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第四十話 甲斐の虎 その弐

元亀2年(1572年)

高天神城から全軍を率い掛川城へ急襲する武田陣営にて



「御屋形様。騎馬隊、足軽隊ともに準備が整いましてございます」


「……うむ、ごくろう」


 そういい、簡易の陣営に腰掛け、机に並ぶ勝栗・昆布・打鮑を順に食していく信玄。

 これは『三献の儀一式』といわれる必勝祈願の儀式である。

 『敵に勝ち、(うち)、よろこぶ(昆布)』というげんを担いだ戦国特有のものだ。

 

 信玄がそれらを静かに口に運ぶ様を、物音ひとつ立てず見守る重臣一同。

 その光景だけでも、いかに信玄が家臣の信望を得ているかがうかがえるようだ。

 

「―――武田は」


 儀式が終わり、信玄が口を開き始める。

 

「我が武田家は山に囲まれた土地柄故に、資源が乏しく、そして海に面していないがため他国の風下に立つか、他者から奪う以外の選択が存在しない国であった」


 そう過去を振り返るように軍配を弄ぶ。

 

「全ての戦は生きるため。海を欲する我が国は北に上杉、南に今川、東に北条と強国を抱え、今川義元が討たれた時はこの機にに乗じて海を支配下に置く参弾であったが、空白となった地は北条と新たに徳川、織田が台頭しそれも敵わなかった。時期を見て攻め入れば種子島という汗も血も通わぬ鉛玉によって我が精鋭も数を減らす一方」


「御屋形様…」


「そして今、犠牲を払いながらも海を手にしたが、この身は病身に侵される不覚。ワシは年を越す前に天に召されるであろう…うぐッ、ゴフっ」


「御屋形様、ご無理をなさっては……っ!」


 口を抑えた手から赤い液体がこぼれ落ちる。

 もはや戦場に立てる身体ではないのだ。

 高天神城を奪取した時から、病状は悪化の一途をたどっている。

 もはや時がないことは明白であった。

 信玄は赤く染まった掌を眺めると忌々しそうにそれを握る。


「口惜しいわ…っ」


 軍配に刻まれた傷。

 これは上杉謙信の一刀を受けた時の傷。

 刀傷でも矢傷でもなくこの世を去ろうとする我が身のなんと情けないことか。

 

「よく聞け。ワシは病では死なぬ、戦場を墓場と決めた。勝頼の後見に景虎に頼みはしたが、ワシがおってはそれも立ちゆかぬ。武田後世の礎、そう考えればこの身の病も愛しく思えるものよ」


 そう言って信玄は立ち上がる。

 それはまさしく『甲斐の虎』そのものであった。

 

「生き残ったものは禍根を忘れ、新たな武田を生きるがいい! 武田信玄、最後の命である!」


 そう号令を発した信玄のそばには、控えかしずく三人がいる。

 その姿を見た信玄は「無粋か」と苦笑を浮かべ、


「幸隆! 信方! 昌景! 貴様らは冥府までワシの共をせいッ!!」


「「「ハッ!!」」」







元亀2年(1572年)

掛川城攻城戦にて



「くそ、まだ落ちないか!」


 掛川城は主たる将はいないはずだ。

 将兵は高天神城へと移動し、いままさにこの地へと牙を剥こうとしている。

 だが、来ることがわかっていれば、要は掛川城を早急に落とし籠城で高天神城からの武田信玄率いる武田騎馬隊を迎え撃てばいい。

 たとえ武田信玄が相手であろうと攻城戦での回し打ちさえ活用出来れば勝ち目はある。

 

 しかし、現実問題としてこちらは攻城戦のため騎馬隊は最小編成である。

 主力の鉄砲隊は潤沢だが、脚が遅く馬防柵を作るような資源も時間もない。

 このまま掛川城を攻め落とし、武田騎馬隊に対する防備を固めなければならないのだ。

 もうすぐそこまで武田騎馬隊が迫っている今、撤退しようにも馬の足に追いつかれ、鉄砲隊は間違い無く馬蹄にて蹂躙されるだろう。

 だからこそ一刻も早く鉄砲隊を掛川城へと入城させなければならない。

 

「破壊槌はどうなっている!? 工作隊は!? 城門はまだ破れないのか!?」


「駄目です! 城門を特に強化しているらしく傷は付きはせど未だ城門を破壊するに及ばず!」


「工作隊も内側に侵入しようにも、必死の抵抗により誰一人として入り込めません!」


 各地から上がる否定的な言葉。

 くそ、もうこうなったら後先考えてる場合じゃないな!

 

「!? 久秀殿! どこに!?」


「俺が自ら城門をこじ開ける! 稲葉山城で出来たことが掛川城で出来ない道理はないだろう? 半兵衛、氏郷! もしものために鉄砲隊半数は対武田騎馬隊に備えて急襲予測地点付近へ布陣しておけ! それといざとなったら山道に逃れることを徹底しろ! 森や林の中では馬の機動力は半減されるからな!」


 それだけを言い残して掛川城の城門へと走り抜ける。

 流石に俺の顔は知られているのか、俺を討ち取れば更なる時間を稼げると思っているのか、十数人が城壁から降り立ち俺の行手を遮る。

 

「邪魔を―――」


 武一文字を限界まで引き絞り、

 

「―――するんじゃねえよッ!!」


 思い切り振りぬくと、立ちふさがった十数人がたちまちはじけ飛ぶ。

 チートにもほどがあるなぁ、と場にそぐわない感想を抱きながらも城門へ駆け出していく。

 

―――ビュビュン!

 

「! くぁっ」


 城壁からの一斉掃射を受け多少よろけるものの、こちとらそんなものじゃ死ねない体である。

 そしてついに城門前に立つと、

 

「オラァ!」


―――ゴォンッ!!!


 渾身の一撃を城門へ叩きつける。

 だが、

 

「なんつー硬い城門だよこりゃ…、超合金でできているんじゃないのか?」


 だがびくともしないわけではない。

 多少は凹み、このまま叩きつけていけば壊せると確信したその時だった。

 

「父上ぇぇ!! そこをお離れください!!!」


「は? なんだ!?」


 意味もわからず、おそらく氏郷の声が聞こえるであろう方を向くとそれは起こった。

 

 

――――ドゴォォォォォンッ!!!



「―――なぁ!?」


 突然の轟音。

 背後から爆風が吹き荒れ、地面に弾き飛ばされる。

 2、3mは吹き飛ばされただろうか、ようやく体制を立て直し、手に持つ武一文字で何とか立ち上がる。

 

「っつ―……。何なんだ一体!?」

 

 そう言って振り返ると、そこには、

 

「うそ、だろ…」


 まるで爆心地ように城壁は吹き飛び、天守閣には火が放たれており、それはもはや城とは呼べないシロモノと化していた。

 此方の兵だけじゃない。

 武田の兵すらも重症を負っているのかうずくまってうめき声を挙げている。

 普通に考えれば、やけになった事での自爆。

 だが、今この状況においてそれが一体何を意味するのか。

 

「城をとられ籠城に使われるくらいなら自ら壊す…? 馬鹿じゃないのか!? お前達だって無事じゃすまない事くらいわかっていたことだろうが!」


 もはや城壁は存在せず廃墟になった掛川城。

 かしこに横たわる兵士の一人が、息も絶え絶えに口を開く。

 

「く、くく……っ! 我らは、当に命、など捨てて……おるわ。鉛玉などで、いい気になっている貴様ら等、など……御屋形様…の、敵では…っ」


 そう言い残しこと切れる兵士。


「…………っ」


 その光景に言葉を発することが出来ず、ただ燃え尽きていく掛川城を見上げる。

 もはや掛川城で籠城し、回し打ちによる撃退は不可能になった。

 しかもご丁寧に天守閣にまで火を放ち、もはや遮蔽物として使えるものでもなく、鉄砲隊は無防備な姿のまま砲身を騎馬隊へと向けねばならない状況に追い込まれたのだ。

 今から浜松城へ援軍を呼びに行く?

 無理だ、その前に鉄砲隊の脅威を知る幸隆によって援軍が到着する前に蹂躙されるのがオチだ。

 北条の援軍まで耐える?

 よしんば耐えたとしても、軍事力の乏しい北条兵では武田騎馬隊には太刀打ち出来ないだろう。


―――そして無常にも、その時間は訪れる。

 

 

 

「―――武田騎馬隊来襲!! 先陣に山県昌景、板垣信方の旗印を確認ッ! 凄まじい勢いで本陣を急襲する模様! 至急救援、指示を求みます!!」



「最悪のタイミングだ…」


「平手様!? どうかご指示を!」


「どうすればいい…どんな策があるってんだ…っ」


 武田信玄率いる戦国最強の騎馬隊に対し、歩兵と鉄砲隊、僅かな騎馬隊でどう立ち向かえばいいというのか。

 その答えが見いだせぬまま、俺は呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。

 

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