the ark 05
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三時になってもイルは〝図書室〟にこなかった。
代わりに、三時二分に端末へ連絡があった。両親といるから今日はいけそうにない、と。ぼくはリーダーでそれを読み、どうしてぼく宛になっているのか考えて、どうやらそれが正しいらしいと気づく。
レンは、連絡は受けていないが、明らかに理解していた。イルがこない理由も、この先どうなるのかも。カレンも同じように理解しているようだったが、ふたりの反応はまったく異なっていて、レンはイルの選択を裏切りのように感じているし、カレンはそれが当然だというように考えている。ぼくはただ今日はこられないという事実だけを受け取って、了承したという事実だけを返した。
端末を部屋の外へ放り出してドアを閉じる。〝図書室〟は今日も静か。活動人数が昨日を境に激増したことなどまったく感じさせない。しかし今日はいつものように「なにを読む?」という言葉はない。代わりにレンはいった。
「結局、わたしたちはこれからどうすべきだと思う?」
「どうすべきもありません」とカレン。「やりたいようにやれば、それでいいんですから」
「あなたに指図されたくないわ。もうキャプテンでもないんだから」
「そうなの?」となにも聞いていなかったぼく。
カレンはうなずき、「もともとわたしは最年長だからキャプテンを代行していただけですから。大人が活動しはじめるようになれば、当然その権利はいまの年長者に移ります」
「そうなんだ。いままでごくろうさま」
「そんなことはどうでもいいのよ。ヴァン、あなた、状況がわかってる?」
「わかってるよ。大人たちが目覚めた。ぼくたちに家族ができた。そういうことだろ? きみたちの両親も目覚めたんだから、まちがいじゃないはずだ」
「そうね。大人たちは目覚めて、わたしたちには家族ができた。でも、家族? 顔も憶えていないし、いままでなにもしてくれたことのないひとが父親で母親だなんて。カレンやイルはそれでいいのかもしれないけど、わたしはいやよ。信用できない」
「信用できないっていっても親なんだから」
「だけどあなただって父親と母親に会っても別になにも思わなかったでしょ。これが父親で母親なんだって教えられても」
「まあ。そうなのかって感じだったけど」
「ここだけの話だけど――」
宙に浮かぶレンがそんなふうに言い出したとき、ドアが開いた。顔を出したのはくすんだ金髪をした若い男。ひとのよさそうな笑顔を浮かべて、彼はいった。
「ふたりとも、ここにいたのか。どうだい、いっしょに食事でも?」
どうやら彼がカレンとレンの父親らしい。若くてはつらつとしたひとだ。カレンは苦笑いのような顔で首を振り、レンはなにもいわずそっぽを向く。関係のないぼくは当然なにもいわない。これでは埒があかないとカレンが口を開く。
「ごめんなさい、お父さん。わたしたち、もう食べてしまったから」
「ああ、そうかい。じゃあ夕食、また誘うよ。それじゃあ」
男は去り際、ぼくをちらりと見た。敵意のない目。なにもいわなかったが、ぼくは彼が一般的に見て悪いひとではないと理解した。だからどうというわけでもないが。
ドアが閉まるとレンはいかにも忌々しそうな顔をして、
「昨日会ったばっかりなのに、もう父親みたいな顔をして。冷凍されたせいで脳細胞が破壊されたんじゃないかしら」
「まあ、多少ぼんやりしてるのは仕方ないよ。向こうもどうやってぼくたちに接したらいいかわからないんだ」
「だとすればどう接するべきなのかたずねるべきでしょう。自分で推測するよりもずっと正確で無駄がない」
「そんな簡単な問題ではないんですよ」とカレン。
ぼくはまたレンが怒り出す前に、「カレン、きみはもうキャプテンじゃなくなったんでしょ。敬語である必要はなくなったんじゃない?」
レンからは、こんなときになにをいっているのだという視線。カレンはすこしためらうような間のあとに微笑む。
「そうね。それじゃあこれからこうやってしゃべることにするわ」
「レンみたいだ」
「似てないわよ、ぜんぜん」とレンは顔をしかめる。「それよりもわたしたちだけで話しあう必要があると思わない?」
「ああ。さっきなにかいいかけてたけど」
「その前に、カレン。キャプテンの権限で各部屋の音声を拾える?」
「各部屋のスピーカーに音を流すことはできるけど、こっちからの声は室内から通信状態にしないと」
「盗聴の心配はないのね。ヴァン、廊下を見て」
ドアを開ける。ぼくの端末が浮かんでいるほかはだれもいない。
レンはしっかりうなずき、それでも念を入れてということなのだろう、ぼくたちを手招きで呼び寄せる。カレンはすばやく、ぼくはぎこちなくレンのそばに身体を固定する。
「いうまでもないと思うけど、これはわたしたちだけの秘密よ。ほかのだれにも教えちゃだめ」
「イルにも?」
「しっかり口止めするなら別にいいけど、信用できないと思うなら話さないほうがいいでしょうね」
「それで、秘密の話っていうのは?」
「五年後、この船は新しい星に着くわ」
レンは室内に宇宙空間を投影する。壁も床も天井もなくなり、ぼくたちは生身で宇宙を漂った。もしだれかが部屋に入ってきても遊んでいるように見えるだろう。〝先生〟にも。
「新しい星を目指す理由はわかってるわね」とレンは小声で囁く。
「そこを人類の新たな拠点にする」ぼくが答える。「もう住めなくなった地球の代わりに、そこで人類史の続きをやる」
「そう。そのためにわたしたちは何世代もこの船に乗って旅を続けてきた。もう五年で目的地に着くのよ。そうすれば、いまはまだ眠っている大人たちも起き出して新たな星に最初の都市を造るでしょうね」
「それがどうかしたの?」とカレン。
「話はこれからよ。ねえ、考えてみてよ。新しい星に住み着くなんて、いうのは簡単だけど、実行はそう簡単にできないはずでしょう。技術的な問題じゃない。人間的な問題。いってみればわたしたちは未来の知識を持ったまま原始の時代に帰るのよ。自分の住処を確保するためにだれかを力で追い出していた時代に」
「……領地の取り合いがあるってこと?」
「それはもうはじまってるとわたしは考えてる」
部屋全体に暗い宇宙が投影されているが、室内の照明は消えていない。ぼくたちは宇宙の暗闇に浮かんでいながら互いをはっきり見ることができる。レンはまじめな顔をしていた。カレンも相手の正体を確かめようとしているように目を見開き、レンを見ていた。
「おかしなことはいくつもあるわ」レンはドレスの裾を握る。「どうしてわたしたちは、ついこのあいだまでたった四人で船内に残されたか」
「そりゃあ、冷凍するわけにはいかないからだと思うけど」
「だけどわたしたちのほかには、大人はだれひとりいなかったのよ。いまのわたしたちくらいなら、それぞれひとりでも充分に生活できる。でもわたしたちが四人だけになったのは言葉もあまり知らないような時期でしょう。親が子どもを自立させるのは早すぎる」
「代わりに〝先生〟がぼくたちの世話をしてくれた」
「機械がね。でも生身の人間のほうがいいに決まってる。わたしたちは他人の体温を感じたことがある? だれかに抱かれたりした記憶は? そういうものが成長にどれだけ必要なのかはわからないけど、まあ、ないよりはあるほうがいいでしょうね。普通に考えれば、その時期に子どもたちだけを残して自分たちは冷凍されるなんて選択をするはずがない」
「この船ではそういう伝統があるのかも」
「わたしはこの船の、過去の記録を見たことがある。昔は冷凍されることを望む人間とそうじゃない人間に別れて、子どもの面倒は冷凍されずに年老いていく人間がしていたの。わたしたちみたいに子どもだけを残してほかは全員眠るなんてことはなかった」
「だとするとたしかにおかしいけど、それと領地の取り合いにはどんな関係があるの?」
「簡単なことよ」レンはぼくとカレンを交互に見る。「わたしたちは四人だけで船に残された。なんらかの理由があってそうしなければならない状況にあった、と大人たちは説明するでしょうね。それはある意味では真実だけど、大人たちのいう理由はうそよ。だけど大人たちはわたしたちがいることで減速フェイズに入る前、つまり通常の予定よりもずっと早い段階で目覚める正当性を得た。やむをえない事情があって子どもたちだけを残したけれど、どうしても心配になって早く目覚めたのだとね」
「だれに対する正当性?」
「まだ眠っている大人たちに対しての正当性よ。つまり、いま目覚めている大人たちは、ほかの大人たちが目覚める前に自分たちに有利な工作をしようとしているのよ。新たな星で、自分たちが支配者階級になれるようにってね」
レンは警戒するように耳を澄ませた。ぼくたちの呼吸する音以外はなにも聞こえない。
「全員が同時に目覚め、同時に星へ降り立つなら」とレンは続けた。「まったく同じ条件からの勝負になるわけよね。そこで通用するのは個人としての力とか、あるいは正当な団結による力。だけどある一部のひとたちだけが先に目覚め、不当な団結をしたとしたら、あとから起きたひとたちには対処のしようがない。それだけじゃないわ。もしかしたら勝負自体がなくなるかもしれない」
「勝負自体が?」
「眠っている人間が起きている人間に干渉することはできないけど、起きている人間は眠っている人間に対して好き放題に振る舞える。冷凍をすこし細工して永遠に目覚めることがないようにするのも、起きている人間にならできる」
「まさか」
「どこまでやるつもりなのかはわからないわ。でも、そのどこかの段階まではやるつもりでいるし、そのために彼らは一足先に目覚めた。減速フェイズに入る三年前に」
カレンはなにもいわなかった。ただだまってレンの話を聞き、それが終わると、考え込むように部屋のなか――広大な宇宙のなかへ身を浮かべた。
「だけどそれはおかしいよ」とぼくはいう。「たしかに早く起きて結託することはできるかもしれないし、やり方次第ではコールドスリープに致命的な誤作動を起こさせることもできるかもしれない。でも、結託はともかく、コールドスリープに細工をしてまだ眠っているひとたちを全員殺すことは無意味だよ。支配者階級になるには、支配されるものが必要だ。眠っているひとたちがそれに該当するならわかるけど、眠っているひとたちを殺してしまったら支配者階級になるための争いを小規模化させるだけだろ。メリットがない」
「眠っているひとたちが起きているひとたちの計画に邪魔なのかもしれないわ。起きているひとたちは、もう自分たちのなかでの取り分を決めてあるのかも。ここの地域はだれだれ、こっちはまた別のだれか、というふうに。そうやって山分けするなら人数はすくないほうがいい」
「過去に同じことを考えたひとがいなかったとは思えないけど」
「だからわたしたちを使って正当性を獲得したんでしょう。もし過去のひとたちが同じように考え、予定よりもすこし早く目覚めるつもりでいたなら、すでに起きているひとたちとのあいだにきっと問題が起こる。どうして早く目覚めたんだって。もちろん新しい世界での恩恵を独り占めするためだとはいえない。そのときのためにわたしたちがいる。わたしたちのために早く目覚めるしかなかったんだって」
「信用するかな」
「しないとしても、正当性は主張できる」レンは苛立っているようだった。「いまは、いってみれば重要な地点なのよ。あまり早くに目覚めすぎると星に到着するまでに年老いてしまう。あまり遅く目覚めると利がなくなる」
「なるほど。でも、それは過去にも考えられたことだと思うけど。星に着く手前でこんな騒動が起こるかもしれないって。なのになんの対策もされていないし、コールドスリープが細工させる危険があるなら過去のひとたちだってとても落ち着いて眠ってはられないと思うけど」
「それでも過去のひとたちは、死なないために眠るしかなかった。人間は、自分自身を律することはできても他人を律することはできない。他人が自分を律していない様子を見ると、自分だけがまじめにがまんするのがばからしくなる。そういうものよ」レンはリーダーを操作して宇宙を消した。「それにね、過去にはそういう争いを封じるなにかがあったかもしれないけど、それだって所詮人間が考えたものなんだから、完全じゃない。もう過去のひとたちの手によって跡形もなく消去されたのかもしれない。自分たちの計画の邪魔にならないように」
四時だった。
詳しい話は明日に持ち越され、ぼくたちは別れる。
目覚めたひとたちは、いつも所在なさげにいろいろなところを歩きまわっている。とくにやることもないのに司令室に入り浸っているひともいるし、部屋に籠もっているひともいるし、話し相手を捜して廊下に浮かんでいるひともいる。彼らを見ていると、そんなに退屈ならもうすこし眠っていればよかったのにと思う。それでも彼らはなにかの必要があって目覚めたのだ。ぼくたちのためか、自分たちのためか、それともどちらのためにもなるようないい言葉を見つけているのか。
ぼくはといえばいつもと同じように端末と勉強。〝先生〟だけはあの警報音の日以降もまったく変わっていない。
夕食のときに母と父が部屋にきた。だれかと食事するのははじめてのことだが、ひとりでする食事となにかが変わるはずもない。母はよくしゃべり、よく笑うひとだった。声にも大きな抑揚があり、演技でもしているように感情がわかりやすい。それに対して父は無口で無表情。母と自分との共通点はどれだけ探しても見つからないが、父とはなにかしらの共通点があるように思えた。
食事のあいだ、それが終わっても母はずっとしゃべっていたが、そんなに長時間なにをいっていたのかは憶えていない。もしかしたら意味のない独り言だったのかもしれない。ぼくや父が返事をしなくても母は一向に気にせず、自分がしゃべりたいことをしゃべっていた。
両親が部屋からいなくなるとぼくはすこし遅れ気味のノルマをこなし、ベッドに入って枕に顔を押しつけて眠った。




