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the ark  作者: 藤崎悠貴
3/11

the ark 03

     3


 地球から一光年以上も離れてしまったいま、その星がどうなったのかはわからない。すくなくとも風景画に描かれ、フィルムに残る地球ではないのはたしかだろう。でなければぼくたちはここにはいない。

 どこを見ても砂漠なってしまった茶色い惑星を想像したり、あるいは惑星そのものがなくなってしまい、かつては惑星だったものが浮遊している宇宙空間を想像したりしていると眠れなくなった。

 一度眠りを遠ざけるといままでどうやって眠っていたのかさえわからなくなる。そもそもぼくは眠りのような幸運を授かったことがあったのだろうか。すべては偽りの記憶ではなくて?

 ベッドから抜け出して廊下を浮遊する。船のなかに厳格な意味での食堂はない。すくなくともいまは。どの部屋でも水が出てくるポケットはあり、どの部屋で気分転換と水分補給をしようか迷っているうちに〝図書室〟まできてしまう。

 ぼくが近づくとドアはひとりでに開いて、深夜の散歩にもついてきた端末を部屋の外に残して〝図書室〟に入る。照明は煌々とあたりを照らしている。〝先生〟がぼくのいく場所を先回りして環境を整えてくれている。そういう意味では母親と呼んでもいいが、そうすると役割がかぶってしまうので、やはり〝先生〟は〝先生〟としか呼べない。

 部屋のなかにはカレンがいた。いつものように身体を固定するのではなく、レンがいつもしているように浮遊させながら。


「眠れないの?」とぼくがいうとカレンは驚いたように空中で身を翻した。「別にびっくりさせるつもりじゃなかったんだけど」

「あなたも眠れないんですか?」

「水でも飲もうと思って」

「部屋でも飲めるのに?」

「気分転換」


 ぼくはドアの横についているポケットに水を要求した。すぐに出てくる。チューブを吸いながらぼくは思いついたことをそのまま口にした。


「前から気になってたんだけど、どうしてそんなしゃべり方なの? 時代錯誤っていうか、敬語って目上のひとに使う言葉じゃなかったっけ。きみがいちばん年上なのに」

「キャプテンですから」

「だったら余計にそうだ。いちばんえらいんだから、敬語なんて必要ないと思うけど」

「もしわたしたちがもっと大勢ならその必要もないのかもしれませんけど」カレンは身体を固定しながらいう。「ここにはわたしたち四人しかいません。だったら、役割をはっきりさせないと」

「役割?」

「わたしはキャプテン。あなたたちとは仲間でも、役割上一歩後ろに下がったところから見ていなければ。正しく状況を把握しなければ正しい判断はできませんから」

「究極的な客観は無理だよ。それにきみは昔からそうだ」

「昔からキャプテンになることはわかっていましたから。この広い船で、活動している人間が四人だけになったのは何年前でしょう」

「七、八年前?」

「そのときわたしはキャプテンとしての限定つき権限を得て、その以前からキャプテン用の教育をされていました」

「大変だね。ぼくはのんきに生きてきたけど」

「あなただって、いつまでものんきではいられないはずですよ」


 レンならいたずらっぽく笑っていう台詞も、カレンは至ってまじめな、ほとんど悲劇的な顔でいう。そんなふうにいわれるとぼくもそれがいかにも深刻な問題のような気がするが、深刻な問題というのは大抵破滅的な状況になってから自覚できるものだ。気づいたときには手遅れ、もはや回避はできない。


「あと五年でわたしたちは新たな星にたどり着きます」とカレン。「減速フェイズに入るまではもう三年。箱庭はもう終わりにしなければ」

「だけど結局、新しい星についてはじめにすることは箱庭を作ることなんでしょ。ぼくたちにとって理想的な箱庭を作って、そこで暮らす」

「新たな星は、決して箱庭にはなりません。ここは脅威から隔離された場所です。嵐もなければ、ほかの種族に襲われることもない。わたしたちがなにかしないかぎり、この世界には決して変化がない。でも新たな星はわたしたちの意思とは関係なく世界を改変していくでしょう」

「平和にはならないってこと? だけど、平和がいつも理想だとは限らないよ。実際レンはこの世界に飽きてる。もし外へ飛び出せるドアがあったらすぐに出ていっちゃうくらい。どっちにしても、この世界はもう長くない。だからぼくたちには新しい星の、新しい世界が必要なんだ」

「そうです。だからこそ、いつまでも微睡みにいてはならない。戦いに備えて目覚めておかないと」

「そのときになれば無理やり目覚めさせられると思うけどね」


 カレンはうっすら微笑み、ほとんどわからないくらいの動作でうなずいた。そしてふわりと壁を蹴る。


「おやすみなさい、ヴァン」

「おやすみ」


 カレンが出ていくと、当たり前だが、ぼくはひとりきり。

 まだ眠たくはなかった。気分も落ち着いていない。カレンとあんな議論をすべきではなかった。いつもどおりの言葉を交わしてさっさとおやすみといってしまうべきだったのに。

 ぼくはリーダーを取り出し、苦労しながら操作して壁の一面に適当な画集を表示させる。年代も画家もわからない、いくつもの風景画。荒くならないように修正を受けながら拡大されたそれは壁一面に別の世界を作る。かつての地球。たくさんの人類がいて、重力があって、自然の水があって、空があった星。ぼくは一度もそれを見たことがないし、この先も見ることはない。ぼくたちの前にあるのは地球ではなく、それによく似た別の星。気が遠くなるほどの時間をかけて目指してきた星はもうすぐ目の前にある。そこにはこんな景色があるのだろうか。雲間から差し込む光や、強い緑の木々。古い農民の格好をした人間たちに、馬や牛などの家畜たち。

 ぼくたちが新しく故郷と呼ぶことになる星の生態系は地球によく似ているという話だった。詳しい情報も〝先生〟から教わったが、結局のところぼくの見たことのない生き物がいて、見たことがない空があって、見たことがない海があって、見たことがないくらいに広いということ。これからそんな世界に出ていかなければならない。

 リーダーを操作して画集を消し、〝図書室〟を出る。端末を引き連れて部屋に戻るとすぐベッドに潜り込んだ。俯せで、枕に顔を押しつけ、なにも考えないように努力する。

 それでもぼくが眠れるとは信じられなかったが、いままで眠ってきたのだから眠れないはずもなく、身体がだるくなったあたりから意識しなくてもなにも考えられなくなる。

 ゆっくり死んでいくような気持ちで、ぼくは眠った。

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