第三十四話 山と火、策謀の渦中の世代交代
元亀2年(1572年)
山県昌景率いる六千を標的に、平手家臣団と本多隊、榊原隊が二俣城方面へ進行、急襲
浜松城から二俣城の距離はそう遠くなく、しばらくすれば敵軍の先鋒の姿が見えてくる。
此方の接近する馬蹄の音で、速やかに隊列を組んだんだろう。
流石は山県昌景、俺の殴りたいリスト筆頭、四天王筆頭でもある男だ。
感づかれるのが早く、奇襲とは行かなくなったが、本来の目的は別にあるので、ヤロウの実力を鑑みれば予定調和にすぎない。
今回の作戦は攻城戦ではない。
浜松城攻城のため二俣城との間付近に陣を張る山県昌景を急襲するのが目的である。
特に整備された土地じゃないので、荒れており、運用できる兵は一万も使えないだろう。
その事を見越していたのか、六千という兵で二俣城を守り、更には攻め手を担うのだから、余程戦慣れををしているのだろう。
もともとが武田の領地は山国だからなぁ。
経験というのは本当に財産になるという一例だね。
「敵の先鋒が見えてきましたね」
俺の馬に寄せた氏郷がそう軽く口を開く。
奇襲ならず、こうなってしまえば戦況は硬直する。
ジリジリと間合いを詰め、お互いを牽制しあうことになる。
此方も陣形は崩していないが、お互いにらみ合いの様相である。
どちらかが切っ掛けを作り、箍を外せば雪崩のように両軍入り乱れるだろう。
と、武田は思っているはずだ。
「かなり重要な役割になってくるが、いけるな、氏郷?」
「はい」
迷いを見せず頷き返す氏郷。
うんうん、こういう打てば響く返事は大変よろしいな。
チラリと顔を見ると、いかにもな気合に満ち溢れ、されど冷静さを失っていない。
まさに名将の風格というものだ。
いつのまにかコイツこんな顔するんだなあ、と感慨深くなるがいまはそんなときではないだろう。
「最初に言っておくが、これは鉄砲騎馬隊というある意味未知の戦法であることを忘れるな。十分に話し合いをしてきたが、全ては机上の空論。実践経て昇華されたものじゃない。だから必ずどこかに落とし穴があると常に疑ってなお勢いをとぎらせるな。かなり難しい注文だがお前ならやれると信じてるからな」
最後にポンと氏郷の頭を軽くたたき、
「行ってこい! 武の一文字を思い知らせてやれ!」
『氏郷eyes』
「鉄砲騎馬隊は第一陣、放て!!」
――――ドンドンドンドンッ!
迫り来る武田の騎馬隊の射程外から一方的に此方の種子島で蹂躙する。
その効果は抜群で、特に馬はその轟音に酔って使い物にならず落馬するものが続出しているようだ。
基本的に騎馬隊はその馬の速度と馬蹄による歩兵の蹴散らしや、騎馬には槍を持って戦うため、遠距離戦というものが苦手だ。
騎射というのもあるがこれは足を止めねばならず、更には此方のが射程距離が上なため、問題にはならない。
俺の役目はこうして鉄砲騎馬隊による敵前線の撹乱にあり、その後隊列を乱した所を本多隊、榊原隊による騎馬隊の突撃、山県までの道を作り出す。
その後平手家臣団の、父上の足軽隊が山県昌景を捉え敵将を討つ。
今のところは順調だ。
味方の士気も高く、今までは守勢に回ることしか出来なかった分、その鬱憤を晴らさんとしているのだろう。
だが、
「一陣ボサッとするな! 第二陣に変わる! 陣形を入れ替えろ!」
予想以上にあの武田相手に一矢報いたことから、半ば呆然とした騎手の手が止まっているのを見かねると、そう言って第二陣へといこうを催促する。
気持ちはわかるが、喜ぶのはすべてが終わってからでいい。
今は父上の言うとおり、常に警戒を怠らず、役目を遂行していくことが肝要なのだ。
―――ダンダンダンダンダンッ!!
第二射も始まり、武田軍の先鋒は更に乱れていく。
順調すぎるほどに、机上の空論が実証されていくのを目にしていく中、俺の心のなかで、何かが引っかかっていた。
何かを見落としているような、何かが引っかかっているような……
そんな事を考えていると、
「敵軍此方の攻撃に耐え切れず、敗走を開始しました! 散り散りに左右へと雲子を散らすように!」
報告を伝えてきた兵は喜びを隠しもせず、歓喜の表情でその報告を述べている。
気持ちはわかる。
俺だって信じられないような事実だ。
あの屈強な武田騎馬隊が、鉄砲騎馬隊という未知の戦法によってとは言えとは、これほどに追い詰めることが出来るとは…。
「…あの武田が…!…」
「おお…見ろよあの情けねえ姿!」
「今度は此方が逆襲する番だ!!」
兵たちがその光景を見て、勝利を確信したかのごとく口角を挙げている。
あの武田が背を見せて馬を走らせているのである。
無理もないだろう。
今にも追撃しそうな部隊を宥めながら、俺もその姿を追っていた。
だがその胸中は先程までとは比べ物にならないほど、警鐘がなっていることに気づく。
――――背を向けて?
――――散り散りに四方八方に?
第二陣が撃ち終わった後だったので三陣が陣形を取り、騎射を準備をしていた。
「ちっ、こう馬に荒らされちゃ砂埃で照準が合わせられねえ」
「まったく、悪運が強い連中だよ。このままの勢いで鉄砲騎馬隊の威力を見せてけてやれるものを…」
――――砂埃で照準が合わせられない?
様々な情報で纏まり切らない俺に、
「氏郷、ここまで撹乱すれば俺達の役目は達成できたのではないか? 騎馬隊は四散。後は後ろに控える本多隊、榊原隊に本陣を急襲して頂き、山県への道を開いてもらうべきじゃないのか?」
副官にいてくださる利家殿がそう提言してくださる。
そう、それこそが本来の目的だ。
鉄砲騎馬隊の威力を魅せつけるのが本来の目的ではない。
乱れた山県隊に騎馬隊を差し込めば、後詰は足軽が多数いるため多くが馬蹄によって潰されるだろう。
確実な戦果が見込めるはずだ。
なのに…
―――なぜ、こんなにも嫌な予感がするのか?
戦況は間違いなく此方に傾いている。
そもそも武田にこれだけ被害を与えたのだ。
策であったとしても犠牲が大きすぎる。
そもそもこの状況で一体どのような策を講じるというのだ。
鉄砲騎馬隊によって前線を崩され、待つのは本多、榊原の騎兵隊による突撃。
確かな勝ち筋が見えているこの状況でいったい何が…
「戦況を見ろ、状況を見ろ、流れを読み取れ…」
師である竹中半兵衛の教えを反復する。
『指揮官たるもの情に流されるのは愚、冷静に戦況を把握し、近況、状況を分析し、今何が行われて居るのかの欠片を集め勝利の図面を描くのです』
戦況は極めて有利、状況は鉄砲騎馬隊によって前線を敗走、近況は逃げる騎馬兵は散り散りに、砂埃によって標準が合わず、鉄砲による追撃は不可能。
流れは徳川騎馬隊の投入の是非を問う場面にさしかかり、鉄砲騎馬隊はこのまま後退し本隊へと合流を―――っ!
「――――ここかッ!」
一度気づけば後は状況が合致しているかを確かめるのみである。
砂埃によって見えづらかった騎馬隊の後ろ姿が見え始める。
一見無作為に動いているように見えて、武田騎馬隊は目的を持った撤退をしているのが冷静に見ればよく分かる。
そもそもおかしかったのだ。
敵に背後を見せて敗走する時点で、鉄砲騎馬隊の存在を示唆していた事になぜ気が付かなかったのか。
何故なら鉄砲騎馬隊には追撃しても単発で攻撃手段がない。
ならば背を見せても危険がないと判断されていたのだ。
そして蜘蛛の子を散らすような敗走は予め各自予定場所への移動であり、だからこその後退ではなく散り散りにバラける事に意味がある。
砂埃も隠蔽や鉄砲騎馬隊への少しでもの煙幕のつもりなのだろう。
そして俺達は今何もしようとしていた?
騎馬隊にて中央突破を図ろうとしていたのではないか?
散り散りになった兵を再編成して二部隊にわけ左右へ配置。
中央にはもちろん山県昌景が居るだろう。
このままいけば中央の山県昌景に本多、榊原が突撃するだろう。
そしてそれを待ち構えていたかのごとく包囲し、更には別働隊の後方封鎖の可能性も否定出来ない。
そう、これは平手と織田が穴山梅雪を討ち取った平手家の回し打ちに続く待ちの戦法。
「――――釣り野伏せかッ!!」
平手家の戦法でありながらもこうも完璧に扱ってみせるのは、おそらく山県昌景の独力ではないだろう。
この作戦をなしたのは間違いなくかの攻め弾正と呼ばれ、信玄に20年以上も支え続けた軍師。
「真田幸隆ぁ……っ!」
かの軍師が参戦してからというものこちらは後手後手に回ってばかりである。
ついには此方の戦法すら使い、逆手に取ってくる始末。
俺の中では最高の軍師は竹中半兵衛であるが、その評価がまさに覆ろうとしているのかもしれない。
軍師といっても守勢に強い、攻勢に強いなど様々な分野が存在するが、間違いなくこの真田幸隆は攻めという分類において竹中半兵衛殿を凌ぐ。
だがそれは経験の差でしか無い。
歴戦の猛者に、平手からの軍師経験の半兵衛殿が劣るのは必定。
俺の師が真田幸隆に『器』で負けるはずがない!
それは俺が証明するしか無いだろう、『弟子』として!
「利家殿! 本多、榊原殿の騎馬隊に両翼を作るように伝令を! 相手は釣り野伏を使うつもりです! ならば此方も両翼を広げ包囲を防ぎます!」
「な…!? 釣り野伏ってお前…っ」
「鉄砲騎馬隊はこのまま待機。射程距離に入ってくる敵がいれば撃って波状攻撃で足止めを! 決して距離を詰めさせないように、指揮は利家殿にお任せします!」
「ちょ!? おい! 何がなんだか…お前はどうするんだよ!?
そう言って踵を返す。
見据えるは我が父上のいる本陣。
「敵はおそらく背後に武田四天王かそれに準ずる将を当ててきます。玉を取るつもりでしょう」
釣り野伏は失敗の可能性も大きい作戦だ。
四天王なら間違いはないだろうが、それでも万全を期し織田、徳川を撃退するなら他にやり用はあったはず。
ではなぜこの策を使ったのか?
答えは簡単。
釣り野伏は将を討つに最も適した策だからだ。
ようするに真田幸隆は平手久秀を討ちたがっているからこその一手なのだろう。
「鉄砲騎馬隊は撃ち終わった一陣だけ預かっていきます。弾込めを終えたら馬に乗れ! これより鉄砲騎馬隊第一陣は本陣へと駆ける! これは後退ではない! 気を抜くな!」
突然の目入れに戸惑うものの、素直に従ってくれる兵たちに感謝する。
やっぱり平手の兵はおおらかだな、と場違いな感想すらいだいてしまった。
「準備は終わったな? 行くぞ! 父上…ご無事で!」
『久秀eys』
「テメェ! なんでここに!?」
「ふん、兵法は常道だけではないということよ!」
突如現れた山県昌景率いる数百騎程だろうか。
見事に背後をつかれ、強襲されている最中だった。
なんだ!? 意味がわからねえ!
鉄砲騎馬隊は成功を収めたんじゃないのか?
「オラァ! よそ見してんじゃねえぞォ!!」
「ぐぁぁっ!! ってー!!」
―――ガキンッ!!
獣のような男の槍の一撃は今までにないくらい強烈で、手がしびれたのも始めてだ。
なんだ!? テメーチートか! チートなんか!!
「っていうか攻撃する前に名を名乗れよ!」
「ハァ? これから死ぬ奴に……、まァいいか。ワシは馬場信春。武田四天王が火の将、侵略すること烈火のごとくってなァ!!」
「あ、どうもご丁寧に。 俺は平手久ひぃぃぃッ!?」
―――ガンッ!!
間一髪武一文字で受け止める。
人が挨拶し返そうというのになんて短気で失礼なヤツなんだ!
「俺の名前は山県昌景だ。武田四天王筆頭、山の将だ」
「お前に言ったんじゃねぇんだよ!!」
天然なのか計算なのか、ヤル気がゴリゴリ削られていく。
なんてやりにくい相手なんだ。
凸凹ってレベルじゃねえな。
「ったく、よくもまあ、四天王二人がこんな後方に現れるのかねえ。ウチの陣営はザルなのか?セコムしてるのか?」
目の前で敵対してるのは山県昌景、馬場信春率いる数百騎。
一応俺の方は親衛隊みたいな百人しか連れてなくて、伝令は出したが間に合うかどうか。
っていうか来た所で太刀打ち出来るかどうか。
この数百騎、親衛隊クラスのメッチャ手練くさいから同じ数だけ来ても瞬殺コース間違いない。
「っつーか本陣はどうしてるんだよ。 お前らがこんなところにいちゃ指揮とる奴なんていないだろ?」
俺の言葉に山県昌景は口角を上げると、
「さて、どうなっているのやら」
すげーウザい!
確かに敵にペラペラ情報しゃべるやつなんか漫画の世界にしかいないけど!
くそ、こうなったらコイツラに関わってる暇はないな。
ちなみに増援に数十人着たけど、俺を助けに来る前に親衛隊にやられちまった。
直接手は出してこないけど、俺が逃げようとすれば邪魔して、割り込もうとする奴も邪魔する最高にイカれた親衛隊だよ畜生!
「―――隙あり!」
山県の一撃が、注意がそれた瞬間に膝へ突かれる。
チートボディのお陰で傷はないが、バランスを崩して無様に転がってしまう。
「オラァ!」
馬場もその隙を逃さず追撃で俺の首を飛ばそうと突いてくる。
「!?」
俺は咄嗟に首ではなく『顔をガード』する。
あぶねえじゃねえか!
「…?」
くそ、怪しんでやがる。
今まで上手く『隠してた』んだが……さすがにバレたかなこれは?
「ふん、どういうカラクリかはしらぬが、そう考えてみれば納得できるな。貴様の不死身ぶりも」
「オイオイ、不死身はワシの代名詞だぜ! まァいい、またとない好機だ、一気にやっちまおうぜェ」
「クソッタレ……っ」
ジワジワと二人が間合いを詰めてくる。
人生最大のピンチだ。
さすがに『死ぬ』かねこりゃ…。
「はぁ!!」
「つぁりゃ!」
―――ガキンッ! ガンッ! ゴンッ!
様子見の間合いを凌ぎ合いによる槍の交差。
才蔵に指南してもらっただけあって、少しは打ち合えるようになったが、このレベルの相手だと付け焼刃だ。
「くっ!」
ついに態勢を保てなくなって来て、狙いすましたように、
「ワシ達二人相手によくやったぜ。だから……」
「――――?!」
間違いなく不可避の攻撃。
これを食らえば間違いなく俺は死ぬ。
クソッタレ…ここまでか……!!
その時、俺は初めて運命ってやつを信じたように思う。
だって都合がよすぎるんだもんなぁ。
「父上ェェェーーーッ!!!!」
とどめを刺そうとした鬼美濃に勢いそのまま凄まじい一突きを放つ。
さすがの鬼美濃もその攻撃を避ける事が出来なかったのか、左肩を貫く一撃を氏郷から食らったようだ。
肩を抑え動きが緩慢になった馬場を尻目に氏郷はそこで止まらず、
「鉄砲騎馬隊、構え!!」
数十機連れてきた鉄砲騎馬隊が騎射の体制に入る。
その標的は、山県昌景、馬場信春。
氏郷は一切の躊躇なく、
「撃てぇ!!」
――――ダンダンダンダンッ!!
「ぐぅ…ッ!」
其処に立っていたのは山県昌景を片手で押し倒し、庇うように銃弾に撃たれた馬場信春の姿であった。
体中に穴が空き、もはや致命傷である。
「ご…っ!」
吐血で口元が真っ赤に染まる。
だが口の中の血を飲み下し、口元を拭う。
そして何事もなかったようにフラリと立ち上がり、
「………親衛隊、山県を二俣城へ…」
そう言って、方天画戟のような槍を軽々と此方へと向けるのであった。
「しかし、馬場殿は…っ」
「………ワシァ、不死身の鬼美濃よォ。鉛玉などで、くたばるわけ無い……だろォ、が…」
言葉だけを聞けばそうだが、顔は蒼白で、今にも倒れそうな出血量だ。
もはや生きているだけでも奇跡に近い状態であった。
しばらく親衛隊は悩んだが、山県を逃がすことを優先したのかその場を去っていく。
その姿を眺めながら、どこか満足気に口角を挙げた。
「……さァ、続きを、しようか…」
「おい…その傷で無茶は―――」
「―――応。平手氏郷、お相手仕る」
俺の言葉を遮るように氏郷が俺の前にでて槍を構える。
その言葉を聞き、カカと笑うと両者は相対する。
俺はそれ以上言葉を挟むことは出来ずに、黙って間合いから身を離した。
俺の迷いに気づいたんだろう。
だから氏郷はいち早く鬼美濃との決着に踏み切ったのだ。
もうこの時点で生き延びる術はない。
死ぬ間際に願うことは一体何なのか。
それは子供に看取られる事を望む者、静かに息を引き取りたい者色々居るだろう。
武田四天王火の将馬場信春。
不死身の鬼美濃と呼ばれた彼は戦に生き戦に死を求める者出会ったというだけの事。
――――そう、ただそれだけのことなのだ。




