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the ark  作者: 藤崎悠貴
2/11

the ark 02

     2


 三時五分前に〝図書室〟に着いたのに、レンはいなかった。

 イルは部屋の隅でうずくまっている。カレンはその近くで、まったく正しいやり方で身体を固定している。ふたりとも柄のないパジャマのような服。ぼくも同じような服で、いつもなら部屋のなかを派手な服がふわふわしているのだが、それがない。


「レンは?」とぼく。

「きたくないみたいですね」カレンが答える。「端末も部屋に置いたまま、どこかにいってしまったみたい」

「探さないの?」

「探しても仕方ないでしょう。ここに集まるのは強制でもありませんから。きたくないというのなら、無理やり連れてくるわけにもいかない」

「ぼくは探すよ。イル。きみも」

「司令室」とイルはいった。「そこ以外には考えられないもん」

「そっか。じゃあ、ちょっと待ってて。迎えにいってくる」


 ぼくを含んだ四人の子どもたちのなかで、いちばん精神的に不安定なのはレンだった。ぼくたち四人、すなわちこの船でコールドスリープの柩に入っていない人間のなかで起きたことは、ぼくたち四人で解決しなければならない。そんなくだらないことで眠り人を起こしてはならないと教えられている。この船に分散している意識〝先生〟に。

 端末は四人がそれぞれ別のものを持っているが、結局のところそれはすべて同じ〝先生〟だ。同じことを習い、同じことを叱られ、同じことをほめられる。そうやってぼくたちは育てられたはずなのに、レンだけがなぜかぼくたちとはちがう精神状態を示している。

 かつて水のある海で活躍した船なら、おそらく竜骨にあたる長い廊下を進む。部屋を出た時点で端末がついてきた。先生の目が光っている、というわけ。ぼくたちは何度も〝先生〟の視界から外れようと努力したが、すべて失敗している。この船が〝先生〟の本体なのだ。船の外、宇宙空間に出られない以上、ぼくたちは〝先生〟から離れられない。そしてその〝先生〟はレンのことを危険視していた。その情報は船長のカレンにしか伝えられていないが、ぼくはカレンからそれを聞いている。

 どこまでも同じような景色の、ただ標識が変わるだけの細長い空間の突き当たりが操縦室。司令室とも呼んでいるそこへの入場はぼくたちでも自由に許される。幼いのころはその場所が好きだったが、いまは特別に用事がないかぎりいくことはなく、その用事というのはいつもレンを迎えにいくことだった。

 ドアの外で端末を待たせて司令室に入る。まず目に入るのは巨大なディスプレイ。いまは外の映像が流されている。ひたすらに暗いなかに、点々とした星たち。見慣れなければ感動的な、見慣れてしまえばただ寂しいだけの風景で、レンはディスプレイがいちばんよく見える椅子に座っていた。

 とくに物音は立てなかったし、レンは振り返らなかったが、ぼくがきたことには気づいていた。


「この椅子、キャプテンの椅子なのよ」


 レンはその大きな椅子で膝を抱えている。司令室は重力がないので、ベルトをしているのだろう。ぼくは椅子の肘置きに捕まり、身体がでたらめな方向へいくのを防いだ。

 レンは泣いていた。涙は流していない。涙を見せると、〝先生〟がなにかあったのだと判断してしまうから。それはぼくたちが身につけた技術のひとつだった。怒るときも泣くときも、身体は一切変化させない。声の調子も変えない。〝先生〟に気取られるようなことはしない。ただぼくたち同士には気づくようにぼくたちは怒って、泣いている。


「なにかいやなことでもあったの?」

「いやなこと?」レンはちいさく笑う。「どこにそんなものがあるの? いつもどおりよ。決まってるでしょう。変化なんかあるはずない。いいことも悪いことも、何百年も前から変わらずここにあるのよ」

「図書室にはいかないの?」

「いかない。今日は本なんかどうでもいい。それに、本当は本なんか必要ないのよ。あるべきものはすべてここにある。どうしてわざわざ消えた蝋燭からヴァニタスを読みとろうとするの? むなしさなんて、見なさいよ、どこにでもある」レンは椅子を叩く。「この椅子の質感。この空虚な部屋。ディスプレイに映る宇宙。わたしたち。どれも虚しさを集めて作ったようなものよ。昔のある神さまは土から人間を作った。でもいまのわたしたちの身体は、もう土じゃない。土なんてここにはないもの。ここにあるのは虚無で、それがすべてのものなんだから、わたしたちもやっぱり虚無から作られたのよ」

「虚無はなにも作らないよ」とぼくはいった。「無は、やっぱり無だ。ぼくたちを作ったのはぼくたちの両親だし、ぼくたちの両親はそのまた両親に作られたんだから、神さまがどうやって土から人間を作ったのかは知らないけどぼくたちはそのころとなんら変わらない人間だと思うよ」

「両親の愛の結晶がわたしたちね。たしかにそうかもしれない。でも本当のことはわからない。父親が決して自分の本当の子どもを得ることがないように、子どもは決して本当の親の顔を知らない。わたしたちには生まれたときの記憶がない。だれから、どんなふうにして産み落とされたのか、わたしたちは憶えてる?」

「憶えてなくてよかった。だれかから出てくるなんて、相当いやな体験だろうし」

「あなたの脳天気さが信じられないわ」


 レンはベルトを外すと広い室内を漂いはじめた。今日は花柄のスカートと淡い色のベスト。まるで昨日見た絵に出てくる少女のような風貌で、レンは浮かんでいる。オフィーリアが川を流れていくように。狂気という点では同じようなものか。みんな程度の差はあっても狂っているのだから、だれがオフィーリアであっても、だれがハムレットであってもおかしくはない。どちらにせよ結局みんな死んでしまうのだし。


「あなたの端末は?」


 ぼくはドアまで戻って端末を引き入れた。レンに操作の許可を与えて、端末をレンのほうへ押しやる。ゆっくり空中を走って端末はレンの腕のなかに収まり、レンがなにか操作すると司令室に音楽が流れはじめた。

 ゆっくりぼくのもとへ戻ってきた端末を抱き留めながら、


「クラシックじゃないの?」

「古いポップミュージックよ。わたしたちが生まれる何百年も前に作られた音」

「十六世紀くらい?」

「まさか。二十世紀よ。人類がやっと地球規模で自分たちを把握しはじめたころの歌だから、わたしたちにはまったくふさわしくないけど」

「曲名は?」

「何度も繰り返してる言葉のとおり」


 ぼくは英語で繰り返し歌われる言葉にうなずく。ルーシーが空に浮かんでどうのこうの、というおかしな歌詞。ルーシーは空に浮かんでいて、ぼくたちは宇宙に浮かぶ宇宙船のなかで浮かんでいる。

 ポップミュージックというわりにはずいぶんおかしな作りの曲を聴きながらぼくはレンがドアのそばまで降りてくるのを待った。その消極的な態度を、レンは頭上から笑う。


「捕まえたかったらここまできなさいよ。すぐでしょう」

「あんまり時間がかかると本を読む時間もなくなる。図書室にいこう」

「本が読みたければあなたひとりでいったらいいわ。いえ、あそこにはイルとカレンがいる。あなたはひとりじゃない。わたしみたいなうっとうしい存在がいなくて、のびのびできると思うけど」

「うっとうしいかどうかはぼくが決めることだし、ぼくは別にきみをうっとうしいとは思ってないよ」

「うそがうまいのね。白い手のイズーみたいに」

「きみが死にかけているとは思えないけど」


 レンは空中で姿勢を変え、天井を軽く蹴ってぼくに落ちてきた。それを受けとめ、もう逃げ出さないように腕を掴んで、ぼくは司令室を出る。端末は司令室にだれもいなくなったことを感知して自動的に音を切った。代わりに端末自身が先ほどの続きを流しはじめたので、ぼくはそれを操作して音を消す。


「あとどのくらい、この生活が続くと思う?」レンはぼくに腕を引っ張られながらいった。「目的の星まで、予定ではあと五年くらいで着くはずよね。あと五年よ。わたしとあなたは十六歳になる。イルは十五歳で、カレンは十九歳」

「減速フェイズまではあと三年ある。まだまだ先の話だよ」

「だけど、人類が何百年もかけてきた計画があと五年で終わるのよ。わたしたちを最後の世代にして」

「偶然、その時期に生まれただけだ。ぼくたちにはどんな責任もない」

「それは〝先生〟が教えてくれたの?」

「まあね」


 長い廊下を戻って〝図書室〟に入ると、イルとカレンは同時に顔をあげた。レンは不機嫌そうな顔をしてぼくから解放されると部屋のなかに浮かび上がる。彼女にとって身体を固定されているのはそれだけで大きな苦痛なのだろう。

 ぼくはドアの横に捕まって、だれかがなにかいうのを待った。


「読む本はもう探したから」とイル。「最近すこしむずかしい本が続いたから、今日は楽しい本にしようって」

「いいね。コミック?」ぼくはリーダーを取り出して番号を入力する。「吸血鬼ドラキュラ――イルの趣味だろ?」


 イルはうずくまったままくすくす笑う。栗色の髪の少女は、そういった古いホラーが好きだった。


「怖くないやつだろうな?」とホラーが苦手なぼく。「怖いやつだったら、ぼくは見ないぞ」

「怖くないよ。ホラーっていうよりファンタジーだから。それとも、フランケンシュタインのほうがよかった?」

「どっちでもいっしょだ。得体のしれない怪物が出てきて暴れるんだろ」

「それは読んでからのお楽しみ」


 ぼくたちは部屋のいろいろな場所に散って、同じ本を読む。とくに感想を言い合うわけでもないし、レン以外はほとんど口も効かないのだが、こういう非効率な時間をすごすのがぼくは好きだった。

 静かで、とても心地いい時間。

 レンのいうとおり、この宇宙船は効率という言葉で作られているように、人間味に欠ける。ぼくもそういわれることはあるが、そのぼくが冷たいと感じるくらいなのだから、ほかの三人にとってこの船はまるで棺桶のなかのように思えるのだろう。そんななかで、図書室だけは人間らしい無駄がある。ぼくたちがその無駄だ。ここ以外の場所では効率的に行動する代わり、ここではとことん非効率な静けさを楽しむ。

 だれかが欠けるとやはり気まずいから、ぼくたちは四人でなければならない。宇宙船に残る最後の四人でなければ。

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