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煙草の紫、空の青。

作者: 黒詠

 透き通る、突き抜けるような空の青さ。夕暮れの空も朝焼けの空も好きだけれど、私は真昼の、それも雲が一つも浮かんでいないような空が一番好きだった。名前からすると、夜空が一番好きなんじゃないの? ってよくからかわれるけどね。

 東雲深空。このいかにも空っぽい名前が、私の名だ。何でも母親が、苗字が東雲だし空の字を入れたい! と言い張ったらしい。

 まぁ、私も空は好きだしこの名前も気に入っているので気にしたことは無い。一応、読まれないこともないし。

「あっ、ここに居た! 深空、帰るよー!」

「はいはい。じゃあ先生、また」

「えぇ。気を付けて帰るんですよ」

 一緒に寝転んで空を見ていた不良教師・新藤紫暮に向かって軽く頭を下げてから、扉で待つ横田咲弥の元へと歩く。と、背中に視線を感じて私は振り返った。煙草を咥えたままぼんやりとこちらをみつめていた新藤と目が合う。

 一瞬の後、新藤はふわりと笑った。

「また明日。東雲さん」

「……また明日」

 バカの一つ覚えみたいにそう繰り返して、私はくるりと踵を返し足早に歩き出した。……あの笑みは何だか苦手だ。どう反応して良いか分からないから。

「もぅっ、深空ったら何であんなにつっけんどんな訳ー? 好きなんでしょ!?」

「……は? 誰が」

 扉を閉め、階段を降り始めてすぐに言われた台詞に、私は本気で怪訝な声を出した。

「え、何、気付いてないの? 傍から見てて丸分かりなのに?」

「だから何が?」

「そっかー……そうだよね、言われてみれば深空ってば、日頃あれだけ鋭いのに自分のことになるとすごい鈍感だもんねぇ……」

「……いい加減にしないと怒るよ、咲弥」

「だって事実でしょ?」

 くりん、と振り返り微笑む咲弥は、同性の私から見ても十二分に可愛い。可愛いのだが、その顔でさらりと止めを刺すのはいかがなものだろうか。

 がくりと肩を落としつつも、何とか気分を持ち直して咲弥の横に並ぶ。靴箱に辿り着きだらだらと靴を履き替えながら、そういえば、と話題を変えた。

「文化祭、何やるの?」

「あ、何かね、クラス全員で劇やりたいって誰かが言い出して。何と題目シンデレラよ。ベタだよねー」

「……女子高なのに誰が王子やるの?」

 嫌な予感はしていたが、何とか深空は普通の声で聞き返す。と、咲弥はまたも極上の笑みで止めを放った。

「そんなの、深空以外に務まる奴居るわけ無いじゃない?」

 ……そりゃあね! 確かに私はクラスで一番背も高いし力も結構あるし、中学の頃合唱をやっていたから声は出るよ。出るけども!

「演劇とかって向かないよ……」

「大丈夫ー、シンデレラの咲弥さまが何とか引っ張ったげる。ってか、王子って実は結構暇な役のはずよ。忙しいのはむしろあたしよあたし」

 言いつつも、咲弥は満更でもないのだろう。というか明らかに俄然やる気だ。

「……はー。練習いつから?」

「1週間後くらいじゃない? 森さんが脚本書くからって」

 あ、でも衣装のための採寸くらいは明日するんじゃない? と付け足し、咲弥は不意に深空の手を握った。何事かと咲弥の顔を覗き込むと、真剣な瞳とぶつかる。

「そういう訳だから。これからはサボらないでね? 深空」

「……りょーかい」

 悔しいがこういうとき、深空は勝てた例がない。嘆息しつつ重い足取りで歩き出した深空の背に、それじゃ明日ね! と明るい咲弥の声が掛けられた。


「……ふぅ」

 東雲が立ち去り1人になった屋上で、新藤は紫煙を空に吐き出した。東雲が以前好きだといっていた、雲ひとつ無い……とまではいかないが、透き通った高い空。

「お、今日は1人か?」

 不意にそう声を掛けられ、新藤は目を細めて扉の方を見た。眼鏡のフレームの中で、新藤と同期の冬真暁が楽しそうに笑う。

「……どうしました? 暁。まだ会議の時間では……」

「あぁ、会議はあと20分後に始まるよ。それより俺も一服したくてさ」

 東雲ちゃんにも会いたかったし。と笑いつつ、冬真は新藤の方まで歩いてきて、隣に腰を下ろした。

「なぁ、うちのクラス、シンデレラやるんだってよ」

「……シンデレラ、ですか? 女子高なのに?」

「そ。例の如く東雲ちゃんがサボってる間に、王子役は彼女に決定ーと。さっき横田が報告に来たよ」

 王子、ねぇ……。

 声には出さず、新藤は空を見上げながらひとりごちる。

「というか、女子高だから逆にウケるんじゃないのか? 宝塚っぽく」

「……まぁ、それは認めざるを得ませんね」

 苦笑しつつ、新藤は身を起こして煙草を携帯灰皿に押し付けた。

 確かに東雲は可愛いというよりはカッコ良いというイメージの方が先にたつ。もちろんいつも一緒に居るのが横田咲弥という可愛い系の子だということもあるのだろうが。

「まぁ何にせよ、これから僕らも忙しくなりますし……こうして屋上に来られるのも、もしかしたらこれっきりかもしれませんね」

「あぁ、だろうな。……ったく、喫煙スペースくらい作ってくれってんだ」

 それもありますが……と、それも口には出さず胸中で呟くに止める。

 東雲は3年生なのだ。元々頭は悪くないのだろうが、いかんせんサボり癖がある分これからきついだろう。もちろん、こんなところでぼんやりと空を眺めて過ごす、なんて時間は取れなくなる。

「……そろそろ行きましょうか。主任を怒らせると怖いですし」

「そうだな。……あーだるい。あのクソ長い話、何とかなんねぇのかな」

「一度言ってみたらどうです? 僕は影ながら応援しますよ」

「……紫暮、お前な……」

 半眼で睨んでくる冬真の視線をさらりとかわして、新藤は立ち上がった。背広を脱いで背中を軽く叩き、埃を落とす。それからもう一度背広を着て、緩んでいたネクタイを締め直し、手櫛で髪を整えれば完成だ。

「相変わらず切り替えの早い奴。だから女と長続きしねぇんだろ」

 そういう冬真も十二分に切り替えは早い人間だ。が、言っていることは確かに正論だったので、新藤は言い返さず肩をすくめるに止める。

「んじゃ行くか。長ったらしい話ばかりの会議に」

「そうですね。早く終わることを祈りましょう」

 もうそろそろ、東雲は家に着いた頃だろうかとちらりと頭を掠めたが、新藤はそれを軽く頭を振って無理やり頭の隅に追いやった。

 と、その新藤の様子を注意深く見ていた冬真が低い声で問うてくる。

「……なぁ、お前もしかして本気で……」

 一睨みで冬真を黙らせた後、嘆息しつつ新藤は言った。

「今日はこれの後何も無いですから……暁が暇なら、夕食でも付き合ってください。学校でそんな話をするわけにはいきませんから」

「……そうだな。っと、奢りか?」

「……貴方も社会人でしょう……まぁ良いですよ。今月はそんなに使う予定もありませんし」

「ラッキー! いやぁ、持つべきものは羽振りの良い友達だよな、紫暮」

 そう言って上機嫌で立ち上がった冬真に向かい、新藤もにこりと微笑んだ。微笑みつつ、瞳に冷徹な光を宿すことは忘れない。

「これくらい構いませんよ。ただ……分かっていますよね?」

 いきなり冬真の表情が凍りつき、明らかに怯んだ風情でこくこくと首を頷かせた。ふっと剣呑な光を消し、元のいささか気の抜けた光を取り戻す。

「それはよかった。では行きましょう」

「……っあー、お前マジでこういうとき怖いよな。蛇に睨まれた蛙の気分だったよ」

 職員室に向かって2人で歩き出すとすぐに、そう言って冬真はぼやいた。

「そうですか? まぁよく言われますけど……東雲さんには、笑顔の方が分からないって言われましたね」

「分からない?」

「えぇ。先生はいつもそうやって薄く笑ってますけど、満面の笑みって浮かべたことあります? って」

「……言われてみれば確かに。流石は東雲ちゃんだな。鋭い観察眼と的確な指摘」

 ひゅぅ、と賞賛の口笛を吹いて冬真は言った。が、新藤はそうでしょうか? と首を傾げる。

「楽しいときも嬉しいときも、ちゃんと笑っていると思うんですが……」

「というか、お前常に微笑んでるからなぁ。満面の笑み、ってお前は思ってるかもしれないけど、俺らからすればいつも通りだな、って思うんじゃないか?」

「……見解の相違と言う奴ですね」

 困ったものです。と苦笑して見せ、新藤はもう目の前にあった職員室の扉に手をかけた。


 別に、約束ではない。

 また明日。それは咲弥とも交わす、ごく普通の挨拶。もっと言えば社交辞令。

 でも。

「……ねぇ、大丈夫? 深空。雰囲気暗いよ?」

「ほっといて。……暗い王子のほうが良いんじゃない? 咲弥明るいし、引き立て役ってことで」

「何言ってんの、さっき森さんの脚本の冒頭見せてもらったけど初っ端からあんたの回想シーンよ。あぁ、どこにいるのでしょう、僕の姫! って感じ。……言われてみれば暗めか?」

「……楽な役じゃなかったの? 王子」

「んー、役的には簡単。でも、思ったより台詞も動きも多いみたい。色々アレンジしてるって」

 ごめんね、騙した。そう言ってしゅんと俯く咲弥。日頃なら可愛い奴め! と猫可愛がりするだろうそれを、深空はため息で流した。

「別に。サボってたのは私だから」

「……それはそうだけど、」

「おーい、主役2人―! 採寸チェックするからこっち来て!」

「だってよ、咲弥」

 俯いて何だか泣きそうに肩を震わせている咲弥を促し、私は座っていた椅子を片付けて呼ばれた方に向かう。……何で、こんなに気持ちに余裕が無いんだろう。

 サボれないから?

 受験前の、最後のお楽しみだから?

 それとも……?

「やっぱプロポーション良いよねぇ、東雲さん。宝塚とかマジで行けそうな感じ」

「……どうも」

 呟くようにそう言った私にこれ以上話しかけるのは憚られたのか、それ以降誰も、話しかけては来なかった。

 新藤先生、今頃会議かな。と考えて、あの微笑の下で実は落書きをしているのを想像し少しだけ気分が晴れる。

 ごめんなさい、先生。

 新藤のことだ、きっと笑顔で良いですよ、僕は気にしませんから。と言うのだろう。

 でも、それでは物足りない。だって私は―――……。

「東雲さん?」

 呼びかけられてはっと我に返り顔を上げると、怪訝そうなクラスの子の顔が目に入った。

「森さんが、台詞のことでちょっと、だってさ。こっちはもうokだから、そっち行ってきなよ」

「うん、分かった」

 ありがと、と小さく微笑みながら礼を言って、森さんは……と見回しながら立ち上がる。と、瞳を妖しく輝かせた森さんが手招きしていた。……何あれ怖い。

 とはいえ行かないわけにはいかないので、大人しくそれに従う。

「ごめんねー、どうしても本人の意向聞きたくて。王子、敬語と不良っぽいのとどっちが良いと思う?」

「……敬語、かな」

 あぁ、新藤は常に敬語だなぁ、そういえば。と考えたせいか、口をついて出た。と、森さんはすごい勢いでそうよね! という。

「時代考証とかするとどうしても中世あたりでしょ? 東雲さんならどっちでも似合いそうなんだけど、やっぱここは敬語で……そうよね、分かった。ありがとう」

「……台詞、どれくらい?」

「台詞? そうだなー……でもそんなに多くないよ? 最初と舞踏会のシーンと、シンデレラを迎えに来て結婚式まで、だから……それに、東雲さんは無口なイメージの方が強いし」

「……そうなんだ」

「ギャップ狙いでも良いんだけどねー。今回はとことん王道で。あ、でも台詞ない分動きとか表情の注文は多いかも。覚悟しといてね」

 それは……と思ったのが顔に出たのだろう、森さんは慌てて取り繕うように言う。

「大丈夫。東雲さん、割と雰囲気あるし、役に入り込めれば楽だと思う。……入り込めるような役になるように頑張って書くから」

「……了解。頑張って」

 結局のところ私にはそれしか言うことが出来ず、また咲弥のところに戻る。根が明るい咲弥だが、それでも微妙にさっきのを引きずっているようで伏し目がちだ。

 不意にぱっと思いついたことがあって、咲弥、と呼んで顔を上げさせる。その怪訝そうな表情ににこりと笑って見せた後、咲弥の腕の下と膝の裏に腕を通して抱き上げる。

 クラスの何人か、そして抱き上げられた咲弥がそれぞれ正反対の色の声を上げた。

「ちょっと、深空!? 重いのに!」

「……あんたのこれで重いって言ってたら私はどうなるの」

 抱き上げたままその場でくるりと回ってみせる。と、クラスの子達からまた盛大な黄色い声が上がった。

「おーおー、盛り上がってんなーこのクラスは。……東雲?」

 扉から顔を出したのはクラスの担任・冬真で、咲弥を軽々と抱き上げている私を見て驚いた顔をした。と、冬真のファンである生徒達が一斉にその周りを囲む。

「そうなんですよ! 東雲さんが居るからこその劇ですから!」

「なんてったって男装似合うでしょう、東雲さん。あたし思うに、充分宝塚行けると思うんですよね!」

「……男装っていうか、この子スカート持ってないよ。いっつもジーパンにTシャツにジャケット」

 咲弥が余計な茶々を入れ、クラスの子達はさらにヒートアップする。それを苦笑で納めて、冬真は私を手招きした。

「東雲、少し話があるんだ。今来れるか?」

「はい……」

 返事をしてからゆっくりと咲弥を降ろす。咲弥は微妙に憮然とした表情だったが、後で迎えに行くから、と小さく耳打ちしてきた。


「この、進路希望調査なんだけど」

 来たか、と内心顔をしかめるが、表情は変えない。そんな私を見て、冬真はため息をついた後苦笑した。

「本気か? これ」

 2次試験にある教科はすべて平均ギリギリのもの。加えて出席日数が段々足らなくなってきている。下手をすれば浪人以前に、卒業できないかもしれない。

「本気です」

「……まぁ、だろうな」

 ん、分かった。頑張れよ! と冬真は一度軽く私の肩を叩いて背を向けた。

「あ、あの!」

 怪訝な表情で冬真が振り返る。私自身、何で呼び止めたのか分からない。

が、唇が勝手に動いて言葉が零れていった。

「……新藤先生に、すみませんって、伝えてもらえますか?」

「分かった。新藤だな」

 自分で言え、といわれるかも知れない、と思ったが割合あっさりと冬真は頷いて肩越しに手を振り職員室に歩いていった。


 こんなに忙しいとは思わなかった、と朝以来吸っていない煙草に伸びる手を抑えつつ息をゆっくりと吐き出す。

 また明日、という社交辞令のような挨拶が交わされた次の日から、一度として東雲に会うことが出来ていない。クラス担任の冬真は時折東雲ちゃんは今日も元気にしてるぞーとか今日俺の時間だけサボりやがってあいつとか新藤に教えてくれていたが、話を聞くのと会うのとではやはり違う。あのまっすぐな目を一目でいいから見たいと思いつつ、東雲のクラスの前を横切ったときにもめているような声を聞いた気がして、新藤は細く扉を開けて中を窺った。

「東雲さん、新藤先生と付き合ってるの?」

 はっきりと聞こえたその台詞に、新藤は固まったまま全身が耳になったかと思うくらい聴覚を研ぎ澄ませる。他の生徒や先生方が通ったら明らかに怪しいと分かっていても、足が動いてくれなかった。

「……黙ってないでなにか言いなさいよ! 何よ、急に真面目ぶって。今までずっと、屋上で二人で会ってたんでしょ!?」

「……私は空を見てただけだし、先生は煙草を吸ってただけだよ。付き合ってなんか」

「嘘よ! じゃあ何で先生がわざわざ屋上まで行って煙草吸ってたの!? 他の先生たちみんな、校門の側で吸ってるじゃない!」

「―――土井さんは、先生のこと好きなの?」

 だめだ、と咄嗟に思った。東雲はそう思ったから素直に訊いただけなのだろうが、その言葉は今一番火に油を注ぐものではないか、と。

 はたして、一瞬遅れてぱしん、と高い音がした。

「……っそんなの、あなたに関係ないじゃない!」

「……うん、関係ない。でも本当に付き合ってないから、もし土井さんが告白したらOKかもしれないよ」

 他人事のようにそういう東雲の声が刺さりそれ以上聞いていられなくて、新藤は静かに踵を返した。


 はぁ、とため息をつきながら靴箱から靴を取り出す。

 練習が終わった後でちょっと、と土井さんに呼び止められ、いやそうな顔をしていた咲弥をもう遅いからとむりやり先に帰らせて、その結果10時になってしまった。下校時間も何もあったものじゃない、と時計を見ながら再度ため息を吐き―――昇降口に立っていた人影に気づいて言葉を失った。

「……東雲さん」

 何故、ここで会うのだろう? いいやそれよりも、

 何故、私を見とめた時にほっとしたような、少し痛そうな微笑をその頬に浮かべたのだろう?

「丁度今帰りなんです。もう夜遅いですから送っていきますよ」

「……え、」

「明日も学校ですし、これ以上遅くなったら親御さんも心配でしょう」

 いつもよりも少し強引な新藤に半ば引きずられるように、私は新藤の車に案内された。当然のように助手席の扉を開けられてどうぞ、と言われ、これって誰かに見られたらやばいんじゃと思いつつもお邪魔します、と言う。

 車を発進させつつ、新藤がやや言葉を選ぶように躊躇しつつ口を開いた。

「……なんだか久しぶりですね。少し疲れてるようですが……大丈夫ですか?」

「……先生こそ、隈すごいですよ」

 どんな風に話していたのか思い出せなかったが、軽口が口をついて出る。新藤はそれに軽く笑って、ちょっとすみません、と窓を開け煙草を取り出した。

「……ふぅ。実は朝以来吸ってなくてニコチン不足だったんですよ」

「そんなに準備忙しいんですか」

「今までサボってた分働け、って暁に押し付けられまして。でもその暁もまだ残ってやってますから、担任をしてない僕はまだ楽な方かもしれないですね」

 他愛のない会話。窓の外に流れていく紫煙。以前と変わらないように思える新藤だったが、私は何か引っかかりを覚えていた。

 理由はすぐに見つかる。―――土井さんとの話だ。

「……今日練習が終わった後で、土井さんに呼び止められたんですよ」

 気が付いたら、私はそう口にしてしまっていた。


 ―――土井さんに呼び止められたんですよ。

 まさかばれていたのかと思うが、東雲は前を向いているだけで特に鎌をかけている素振りはない。そもそも東雲はそういう真似が苦手だし嫌いだったはずだ。だから純粋に報告なのだろうと判断して、新藤はそれで、と続きを促した。

「ちょっと前まで私と先生がよく屋上でサボってたから、付き合ってるんじゃないか、って問い詰められて。でもありえないですよね普通、先生と生徒なんか。ヤバめな小説くらいでしょ、そんな設定」

「……かもしれませんね」

 自分はうまく苦笑できているだろうか。自信がない。

「……ですよね」

 自分のことで精一杯だった新藤は不覚にも、東雲が沈んだ声でそう言ったのに気付けなかった。その一瞬後には、何事もなかったかのように東雲が声を上げたからだ。

「あ、私の家そこです。すみませんわざわざ、ありがとうございました」

「いえ。ではまたあし―――」

「―――おやすみなさい、先生」

 新藤の台詞を遮ってそう言い、頭を下げて車を出ていく東雲にそれ以上声をかけられず、ただ家へと入っていくのを車から見送る。家の扉が閉まってから、新藤はガン、とハンドルに拳を叩き付けた。

「……気を遣わせてどうするんですか、僕は」

 また明日、なんてそんな挨拶を交わす間柄でもない。それを認められなくて、認めたくなくて、口をついて出そうになったのを東雲は多分見抜いたのだろう。だからあのタイミングでああ言ったのだ。

 失恋なんていつ振りだろう、と自嘲しながら、新藤は車を出した。


 土井愛実。咲弥ほどではないがかわいい子で、後輩たちにもそこそこ人気があると聞いたことがある。……あの子だったら新藤と並んでも見劣りしないだろうな、なんて考えてしまい余計落ち込む。

「馬鹿だ私……」

 離れてから新藤が好きだと自覚するなんて。

 机に突っ伏して唇を噛んでいると、不意にポケットに入れていた携帯が震えた。画面に表示された名前は―――横田咲弥。

「……もしもし」

『深空! 大丈夫!?』

「大丈夫って何が?」

 問い返してから、あぁ土井さんに呼び出されたことか、と思い至る。過保護だなぁと苦笑してから、大丈夫だよ、と答えた。

『あの女急に怖い顔してあんたに近寄って行ったから、嫌がらせしに行ったんじゃないかってめちゃくちゃ心配したのよ! あいつ性格悪いって聞くし』

「咲弥、心配はありがたいけど陰口は駄目だよ。いつも言ってるでしょ?」

 たしなめるようにそう言うと、憤慨したような咲弥に遮られた。

『そうは言うけど深空、あいつ本当に一部では評判悪いのよ。それもすこぶるね』

 言いつつ咲弥は周りを気にするように声を潜め、深空は思わず耳をそばだてた。

『あいつね、他の女の子の彼氏とか好きな人とか横からかっさらうのが趣味なんだって。うちのクラスのけいちゃんも、2年間付き合った彼氏と危うく引き離されるところだった、って言ってたし、一般のクラスでは有名な話みたい。だから深空、』

「―――ありがと、咲弥。でももういいよ」

 きっと私よりも先に、私が新藤を好きだと気付いていたのだろう咲弥には言っておくべきだと思った。いつもと雰囲気が違うことに気付いたらしい咲弥は口を閉ざし、沈黙を守っている。

「……私、新藤先生のこと、好きになってたんだね。土井さんに呼び出されて先生と付き合ってるの、って聞かれた後で私、先生に会って、車で送ってもらって……そこでさ、自分から言ったんだ。先生と生徒なんてありえませんよね、って。先生も『そうかもしれませんね』って苦笑してた。だから……ううん、きっとそれだけじゃなくて、私じゃ先生と釣り合わないから……だから、咲弥が応援してくれるのは嬉しいけど私、諦めるよ」

『……あいつにとられても、良いっていうの』

 めったに聞かない咲弥の低い声に、あぁ本気で怒ってる、と思う。まっすぐな咲弥には、私が臆病者にしか見えないんだろうな、とも。実際に、土井さんと新藤が笑い合っている姿を想像し胸が痛む私はまだ諦めるなんてできないと思う。

 でも私は、それ以上に傷つきたくない臆病者なのだ。

「先生が土井さんを選んでも、……それで先生が幸せなら、私はそれで」

 ブツッ、ツー、ツー、ツー……

 挨拶もなしに切れた携帯を見つめ、もう一度馬鹿だ、と呟いて、私は机に突っ伏して声を殺して泣いた。


 壁に投げつけた枕が足元に転がってきて、咲弥は思い切りそれを睨みつけた。それでも携帯を投げなかっただけ、よく理性を働かせたと褒めてもらいたいくらいだ。

「あの、馬鹿っ……!」

 深空が奥手で自分に関してだけ鈍感なのは知っていた。今まで多分、恋をしたことがないのだろうということも。

 ―――それでも、悔し涙を抑えることなどできなかった。

 新藤は深空のことを生徒以上に思ってるんじゃないか、と思ったのは、屋上で深空と一緒に空を見ながら話しているのを見かけたときだった。いつも生徒たちに向ける仮面のような微笑ではなくて、穏やかに見守るような、それでいて身の内に飼う獣を懸命に押さえつけ隠すような……とにかく、咲弥は深空と居る時の新藤の笑顔はいつもとは違う、と思ったのだ。深空も自分に関してはものすごく鈍感だが無意識化では気付いていたに違いない。少しくすぐったそうに、大半居心地悪そうに、その笑顔から目を逸らしていたのがその証拠だ。

 なのに。

「……ったくなんだよ咲弥ー。もう夜遅いってのに……あ?」

 突然開いた部屋のドアから兄貴が顔をだし、携帯を握りしめて泣いている咲弥を見とめて微妙な顔をした。振られたか? なんて微妙に気を遣いながら言ってくるのでふん、と鼻で笑ってやる。

「あたしじゃなくて深空が、よ」

 しかも正確には振られたんじゃなくて勝手に諦めるって言い出しただけだけど、と言い足す前に、深空をある意味実の妹よりも妹のように可愛がっている兄貴は血相を変えて詰め寄ってきた。

「深空ちゃんを振るなんてどんな奴だ!? 俺が叩きのめしてやる!」

「兄貴じゃ無理よ、高校の先生だし。大体人の話は最後まで聞きなさいって、深空が振られたんじゃなくて、私じゃ先生に釣り合わないから諦める、って言ってきたの」

「深空ちゃんが釣り合わないなんてどんな男だ……! それなら俺が!」

「兄貴3回も告って3回とも振られたじゃないの」

 それ以上はウザいよ、と忠告してやると、だよなぁ、と兄貴も肩を落とす。と、でもさ、と不意に真剣な顔で兄貴が問いかけてきた。

「それは咲弥が口出していい問題じゃないだろ? 深空ちゃんがもう決めたんだったら、他の誰もそれを止められやしないさ。親友のお前でもな」

「……分かってる」

 分かってるから歯がゆいんじゃないか、と思うが、口には出さない。兄貴は苦笑しながら近寄ってきてぽん、と頭を軽くたたくと、もう何も言わずに部屋を出て行った。


 時間の流れというのは無情でもあるが慈悲深くもある。幸い、劇の練習が忙しくなって月日はあっという間に流れ、気が付けば本番もクライマックスに差し掛かっている。

 ―――あと、一言だけ。

「僕には貴女が必要なのです、シンデレラ。僕と一緒に、来ていただけませんか」

 言って、咲弥扮するシンデレラへと跪き手を差し伸べる。咲弥が艶やかに笑み、深空の手を取って頷いて……割れるような拍手と歓声と共に、幕が下り始める。客席側に向かって咲弥と一緒に礼をし、顔を上げたところで―――何故だろう、会場の隅に立ってこちらを見ていた新藤と目が合った。

 一瞬、呼吸を忘れる。

「……ちょっと、深空っ」

 固まっていた私を咲弥が小突いてくれ、はっと我に返ってもう一度礼をする。顔を上げた時にはもう幕が閉じきっていて、それに深空は思わず安堵のため息を吐く。

 駆け寄ってきたクラスメイト達は、そのため息の意味が劇を無事に終えられたせいだとうまく勘違いしてくれたらしい。森さんなどはお疲れー、カッコよかったよ王子! と抱きしめてきた。咲弥は終わった達成感からか泣きじゃくっていて、クラスメイト達に苦笑であやされている。

「……終わった、ね」

「まだよ! 片付け! 早くしなきゃ次に支障が出るのよ!」

 私が感慨深く言ったのを断ち切ったのは生徒会の役員さんで、私たちは慌ててステージの片付けに取りかかった。


「……どーだったよ、うちのクラス」

 不意に右肩が重くなり、振り返るまでもなく新藤はえぇ、良かったですよ、と答えた。親友にして今のクラスの担任でもある暁は満足げにだろ? と笑う。

「しっかし、あれでまた東雲ちゃんはバレンタインが大変になるなぁ。あんだけ演じきりゃー当然かもしんねーけど」

 シンデレラに手を差し伸べるシーンなどは会場に詰めかけた女子たちの悲鳴や歓声で耳が痛くなったくらいだ、それくらいは当然だろうと新藤も苦笑しつつ頷く。

 ―――東雲の名前を聞くたびに痛む胸は、表情を歪めさせようと重圧を与えてくるが。

「……あいつな、第一志望T大なんだよ」

 急に肩が軽くなり、真剣な口調の暁が言う。何を言われたのか分からずに、新藤は目を瞬かせた。

 ―――T大?

「え……本当に?」

「あぁ。劇の練習で散々時間使ってたし、今までの成績も良いとは言えないからな。お前の教科でもきっと補習が必要になるだろ。そんときはよろしくな、紫暮」

「……それは、多分ないですよ。暁」

 あれ以来、新藤ははっきりと分かるほど避けられているのだ。元々の頭もそう悪くはないし、ちゃんと勉強してくるのではないかと思う。新藤に会わないために。

「……らしくねーなー、どうしたよ紫暮?」

 軽い口調で暁は言って、いたずらっ子のような笑みを頬に浮かべた。

「いいこと教えてやるよ。あの王子の口調な、王子役が自ら敬語が良いって言ったんだってよ。誰かさんを意識してるとは思わねーか?」

 爆弾を投下しておいてじゃ、と一方的に去っていく暁の背を、新藤は呆然と見送るしかできなかった。


「あった……?」

「何で疑問形なのよ」

 呆れ顔の咲弥に突っ込まれ、私は苦笑してごめん、と謝った。

「いや謝るとこじゃなくて喜ぶとこよ。ってかあたしの方が嬉しい! T大の合格者発表で親友の番号を見つけられるなんて!」

 言うなり抱きついてきた咲弥の頭をぽんぽんと撫でながら、もう一度掲示板に視線を移す。

 116784。T大後期の入試で私が書いた番号は、掲示板の真ん中あたりにちゃんと見つけることが出来た。

 本当は一人で来ようかと思ったのだが―――受かっている自信なんてなかったし―――、前期で受かっていた咲弥がお兄さんと共に朝私の家まで来て、一緒に行く! と言い張ったのだ。結果的に、一緒に来てくれてよかった、と思う。誰かとこうして喜びを共有できるのは、それだけで喜びが倍増するような気がする。

「……ありがとね、咲弥」

 呟くように言った礼に、咲弥はにっこりと笑ってじゃあ報告行ってらっしゃい、と言い放つ。

「……え」

「あたしはつい先週行ったし、もう挨拶一通りしてきたから逆に行き辛いのよ。……そういえばいいこと教えてあげるわ」

 可愛いが妖しい咲弥の笑みに呑まれていた私は、咲弥が私の耳に唇を寄せ囁いた言葉にしばらく硬直することになった。

「―――新藤先生ね、土井愛実に告られたけど断ったって。その振られ文句が、『今は空を見ていたいんです』だったって話よ」


「……東雲さん?」

 何とか第一志望に受かったと担任に報告しに来て、その後。職員室に新藤の姿は無かったのでもう諦めて帰ろうとしていたとき、

 聞きたかった声、でも会いたくなかったその人の声に呼び止められた。

「……新藤先生」

「久し振りに少し話しませんか? 今日の空、綺麗ですよ」

 私が返事をするよりも早く、新藤は踵を返して階段を登りはじめている。渋々新藤について行きながら、深空はそっとため息をついた。

 ―――こんな、期待させるようなことをしないで欲しい。どうせ私は一生徒に過ぎないし、もう卒業したのだから新藤の生徒ではない。

 けれどそんな私の後ろ向きな考えも、屋上の扉の向こうにある青空の前に吹き飛んだ。フェンスぎりぎりまで行って、首が痛くなるほど反らしてぽかんと口を開ける。

「キレー……」

 間抜けな顔だと言う自覚はあったが、それくらい綺麗な空だったのだ。

 私の大好きな、雲ひとつない、高く澄んだ空。

 と、不意に扉が閉まり鍵がかかる音がした。驚いて振り向こうとすると、すぐ横にふわりと煙草の香りが並ぶ。……立って並ぶと身長差あるな、とどこか現実味のない頭で考えたときだった。

「やっと、卒業してくれましたね。第一志望にも受かったそうで……おめでとうございます」

「どうも……」

 大学にも受かってくれて何よりです、浪人されてはたまりませんし。と新藤は独り言のように言う。新藤が咥えている、煙草の煙を追うように視線は空に向けられたままだ。

 ……というか。確かに浪人も覚悟してたけどどうして担任でもない新藤がそれを……?

「暁が情報を流してくれていましたし、何より言動を見ていれば分かりますよ。東雲さんは元々意志の強い人ですから……一度決めたら、妥協なんてしないでしょう?」

「……しそうになりましたよ。何度も。現実逃避しまくってましたし」

 正気を取り戻したのはセンター直前で。持ち前の運のよさか何とか切り抜けられても前期は受からなかった。同じクラスの子達はほとんど前期で決めたのに、だ。

 が、新藤は少し困ったように笑って首を振った、気配がした。

「東雲さんは根が真面目なんですよ。というか、それでもT大に受かるんですからすごいと思いますが」

 ふ、と紫煙が青空に溶ける。新藤がこちらを向いたのが声で分かったが、私は視線を空に向けたままだった。……別に聞いていないわけでも、聞きたくないわけでもない。

 ただ、これが自然だと思うだけだ。私と新藤の距離感。交わらない、平行線のままの視線。

 だってそうしなければ、新藤に迷惑が……。

「……東雲さん?」

 突然新藤の長い指が頬を滑った。振り払おうとした手も掴まれ、向き合わされる。

「っ……先生、」

「もう僕は東雲さんの“先生”じゃありません。……どれほど、この日を待ったことか……」

 その瞳の奥深さに引き込まれるように見つめあう。……そういえば新藤のこんな真顔って、

「何か別のことを考えてませんか?」

「……いえ、別に」

 というかいい加減離してもらえないだろうか。心臓に悪いし大体少しずつ近づいて……

 近づいて?

「ちょっ、先生っ!?」

「紫暮ですよ。……これからは、そう呼んでください」

「し、ぐれ……これから?」

 嘘だ。そんなものはもう私と新藤にはないはず。私はもうここには来ない。だって居場所がない。

「……お願いですから、そんな泣きそうな顔をしないで下さい」

「……っ!」

 新藤の苦笑、その手の力が緩んだ一瞬の隙を突いて、深空は思い切り新藤を突き飛ばした。

「なっ、何が、どうしてっ」

「……僕は、東雲さんが好きです」

 嘘! と叫びたかったのに、呼吸が喉で引っかかって声が出なかった。

「だからずっと、東雲さんが卒業するのを待っていました。そうすれば、僕と東雲さんが大っぴらに付き合ったとしてもどこからも文句は出ません」

「……駄目です!」

 やっと声が出た。

「“元教え子”なんて、そんなの無駄に邪推を買うだけじゃないですか! 大体、何でもっと他の、例えば土居さんみたいな、先生を好きな可愛い子じゃ」

 視界が黒いもので覆われ、息が詰まる。抱きしめられたのだと分かって、深空は思い切り抵抗しようとした。

 した、けれど。

「……僕のこの台詞が、冗談や遊びだと?」

 新藤のいつもより半オクターブ低い声に、その怖いくらいの真剣さに、深空は動けなくなった。

「何故僕がここでいつも煙草を吸っていたと思います? 他の喫煙する先生方は皆、校門のすぐ側で吸っているのに」

 気付かない振りをして、いたのに。

 新藤に会いさえしなければ、この気持ちもすぐに過去になるだろうと思ったのに。

 だから頑張って、皆女子大を受ける中1人だけ共学の大学を受験したのに。

「空が好きだからここに居る、と言った東雲さんの、あの笑顔が忘れられなかったんです。僕は東雲さんのクラスに行った事など数えるほどしかありませんでしたし、行く口実も無かった。でもここなら大抵いつでも、東雲さんに会うことが出来たので」

 ……自分もそうだと、そう言ってしまえば楽になれるのだろうか。

 空はもちろん好きだった。でも、1人で眺めているよりも、新藤の吐く紫煙がその空に吸い込まれていく、その景色が好きで。その雰囲気がとても、居心地が良くて。

 無理して女の子でなくても、男子の振りをして強がらなくても良かったから。

「……教えてもらえますか? 東雲さんが僕を、どう思っているか……」

 新藤の腕の力が緩み、肩をつかまれて向き合わされる。

 けれど私の中で、まだ答えは出せていなかった。

 本当に、頷いても良いのだろうか。

 新藤の迷惑になりはしないのだろうか。

 ……そもそも私のこの気持ちは、好きに分類されるものなのだろうか。

 新藤の視線はまっすぐに深空を捉えて離さない。でも本当に、これが嘘や冗談、あるいは遊びではないと言い切れるだろうか?

「……き、です……」

 無意識に、唇が動いていた。まっすぐに新藤を見つめ、今度ははっきりと言い直す。

「私は、新藤先生が好きです」

「……どこまで焦らすつもりかと思いました。もっと素直になって下さい」

 心臓に悪い、と付け足した新藤にまたきつく抱きしめられて、その鼓動を聞くと、確かに深空のそれと同じくらい早く強く、早鐘を打っていた。

「……先生?」

「先生は嫌です。……紫暮、と」

 嫌です、という子どもっぽい言葉とは裏腹に、落ちてくるのは大人の口付けで。

 ようやく開放されて大きく深呼吸をする。と、屋上の扉がガン! と鳴った。反射的に深空が新藤から飛び離れると、鍵が開く音と共に扉が空いて冬真が顔を覗かせる。

「……新藤お前な、」

「何ですか暁? もう彼女は貴方の生徒ではないでしょう?」

「……そりゃそうだけど何もこんなとこでお前、」

「それ以上は東雲さんの前では言わないで下さいね、暁。僕だって嫌われたくはありませんし」

 せっかく好きだといってくれたのに、といつもより数段艶のある微笑をこちらに向ける新藤。かっと顔に血が上るのが分かって慌てて俯く。

「……はー。まぁいい。東雲」

「……はい」

 何を言われるのか分からなかったが、そしてまだ頬の熱は引いていなかったが、それでも顔を上げた。真剣な冬真の視線とぶつかった後―――ふっと冬真が口角を上げる。

「色々大変だと思うけど、できればこいつ、見捨てないでやってくれ。……新藤、泣かすなよ?」

「当たり前ですね、そんなこと。ついでに言うなら逃がしませんよ」

「……苦労人だな、東雲は」

 でしょうね。とそこは私も否定せずに頷く。

 でも。

「その新藤先生を好きになったのは私ですから。苦労なんて気になりません」

「……新藤、確かに東雲のこういうとこが可愛いのは分かる。分かるけどな、ここで手ぇ出そうとしたら突き落とすぞ。……地獄の底まで」

「失敬な。そこまでがっついているように見えますか? ……いやでも、暁が居なかったら分からなかったですね。その点、暁が来てくれて助かりました。東雲さんを怖がらせるのは目に見えていますし、それは本意ではありませんから」

 とりあえず、と新藤は携帯をポケットから取り出してこちらに向き直った。動作の意味が分からず首を傾げた私に、携帯を出すように促してくる。

「え、あの……せん……紫暮、さん?」

「早く慣れてくださいね。それよりもほら、アドレス交換してください」

「あぁ、なるほど」

 好きだと伝えた、その後をすっかり忘れていた私は慌てて携帯をポケットから取り出した。何だか呆れ顔の冬真と妙に嬉しそうな表情の新藤が目に入り首を傾げる。

「……東雲。野暮なこと訊いて悪いんだけど……今まで、誰かと付き合ったりしなかったのか?」

「? ……はい。告白されたことはありますけど、付き合うとかよく分かんなかったので」

「告白されたことはあるんですね……ナンパは?」

「される訳無いじゃないですか。私可愛くないし、洒落っ気もないし、堅物ですし」

 言っていて我ながら情けなくなったがとりあえず携帯を操作し、新藤のアドレスを登録する。その間にも何やら新藤と冬真が2人でひそひそやっていたが気にしないことにして、また空を見上げた。

「……から、教え……」

「何を……変な……」

「―――紫暮さん」

 呼びかけるとぴたりと会話が止み、それぞれに身長の高い2人が窺うようにこちらに視線を向ける。この際冬真の存在は気にしない方向で、私はにっこりと笑って見せた。

「もう生徒、好きになっちゃ駄目ですよ?」

 一泊置いて、新藤はくすりと笑み、冬真もニヤリと笑う。

「東雲さんが、最初で最後ですよ」

 だから今度、2人で出掛けましょうね、と付け足して、新藤は私に手を差し伸べた。雲一つない空をバックに、紫煙をくゆらせながら手を伸ばす新藤の手を、躊躇なく握る。

 雨の日も、雪の日も曇りの日もあるけれど。

 新藤の紫煙がよく映える青空を、私はこの日、もっと好きになった。


 女子高のノリを書きたくて、というのと常に敬語を崩さないキャラを書きたくてこの話が生まれました。

 お読みいただきありがとうございました☆

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