第06話 生まれし場所
「……。」
湊と常雄と一緒に漁から帰ると、既に午前9時を回っていた。自宅では両親が心配しているのではないかと海斗は不安になって帰ったが、玄関の戸を開けると朝食の準備をしながら、留衣子が普通に海斗を出迎えた。
朝食はご飯、お味噌汁、鮭だった。海苔も添えられている。お味噌汁もただのお味噌汁ではなく、シジミが入っていた。
「いただきます……」
「どうぞ」
海斗は海苔をお箸で摘み、ご飯に乗せた。頬張ると、パリッとした新鮮な音の後に、塩で味付けされた、味海苔らしい味わいが海斗の口に広がっていく。
「……美味い」
海斗はボソッと呟いた。続いて、鮭をお箸でサクッと切り分ける。ジュワッとした脂の乗った音が密かに響いた。
フワリとやわらかい身の感触が口を包み込んでいく。
「……おいしい」
海斗の口からポツリ、ポツリと言葉が出てくるのを正面で留衣子はジッと聞き続けていた。
朝食を終えてから、海斗はスッと立ち上がった。
「母さん」
「何?」
「俺……海、行ってくる」
留衣子は目を丸くしたが、すぐに笑って言った。
「行ってらっしゃい」
家を出てから、海斗はどこへ行くというわけでもなく歩き続けた。湊たちと一緒に漁へ出た港に着いてから、海斗はそこからそう遠くない砂浜へとさらに移動した。
「……。」
海斗はその砂浜に座り込んだ。
「見覚えが……」
「あるのか?」
振り返ると、敦が立っていた。
「父さん……」
「お前、この砂浜見覚えあるのか?」
「なんとなく……」
敦が海斗の頭を撫でた。
「そうか。大した記憶力だな」
敦は懐かしそうに話を始めた。
「お前がここへ来たのは、1回きりなんだぞ?」
「そうなの? いつ?」
「お前が生まれた時だ」
「俺が……生まれたとき……」
「赤ちゃんが産まれると、産湯ってのにつけるのは知ってるな?」
海斗は小さくうなずいた。
「この町ではな、子供が生まれた時は産湯につけるんじゃなくって、海水につけるんだ」
「海水に?」
産湯の話は知っていたが、その話は初耳だった。
「あぁ。この町で……いつか島を出るとしても、それまでは毎日、何らかの形で海と関わって生きていくんだ、この島の人たちは」
海斗は自分のことを思い返した。サーフィンで海に関わってきた自分。父は漁協の事務局で勤務。母は専業主婦ではあるが、毎日魚や貝を駆使した料理を作っている。湊は漁師を目指している。湊の祖父は漁師。母は水産加工場に勤務する。一帆一家は連絡船を経営している。瑞貴の一家は水産加工場を経営している。
皆、海と切っても切り離せない生活を送っていた。それはこの島の住人だけではないのかもしれない。
「俺……正直、去年の津波で……海が怖くなった」
海斗は訥々と語り始めた。
「でも、海が好きで好きで仕方がない。サーフィンだけじゃない。素もぐりで湊たちと貝を採るのも好きだし、朝焼けや夕焼けを海のほうから見るのも好き。潮の香りをかぐのも好き。波の音を遠くから聴くだけでも、幸せになれる」
海斗は強く拳を握り締めた。
「俺……もう一回、海と向き合う。決めたんだ」
「頑張れ」
敦はポン、と海斗の頭を撫でた。
「おう」
父に対してうん、ではなくおう、と答えたのはこれが初めてだった。
「ん?」
一帆の携帯電話が震えた。
「海斗からだ」
メッセージを開くと、簡単な文章が打たれていた。
『俺、明日、波乗りする』
サーフィン、とは書かれていなかった。「波乗り」という言葉に海斗の決意のようなものが、一帆には見えていた。
同じ頃、メールは湊と瑞貴にも届いていた。
「俺はあえて返事しない」
湊が言った。
「じゃ、俺が代わりに」
瑞貴がポチポチと慣れた手つきで返信する。
「了解。場所は?」
すぐに返信が来た。
『初心原の砂浜で』
「なるほどね……」
瑞貴はクスッと笑い、携帯電話を閉じた。
何かが変わる。
3人は漠然とした期待と不安を抱きながら、静かにそれぞれの場所で波の音を聞いていた。