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第四十三話 甲斐の虎 その伍

これで長かった対武田は終了です。

シリアス続きだったので次回からはまたゆるーく書こうと思っています。


「さすがに本陣直下の防備は固い…っ! 真田幸隆か!」


 風林火山たなびく武田本陣を前に、武田騎馬隊に優るとも劣らぬ近衛を指揮するのは『信玄の目』であり『攻め弾正』、『鬼弾正』とも呼ばれる歴戦の軍配者である。

 その数はおよそ800弱。

 騎馬隊でこそ無いが、信玄の身辺を守る者たちだけあってどの兵も一筋縄で行かないことが一目でわかる面構えだ。

 

 対して此方の戦力は鉄砲隊200に足軽隊300。

 包囲網を破るため種子島の弾を使っている鉄砲隊は乱戦の中で弾を込める時間などなく、実質は使える兵は300である。

 忠勝直下の兵は本陣までの活路を開くためにその数を多く減らし、今や500にも満たない。

 数の上では同等だが、疲労と相手の屈強さを考えれば間違い無く此方が不利の状況だろう。

 だが、ここまで来て引き下がるという選択肢はなく、状況もそれを許さないだろう。

 なんとかして血路を開く他無いのだ。

 そうして知恵を振り絞る中、横合いから声をかけられる。


「久秀殿、ここは我らにお任せを」


「才蔵、宗厳…?」


 そう言い、配下500を引き連れ一歩前へと進み出る。

 さきほどまでとは違い、今度は自分たちがとでも言うように。

 

「コレほどまでに心躍る戦、信玄公の首を自ら上げられぬのは残念きわまりませぬが、この場は拙者らにお任せ頂きたく」


「相手は真田幸隆率いる近衛隊。生半可な策など却って愚策。ここは我らが敵軍引き裂き、一点突破を図るのみ」


「な…!」


「ただ、一つ欲を言えば忠勝殿の兵を借り受けたい。しからば信玄公への道を開くとともに、邪魔立て出来ぬよう敵兵を差し押さえてご覧に入れます」


 そう許可をとるように忠勝の方を見る宗厳。

 その言葉を受けた忠勝は一つ頷き、兵に対しその旨を告げ始めた。

 

「~~~っ」


 頭のなかではわかっている。

 それが最善手なのだと。

 だがしかし、そう簡単に割り切れるものでもないのだ。

 言うべき言葉も書けられず、準備だけが整っていく。

 

「氏郷殿は久秀殿と共に本陣、武田信玄の元へ。我ら『武の一文字』に集う者を後に率いる跡継ぎとして、この戦国乱世でも屈指たる『甲斐の虎』から存分に学んで来てくだされ」


 氏郷は幾分か迷ったが、その言葉にうなずき、

 

「…………後は任せる」


 そう言うと俺に向き直った。

 

「父上、これ以上の言葉は無用です。貴方を慕い、決死の覚悟を持つ者達が立ち上がり必ず道を作ります。信じましょう」


「信じる、か」


 今までだって信じてなかったわけではない。

 家族のように接している内に、どこか俺は勘違いをしていたのかもしれない。

 信じるということ。

 氏郷は俺なんかよりよっぽど部下の意志を汲み、信じている。

 俺も少しは成長したかと思えば、更に成長した氏郷のその姿を見せられ、俺は悔しいという感情を驚くほど感じなかった。

 ただ、その成長を喜んでいる自分がそこにいたのだ。

 

「……いい跡継ぎを得たな」


 何時の間にか忠勝の言葉に苦笑を返す。


「……全くだ。俺もそろそろ40になる事だし、さっさと当主を氏郷に譲って平手の爺さんと一緒に隠居生活でも楽しもうかね」


「ふむ、なら徳川で御伽衆でもするか? 殿もお前の事を大層気に入ってるご様子だしな」


「魅力的な提案だが止めとくよ。信長に殺されそうだ」


 俺と忠勝は互いに苦笑し、この武田戦線の最後の舞台へと向かうのだった。






元亀2年(1572年)

武田本陣にて





「ふむ、『男子三日合わざれば』とは大陸の言葉であるが、今のお主にふさわしい言葉であろうな、『武の一文字』よ」


「ここまでたどり着いたことをひとまず褒めねばなりませぬなぁ、御屋形様」


「よくぞワシの前に現れてくれたと、ひとまずの賞賛を贈ろう。かの景虎ですらここまでワシを追い詰めたことはなかったぞ」


 才蔵、宗厳の決死の突撃により空いた穴を駆け抜け、本陣へと侵入を果たした俺達を迎えたのは僅か3人であった。

 山県昌景。

 秋山信友。

 そして―――武田信玄。

 その誰もがこの状況下で動揺の欠片も見せず落ち着き払っており、むしろこの展開を望んでいたのではないかというような表情を浮かばせている。

 武田信玄は病床の身という報告を受けていたはずだが、そのような様子は全く感じられず、その身から覇者たる器を持つ気迫を放っていた。

 流石は音に聞く『甲斐の虎』。

 誤算といえば誤算であるが、それはそれで俺にとっては好都合だった。

 

「忠勝、頼みがある」


「? なんだ」


「山県昌景には因縁浅からぬ縁があってね、俺はアイツを相手にしなきゃ成らない」


 俺の視線の先には山県昌景が泰然と地にそびえ立っている。

 決して上背は高くないが、その技量は今まで槍を交えた中で間違いなく最高峰だ。

 才蔵も確かに強いが、アイツの槍術は戦場においての多対一という状況から派生したモノであり、一対一という状況下においては昌景に軍配が上がるだろう。

 忠勝にしても普段なら互角かそれ以上の武威を持っているが、あくまでそれは披露しておらず万全の状況下においてである。

 ここまでの強行軍での疲労は間違い無く蓄積されているため、今忠勝と昌景が戦えば勝利は危ういだろう。

 山県昌景とはそれほどの相手なのだ。

 まぁ、それでなくともコイツの相手だけは誰にも譲ってやるわけには行かないんだがね。

 

「ならば拙者は信玄を相手に―――」


「いや、信玄の相手は氏郷にさせたい」


「む…?」


「頼む、後生だ」


 自分でも無茶を言っているのはわかっている。

 信玄の首は間違いなく恩賞第一のモノであり、それを譲れと言っているのだ。

 激怒されてもおかしくない申し出だろう。


「それは氏郷殿に『武の一文字』の後継者としての箔をつけるためにか?」


 忠勝にとって信玄は徳川を侵略し、領地を奪い去られるという辛酸を嘗めさせられた思いがある。

 なにより信玄の首を狙ってここまで死兵とかして突き進んできたのだ。

 そんな忠勝の葛藤を感じながらもその問に俺は首を振る。

 

「いや、そういうのじゃない。ただアイツには学んでほしいんだ。信玄と立ち会うことによってもっと大きな…なんていうのかな、人としての大きさというか、そういうのがこの立ち会いで生まれるような気がするっていうか…上手く言葉にできなくてすまないが」


 その俺の言葉に何かを感じたのか、忠勝は静かに頷き、

 

「……ならば是非もなし」


 そう言って自らの愛槍である蜻蛉切をしごき、信玄から目をそらしその傍らに控える秋山信友へと視線を向ける。

 その視線を受けてなお怯む素振りさえ見せず、不敵な笑みを浮かべる秋山に対し、只者ではないと評価したのか、

 

「それに此方の武人も相当の腕と見た。相手にとって不足なし」


 俺に背を向け秋山信友の元へと歩み寄る。

 その姿は威風堂々。

 そこかしこに傷を受け、返り血ではない血を流しながらも表情一つ変えない。

 後世において生涯無傷を誇った武将。

 だが俺はその傷にこそまさに戦国乱世の雄と言った風情を感じさせた。

 

「というわけだ氏郷。俺と忠勝で山県昌景と秋山信友を相手にする。お前は信玄を討ち取って来い」


「俺が…ですか?」


 話は聞いていたのだろうが、動揺を隠し切れない表情で俺を見る氏郷。

 それはそうだろう。

 武田信玄は戦国に名を轟かす大大名である。

 自分では分不相応なのではないかという思いは去来しているのだろう。

 だがそれでもやってもらわなくてはならないと、俺は考えていた。


「お前が、だ。まぁお前にはこの先しっかりとしてもらわなければ困るからな。確かにまだ若いお前には武田信玄という人物の相手にするには辛いだろうが、その重圧を背負って刃を交えてみろよ。『武の一文字』の後継者で、次期織田筆頭家老である平手家の跡継ぎになるんだからな」


 とは言え、俺自身さほど自覚なしにその立場にいたわけだが。

 言葉にしてみると随分大層な身分である。

 信長の扱いもぞんざいだったしな。

 思い返せば部下に任せっきりだったようにも思う。

 とは言え、そんな自分にできたのだから、氏郷は俺なんかよりずっと平手当主として上手くやっていくだろうという確信がある。

 それこそ身分相応の働きをしてみせるだろう。

 

「……分かりました。父上の名を、平手の家名を汚さぬよう俺は信玄を討ってご覧に入れます」


「期待してる」


 そう言って、俺と氏郷はそれぞれが向かうべき場所へと向かう。

 もう互いにこの場で語るべきことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 さて、随分と待たせてしまったが、此方の話し合いが終わるのを律儀に待っていてくれたのか、山県昌景は一つ笑みを浮かべ口を開いた。

 

「よう、待たせちまったか?」

 

「いや、この場に及んで時間など気にしておらぬ。…しかし驚いたぞ。俺との戦からさほど時を経ていないにもかかわらず、ずいぶんと見違えたではないか」


「まぁ、正直な話俺の中で何が変わったかなんて曖昧でわからないけどな。自身が変わるなんて自分じゃよくわからないことだし、切っ掛けは色々あるんだろうけど……。俺としてはまだまだ不十分な心境なんだ」


「ほぉ…」


 そう感嘆の声を漏らす昌景。

 相も変わらず泰然としていやがる。

 2度に渡る戦の時もそうだった。

 いつだって自信に満ち溢れ、客観的に見た自分という存在を十分に認識した上で行動を起こす。

 誇り高いんだろうが、決して驕ったりはしない。

 自らのなしてきたことによる武功を背景とした強者たる余裕とでも言うのだろうか。

 流石は武田四天王筆頭といったところだ。

 本当に大したもんだと思うよ。

 だからこそ、


「借りを返しに来たぞ」


 俺は手の持つ得物を目の前の男に突き出した。

 常人には持つことの出来ないような超重量の武一文字を突きつけられて、なおソレをいなすかのように笑みを浮かべる昌景。

 俺には自尊心というものがさほど存在しないと思っていたが、どうにもコイツに対してだけは別のようだ。

 だからこそ―――

 

「―――テメエをぶっ倒さなけりゃ俺は前に進めないんだよッ!! もう負けるのは沢山だ! いつもいつも邪魔しやがって! 今日こそは絶対負けねえ! 勝ってテメエの首を眺めながら楽しいお茶会でも開いて馬鹿騒ぎしてやるッ!!!」


「く、はははははは!!! ならば俺も貴様の首を肴に一献傾けるとしよう!」



――――ガァン!!!


 衝突する槍と槍。

 火花が散る。

 それはまるで閃光のように眩しく、そして激しく。

 

「昌景ぇぇぇぇッ!!!」


「来い、『武の一文字』よッ!!!」











「どちらも既に始まったみたいだな」


 激しい怒号と衝突音。

 まるで大地が揺れるような錯覚さえ覚える光景だ。

 本多忠勝と秋山信友。

 山県昌景と平手久秀。

 互いに相譲らぬ激戦を繰り広げていた。

 

「あのお二人は必ず勝つ。俺もお前を討ち取り、その首を貰い受ける」


「ふふ、勇ましいのう。だがその槍では数合と持つまい?」


「……っ」


 信玄の言葉の通り、氏郷のもつ槍は既に刃毀れが生じており、切れ味はもはや無きに等しく、柄にも幾つかの罅が入っていた。

 対して信玄は腰に二振りを刀を帯びている。

 その拵えは見事の一言につき、どちらとも比類なき業物であることが伺えた。

 槍と刀では槍のが有利だと言われているが、それは得物が万全である場合であり、今の氏郷の槍はいくらリーチのあるとはいえ打ち下ろしの一撃でへし折れるてしまうであろう。

 だからと言って、負けが決まっているわけではない。

 要はこの槍が砕けるその時までに信玄の首を挙げればいいことなのだ。


「お主、刀は使えるか?」


「? 何を…」


 信玄は氏郷の返事を聞く前に腰に帯びた刀の一振りを氏郷に向かって投げよこす。

 突然の行為に戸惑う氏郷だったが、それを片手で受け取り訝しげな目を信玄へと向ける。

 手に持ったソレは一目で分かるほどの拵えで、今まで見てきた刀剣の中でも一二を争うほどの業物であると分かるくらいの物であった。

 

「………余裕のつもりか?」

 

「銘は『和泉守兼定』。我が父、武田信虎が孫六兼元に打たせた逸品よ。このワシがともすれば最後の立ち会いになろうかもしれぬこの場において不足はあるまい? ワシはこの来国長にて相手をしよう」


 そう言って腰に帯びた来国長の鯉口を切り、構えをとる。

 その構えはかつて氏郷が眼にしたものそのものであった。

 かつて武田には剣聖の菜を欲しいままにした剣豪が仕えていたという。

 上泉信綱。

 氏郷の刀術の師である柳生宗厳が遂に勝利できなかったとされる程の腕前を誇ったという。

 そしてその流派の名は、

 

「――――新陰流…っ!」


「ほぉ、知っておるか」


「我が師も同門の出故に。多少の違いはあるようだが」


「なるほどのぅ。期せず同門というわけか。数奇なものよのぅ」


 氏郷はその言葉に答えず、和泉守兼定を抜き放ち構えをとる。

 

 もはや言葉は交わされなかった。

 お互いに間合いを取りながら、打ちこむ隙を伺い牽制する。

 構え共に無形の位。

 剣先を下げ、相手が仕掛けたと同時に素早く行動を起こし、後の先をとる構えである。

 ジリジリと間合いを詰める両者。

 

 

 ―――そして勝負は一瞬であった。

 

 

 

 

 

 

 

 「見事じゃ…」

 

 ゴトリ、と鈍い音を立てながら転がるモノ。

 それは信玄の腕であった。

  

 勝負を制したのは氏郷。

 信玄の上段からの袈裟斬りを同じく上段から振り下ろすと同時に信玄の刃先を逸らし、その勢いのまま刀を薙ぎ腕を切り落としたのである。

 

「ふ、はは…これほどのの力量の差を見せられれば負けを認めざるを得ぬわ」


「……勝負は時の運。どちらが勝ってもおかしくはなかったでしょう」


 もはや氏郷は腕を失った信玄に対する敵意はなく、ただ純粋に自分に刀を寄越してまで真剣勝負を挑んだ姿勢に感嘆の念を抱いていた。

 噂に聞く武田信玄とは侵略を繰り返し、いたずらに戦果を広げる人物としか思っていなかったが、それもまた山国に生まれ国を持つ当主としての使命だったのではないかと思えてしまったのだ。

 

「そうか…詰まるところ、ワシには時と運が足りなかった訳か」


 皮肉げな、しかしどこか清々しさすら感じる笑みを浮かべ周りを見渡す信玄

 そこには山県昌景と秋山信友両名が倒れ伏しており、武田本陣においては完全なる敗北を意味していた。

 

「………先に逝きおったか。しばしの間、待っておるがいい、ワシもすぐそちらへ参ろう」


 苦笑とも取れる笑みを浮かべる信玄。

 だがその表情には誇らしさも浮かべており、病でなく戦場で散りたいと思う自分に最後まで付き従った股肱の臣への感謝が彩られていた。

 

「……氏郷と言ったか。和泉守兼定を」


 信玄の言葉に一つ頷くと、手に持った和泉守兼定を手渡す。

 それを羽織っていた陣羽織で刀身に包み逆手に取った。


「ワシが手にしていた刀、『来国長』は我が半生とともにあった刀。言わば我が武田の象徴じゃ。願わくばそれにて介錯を頼む」


「承知しました………他に言い残すことはあれば、伝えましょう」


 その言葉に信玄は、

 

「伝えるべきことは既に伝えておるため無用。されど、そうさな…」



――――大ていは 地に任せて 肌骨好し 紅粉を塗らず 自ら風流


 

「氏郷よ、我を討ちし者よ。我が首、我が刃を持ってゆけ。半端者にはなってくれるなよ」


「……しかと聞き届けました」

 

 その言葉を聞くと、信玄は空を仰いだ。

 

「景虎よ…先に冥府にて待つッ!」


 

―――そうして風林火山を掲げ、甲斐の虎と恐れられる戦国乱世を駆け抜けた一人の雄が、この世を去ったのであった。

 

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