妹の婚礼に、わたくしの庭は貸しません
花嫁を替えたついでに、庭の持ち主まで替えたつもりらしい。
「お姉様、その腰掛けを奥へお願い。花嫁が座る物ですから丁寧にね」
帰省から戻ったファネリアの手に、異母妹は白い腰掛けの端を載せた。向こうの端は彼女の婚約者ガスパルが持っている。
「花嫁でしたら、わたくしですけれど」
「それはね。順に話すから、まずこれを運んでくれないか」
ここは亡母から受け継いだファネリアの別荘だ。玄関脇に婚礼の椅子が積まれ、庭では彼女の知らない天幕が張られている。
ファネリアは腰掛けを静かに床へ下ろした。
「では、運ぶ前に伺います」
向こう側だけ持っているガスパルが、困った顔でこちらを見た。
今日は手袋を外す方を先にした。
帰省に出る直前まで、この玄関には花嫁の荷物などなかった。
ファネリアが出したのは盤と駒だ。庭へ遊びに来たルドヴィンが、その盤の前で頬杖をついていた。
「今の一手を戻してもらえないかな」
「指を離しましたわね」
「離したね」
「でしたら駄目です。わたくしが負けそうな時も、そうおっしゃいましたもの」
彼は王の駒を倒した。ファネリアが笑うと、悔しそうに盤を自分の方へ引き寄せる。
一年前の親戚の茶会でも同じだった。隣家の侯爵令息と紹介されて、最初は礼儀正しく勝負をした。負けたファネリアがすぐに再戦を申し込むと、彼は帰りの馬車を待たせた。
爵位の話より、どちらがもう一勝するかの方が忙しかった。
「練習用にお貸ししてもよろしいですわ」
「次に会うまで勝ち逃げする気かな」
「いいえ。強くなったあなたに勝ちたいの」
ルドヴィンは声を立てずに笑った。彼女の庭を訪ねるようになる前から、この返事を聞くのが好きだった。
ファネリアは途中で立ち、壁際の鉢を藤棚の陰へ動かした。葉の端が日に焼けかけていたのだ。母とデニに何度も場所を直されて覚えたことだった。
母が生きていた春には、この下へ昼食の籠を運んだ。まだ木が小さい頃は日除けにならず、母は帽子をかぶって座っていた。棚を覆うほど伸びるまで待とうと、毎年同じ場所へ籠を置いた。
ようやく十分な日陰ができた年、母はもう一緒に座れなかった。
小邸と庭の相続を済ませてからも、ファネリアはここへ卓を出した。今度の小さな茶会には近所の人も招くつもりだった。
「お帰りになったら、今度は皆様の前で負けてくださいまし」
「まだ僕が負ける方なんだね」
その約束をして実家へ二日帰っただけだ。
戻った玄関で待っていたのは再戦の相手ではなく、婚約者と妹と、運ばされかけた腰掛けだった。
「僕はモニカと結婚したいと思っているんだ」
ガスパルはようやく腰掛けを下ろした。
「君とは昔から家同士で決まっていただろう。でも僕たちはお互いを好きになったんだよ。隠し続けるより、正直に話す方がいいと思ってね」
モニカが彼の腕に寄り添う。旅行用の外套を着たままの姉を見て、少しだけ首を傾げた。
「お姉様にはお気の毒だけれど、仕方ないでしょう?」
「お気の毒と思うなら、なぜ荷物を持たせるのかしら」
妹の目が腰掛けへ落ちた。ファネリアは外套を脱ぎ、玄関の椅子へかける。
「婚約を解きたいというお話は分かりました。承知します。父にはわたくしからも返事をいたしますわ」
「よかった。君なら分かってくれると思ったよ。お父上にはもう話してあるんだ。親戚へも通知を出すよう頼んであってね」
「わたくしの返事より早いのですね」
ガスパルは聞こえなかったように、庭へ伸びる通路を指した。
「午後には皆さんが下見にいらっしゃるから、揉めずに迎えよう。僕たちの新しい門出だろう?」
「ここで下見をなさるの?」
「ええ。婚礼は来月よ。お姉様の式のためにガスパル様が作らせた腰掛けも、そのまま使えるのですもの」
妹はその座面を撫で、庭の奥へ顎を向けた。
「天幕の下に置けば綺麗でしょう?」
「婚約のお返事と、会場のお返事は別ですわ。わたくしは庭をお貸しすると申し上げていません」
「でも家族の婚礼なのよ。お姉様の別荘で挙げたら、両家の仲も変わらないって皆様に分かっていただけるわ」
「その仲のよい家族に、最初に聞くのは難しかった?」
モニカが唇を尖らせた時、裏口からデニが現れた。
彼が腕に抱えているのは長い藤の枝だった。
ファネリアは枝から庭へ目を移した。
白い天幕の脇に、空が大きく見えていた。帰省前にはなかった空だった。
「デニ。棚はどうしたの?」
デニは腕を下ろせないまま、妹を見た。
「昨日、伐られてしまって……。私が妻の家へ行っている間に、モニカ様が人をお連れになったそうです」
ファネリアは通路を急いだ。
柱だけが残っていた。枝を渡した棚も、絡んだ蔓もない。根元には土より明るい切り口が並んでいる。鉢は日陰をなくして、朝から日にさらされていた。
「モニカ。あなたが頼んだのね」
「花嫁の姿が隠れてしまうからよ。枝が下がっていたら、皆様がお顔を見られないでしょう」
「ここが誰の庭かはご存じ?」
「お姉様のお庭でしょう。それくらい分かっているわ」
「わたくしはこの藤を母と育てました。毎年ここで、一緒にお昼を食べていたの」
デニの腕から葉が一枚落ちた。
子供の頃のファネリアには、母の帽子を借りると目の前が見えなくなった。母は笑いながらつばを持ち上げてくれた。その指より太く育った枝が、今はデニの腕からはみ出している。
ファネリアは切り株に触れようとして手を止めた。
昨日この庭にいなかった。伐る前の木にはもう会えない。
「そんなに気に入っていたなら、次の木を植えればいいじゃない。費用は婚礼のあとで考えるから」
「次の木に母との春はついてきません」
奥の扉が開き、叔母のラモーナが降りてきた。姪たちの父に頼まれ、下見の取りまとめをしに来ていたのだ。
「どうしました。玄関から声が聞こえましたよ」
「おば様。モニカがわたくしに聞かずに藤を伐らせたのです。婚礼に邪魔だからと」
ラモーナは柱を見上げた。母と親しかった叔母なら、あの籠も覚えている。ファネリアは返事を待った。
「それは残念でしたね。でも今日だけは手伝ってくれませんか。皆様もいらっしゃるのですから」
叔母の目はすぐに天幕へ移った。
「せっかくのお祝いでしょう。今ここから出ていくように言えば、モニカにどんな噂が立つか」
「わたくしにはまだ、お祝いの相談が一つも来ていません」
「だから今日、皆で仲よく決めませんか」
もう木はない。運び込んだ道具もある。仲よく決める前に、ファネリアの場所だけが変わっていた。
「お姉様。お話なら座ってからできるわ。先に腰掛けをお願いできない?」
モニカが玄関を指した。
ファネリアはそこを見たが、引き返さなかった。
「運びません。ここで式は挙げられませんから」
「植え直すと言っているのに、まだ怒っているの?」
「藤の弁償はあとで話します。庭は貸しません」
ガスパルが困った笑みを作った。
「午前中は休んでおいでよ。僕たちで相談しておくから。モニカも皆さんに、君が手伝ってくれると話してしまったんだよ」
「わたくしが休んでいる間に、また決めるのですか」
今度は笑みが消えた。
ファネリアは家へ戻り、料理場へ顔を出した。
「今日の婚礼下見のお支度は止めてください。お食事も、庭へ出す必要はありません」
火を入れかけていた使用人の手が止まる。ファネリアは自分の昼食分だけを頼み、庭へ戻った。
デニは枝を脇へ置いて、物置から鉢を運び始めていた。
「今日はお休みでしょう。奥様の引越しは済んだの?」
「大きな家具はこれからです。モニカ様から、今日は出ないようにと」
「どうして?」
「天幕の縄を張り直す人手が要るそうですよ」
物置の壁に、引越しに使う綱がかかっている。デニはそれを見ないようにしていた。
腰を痛めた妻のために、階段のない借家へ移る。家賃を払う日も荷車を借りる日も決めてあった。ファネリアはその話を聞き、一月前から今日の午前を空けていた。
「休暇を決めたのはわたくしです。予定どおり行ってください」
「ただ、この鉢を日向に置いたままでは……」
「母屋の陰へ移しますわ。あなたに習ったことですもの。水をかければどこでもよい、なんてことはいたしません」
デニは棚のあった場所と物置を見比べた。
ファネリアは自室から給金袋を持ってきた。渡す日が今日だったのも覚えている。手帳を開くまでもなかった。
「奥様に渡し忘れては駄目ですよ。新しい家の買物もあるでしょう」
「妻にそのまま言われそうですね。ありがとうございます」
袋を内ポケットへしまうと、デニはようやく壁の綱を取った。
「午前中で運び終わります。午後のお客様までには戻れますよ」
「無理に急がないで。重い物は一人で運ばないこと」
「お嬢様もですよ。土を運ぶなら荷車を使ってください」
「分かりました。二人分お返事しておきますわ」
デニが小さく笑った。ファネリアは門まで見送り、鉢を移すための荷車を出した。
使う土を入れた袋が、天幕の脚のそばへ押しやられている。このまま椅子を動かされたら袋を踏まれる。
せっかく荷車を出したのだ。土も苗も一度に運ぼう。
それが間違いだった。
「それを一度で運ぶつもりかな」
垣根の外に立つルドヴィンが、土を盛りすぎた荷車を指した。
ファネリアは持ち手を押した。動かない。
「運ぶつもりでしたわ。今は違います」
「僕の出番は?」
「まず半分を降ろすところからお願い」
彼は隣家の通用門から回ってきた。朝の挨拶に寄ったら、垣根越しに荷車と格闘する彼女が見えたのだ。
上着を脱ぎながら、ルドヴィンは庭の奥へ目を向けた。藤の枝も天幕も、並んだ椅子も見える。
「何があったのかな」
「花嫁が替わりました。ついでに会場も決まったそうですわ。わたくしに聞かずに」
ファネリアは土袋の口を縛り直した。
話しているうちに、腹立たしさがまた戻ってきた。特に木のことは口が速くなった。
「母が好きだった藤ですの。わたくしが好きなことも知っていて、次を植えればいいなんて」
彼女が袋を荷車へ戻そうとしたので、ルドヴィンは空いた場所を手で押さえた。
「減らす方だったね」
「……そうでした。今は土に腹を立てるところではありませんわね」
彼はその袋を荷車の脇へ下ろし、彼女の言葉を待った。
「ファネリア嬢は、どうしたいのかな」
「ここでは挙げてほしくありません。庭も家もお貸ししないつもりです」
「分かったよ。今、手伝えることはあるかな」
ファネリアは日にさらされた鉢を指した。
「こちらを母屋の陰へ移したいの。土も一緒に。お手を貸していただけます?」
ルドヴィンは持ち手を一つ受け取った。
土を降ろすうちに靴へ小石が入ったらしい。彼は片足で立って靴を振る。空いた方の足まで揺れて、ファネリアは笑いながら荷車を支えた。
「負けそうな時のお顔と同じですわ」
「次の勝負では見せないよ」
「そのお約束は何度目かしら」
「勝つまで言ってもいいだろう?」
「もちろん。わたくしも負けたらそういたします」
彼が靴を履き直すのを待ち、二人で荷車を押した。半分になった土は素直に動く。母屋の陰へ着いたら先に土袋を下ろし、空いた荷台に鉢を載せて往復した。
葉をぶつけずに下ろせると、ファネリアは腰へ手を当てた。
「椅子と天幕の貸主にも来ていただきます。あちらはわたくしからお話ししなくては」
「そのあとは?」
「自分のお客様をお迎えします。あなたにも来ていただきたいわ」
ルドヴィンはまだ何も載っていない庭の卓を見た。
「盤は出るのかな」
「ええ。お菓子も。あなたに取られる前に、わたくしが取ります」
「それは盤の話? 菓子の話?」
「両方ですわ」
使いを出すと、椅子と天幕の貸主は昼前にやってきた。
ファネリアが名を告げると、相手は持っていた控えを開いた。借り主にはモニカの名がある。その下にある、会場の持ち主の了承を記す欄は空白だった。
「ここはわたくしの家です。この婚礼に使う許可は出していません。お道具を引き取っていただけますか」
貸主は欄を確かめてから、庭の道具と小邸を見た。帽子を取り、深く頭を下げた。
運搬人が荷車を門へ寄せると、二階からモニカが降りてきた。
「何をしているの? まだ下見が済んでいないわ」
「引き取っていただくのです。会場の許可を確かめないまま運び込まれたそうですわ」
「私が借りたのよ。お姉様が返すなんて決めないで」
「あなたの契約のお話は、あなたからなさってください。わたくしはここで使わないでほしいとお伝えしました」
貸主が控えをモニカへ差し出した。妹は自分の名の横を指で押さえ、次に空白の欄を見た。
「姉の家だとお話ししたでしょう?」
「それでわたくしの返事まで済んだことにはなりませんわ」
モニカは助けを求めて玄関を振り返った。ガスパルがやって来て、貸主へ笑いかける。
「困ったな。家族の間で少し行き違いがあっただけなんだよ。夕方まで待ってもらえないかな」
貸主は帽子を胸に当ててもう一度礼をし、運搬人へ手を上げた。椅子が束ねられて荷台へ積まれる。
モニカへ渡された紙には、来る時と帰る時の運搬費が書かれていた。
「使っていないのに、運ぶお金は取るの?」
「運んでいただいたのは、あなたでしょう。お支払いもお二人でお願いいたします」
ガスパルは紙を受け取り、モニカと顔を見合わせた。白い天幕が畳まれていくそばで、二人ともその紙を手放せなくなった。
ルドヴィンは母屋の裏で最後の鉢を下ろしている。荷車の土を払う音がした。
門に立っていたラモーナは、空になりつつある庭を見た。
「ファネリア。今日のことは私からも話します。今度の家族のお祝いには、また皆でここへ来られるようにしませんか」
「おば様。今後も、お使いになる前にわたくしへ聞いてください。お断りすることもあります」
「皆の集まりもですか」
「その日が空いていてもです。急なお泊まりのお支度も、もうお引き受けできません」
父方の親戚がこの近くへ来る時には、気軽に寄れる家だった。次の集まりで自分だけ呼ばれないかもしれない。呼ばれても妹の隣で笑えと言われるだろう。
ファネリアは門の敷居をまたぎ、家の側へ戻った。
「わたくしの用事も、先に決めてよいでしょう?」
叔母は返事をせず、開いた門の向こうを見た。
親戚の馬車がやってきていた。
玄関で親戚を迎えているところへ、デニが戻ってきた。
綱はきちんと巻き直され、片手には布をかけた籠があった。
「お嬢様。妻の荷物も運び終えましたよ。休ませていただいて助かりました」
「新しいお家はいかがでした?」
「荷物を入れても廊下を通れました。妻が何度も歩いて確かめていましたよ。こちらは礼にと焼いたものです」
布をめくると、厚みの違う焼き菓子が重なっていた。妻が朝のうちに用意し、引越し先へ持っていけとデニに預けたのだという。
「まあ。奥様に無理をしないようお伝えしたのに」
「焼く方は座ってできますからね。家具の方を私が受け持ててよかったです」
ラモーナと親戚たちがすぐそばで聞いていた。
ラモーナはデニの巻いた綱を見た。それからまだ仕事着のファネリアを見て、声を落とす。
「今日しか、荷車を借りられなかったのですか」
「はい。新しい家の鍵も今日でしたから。お嬢様には先月からお願いしていました。モニカ様には残るよう言われましたが、約束どおり行くようにと」
デニは給金袋の入った胸を軽く押さえた。
「妻に給金も渡せました。買物に間に合いましたよ」
ファネリアは菓子を皿へ移した。手を洗ってきたルドヴィンにも一枚勧めると、彼は並んだ中の大きい方を取った。
「あら。それはわたくしが狙っていたのに」
「先に取ってもらっていいのかな」
皿へ戻そうとするので、ファネリアは自分の菓子をかじった。
「今日はお譲りしますわ。次は負けませんけれど」
菓子の端はぱりっとしていた。口の中でほろほろ崩れ、甘さのあとに香ばしさが残る。働いた手で取ったせいか、とてもおいしかった。
ルドヴィンが笑って庭へ戻ると、ラモーナがファネリアの前に立った。
「私があなたに聞くべきでした。庭のことも、今日の支度のことも」
ファネリアは皿を下ろした。
「お母様の木がなくなったと話しても、手伝ってと言いましたね。ごめんなさい」
叔母は親戚の顔を確かめなかった。ファネリアの方を見て頭を下げた。
「モニカたちはうちへ連れて帰ります。会場の相談も、私の家でさせますから」
「わたくしに取りなす役を回さないでくださいね」
「あなたに来てもらうつもりはありません」
その返事を聞いてから、ファネリアは菓子の皿を親戚へ差し出した。皆が一枚ずつ取る間、モニカは二階から降りてくるガスパルを待っていた。
腕を取り、衣装の裾を整える。庭さえ見せれば何とかなると、まだ思っていた。
「それでは皆様、こちらが婚礼のお庭です」
モニカが両手を広げた先には、何もなかった。
椅子も白い天幕もない。花嫁用の腰掛けだけが、運び出す道具の邪魔にならないよう門外の平らな石畳へ移されていた。
「お姉様。椅子は?」
「お返ししましたわ。借りた物ですもの」
「今から並べ直していただけない? このままでは皆様に座っていただけないわ」
ファネリアは門の内側で足を止めた。親戚たちが後ろに続き、用意されたはずの場所へ目をやる。
通路の端に置かれた鉢は母屋の陰に移り、藤の切り株の周りだけが空いていた。
ガスパルが妹の隣から進み出る。
「困るよ。皆さんにここで式を挙げるとお知らせしたのに」
「わたくしには、いつお知らせになったの?」
「今朝、君にも……」
「お貸しくださいと?」
ガスパルの口が止まった。
親戚の一人が扇を閉じた。もう一人はモニカが配った案内状を裏返し、会場の名を確かめている。
モニカが叔母の腕をつかんだ。ラモーナは手を添えたが、ファネリアへは頼まなかった。
「お姉様が使わない日に使うだけでしょう。こんな広い庭を一人で持っていても」
「使わない日なら、壊してよろしいの?」
ファネリアは切られた藤の株の前へしゃがんだ。
春にはここで母と昼食を取った。母の籠を受け取り、卓へ並べるのは自分の役だった。木が育ったら暑い日にも来ようと、帽子のつばを持ち上げ合って笑った。
母と待った木だった。
切り口へ伸ばした手を膝へ戻す。土を運んだ時のようには触れなかった。
「花嫁の姿が隠れるからって、切らせたのよね」
「そんなに大事なら言ってくだされば」
「先ほどもお話ししました。あなたは次の木を植えればいいとおっしゃったわ」
妹が顔を上げた。親戚たちの目はもう、白い婚礼の衣装へ向いていない。
モニカは腕にかかったレースを直した。綺麗に見せるための場所だったはずなのに、切り株がよく見える。誰もそちらから目を離してくれなかった。
「庭なら実家にもあるだろう」
ガスパルが小声で言うと、モニカはその腕を振りほどいた。
「あんな狭い庭で挙げろというの?」
「では、広い庭をお借りになって。わたくしの庭は貸しません」
ファネリアは立った。
膝の土を払うと、朝からこわばっていた背中が伸びた。誰かが頷くのを待つ必要はなかった。
「おば様からも言って。こんなに準備したのよ。今から別の会場なんて……」
「モニカ。こちらの支度は止めてもらいました。あとの相談はうちでしましょう」
ラモーナは庭へ入らず、門外へ向き直った。
ガスパルは腰掛けを見た。それから自分の招待客を振り返ったが、代わりに姉を説得する人はいなかった。
「婚約を解いたのは僕たち二人のことだろう。妹の結婚まで邪魔するのか」
「会場を用意するのは、お二人です」
「そんなに怒らなくても、頼み方が足りなかっただけだよ。ここで挙げたいとモニカはずっと楽しみにしていたんだから」
「それなら、準備の前に聞いていただきたかったです」
「今からお願いすれば、貸してくださるの?」
モニカがすぐに身を乗り出した。
「お姉様、来月の婚礼にこのお庭を貸して。家族ですもの。そのくらいはお願いしてもいいでしょう?」
「お願いは聞きました。お断りします」
妹が瞬きをした。頼めばもらえる返事しか考えていなかった顔だった。
ファネリアは二人の横を通り、門を大きく開ける。
「今後もここでの催しは、わたくしが承知したものだけです。もう先に皆様をお呼びにならないで」
案内状を持った親戚が、それを畳んで懐へしまった。モニカはその手を見送り、次に叔母を見た。ラモーナの足は動かない。
「お荷物はこちらですわ」
白い腰掛けの前へ手を差し出すと、ガスパルがファネリアの顔を見た。彼女の手は空いたままだった。
しばらくして、彼が一人で腰掛けを持ち上げた。
抱え方が悪くて飾りが上着に当たる。向きを変えようにも門柱が近い。親戚たちは腰掛けに触れず、道を空けた。
「モニカ。そちらを持ってくれないか」
「私が? この衣装で?」
ガスパルは返事の代わりに腰掛けを下ろし、持つ位置を変えた。モニカは裾をたくし上げ、ようやく片端へ手をかける。
朝とは反対に、ファネリアが庭の側から二人を見送った。
門を閉める前に、叔母へ声をかける。
「藤のことは、あとでお二人へお手紙を差し上げます。会場のお話と一緒にはなさらないでください」
ラモーナは頷き、二人のあとを追った。
母と育てた藤はそこにない。花嫁用の腰掛けもなくなった。
ファネリアは袖をまくり直し、陰へ移した鉢に水をやりに戻った。
後日の茶会で、ルドヴィンはついに勝った。
ファネリアの王の駒は逃げ場をなくし、彼の指が最後の一手の脇で止まっている。
「今度こそ参りましたわ」
王を横に倒すと、ルドヴィンは声を上げて笑った。しばらく勝てずにいた相手の、少し大人げない喜び方だった。
近所の客が帰り、庭には二人の卓だけが残っていた。白い天幕の代わりに小さな日傘を立て、母屋の陰へ卓を寄せてある。
「では、大きい方のお菓子をいただこうかな」
「それはわたくしです」
「盤で勝ったのは僕なのに?」
「二つとも取らせるものですか」
先に菓子を自分の皿へ移した。彼が笑っているうちに一口食べると、今の負けが少し惜しくなった。
庭の端には新しい藤の苗がある。デニと相談して植えた若木は、まだ日陰を作らない。昔の棚を取り戻すためではなく、来年から何が伸びるかを見たいと思って選んだ。
「もう一度お願いしますわ」
「勝負以外にも会いに来ていいかな」
ファネリアは菓子を飲み込んだ。
ルドヴィンは駒へ手を伸ばさず、彼女の返事を待っている。
「そのお誘いを、先にしてくださらなくては」
「順番を間違えたね。ファネリア嬢、僕とお付き合いしていただけますか」
頬が熱くなった。負けを取り返すより先に言いたいことができた。
「ええ。わたくしも、あなたとお会いしたいです」
「それは、よかった。ずっと言おうと思っていたんだけど……」
「お勝ちになるまで待っていらしたの?」
「それでは言えずに終わるところだったな」
ファネリアが吹き出すと、彼も少し照れた顔で笑った。婚約者がいた頃にはできなかった誘いを、ようやく渡してくれたのだ。
彼女は自分の椅子を持ち上げ、彼の隣へ移した。
「この盤は、帰りにお持ちになって。次までにもう少し練習なさってくださいね」
「借りてもいいの?」
「今日は、わたくしがお貸ししたいの」
並んで座ると、彼の手が卓の上で近くなった。
「ファネリア。返す時に、また来てもいいかな」
「お返しになる前でもどうぞ。盤がなくてもお茶は飲めますわ」
ルドヴィンは帰る支度をせず、彼女が近づけた皿から小さい方の菓子を取った。
盤を二人の間へ戻すと、彼が夕食にもいてくれるかが急に気になった。ファネリアは料理場の窓まで歩いて声をかける。
「今夜は二人分、お願いします」
今日の再戦は、夕食を済ませてから始まった。




