなく、上杉と武田の鎹ととなってくれるよう願う」



 そうして戦国最強と誉れ高い両家が連盟を組むことになる。

 それは戦国の世に三国同盟と、甲越連盟というニ大勢力が生まれたことを意味し、戦乱をますます混沌とさせる序章となったのである。


 

 

 

 

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