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the ark  作者: 藤崎悠貴
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the ark 10

     10


 船に窓はないから、肉眼でそれを見ることはできない。船から下りるまでは。しかしカメラはすでに緑の星を間近に捉えていた。望遠でなくてもはっきりと大陸の形が見えるし、ついさっき投下したユニットの軌道まで見えるようだった。

 船はなんの問題もなく緑の星の周回軌道に入った。減速フェイズからなにひとつ問題は起きず、船内への大きな影響もなかったから、あらゆることが幻のようにさえ思えたが、すべては実際に実行されている。

 周回軌道への進入が無事に済んだのと前後して、まだ眠っていたすべての人間が目覚めた。船はまた急激に活気づき、ほぼすべての部屋が埋まって、廊下を歩くとかならず二、三人とすれ違った。しかしそれも予想されていた以上の混乱はなく、目覚めたひとたちが冷凍後遺症で暴れ出すこともなければ、先に起きた大人たちが秘密裏に冷凍人間たちを処理してしまうこともなかった。その点でかつてレンがいった陰謀説は外れたことになるが、もはやだれもそれは気にしていなかった。

 いま、ぼくたちの目の前には緑の星がある。それぞれの人間がそれぞれの言葉を使って理想郷と表現する場所は、もうつかみ取れるくらいの距離。それはすべての人間に等しく感動をもたらした。船内で育った最後の世代であるぼくたちにも、長い眠り――場合によっては二百年以上――から覚めたひとたちにも、その惑星は同じように見えていた。

 カメラが緑の惑星を捉えたあたりから司令部にはひとが集まり、ユニットの投下、その探査結果や任務の首尾についての報告を受ける際は船内のほぼすべての人間が司令室に押し掛けて船長――カレン――がうなずくのを待った。

 その、おそらく船内で起こる最初で最後の熱狂的な儀式に参加していなかったのは、〝図書室〟に引きこもっていたレンとそれを呼びにいったぼくのふたりきりだろう。

 レンはぼくを拒まなかった。というよりだれも拒んではいなかった。ただ歴史的瞬間であろうとなかろうとそんなものは関係ないとばかりに〝図書室〟でひたすら音楽を聴き、本を読み、映画を見て、芸術に触れていた。

 ぼくはカレンとその両親からレンも連れてくるようにとお願いされて〝図書室〟へいったのだが、そのときもレンは目を閉じて音楽に聴き入っていた。


「もうそろそろ船の落下も決まりそうだよ」


 ぼくが〝図書室〟の入り口に立ってそういうと、レンは薄く目を開いてぼくを見た。

 十六歳のレンは、不思議なほど十一歳のレンと変わらない。五年前よりもすこし痩せて、〝先生〟からは何度もあと四キロ太るように指示されているらしいが、相変わらず反抗的なレンはそれに従わない。表情はいつも皮肉っぽいし、大人たちとまったくコミュニケーションをとろうとしないのも昔のまま。声変わりをし、ほんのすこしではあるが、大人たちがするような過剰な感情表現ができるようなったぼくとは大きな差ができてしまった。


「落下ではなく上陸というべきでしょうね。船なんだから」

「宇宙船だけどね。見にいかないの?」

「カレンたちから呼びにくるようにいわれたんでしょう?」

「おかげでぼくも歴史的一瞬を見逃しそうだ」

「そのわりに残念そうじゃないわね」


 レンは真っ白なワンピースを着ている。しかし標準的な子どもの着る服ではなく、つるりとした滑らかな質感で作られた特別なものだった。細身の無駄のない形はどことなく宇宙的。囚人のようなぼくたちの格好と似ているようであり、まったくちがう貴族的な雰囲気を感じさせる。


「まあ、ユニットからの報告だけだし、見てもどうってこともないから。でもきみのほうは興味あるんじゃないの? 長いあいだ計画して奪おうとしてる土地なんだから」

「だからこそ、いまだけは大人たちに楽しませてあげないと」

「そのことだけど、イルとカレンへの連絡はどうする?」

 レンはすこし目を伏せた。「イルは大人たちと行動を共にさせるつもりよ」

「うん、そのほうがいいのかもしれない」


 ぼくたちのなかでいちばん年下のイルは、もうすっかり大人たちのなかに混ざっている。無理にぼくたちといっしょにするよりは大人たちといたほうがイルのためだろう。


「カレンは?」

「自分で決めさせるのがいちばんでしょうね。わたしたちとくるか、大人たちといくか」

「どっちを選ぶかな。やっぱり、大人たちといっしょにいるほうを選ぶかな」


 名実ともに船長になったカレンは、いまではどこから見ても大人と同じようになっている。


「イルとカレンが大人につくなら、ぼくたちはふたりきりになる」

「心細い?」

「まあね。きみが劇的な結果を目指しているなら、ぼくたちふたりだけで無事にやり遂げられるか心配だよ」

「あなたは大人たちにはつかないの?」

「五年前からずっと考えてるけど、まだ大人がなんなのか、ぼくにはわからない」

「社会的にはやっぱり、優れたひとを大人というんでしょうね。優しく、思いやりがあるひと。欠点のないひとと言い換えてもいい。それに対して子どもはあらゆる欠点を持ってる。まだ未完成なものが子どもで、完成されたものが大人」

「じゃあぼくはやっぱり子どもだ」

「完成したいと望むことが大人なのよ。優しくなりたい、自分の欠点をなくしたいと思うことがね」

「優しくなりたい、か」

「計画は星に着いてからはじめるわ。そのときになったらあなたに声をかけるから、なにも訊かず、わたしについてきて。それが遅れたら計画はだめになる」

「わかった。司令室へは?」

「いかない」


 ぼくは首を振って〝図書室〟を出た。そこで司令室から怒号のような低い歓喜の声が爆発した。どうやらユニットは自分の役目をしっかり果たしたらしい。

 司令室はまさにお祭り騒ぎだった。全員がこの瞬間を待ち、あまりにも遠すぎて不可能とさえ思っていた場所までたどり着いたのだから、それも無理はない。だれもが笑顔で意味のない言葉を掛け合い、ディスプレイを指さす。そこには投下したユニットから送られてくるリアルタイムの映像が流れている。ぴったり予定地点に落とせたらしく、地面は平坦で邪魔になる雑草もすくない。

 ぼくは司令室のドアの前に立って浮かれて騒ぐひとたちを見ていた。決定的瞬間をともにしなかったぼくがいっしょに騒ぐきっかけもなかったし、結局のところ、ぼくも緑の星へ対する憧れはあったが、ぼく以外のみんなはぼくが思っている以上のそれを持っていたのだろう。

 いまでさえこんな騒ぎなのだから実際に降り立ったときはどうなるのだろうと思っていると、カレンが人混みの抜けて出てくる。彼女は船長だから、ひとに見つかるとお礼やら祝福やらを受けるのでなかなか進めない。それでもやっとぼくのところにたどり着くと手すりを握って身体を固定し、苦笑いのような表情を見せた。


「明日のこの時間、降りることになったわ」

「それはよかった。問題はなにもなかったんだね」

「いまのところは。レンは?」

「図書室。興味ないからって」

「明日には星に降りるのに」カレンは顔をしかめる。「降りればあの子だって全体の一員として扱われる」

「そのときは従うよ。ぼくもいっしょに。それより、岩場に降りるの?」


 雑草のない地表を見てぼくはいうが、カレンはゆっくり首を振る。


「岩場じゃなくて下は土よ」

「でも草が生えてない」

「植物の繁殖に適さない場所なんでしょうね。土壌が自然発生したあまりよくないもので汚染されているとか」

「そんなところに降りるの?」

「降りるだけよ。植物が育たないところでは人間も暮らせない。でも船は柔らかくて地面がよく見える地点に下ろさないと。船はあそこに残して、わたしたちは森の近くまで移動して暮らすことになるでしょうね。ユニットはそのために適した地点を探して動いてるし、見つかったら簡易的な住居を造る」

「あとはぼくたちが移り住むだけ、か」

「仮にそこまではうまくいっても、そのあとは問題が山積みになるはずよ。いってみればここまではコンピューターの問題だから、正しい数値さえ入力すれば求めたとおりの解が出る。だけど星に降りたら人間の問題になる。だれかとだれかが喧嘩をしたとか、そのせいで物資が滞るとか。そんなことがいたるところで同時に発生して、お互いに影響しあって最悪の状況になるかもしれない」

「悲観的だな、カレンは。現実的なのかな」

「安心できる要素はすくないわ」

「カレンならなんとかできるよ。いままでだってキャプテンとしてやってきた。ぼくは手伝えないけど」

「ええ、ありがとう」カレンはすこし微笑み、「あなたはやっぱりレンといっしょに?」

「そうするつもり。やっぱりぼくは大人じゃないみたいだから」

「あなたもレンも、大人か子どもかを強く意識してるわね。どうして?」

「どうしてって、自分がそのどっちに属するのか知りたいと思うのは当然だと思うけど」

「自分への興味が常にあるのは当たり前のことだけど、でも立ち位置よりももっとたくさんのことがあるはずでしょ。大人でも子どもでもいい。仲間なんだから」

「仲間かどうか知ろうと思えば、自分がどこに立ってるのか知らなくちゃならない。みんなが仲間だっていう根拠はどこにある?」

「すべてが説明できるとはかぎらないわ」

「それはそうだけど、説明できないことを認めてもらおうとするのはすこし無理があるよ。相手に伝えようと思ったら、言葉にしないと」

「言葉以外の伝え方はないと思う?」

「本当に自分の意図を伝えようと思うならね」

「それじゃあ――」


 カレンは身体全体でぼくへぶつかってくる。ぼくは意思もなくカレンとキスをしていた。

 すぐ近くからカレンの青い目がぼくを見ている。


「これでも、なにも伝わらない? まだ言葉が必要だと思う?」


 ぼくとカレンの様子に気づいた大人たちが、祝福か冷やかしかわからないが声をあげる。見れば大人たちもそれぞれの相手と抱き合い、身体でよころびを伝えあっていた。人混みのなかには父と母も見える。母は無口な父の腕を抱いていた。


「ぼくは――」カレンをやんわりと突き返す。「きみがなにを伝えたかったのか、わからないよ。所属がなければ仲間はない。ぼくはたぶん、きみとは別のところに所属してるんだと思う」


 ぼくは司令室を出て自分の部屋に戻った。

 まだレンがなにをするつもりなのかは聞いていないが、明日船は星に降りる。心の準備はしておくべきだろう。ひとりになって、ぼくはゆっくり身体を休めたかった。

 昼間からベッドに入って曖昧な眠りと覚醒を往復し、夢が現実なのか現実が夢なのかもよくわからなくなってきたころ――久しぶりに例の夢も見た――、部屋の扉がノックされた。麻酔から覚めるような心地で目を開けて時計を見ると夜の九時。とはいえ、明日には緑の星の時間に合わせるから、これが昼間なのか夜中なのかは判別しがたい。

 ベッドに入ったまま扉のロックを外すと父が入ってきた。母はいない。はじめ、カレンとのことに関して説教をさせるのかと思った。ぼくとしてはカレンは友人で、恋人ではない。しかしああいう機会があったのに受け入れなかったのは、生物の繁殖という点では罪ともいえるだろう。とくにこうした狭い環境での不和は、カレン自身がいったとおりいろいろな問題を生み出す。

 しかし父は、そんな明確な説教をしにきたのではなかった。

 父はぼくがベッドにいるのを見ると端末の前に腰を下ろす。外見的にはまるでぼくとは繋がっていないような父ではあるが、ぼくは父に対してある種の愛情を感じている。もし父の外見がぼくのようであれば、ぼくは父のことを愛せなかっただろう。性格はまるでぼくと同じなのに、外見はまったくちがう人間だからこそ、父を父として認められる。


「話しておかなければならないことがある」と父はいった。


 ぼくはその言葉を半ば以上予想していたので、素直にうなずいた。父がしゃべるときはしゃべらなければいけないとき。そしてそのときぼくは、父の話を聞かなければならない。


「明日には船を下りる」父はすこし視線をあげる。「長い旅は終わった」

「感覚としては、そんなに長い旅とも思えなかったけど」

「長かったさ。たくさんの犠牲も出た」

「犠牲?」

「船の過去に関する記録は見たことがあるか?」

「ないよ。キャプテンじゃなきゃ見られないようになってる」

「おまえは知らないかもしれないが、この船には決まりがあった」父は過去を語るようにしていった。「まずひとつ。コールドスリープを使えるのは、健康で若く、ひとり以上の子どもを持った男女であること。健康で若いという条件はいうまでもなく労働力に数えられる人間ということだ」

「子どもを持った男女っていうのは? そりゃあ、子どもがいないよりいたほうが人間的に成長するかもしれないけど」

 父はゆっくり首を振る。「子どもを持つ親でなければならないのは、冷凍されればその機会が永遠に失われるからだ」

「永遠に?」

「コールドスリープの副作用だといわれているが、詳細はわからない。もしかしたら長年の使用で誤作動を起こしているのかもしれない。船にある器具では簡単な点検しかできない」

「コールドスリープの副作用で、子どもができなくなる? でも、だったら、ぼくたちはどうしてたった四人だけで残されたの?」

「過去、おまえたちが産まれた時代に、船のなかで正体不明の病が流行った。呪いとも呼ばれていた。ウイルス性のものか、精神的な感染力があるのかもわからないが、とにかくその病は船内で広く蔓延して、多くが死に至った。まだ幼児だったおまえたちを残して多くのものがコールドスリープに入ったのはそのためだ。星に着いたときのことを考えるとすこしでも多くの人間を隔離して助けるしかなかった。しかしおまえたちを隔離することはできなかった。冷凍すれば子どもは産まれなくなる。すべての世代が冷凍されれば、人類はそこで終わりだ」

「でも、ぼくたちは病気になんてなってない。それに当時の子どもがぼくたちだけだったなんて」

「同時はおまえたちのほかにもたくさんの子どもがいた。おまえたちは、いちばん幼い四人だった。まだ子どもを作っていない人間は病にかからない奇跡と子どもを産む義務にかけてコールドスリープはしなかった。それから子どもたちの世話をする老人たちも。どの世代にも必ずコールドスリープには入らず子どもを見守る役割の人間がいたんだ。自分は年老いて死んでいく代わりに、新しい世代を教育する人間が。わたしたちはゲルシア、長老会に子どもたちを頼んで眠りに就いた」


 ぼくはふと、夢を思い出した。

 船のなかでたくさんの人間が死んでいく夢。


「死体は?」ぼくは訊いた。「ぼくたち以外の人間がいて、もしそのひとたちがすべて死んでいたなら、死体があったはずだ」

「処理されたのだと考えている。船は、動かなくなった人間の身体と放置されたごみを区別しない。とくに幼かったおまえたち四人だけが生き残った理由はわからない。免疫力の低い子どもが助かるということはウイルス性のものではなかったのかもれない。呪いが――船のなかにため込んできた人間の狂気が発露したという見方が本当だったのかもしれないが、いまでは確認のしようもない」

「それで、ぼくたちは〝先生〟に育てられたのか。この船のなかで、四人だけになって」

「絶望もしていた。目覚めたときにはだれもいなくなっていて、人類はわたしたちの世代を最後に目的地までたどり着きながら存続することができなかったのかと。眠りから覚めて、おまえたちが生きているのを見て安心した。いま、子どもたちはおまえたちしかいない。おまえたち四人が最後の子どもで、次の世代を作ることができる唯一の人間だ」父は腰を上げた。「旅を終える前に、それだけは話しておかなければならなかった。この船はたくさんの犠牲のもとに航海を続けてきたのだと」


 静かに父が出ていったあとも、ぼくはベッドの上でぼんやりしたまま身体を動かす気にはなれなかった。

 考えてみれば当たり前だ。人間がもっとも活動できる若いうちというのは人生のうちの一瞬でしかない。全員をその一瞬のうちに眠らせるのでは、次の世代までのあいだに空白ができる。そのためには常にだれかが――年長者が起きて指導しなければならない。

 父はぼくたちこそが人類を受け継ぐ最後の人間だといったが、それはぼく個人に置き換えてもいいだろう。男はぼくひとりで、あとは全員女なのだから、ぼくが死んでしまえばその時点で人類は終わる。若く健康な大人たちに、未来をふんだんに持っている子どもたちがいても。

 それはやはり悲劇だろうか。死をまざまざと見せつけられて、為す術もないまま生きていくしかない。ぼくはそんな死を打破することができる。ぼくなら。しかしぼくは人類の救世主になってやろうという気にはなれないし、個人的にもそんなつもりはない。

 ぼくがなにかしなければ人類は終わってしまうし、あるいは、努力をしても人類は終わるのかもしれない。

 ぼくと三人の少女たちには血のつながりはないが、ぼくと三人の少女たちのだれかとの子どもは全員兄弟になるのだから、そこにあるのはなによりも重たい罪だろう。

 人類の果ては罪を犯した不健全な子どもたちか、逃げ出した臆病なひとりの子どもか。どちらにせよ、ぼくは人類を破滅させるしかないようだった。

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