心友の電話帳
雪の強い夜は、いつも嫌な予感しかしない。
午後11時20分、自宅にいた私に電話が来た。
「あ、もしもし夜遅くにすみません。警視庁の酒本と申します」
そのあとも色々と一通りしゃべったあと、
「実はあなたのご友人の方が亡くなりましてお話をお伺いしたいのですが…」
私は友人宅に車を走らせた。
ちらちらと雪の降る中、友人宅の前にはパトカーが2台。そのすぐ横に車を止めて中をのぞくと、背の高い男が広い庭をあっちこっちウロウロしている。かなり忙しそうだ。
しばらくして男がこちらに気付いて近づいてきた。
「どうも、酒本です。お待ちしておりました、お入りください」
電話越しに想像していた通りの、体格の良い色黒の男だった。私は酒本警部に友人の部屋へと連れて行かれた。
どうやら友人の遺体は既に移動されたようで、なんだかいつもよりも彼の部屋がさみしく感じた。
なぜ私が部屋まで、つまり殺害現場まで連れてこられたのかというと、ただの友人ではないからだ。私は彼とほんの2時間くらい前までこの部屋にいたのだ。
他にも2人、私も知っている彼の友人が部屋の隅で事情聴取を受けている。窓辺に置かれた椅子に座っていた私は、彼のことを思い出しては窓の向こうでしんしんと降る雪を見て気を紛らわした。事件の詳細を聞くことができれば、何か私にもするべきことが生まれるだろうに。
そうしているうちに酒本警部がマグカップを片手にやって来て私の肩をたたいた。
「寒いなか、すみませんね。メイドさんがコーヒーをと」
「ありがとうございます。私も何がなんだかわからなくて」
そう言って飲んだホットコーヒーはひどく冷たく感じた。
「警部!!」
場違いな大声で小柄な男性が小走りでやって来た。
「早見、声のボリュームを考えろ。お前は壊れたラジカセか」
一言余計な気がした。ぺこぺこと頭を下げたあと早見さんが酒本警部に耳うちする。
「被害者についてですが、外傷が首回りだけで抵抗した跡が無いことから、睡眠薬か何かで眠らせて絞殺されたと思われます」
丸聞こえなんだが…。大丈夫か、この人?それを察したのか、酒本警部が早見さんをぽかんと叩いて何か言うと、早見さんはまた小走りで去っていった。
私がコーヒーを飲み終わると、さっきまで隣で電話をしていた酒本警部が電話を切って、ちょうど目が合った。
「こういうことをご友人にお尋ねするのも気が引けるのですが…」
酒本警部が申し訳なさそうな顔をして言うので、
「構いませんよ。私なんかの情報でもお役に立てるなら是非」
となるべく笑顔で言った。本当は顔が引きつっていたのかもしれない。酒本警部は深くうなずいて胸ポケットから黒い手帳を取り出して言った。
「とりあえず、10時頃どうしていたか教えていただけますか」
「10時頃ですか?確かその頃はちょうど私がこの家を出てコンビニに向かったくらいですかね」
「コンビニ……なるほど」
気がつけば部屋の時計は0時を過ぎていた。相変わらず外の雪は降り続け、ごうごうという音を奏でて深夜の空を白く染めている。
「それからコンビニに行って彼の母から薬をもらったんです」
「…薬ですか?」
警部の手の動きが変わる。
「はい、彼が風邪気味で、薬が切れたからもらってきてくれと言われて」
「コンビニに着いたのはいつ頃ですか?」
「着いたのは10時10分ぐらいですね。そのあとコンビニ前で電話をしていました。これです」
私は携帯電話の着信履歴を見せた。
「怪しい人物とか見ませんでしたか?」
「ええ、特には」
「そのあとはどうされたんですか?」
「それから、自宅に戻ってもう一度電話をしました」
「ああ、これですね。被害者に電話されたんですか?」
「はい、自宅で『もう少ししてから行く』という電話を」
「コンビニ前で電話されてた鏡野さんはあちらの?」
「あ、はい」
鏡野はさっき部屋の隅にいた二人の友人のうちのひとりだ。
「もしかするとこれは…」
「プルルルルル!!」
突然、警部の携帯電話が鳴る。
「はい、もしもし酒本……なんだ、0時のアラームか」
いや、なんでアラーム音と着信音間違えるんだよ。
「職業柄、時間だけは正確に把握しておかなければならないので」
「プルルルルル!!」
再び警部の携帯電話が鳴り響く。
「はい、もしもし酒本。ん、おお、そうか、分かった」
同じかよっ!メロディ同じかよ、そりゃ間違えるわ。
「ああ、20分か…」
そう言って電話をしながら手帳を見た警部が顔色を変える。
「また何かあったら電話してくれ」
電話を切った警部がこちらをちらと見て、それから、
「早見!早見!」
いつものように大声で返事をして走ってきた早見さんは警部に手帳で頭を叩かれる。それにしてもいいリアクションだ。
「被害者の胃から睡眠薬が検出されたそうですよ。予想通りですね、警部」
警部が口の前に人差し指を持ってきて早見さんをにらむ。
「鏡野……なるほどな」
「どうされました?警部」
酒本警部は首をかしげる早見さんに手帳を見せて答える。
「犯人は恐らくこのなかにいる」
何…!?
「だが、まだ証拠が足りないんだよ」
警部が真剣な顔で手帳を見つめて頭をかく。
「えっ!?ということは犯人の見当は…」
「ああ、大体な」
すごい…!!
犯人の見当が?私はどうすればいいのだろう?このまま警部さん達が捜査するのを指をくわえて見ているのか?それとも盗み聞きを続けて一人行動か?それとも警部さん達と一緒に証拠探しか?
今の私には、どれも自己満足にしか感じなかった。ただ、理性が不安定なのをいいことに、いままで黙っていた欲求が言葉に出てしまった。
「酒本警部、私にも手伝わせて下さい」
一般人の捜査協力、普通ならばダメだと言うのだろうけれど、犯人の見当がついていることもあってか、
「犯人はまだ言えない。だから私の言うものを探してほしい」
このときには既に、私に対して敬語だった警部の口調は変わっていた。
私は、勇ましく、けれどもどこか悲しそうに手袋をはめる警部の後について行った。
時刻は既に1時、心なしか皆眠そうだ。それは私も同じで、警部に言われたものを探しながら同時に襲い来る睡魔とも闘っていた。
「被害者の日記だ。この部屋のどこかに必ずある」
日記?彼とは長い付き合いこそあったものの、そのようなものの存在は知らなかった。
「警部、ありました!!」
日記の中身を一通り確認した酒本警部は、早見さんを叩くどころか、頭を撫でて一言。
「いい子でちゅねー」
中年男性が孫でもない人にこのようなセリフを吐くのには寒気を覚えた。
「早見、感激です!!」
お前も嬉しがるな。
「被害者が毎晩10時に日記を書く習慣があるのを、彼の母が知っていたらしく、電話があった」
そう言いながら日記と手帳とを交互に見る酒本警部。
「ぼそぼそ……」
「え?何か言いましたか警部?」
「…早見、ここにみんなを集めてくれ」
このときの酒本警部には嘘みたいな落ち着きがあった。
午前1時20分、彼の部屋にみんなが集まった。
私の他に、酒本警部を始め、早見さんや他の警察の方が何人か、彼の両親と兄、この家のメイドさん、そして彼の友人である嵐山と鏡野、関係者が全員集まった。
「こんな深夜に再度お集まりいただきありがとうございます」
警部が軽く頭を下げて話し始める。
「こうして集まっていただいたのは、私の口からこの事件の真相をお話しするためです」
皆、驚きを隠せぬ表情で警部を見つめる。
すると、鏡野が自分の座っていた椅子を蹴飛ばして立ち上がり、
「真相って、犯人が分かったってことかよ!?」
「ええ、そしてその犯人は恐らくこの場にいます」
窓の外の雪が強くなった気がした。
「今から、時間の経過とともにみなさんの行動を確認していきます」
警部はそう言って早見さんが持ってきたホワイトボードに何か書き始める。
「みなさん、今回の事件の被害者の死亡推定時刻は10時20分から40分の間、全員にアリバイの存在した、いわば『空白の20分』です。その空白の20分の裏でもう一つの事件が起きていました。ご存知ですか?」
それを聞いた鏡野がはっとした顔をして言う。
「コンビニ強盗事件か!」
「その通りです。ここから車で10分の場所にあるコンビニで、10時20分、強盗事件が発生しました。そして、その事件の関係者もこの場にいるんですよ」
強盗事件?それが何か関係あるのか?
「そうですよね、ご夫妻?」
警部がそう言うと、その視線の先の彼の両親がこくりと頷く。
「10時20分、みなさんは何をしていましたか?」
まず、嵐山が答える。
「わ、私は10時30分まで仕事をしていました」
早見さんが手帳を開いて警部に見せると、警部はホワイトボードに書かれている嵐山という名前の下の30分までの枠にバツ印を書いた。
次に彼の兄が答える。
「俺は、メイドさんに電話を代わってほしいと言われたので父の会社の人と40分くらいまで電話していました」
早見さんがうなずくと、警部が同じようにバツ印を書いていく。
次に彼の父が、
「私は母さんと一緒にコンビニにいて強盗の声を聞きました。すぐに警察が来たので逃げていきましたけどね」
早見さんが手帳を見せると、彼の両親の枠は全てバツ印になった。そうか、彼の両親はその強盗事件の現場にいたのか。
次に鏡野が答えようとすると、警部が一枚の写真を取り出し、
「実は、コンビニ店内のカメラに犯人の顔が映っていたんです」
と言って、裏返した写真にはっきりと鏡野の顔が写っていた。
「鏡野さん、あなたが強盗事件の犯人ですね」
警部に肩を叩かれた鏡野は、何も言わず下を向いていた。
「…鏡くんが犯人なの?」
嵐山がかすかな声でそう言った。
「そうです、鏡野さんがコンビニ強盗事件の犯人です」
酒本警部が写真をテーブルの上に置く。
「ですが、10時55分に私が鏡野さんの自宅にかけた電話に、鏡野さんは出ました。コンビニからの距離を考えると、彼は殺人犯ではありません」
嵐山が糸の切れた操り人形のように力をなくして椅子に落ちる。
10時20分に強盗犯が?しかもそれが鏡野?
私の頭の中が混乱して思考回路はぐちゃぐちゃだった。
そのとき、警部に肩を叩かれた。
「あなたは10時20分、何をしていたんですか?」
『コンビニ前で鏡野と電話』
あのときの虚言が脳裏によぎった瞬間、顔から汗が噴き出した。
「私の手帳には『コンビニ前で鏡野さんと電話』と書かれているんですが、おかしいですね?」
顔の至る所から出た汗が顎に集まりぽたぽたと落ちる。
「あれだけ具体的に話してくれたあなたが、目の前で起こっていた強盗事件については一言も口にしなかったのはどうしてでしょうか?」
汗が出るたびに体が熱くなってゆく。
「あなたがあの場にいなかったからですよね。つまり…」
警部が私を指さして言った。
「真犯人は、あなたです」
心臓が締め付けられるように鳴り響くのと共鳴して、その都度血流が脈々と全身を駆け巡っていたこのときの感覚に、私は気味が悪くなった。
警部が見ていた私は、あのときから、私ではなく、彼を殺した私だったのだ。
そんな私を見て嵐山が言葉をこぼす。
「で、でも、そんなこと…」
「もういいよ嵐山、私が犯人だよ」
私はとうとう殺せなかった。
私は知っていた。彼がかつて、鏡野の恋人を金で奪ったことを。鏡野がそのことを恨んでいたこともすべて。
鏡野は不器用な男だった。だから、恋人ができたと聞いたときは驚いたし、嬉しかった。自分の事のように。
だから、彼の行為が許せなかった。
人として、男として、友人として。
私は、人の為にしか人を殺せない人間で、人の為にそんなことしか出来ない人間で、悪い事だと分かっていても自分を止めることが出来ない人間で、そんな私は鏡野よりも不器用だったのだ。
不器用な私はそのことにも気付かなかったのだ。
取り返しのつかないことをして後悔する私は、人の不幸の為に人を不幸にする私は、出来ないことしか頑張ろうとしない私は、どうしようもなく被害者で、最終的には加害者だった。
そんな私に酒本警部が近づいてきて、
「あなたは人の為に動くことのできる人間だ。あなたの今の仕事はそこに関係しているんでしょう」
そう言って彼の日記の一番最後のページを私に開いて見せた。
『心友の電話帳』というタイトルのそのページには、私たち3人の電話番号が。
そしてその下には、
「嵐山へ、いつも仕事お疲れ様。お前にはいつも迷惑かけてばかりで、それでも毎日頑張ってるお前に憧れてた。困っているときはお互い様だから、たまには俺を頼れよ」
「鏡野へ、彼女のこと、ごめんな。向こうから言ってきたんだ。だけど俺、お前の恋人だって知らなくて。あいつも俺の金が目的だったんだ。お金を盗まれたこともあった。でも、ずっと言えないままで、俺って不器用だなあ。それを気付かせてくれたのはお前だよ。ありがとう」
そして私宛の文章も続けて書いてあった。まるで遺言のように。
そうだ、私たち4人はいつだって『心友』だ。誰かが困っていたら誰かが助ける。そうしてみんなで支えていく。そうして4人でやってきた。
それなのに私は…
いつの間にか外の雪は粉雪になっていた。寒さを忘れていた身体が再び冬の寒さを思い出したように震えだす。寒いのに熱い、この震えはなんだろう。
「悪いな、俺が強盗なんてしなきゃお前も捕まらずに済んだのに」
「どうせ私の事だ。いずれ捕まっていたさ。これからしっかり罪滅ぼしをするよ」
「そうか、じゃあな」
「ああ…」
鏡野は静かに泣きながら車に乗り込んだ。
街灯に映えた粉雪が虹色に輝き、にわかに車道を照らす深夜、氷のように冷たく冷え切った両手を手錠に通した私は、心友の暖かさに触れ、涙は雪に溶けた。