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the ark  作者: 藤崎悠貴
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the ark 11

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 カレンのいうとおり、機械的な段階――船の大気圏突入と上陸は無事に済んだ。そしてぼくたちははじめて生身で太陽の――地球のそれではないが――光を浴び、大地を踏みしめ、自然の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

 光は眩しく、大地は堅さのなかにも生物を受け入れるたしかな柔らかさもあり、空気にはすこし自然の匂いが含まれている。靴の裏はしっかりと地面を捉えているし、耳を澄ませば植物のざわめきや生物の鳴き声が聞こえてくる。

 ぼくはその瞬間、ある種の芸術を理解したような気がした。文字を使って、絵を使ってたくさんの人間が表現しようとしたことを、ぼくもいまはすんなり理解することができる。これが自然なのだ。ぼくたちは何百年かぶりに自然を回復した。


「ここから北へ進んだところに簡易住居があるはずよ」カレンは一様に笑顔を見せる大人たちのなかで冷静にしている。「危険な道のりじゃないはずだから、とりあえず手ぶらでいってみましょう。必要なものがあればまたとりに戻ればいいし」


 カレンの号令で大人たちが動き出す。ぼくはふといつか見たフィルムを思い出した。そこではよく訓練された猿たちが人間の指示に従っていろいろな芸を見せていた。大人たちの表情は、その猿にすこし似ている。

 よろこびの声をあげて、反響せずにどこまでも抜けている声自体にまたよろこぶ大人たちは、しかしだれひとりとして集団のなかから離れようとはしない。ここには自然があるが、ここが未知の惑星であることも忘れてはいない。

 ぼくは集団のなかにイルを見つけた。両親のあいだに挟まれて、大人たちと同じようによろこんだり驚いたりしている。カレンは集団の先頭。レンの姿はない。探してみるとまだ船のタラップを降りたところに座り込んでいた。両親に断ってからぼくも集団を離れ、レンのとなりに腰掛ける。


「自然っていうのは大したものだね。科学を持った人間も、自然に比べればなんてことはない」

「人間だって自然の一部よ。風が吹いて木が茂り、動物が繁殖してすべてが循環することを自然っていうなら、人間がやることもすべて自然でしょう」

「宇宙船のなかも?」

「どこでも。あなた、よく歩けるわね」

「きみとちがってトレーニングをさぼらなかったからね。肩でも貸そうか?」

「ええ。目が回りそう」


 ぼくたちは集団の後ろをゆっくりついていった。ひどく緩慢な移動を続けているうち、移動するだけなら無重力のほうがはるかに便利であることを知る。無重力なら手すりを持って反動をつけるだけでいいが、重力があると足で歩かなければならない。その新鮮さを楽しめたのはせいぜい最初の十歩くらい。あとは疲労しか感じないし、なによりこの星は暑かった。船のなかでカレンは充分人間の活動可能範囲だといっていたが、まだ身体が慣れていないだけなのか、ぼくにはとても快適には思えない。

 どれくらい歩いただろう。やがてぼくたちは先行したユニットが作った屋寝つきの簡素な住居にたどり着く。期間が一日しかなかったにしては大したものだが、これでもせいぜい雨風をしのげる程度。屋根と壁しかない。森から一キロも離れているそれは、ひどく場違いなものに見える。ここでは人間そのものが場違いなのだろう。

 住居に着くまでに三人の大人が体調不良を訴えていた。さほどひどくはないがどうも調子がよくないという人間も多い。しかしそれはあらかじめ全員が理解していることだったので、どうしても動けないものはさっそく住居に入って横になり、それ以外は三人一組になって慎重に周囲を探索しはじめた。

 レンは重力に慣れていないということを除くとさほど体調が悪いともいえなかったが、ひとりではろくに歩くこともできないので、探索には加わらなかった。ぼくは両親といっしょに森とはちがう方向を探索し、草も生えないところをひたすらに歩きまわった。やはり母はよくしゃべり、父はしゃべらなかった。

 予定の時間になって住居へ戻り、軽い報告を済ませたあと、全員が無事に到着したことを祝してちょっとした宴会をやることになった。とはいってもまだこの星の果実など集めていないし、人類に害はないと調査結果が出ている水も入手していないので、それらはすべて船から運ぶことになった。そこでまた船へ戻る必要が出てきたのだが、完全にランダムな選択によって四人の大人たちとぼくとイルが輸送部隊に選ばれた。

 夢を実現させたという活力がある大人たちはどんどん前へ進んでいく。その後ろをぼくとイルが続いた。イルは案外元気そうで、どちらかというとぼくのほうが暑さに参っている。


「こんなに広いなんてすごいね」とイルはぼくのとなりを短い歩幅で歩きながらいう。「どこまで歩いてもちがう場所なんだから。空もきれい。まるで宇宙が青く光ってるみたい」

「まあ、あながちまちがいじゃないけど。ぼくはこの暑さがだめだな」

「冬になったら寒くなるよ。季節があるんだから。船のなかはいつも同じ温度だったけど」

「そのほうがいいな」

「わたしはこっちのほうが好き。まるでタイムマシンで過去へきたみたい」

「過去へ?」

「人類が生まれる前の地球へ」

「だったら類人猿を見かけたら仲良くしなきゃな。遠い未来のぼくたちになるのかもしれない」

「アダムとイブみたい。ヘビには注意しないと」

「そうでなくてもぼくはああいう生き物はきらいだな」

「ヴァンはきらいなものが多いね」

「子どもだからね」

「いつまでも子どもじゃだめだよ」

「大人になれない子どもだっているさ」


 つい先ほどまでぼくたちのすべてだった船から食料と水、それからすこしの医療品を持ち出し、両手一杯にそれを持って平原を戻る。なんだかひどくのんびりした時間だった。まるで脳神経と手足がずっと遠くなってしまったように。いままではやりたいことがあれば一分後にはもうそれを行っていた。しかしいまは、やりたいことがあっても時間をかけなければできない。わずらわしくもあるし、いまのところ、新鮮でもある。

 居住区に戻ると、なにもかもうまくいくような雰囲気を壊すような事件が起きていた。正確には事故が。

 ぼくたちの帰りを待つあいだ、好奇心を抑えきれなかったひとびとがまた探索に出て、そこで怪我人が出た。怪我をしたのはカレンだった。船ではまずしなかったような大けが。カレンは右手の人差し指を丸々一本失っていた。

 その場にいなかったぼくにはどうしてそんなことが起こったのかわからなかったが、カレン自身の説明によると森のなかに入ったところで一メートルほどの動物に襲われたらしい。その説明は浮かれていた大人たちを引き締めるには充分で、すぐに無闇に居住区から出ないこと、常にふたりは見張りを立てることが決まった。

 カレンの怪我はひどいものだったが、ぼくたちが持ち帰った医療品ですぐに手当をしたので大事には至らなかった。

 宴というよりは戦争の合間の食事のような雰囲気でぼくたちは栄養を補給し、それからすこし眠ることにした。しかし広い住居の一室に全員が眠るのでまるで落ち着かず、ぼくは用を足すと見張り役に告げて住居の外に出た。

 この星の一日はだいたい地球と同じく二十四時間だが、いまはやっと日が暮れはじめたころ。船の時間でいうならもう真夜中に近いはずなのに、まるで眠気はない。

 森のほうへは危険なので近づかず、ぼくは草の生えていない黒い地面の上を散歩した。まだ土壌調査は済んでいない。もしかしたら有害かもしれないと思いながらもぼくは土を手にとり、その感触をしばらく楽しんだ。

 立っていることに疲れ、土の上に腰を下ろしてぼんやり空を見る。夕焼け。巨大で、とても美しい。これからは毎日これを見るのだ。何度も、何度も。そうするといつかは飽きてしまうだろうか。飽きるというよりは慣れるのかもしれない。こうしているといかに船のなかが変化の乏しい空間であったのかよくわかる。天候の変化もなく、当然光量も変わらないし、温度も変わらない。すべてが人間にとって理想的な条件を満たしている宇宙船と、そうではないが刻一刻とすべてが移り変わる緑の星。

 ぼくはどちらの生活が好きなのか、自分でもよくわからなかった。


「ひとりで出かけたら危ないわよ」


 声に振り返ると、手に包帯を巻いたカレンだった。


「怪我は?」

「大丈夫。わたしの不注意でこんなことになって」

「いつかは必ずこうなってた。大事にならないでよかったよ」


 カレンはぼくのとなりに腰を下ろし、夕焼け空を見上げた。


「きれいね。わたしたち、これを見るためにずっと遠いところから移住してきたのかしら」

「だとしても不思議じゃない光景ではある。でも昔は宇宙の暗闇を見るために大勢の人間が旅行したんだ。どっちのほうが美しいなんていい方はできない」

「あなたはどっちが好き?」

「わからない。夕焼けも見飽きたら、宇宙が恋しくなるかも。結局のところ、ぼくは宇宙で育ったわけだから」

「そうね。わたしも、そうかもしれない」カレンは空からぼくへ視線を移した。ぼくもカレンを見ていた。「話は聞いた?」

「ぼくたちがどうして四人だけ残されたのかって話?」

「聞いたのね」

「きみはだれから?」

「わたしははじめから知ってたわ。キャプテンだったから。まだ四人きりだったころから、わたしたちが最後の人類になるのかもしれないって思ってた」

「ぼくは昨日聞いたよ。父さんから。ぼくたちに子どもが産まれなければ人類は終わりだって」

「本当なら、わたしたち全員と子どもを作るべきなんでしょうね。わたしもあたなも、もう子どもじゃないわ」

「ひとりでも多くの子どもを産まなくちゃいけないのはわかってるけど、そんな気分にはなれない」

 カレンはわかっているように微笑んだ。「あなたは、あなたのしたいように選ぶといいわ。選択するということはなにかを破棄するということだけど、わたしはあなたに自分の好きなものだけを選んでほしいと思う」

「ぼくが、子どもだから?」

「あなたがあなただからよ、ヴァン。あなたがなにを選んで、なにを選ばなくても、だれもあなたを責められない。たとえその選択が人類を終わらせるものでも。でもよく考えて答えを出すのよ。後悔はしないように」


 そういうとカレンは立ち上がり、住居のほうへ戻っていった。すぐあとを追う気分でもなく、戻っても眠れそうにはなかったので、ぼくは陽が暮れるまで空を見ていることにした。

 じっと見ていると空はまるで張りつけられているように動かない。しかしそうかと思うと知らないうちにあたりが暗くなっていて、手品のような変化にぼくは今度こそ変化を見逃さないようにしようと決意する。明日こそ。

 立ち上がって住居へ戻る途中、こちらへ走ってくるレンと出会った。


「さっきまで歩けなかったのに、もう走れるようになったの?」


 ぼくはてっきり皮肉そうな声と言葉が返ってくるのだと思っていたのだが、よく見るとレンはひどく真剣な顔をしていた。そしてなにもいわずにぼくの腕を引っ張ると住居から遠ざかる。


「どこへいくの?」

「船よ。作戦をはじめるから」


 レンはそれだけいって、ひたすら平原を歩いた。陽が暮れると方向が掴めなくなる。おそらく船に着くまではかろうじて周囲が見えるだろうが、そこからまた住居に帰るのは無理だろう。

 レンの足取りは乱暴ではあったが頼りなく、たまに膝を折って倒れてしまう。ぼくはそれを支えながら船へ急いだ。こんなに必死なレンを見るのははじめてだった。

 船に着くと、レンはまっすぐ司令室へ向かう。そこでなにをするのかと思うと、レンはいままでぎゅっと握っていた手を開いて司令室のパネルに押し当てた。

 それは関節のところでちぎれた白い指だった。

 司令室のコンピューターが船長を認識する。レンはキーボードを操作した。早くて手慣れた動きで、あっという間にディスプレイには権利の変更が表示される。コンピューターのなかで、船長はカレンからぼくへ替わっていた。


「ここで待ってて。すぐに戻るから」


 レンは早足で司令室を出ると、宣言どおりすぐに戻ってきた。それからぼくの指をパネルに押しあて、もう一度先ほどと同じ操作をはじめる。この船を自由に操作できる権利はぼくからレンへ移った。

 そこまで一息でやってしまうと、やっとレンは息をついて椅子に座り込む。状況がわからないぼくはそのとなりでぼんやり立っていたのだが、レンはそれを見るとからかうような顔をした。


「これが最後よ。いま住居に戻れば、大人やカレンたちといっしょにいられる」

「きみはどうする?」

「わたしはひとりでも実行するわ」

「それじゃあ、ぼくもいっしょにいく」

「わたしについてきても、わたしひとりしかいないわよ」

「きみがいれば充分だと思う」

「だと思う? 煮え切らないわね。まあ、いいけど。それじゃあちゃんと椅子に座ってベルトを締めたほうがいいわよ」


 ぼくがいわれたとおりにすると、レンもベルトを締め、それからキーボードを叩いた。

 ディスプレイに外部カメラの暗い映像が映る。同時にいくつものメッセージ。発進、対衝撃、危険――しかしそれは〝先生〟がいうほど大したものではなかった。

 強い振動があり、一時的に強いGもかかったが、それが済むと慣れ親しんだ感覚が戻る。

 ベルトを外すと身体が自然と浮かび上がった。

 レンもベルトを外し、自由に司令室のなかを移動しながら、楽しそうに笑う。

 ディスプレイには暗い宇宙があった。レンとは比べものにならない手つきで操作して後部のカメラに切り替えると、緑の星があっという間に遠ざかっていく。そこには人影もない。だれかがいる気配すらない。宝石のようにただ緑色に輝く美しい星があるだけだ。


「方舟よ」レンはいった。「わたしたちは、これからあてもない旅をするの。どこにも着かない。永遠に終わらない旅を。わたしたちは自分たちの手で人類を終わらせたのよ。たったふたりきりで。人類なんて終わってしまえばいいのよ。発展する必要もない。あなた以外の人間なんていらない。いつまでも昔のように暮らしていたかったのに、この船があまりにもまじめだから、こんなふうにするしかなかった。わたしはあなた以外の全部を捨てたのよ。みんなで仲良くなんて絶対にいや」

 ぼくは遠ざかっていく星を見ながらいった。「退屈じゃないかな。ふたりきりで」

「退屈が問題になる?」

「いや――ならないか」


 いかにも楽しげに笑うレンにつられて、ぼくも笑った。もしかしたらはじめて笑うのかもしれないと思いながら。


「図書室にいきましょう」とレンはいった。「あの満ち足りた部屋にいって、本でも読みましょう」


 ぼくはうなずいて、降りてくるレンの腕をとった。

 司令室から出るとき、カメラの映像を流しているディスプレイがすこし目に入る。レンはなにも許せなかったから、なにもかもを捨てた。ぼくはどうだろう。なにを許せて、なにを許せなかったのか、自分でもよくわからない。

 しかし、いまではもう見えなくなった緑の星から立ち去るのは、爽快な気分だった。それも当然だ。ぼくはいま、自分の手で過去に生きていたすべての人類と未来に生きるはずだったすべての子孫を殺したのだから。そしておそらく自分自身も殺してしまったのだ。ぼくは死んで、このなかで永遠に生きていく。

 厳しくてやさしい〝先生〟と、皮肉屋で子どもなひとりの少女といっしょに。


  了

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