第十三話 天下布武、平手久秀『武』の一文字
「おい、久次郎。これを見ろ」
美濃を平定し、戦後処理に忙しい俺を呼び止める信長。
寝不足で太陽が黄色く見える俺にとって、若干ウザイくらいの満面な笑みである。
戦争して勝ってめでたし、というわけには当然いかず、むしろここからが内政官の戦場になるのである。
改めて言うが、俺は内政官寄りの武官なので当然戦後処理に忙しい身である。
俺の抱える書類の束を見ればそれくらい察してもらいたいものだが。
「いいから見てみろ」
「……俺、今結構忙しいんだけど…」
などという俺のボヤキを信長が憂慮するはずもなく、その手に持つモノを俺に渡してきた。
俺は諦めて書類をまとめ片手に持ち替え、空いた手でそれを受け取る。
「? なんだ、印鑑……か?」
真新しいソレは、丁寧に作られているのがわかるほど精巧なものだ。
文字が彫ってあることから察するに印鑑の類であることは間違い無いだろうが、正直印鑑だから何なんだという話である。
「掘ってある文字は…天…ああ、後はなんかよくわからんな」
俺がその文字を何とか読み取ろうとする中、信長は、
「天下布武」
「は?」
俺が呆けた顔で信長を見ると、再びその言葉を口にした。
「それに掘られている字は天下布武だ」
「天下布武…」
「俺は美濃を取り織田家は周辺諸国の無視できぬ大国へと生まれ変わった。俺の兼ねてからの念願である天下を併呑する足がかりを得たといってもいい。決意を新たにすると共に新たな織田家の、俺の意志としてこの言葉を使うことにした」
俺は信長の言葉に半ば呆然としてしまっていた。
―――天下布武。
それははるか未来まで伝わる織田信長を象徴する言葉である。
『日本全国を武力で統一する』という信長の意志であり、これから始まる天下統一への道のりに対しての決意の現れであったはずだ。
事実、史実の信長は、第六天魔王とまで呼ばれるほど効率的なまでの残虐性で、天下布武を知らしめるため、あらゆる敵を殺し尽くしてきた歴史上に名を残す大量虐殺者である。
必要とあれば誰であろうと殺す。
たとえそれが身内であったとしても、だ。
「………」
俺は言葉にならない思いが頭を駆け巡る。
やはり歴史は信長を魔王にするのか。
信行が生きていても、俺という理解者がいたとしてもソレは変わらないのだろうか?
「ふん、半兵衛と同じような顔をしおって。全く、人を何だと思っておるのか」
半ばぼっとした視界に見えるのは、いつもの信長。
俺の部屋でベロベロになってはグダを巻いて、人の迷惑を考えずに人をこき使う…俺の親友。
そう、いつもと変わりない、俺の知っている織田信長だ。
「お前…」
俺が落ち着いたの見て、信長は言葉を続ける。
「いいか、天下布武とは天下を武によって統一する事に非ず」
「え?」
「頭の悪いお前にわかりやすく言えば、武は武力ではなく七徳の武を意味する。七徳の武とは、暴を禁じ、戦をやめ、大を保ち、功を定め、民を安んじ、衆を和し、財を豊かにするの七つを意味を持ち、それら全てを兼ね揃えた者が天下を治めるに相応しい…そういう意味だ」
「七徳の武……?」
わかりやすくといった割には全然理解できねえよ、という言葉が出かかるが、信長の顔を見てその言葉は口にすることはなかった。
「俺が天下を治めるという意志に変わりはない。だがそこに込められた意志が大きく、崇高であればあるほど価値がある」
そう言ってこっちを向き、いつもの様に口角を上げ俺に笑みを浮かべる信長。
「そして武とは戈を止めると書いて武とも読む。何者も倒すことができぬお前の旗印にぴったりではないか?」
そう言って、俺に向かって懐から布を取り出し俺に投げ渡す。
俺はソレを受け取り広げてみると、そこには一言だけ書かれた旗。
その旗印は『武』の一文字。
「桶狭間の時のように力を持って道を切り開くのも『武』としては間違っていないだろう。だが稲葉山城で少数によって城を死守したように、攻め寄せる戈を止めることもまた『武』なのだろうな」
そう言って信長は、用が済んだとばかりにこの場を後にした。
「敵を討ち勝利に導くのも『武』、敵の戈を止めるのもまた『武』……か」
今はまだ良くわからない。
力を使うことは昔を思い出し、あまり好きではない。
出来れば力を使うことなく、このまま過ごしていたい。
しかし、
―――だからと言ってそこで立ち止まるのか?
―――他人に傷を押し付け、自分だけ綺麗でいようとしているのではないか?
俺は言葉に出来ない思いを握り締めるように、しばしの間『武』の一文字の旗印を見つめ続けていた。
この日より、織田信長は天下布武を掲げ、平手久秀の旗印は武の一文字を掲げることになる。
それは新しい織田家を象徴する二つの指標となっていく事を、今はまだ誰も知ることはない。
永禄11年(1568年)
信長、将軍家嫡流の足利義昭を奉戴し、上洛を開始
六角家に上洛の手助けをするように使者を送る
要は、足利義昭様を上洛させる為には北近江の浅井の領地はもちろん、六角家の領地を通らなければならないため、手を貸すようにと現当主である六角義治に通達をしたのである。
ようは浅井と同盟を組んだ時と同じような手で六角も篭絡しようというのであるが、いささか乱暴すぎてヤクザにしか見えねぇよ。
いや、戦国武将なんてヤクザみたいなもんだけどなぁ。
おっと、そろそろ使者が戻ってくる時間か。
どうなったかな、と。
そうしているうちに使者が戻ってきて報告を始める。
だがその内容は、誰もが思いもよらないものであった。
「だが断る(意訳」
その言葉を聞いた瞬間、陣にある椅子が、とある人物の暴行によって全身打撲を負い、その生涯を終えたのは言うまでもないことである。
半兵衛が言うには、なんでも信長が来る少し前に、三好三人衆が六角義治の居城である観音寺城に出向き、織田軍の侵攻に対する評議を行っていたらしい。
ようは三好三人衆は義昭の上洛を防ぎたかったため、策を弄し織田の上洛を妨害したのである。
それに応じた形となったのが六角義治であるとのこと。
っていうかこっちは義昭上洛の名のもとに来ているっていうのに、凄い強気だなぁ。
そんなことを思っていると、明智殿がなぜそんな経緯に至ったのかを説明してくれた。
どうやら京で三好三人衆と松永久秀が将軍・足利義輝を殺害したあの事件の後、義昭はまず朝倉ではなく六角を頼ったらしい。
だが、義昭が亡命してくると一時的には匿ったが、三好三人衆が管領職などを条件にして義治を誘ってくると、義治はこれに応じて義昭を追放したのだという。
あちゃー、それは気まずい。
一度追放したのに、今度は助けますって言われても不信感は拭えないわなぁ。
さすがにこの事態に対して信長と半兵衛は考えたが、実力行使以外での選択の余地はなく、六角家との戦の口火が切られたのである。
平和的解決ってなかなか難しいもんだよなぁ。
永禄11年(1568年)
信長、六角に侵攻。
対する六角も三好氏の勢力と対信長で共闘する事により織田軍不利に陥る
思わぬ横槍が入ったことで、ちょっと状況が不利に傾いてるなぁ。
事態は一進一退の様相を見せてはいるが、若干織田軍不利なのは明らかだ。
なかなかに戦況は逼迫しているといえる。
そんな中、俺はせっせとある物を作っていた。
「これをこうして…と」
「何をなさっているのです!? 敵はすぐそこまで来ておりますぞ!?」
よほど呑気に見えたのか、秀長が俺に対して諫言してくる。
いやぁ、秀長はまじめに働いてくれるし、人格者だからなぁ。
秀吉が平手家を去っても残ってくれないかなぁ…無理だろうなぁ…。
「よしできた!!」
俺は出来上がったそれを持ち上げ、構えてみせる。
特注で作らせた俺だけの秘密兵器だ。
「な…? ひ、平手殿それは…?」
「上洛前に鍛冶師に頼んでおいてね。ネジっていう最新技術を使った組み立て式の…あ、知ってる? ネジって種子島にも使われている重要な――」
「は、はぁ…。私にはネジなるものは…」
「だろうね」
ちょっとした未来知識だし。
頼んだ鍛冶師にもお前は天才だー! とか持ち上げられたし。
と、そんなことしてる間にも、戦闘が始まりそうだ。
「じゃ、ちょっと行ってくるわ」
「は? …ちょ、お待ちを…!!」
秀長の制止の声を背に受けながらも、俺は兵の前に一歩出て、その秘密兵器を空に掲げた。
その姿に敵兵から動揺の声が上がる。
「……なんだ…? アレは槍か?」
「いや、旗じゃねえのか? ほれ、旗印がついとる」
「それにしてもバカデケェ旗だな」
「なになに…旗印は……『武』…か? 聞いたことないのう」
両軍が混乱している中、俺は手に持つ『ソレ』の石突で思い切り地面を撃つ。
―――ゴォンッ!!!
その瞬間地面が揺れるような錯覚と、炸裂音が響き渡った。
周囲が静まり返ったのを確認した俺は、一つ深呼吸をしてから口を開いた。
「我が名は平手久秀! 手に持つは我が旗印にして『武』を冠する愛槍『武一文字』! このまま我らと交戦するなら、この『武』はその名のごとくお前達をなぎ倒し、我らが身に向かう戈を止めるだろう! だが交戦しないのであれば、この『武』はその名のごとくお前達への戈を止めるだろう!」
口上が終わると、そのまま掲げた武一文字の穂先を地面へと叩きつけた。
―――ドオォンッ!!!
兵こそ巻き込んでいないがそこら辺にあった岩や木が吹き飛んでいる。
地面には何かが爆発したような陥没後があり、その威力を物語っていた。
さすがに特注で作ってもらったネジでつなぐ組み立て式の大槍だ。
とにかく頑丈にしてもらっただけあって、多少重い(俺以外は持つことで精一杯らしい)が使い勝手は上々だね。
それじゃあ、初めますか。
―――俺の『武』ってヤツを!
「さぁ、死にたい奴は前に出ろッ!! 死にたくなければここを去れッ!!」
その言葉を口火に戦いの火蓋は切って落とされた。
結局織田全体としては撤退に終わった戦いだが、局地戦である俺の戦場は完勝だったといっておこう。
さすがに『武』の旗印を掲げた初戦で、あんな口上したうえに負けたら洒落にならないからなぁ。
恥ずかしさで死ねるぞ、マジで。
ホント、勝てて良かったわ。




