第04話 トラウマ
あの大災害から、既に8ヶ月が経っていた。沖縄県では7月初めから夏休みに入る。海斗たちも既に夏休みを迎えて毎日を楽しく過ごしていた。午前中は4人で集まって宿題を済ませ、昼からはもっぱら遊びに専念している。真っ黒に日焼けした4人。しかし、今年は違うことがひとつだけあった。
海斗の部屋には、ホコリのかぶったサーフボードが放置されていた。留衣子も部屋の掃除をするために海斗の部屋に入るのだが、そのサーフボードを見るたびに心を痛めていた。
「お父さん」
留衣子は敦に昼食の冷やし中華を差し出しながら言った。
「うん?」
「海斗のことなんだけど……」
「あぁ……」
「今年の夏になってから、サーフィンを全然……やってないわね」
敦は新聞を畳んだ。
「そうだな。ただ……あんなことがあったから……」
沈黙が続く。
「あの子……どう思ってるのかしら」
「全然その話をしないからな」
「できないっていうのも……あるけど」
「そうだな……」
風鈴の音が鳴り響く。今年の夏は、どこかが違っていた。
砂浜で海斗、湊、一帆、瑞貴の4人も同じように座って談笑していた。しかし、今日はいつまでもそうしているつもりはなかった。3人で、海斗の心変わりを問い詰めるつもりでいたのだ。
海斗は本当に海が好きだ。サーフィンとなれば、冬にでもしてしまうほどの海好き。肉よりも魚が好きで、魚料理を作るのも得意だ。その海斗が、あの日を境にパッタリと海に関する遊びや行動を辞めてしまったのだ。
たまに、3人に料理を作ってくれることもあった。そんなこともめっきりなくなってしまい、正直言うと3人は戸惑っていた。
「海斗」
湊が話を切り出した。一帆と瑞貴の表情が強ばる。
「何?」
海斗は笑顔で答える。しかし、湊の表情は堅いままだ。
「なんだよ~! 怖い顔して」
「聞きたいことがある」
「何?」
「なんで……サーフィン、しないんだ?」
海斗の顔が一気に強ばった。
「毎年、6月くらいから毎日バカみてぇにサーフィンしてたじゃん……。今年は、なんでやらないんだ?」
「……。」
「ひょっとしてさ、去年のあの出来事、気にしてんのか? だとしたらさ、もう8ヶ月も前のことだろ? そんな前のこといつまでも引きずってたって……」
突然だった。
「うああああああああああああああああああああ!」
「!?」
海斗が悲鳴を上げた。
「ああああ……うあああああああああああああ~!」
「か、海斗!?」
湊が驚いて立ち上がろうとする海斗の袖を引っ張った。
「に、逃げよう! 逃げよう!」
「どこへだよ! お、おい!」
海斗は立ち上がり、一目散に走り始めた。3人は慌てて海斗を追いかける。
「どこ行くんだよ!」
「早く、早く逃げなきゃ!」
海斗は立ち止まり、すぐに湊の手を引いて走り始めた。とんでもない速さで、湊も足がもつれて転びそうになっていた。
「ストップ、ストップ! 速すぎるって、海斗!」
そのまま海斗は周囲で一番背の高いスカイハイツというマンションに駆け込んだ。最上階に来たところで、ようやく海斗が足を止めた。
「はぁ……はぁ……」
二人とも肩で息をしている。
「海斗……どうしたんだよ?」
しかし、振り向いた海斗の目は虚ろな感じだった。
「大丈夫か? 怪我、ないか?」
「あ……あぁ……」
「良かった」
海斗の笑顔が蘇る。しかし、どこか様子がおかしいことに気づいた湊は、そのまま海斗を連れて彼の家へと向かった。
「そう……」
海斗の自宅で彼らを迎え入れた留衣子が表情を暗くする。
「あの子……あの津波に遭ってから、波の音を聞いたり波の映像を見ただけでパニック起こすようになっちゃって……」
「パニック……」
一帆が呟く。
「それって、もしかしてトラウマってヤツですか?」
瑞貴が聞いた。
「そうみたい。病院でもそういわれたわ」
「そう……ですか……」
沈黙が続いた。室内から「かーさーん! おなか減ったぁ」というのん気な海斗の声が聞こえた。
「とにかく、今は海の話とかをあまりあの子の前でしないでほしいの」
「……そんな」
一帆が愕然とした様子で呟いたが、瑞貴がその口を塞いで言った。
「わかりました」
「おい!」
「帰ろう。今日は」
瑞貴が強引に一帆と湊を押す。
「それじゃ、おばさん、さようらな」
「えぇ……。またね」
留衣子も唖然としていた。半ば強引に押し出された一帆は納得が行かないようで、ずっと瑞貴に文句を言っていた。
「じゃあ……ウチへ来いよ」
瑞貴に言われるがまま、二人は家に連れて行かれた。
瑞貴の部屋に入るなり、彼はパソコンを起動する。そして、動画共有サイト「YouTube」をすぐにインターネットで検索し、さらにキーワード検索をした。
「これを見ろ」
瑞貴が命令口調で言うので、ムッとした様子で一帆が答えた。
「見てどうなるんだよ?」
「海斗がなんで、あんな風になったのかがわかる」
一帆は不服そうにしながらも、映像を見た。
動画が再生されると同時に、たくさんの人が通りを走っている。何語かはわからないが、それが悲鳴のような声であることは一帆たちにもわかった。
やがて、泥のような水が押し寄せてきた。自転車、自動車、ゴミ箱、商店に並んでいた果実やお土産、服、家の一部、そして樹木が一度に流されてきた。
「つ……なみ……?」
一帆が愕然とする。さらに、彼らを衝撃が襲う。
「お父さん! お父さん!」
日本語が聞こえてきたのだ。
「あなた! ビデオなんていいから、子供たちを早く!」
女性の声。一帆にも聞き覚えのある声だった。
「まさか……」
「お母さん!」
少年の声にも聞き覚えがあった。そして、ビデオカメラのアングルが変わった。
海斗の恐怖に怯える表情が、全面に映し出された。
「あ……」
「うあああああああああああああああ! お父さん! 波が……波が来たああああぁ!」
海斗の足を浚わんばかりに、泥の津波が押し寄せてきた。
「落ち着け! 父さんの手を引っ張れ!」
「ああああああああああ! やめて、やめて引っ張らないでください!」
地元の人らしい男性が、海斗の足を引っ張っている。
「うわああああああああああ!」
海斗が上がったと同時に、男性の手が海斗の足首から離れた。それと同時に最大級の波が海斗たちの逃げたビルに押し寄せ、男性の姿はあっという間に見えなくなった。
「……。」
映像はそこまでで終わっていた。
「アイツ……こんな経験、してるんだよ」
瑞貴が呟いた。
「こんな目に遭って……海にもう一回、行けなんていうほうが……ヒドくないか?」
一帆も湊も、一言も返せなかった。
そうしてまた、海斗がサーフィンをしない夏の日が過ぎていったのだった。