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太陽王と終焉の月  作者: 帰り花
第二章 王冠と鎖
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帰還

 別れは、予告なく来た。

 人質は贈り物ではない。

 条件だ。

 条件は、情と無関係に動く。

 大神殿の回廊に冬の匂いが忍び込んだ頃、ヴァルディアからの使者が王都に到着した。和平の再確認。交易の調整。名目はいくらでも付けられる。

 だが求めは一つ。

 ――第七王子の返還。

 ソルはそれを告げられた時、表情を変えなかった。

 驚きもしない。

 喜びもしない。

 悲しみもしない。

 ただ頷いた。

「分かった」

 それだけ。

 王子として正しい反応だ。

 人質としても、正しい。

 四年ぶりに、祖国に帰ることができる。

 喜びこそすれ、拒む者はいないだろう。

 だが胸の奥では、火が静かに軋んでいた。

(離れる)

 一度得た温度を、引き剥がされる。

 それが許せない。

 だが今はまだ、力が足りない。

 非力な人質のままでは、手に入らない。

 エルセリア第一王子から奪うには、王になる必要がある。

 王になるには、帰らなければならない。

 だからソルは、笑った。

 自分の中の獣を、隠すために。


 出立前夜。

 ソルは大神殿に向かった。

 灯が少なく、人も少ない時間。

 警護の目を避けるのは容易だった。

 そもそも、誰も彼が“会いに行く”とは思わない。

 人は敵国の王子に、恋を想像しない。

 だからこそ、盲点になる。


 最奥の礼拝堂。

 白い石に囲まれた空間。

 香の匂い。

 静寂。

 そこにルナがいた。

 祈っているのではない。

 ただ立っている。

 揺れる灯が、銀の髪と薄い肌を淡く照らす。

 ソルは言った。

「ルナ」

 声は低い。

 震えはない。

 震えを見せるのは負けだ。

 ルナが振り向く。

 水色の瞳が、ソルを捉える。

 そこにあるのはいつもの静けさ。

 慈悲の温度。

 だが“特別”の温度ではない。

 それでもソルは、安堵する。

 見つけたからだ。

 ここにいる。

 変わらず。

 消えていない。


「明日、帰る」

 告げる。

 命令ではない。

 報告でもない。

 宣告に近い。

 ルナは頷く。

「そうですか」

 それだけ。

 引き留めない。

 残念がらない。

 縋らない。

 その態度が、胸を刺す。

(どうして)

(俺を惜しまない)

 言葉にすれば幼い。

 だが幼さこそが、ソルの核だ。

 選ばれなかった幼さ。

 捨てられた幼さ。

 それを隠して、王子の顔をしてきた。

 だが、ルナの前では剥がれそうになる。

 剥がれるのが怖い。

 だから、より強くなる。

 強く見せる。


「俺がいなくても、変わらないのか」

 問い。

 薄い怒りを混ぜる。

 相手の温度を確かめるための、試し。

 ルナは静かに答えた。

「変わります」

 その一言で、ソルの呼吸が微かに乱れる。

「……何が」

「あなたがいないと、祈りが一つ増えます」

 ソルは一瞬、意味が分からなかった。

 祈り。

 何の。

 ルナは言う。

「あなたが壊れないように」

 その言葉は、剣よりも深く入った。

 壊れないように。

 この男は最初から、ソルの内側を見ていた。

 炎の瞳の奥の、欠けた部分を。

 拾われない涙を。

 泣けなかった夜を。

 そして。

(見捨てない)

 その事実だけで、ソルの心は一度、救われる。

 救われてしまう。

 救われてしまうから、執着が生まれる。

 これを失ったら、二度と戻れないと直感する。


「……ルナ」

 ソルは一歩近づく。

 ルナは退かない。

 それが怖い。

 退かないということは、恐れていないということだ。

 恐れていないということは、誰とでも同じということだ。

 誰とでも同じ。

 その言葉が、胸の奥を黒くする。

 ソルは手を伸ばす。

 指先が、ルナの髪に触れる寸前で止まる。

 触れれば、残る。

 触れれば、記憶になる。

 触れれば、戻れなくなる。

 だが戻るつもりなど、最初からなかった。

 ソルは、そっと銀の髪に触れた。

 小さく囁く。

「待て」

 命令の形。

 願いを隠すための形。

「俺が戻るまで」

 ルナは、すぐには答えなかった。

 ほんの一瞬の沈黙。

 その沈黙は、拒絶ではない。

 だが肯定でもない。

 それが、ルナという男の優しさだ。

 肯定してしまえば、縛ってしまう。

 拒絶してしまえば、折ってしまう。

 だから中間を選ぶ。

 救済としての中間。

 ルナは静かに言った。

「ここにいます」

 その言葉に、ソルは笑う。

 勝ったように。

 だが本当は違う。

 笑うしかない。

「待っていろ」

 そう言って、背を向ける。

 振り返らない。

 振り返れば、崩れる。

 幼さが、露出する。

 それは許されない。

 ソルは炎の瞳を伏せたまま、回廊を去った。


 翌朝。

 王都の門前に、馬車が並ぶ。

 エルセリア側の護衛は丁重だ。

 別れの儀式として、必要な礼だ。

 アルベルトが現れる。

 緑の瞳は、静かだった。

 憎しみはない。

 だが、警戒がある。

 それが、王子として正しい。

 ソルはアルベルトを見る。

 敵だ。

 だが今は笑う。

「世話になったな、第一王子」

 皮肉は込めない。

 込めても意味がない。

 ソルの戦は言葉でなく、武力で行われる。

 アルベルトは短く答える。

「無事に帰れ」

 その声はまっすぐだ。

 善意だ。

 その善意が、ソルには眩しい。

 眩しいものは嫌いだ。

 太陽の名をもつ自分が、暗いことを突きつけるから。


 馬車に乗り込む直前。

 ソルは大神殿の白い尖塔を見る。

 その奥に、ルナがいる。

 見えないのに、見える。

 そこにいると、知っているから。

 ソルは心の中で言った。

(戻る)

(王として)

(今度は奪いに来る)

 炎は胸の奥で、静かに形を変える。

 ただ燃える炎ではない。

 鉄を溶かす炎。

 鎖を作る炎。

 魂を縫う炎。


 馬車が動き出す。

 石畳を叩く音が遠ざかる。

 エルセリアの空は青かった。

 豊かな国の空。

 それがいずれ、黒く染まることを――

 誰も知らない。


 いや、ソルだけは知っていた。

 自分が、この国の空から、月を堕とすことを。

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