第02話 臨時ニュース
「ずりーよなぁ、海斗のヤツ!」
ブツブツと文句を言っているのは、一帆だった。
「こんな短い冬休みの間じゅう、ずーっと海外で過ごすんだぜ? 絶対ズルい!」
「でもさ、お前確かおなか弱いんだよな?」
湊が一帆のおなかをつついた。
「それが何か関係あんのかよ?」
「タイってな、日本ほど水道が整備されてないんだ。腹の弱い人とか関係なく、行けば半分くらいの人はタイの水飲んだらおなか壊すらしいぜ」
「飲まなきゃいいじゃん」
「残念だな。それが。スプーンとかフォーク、ナイフ、使うだろ? あれもタイの水で洗ってるから、どっちにしろ飲んだのと同じになるんだよ」
「げぇ~!」
一帆が大げさにそう叫んだ。
「じゃ、今頃海斗もおなか痛めてるのかも?」
瑞貴がおもしろそうに言った。
「可能性はあるね」
「アハハハ! まさか正露丸がお土産じゃないだろうな」
「ありうる!」
一帆の一言で3人は大爆笑した。
「じゃ、また明日!」
4人はいつもこうして集まって日中は一緒に遊んで過ごしている。しばらくは海斗のいない、3人での集まりとなる。正直、全員が寂しいと感じてはいたが、誰も口にはしない。
「ただいまー!」
瑞貴は帰宅するなり、バタバタとリビングに駆け込んだ。
「おかえり」
母の和美が夕食を準備して待っていた。弟の風真、父の伸之も座っている。
「わ! 今日はから揚げ!?」
「そうよ。手ぇ洗ってらっしゃい。お父さん、テレビつけてくれる? ニュース見たいわ」
「あいよ」
瑞貴は両親の会話を聞き流し、手を洗いに洗面所へ向かった。
「から揚げかー! こりゃ、風真と取り合いだな」
クスッと笑いながら瑞貴は手を洗い終えると、リビングに戻った。
「食べよ~っと! 絶対負けないぞ、風真! 真剣勝負だ!」
「……。」
しかし、風真も和美も伸之も、まったく応答がない。
「何?」
全員、テレビに釘付けだった。
「どしたのさ。珍しいニュース?」
瑞貴も椅子に座り、女性キャスターの言葉を聞いて動きを止めた。
「現地時間の今日午前7時58分、日本時間の午前9時58分頃、インドネシア西部のスマトラ島沖を震源とするマグニチュード9.1の非常に強い地震が発生しました。この地震に関する続報です」
「地震……」
沖縄県は地震が起きないわけではないが、他の地域と比べると格段に大きな地震は少ない。そのため、こうしたニュースが流れても、瑞貴にとってはどこか他人事だった。
「この地震は沖合いで発生したこともあり、津波が発生したとの情報が入っております」
「津波……」
次の瞬間、瑞貴は耳を疑った。
「スマトラ島以外で現在、津波の襲来による被害が確認されているのは次の地域です。マレーシア、インドネシア沿岸地域ならびにタイの沿岸地域……」
「タイ……」
二日前の海斗の言葉が蘇った。
――タイのプーケット島ってとこ! まぁ、沖縄と似たようなビーチとかあるんだけど、今の時期でもすっげぇ暖かいらしいし!
「そんな……」
伸之も和美も風真も、海斗一家の行き先を知っているがゆえに、このニュースを聞いて呆然としているのだった。
「で、でも。プーケットってところだったし……大丈夫だよ」
瑞貴は独り言のように呟いた。しかし、その希望もあえなく潰されてしまう。
「タイのプーケット島では地震発生から約2時間半後に津波が押し寄せ、津波の知識が乏しかったこの地域では、多くの住民が犠牲となっております。そのプーケット島の映像が入ってきたとのことです」
画面が切り替わる。海岸沿いのビーチだった。
「……。」
それは突然だった。波が綺麗に引いていくのだ。
「うわ……」
そして、それからほどなくして、泥のような色をした大波があっという間にビーチを飲み込んでいった。
「……そんな」
瑞貴の脳裏に海斗の笑顔が蘇る。まるで、走馬灯のように海斗のいろんな表情が浮かんでは消えていった。
瑞貴はブルブルと首を横に振った。
「大丈夫だよ! 海斗は、うん、きっと大丈夫だ!」
独り言のように瑞貴は笑顔でうなずきながらそう言った。そうでもしなければ、気が狂いそうなくらいに頭が熱くなっていた。
電話のコール音が不意に廊下に響き渡った。両親や弟はテレビに釘付けになり微動だにしないので、仕方なく瑞貴が出た。
「はい、金刀です」
「もしもし? 岩瀬です」
「湊……?」
「瑞貴か?」
「うん……」
それから沈黙が20秒ほど続いた。ようやく、湊のほうから会話を切り出した。
「ニュース、見たか?」
「見た」
「テレビの?」
「うん」
「……。」
再び湊が黙り込む。
「何。なんで、黙るのさ?」
「インターネットのニュースを見た」
「……。」
「海斗のいる……タイの、プーケット島」
瑞貴は湊の言葉を聞きたくないような、聞きたいような、何とも言えない感情に見舞われた。湊の言葉を聞いた瞬間、瑞貴は頭が真っ白になった。
「津波の高さが、2メートルを越えたらしい……」
2メートル。
瑞貴の自宅の天井の高さほどある。そんな波が、海斗たち一家のいるプーケット島を襲ったのだ。
「なぁ、湊」
「うん?」
「日本人の、安否は?」
「まだ……つかめてないらしい」
「海斗は、大丈夫だよな?」
「……。」
湊は何も言わなかった。
「なぁ、湊。何か言ってよ……」
「……俺だって、無事だって信じたいけど、情報が何もなさすぎる」
「そうだ!」
海斗は携帯電話を持っていた。沖縄からだと通話料は高いかもしれないが、掛けてみる価値はあると瑞貴は思った。
「ケータイだよ! な、湊、ケータイ持ってたよな? あれで海斗に掛けて……」
「ダメだ」
「なんで?」
「海外では……通話の契約してないと、基本的に通じない」
「そんな……」
瑞貴はペタリとその場に座り込んだ。
「じゃあ……俺たち、何もできないわけ?」
「そう……なる」
湊の言葉に、瑞貴の頭は今度こそ真っ白になった。そこから先はどのような話をしたのかもわからないまま、瑞貴はいつの間にか電話を終えていた。
「……。」
ポロリと涙がこぼれた。
「海斗……」
名前ばかりが口から自然と漏れてくる。
「海斗……海斗ぉ……」
瑞貴は廊下に顔を伏せ、大声を上げて泣き始めた。
スマトラ島沖地震のニュースばかりが、その日はテレビで流れていたものの、肝心の日本人海外旅行客の安否情報は流れぬまま、時間ばかりが過ぎていったのだった。